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04話「明暗分ける決戦」

 夜中の内に静かに林に入り、馬も寝かせて身を低くして潜める。馬が驚いて鳴かないように虫やトカゲが近寄らないか見張る。

 少し先には敵の野営地がある。そこには立てられた飾り尾が五本ある竿、将軍の馬印があるらしく、もしかしたら大物を仕留められるかもしれない。

 マリエン軍はマンゼア軍に非正規戦を仕掛けている。小部隊に分かれて弱い敵を襲って殺し、寝ている敵野営地の近くで銃声鳴らして睡眠妨害、余裕があれば狙撃して一人でも殺すか怪我をさせる。馬をかっぱらってきた奴もいる。敵の補給部隊を襲撃して食い物や捕虜を取ってきた奴もいる。別の隊では敵の伝令とっ捕まえて勲章貰った奴がいるらしい。

 本隊と本隊がぶつかってデカい戦闘をやる前の前哨戦だ。互いの気力をジワジワ削り合うような地味な戦い。今からその中でも少し大きい戦いが始まろうとしている。状況が悪ければ始まらない。

「聞いたか? ザフカーク軍の連中、全然仕事してねぇらしいぜ」

「帝国の戦争に付き合ってんのに、自分とこの戦争、戦争っちゅうか小競り合いだけどよ、助けてくれねぇんだからな」

「アホなこと言ってんじゃねぇ、静かにしてろ」

 不穏な話を聞いて身が強張ってくる。戦争は初めてで、味方のザフカーク軍が裏切るかもという話を聞けば胸が尚更気持ち悪くなってくる。裏切るという言葉は誰も口にしないが、そんなニオイはしてる。

 手鼻かんだタルバジンが鼻水をノルトバルの袖に拭う。

「ジジイこら」

「幸運の呪いだ。悪い気避けて、いい気が付く」

「今思い付きでやっただろ、いらねぇよボケ」

「掛けた呪いはそうそう解けねぇよ」

 鼻水に濡れた白髭を舐めながらニヤっと笑うタルバジンの顔を見て舌打ちする。

 偵察に出ていた身軽な奴が戻ってきて、隊長に報告をする。そして隊長が立ち上がる。

「連中は朝飯の準備でのんびりしてやがる。攻撃するが深追いはしない。略奪は禁止、後列は松明を準備して危険を冒さない程度に焼き討ちしろ。大砲処理班は点火孔に釘を刺すだけに留めて車輪の破壊までしなくていい。火薬庫は安全に爆破出来る場合のみ爆破しろ。時間はあまり取らねぇ。頃合になったら撤退の笛を吹くからそれまでちゃっちゃと動け」

 皆が続々と馬を立たせて乗り、目標の野営地へ近付く。近付く度に馬の足を早める。

 眠そうに警備している粗末な毛皮帽子に服の敵槍兵、半分寝ながら座ってる被り物に鳥の羽を付けた派手な敵遊牧兵、朝食の支度をしている酒保女、あくびしながら洗濯物をいじってる洗濯女が見える。

 馬の集団が揺らして鳴らす地面に気付き、敵兵士はなにをしていいか分からなくて右往左往し始め、女は持ってる物を落としたり悲鳴を上げる。

「射撃用意!」

 馬を早足で進ませながら小銃を構え、発射用意を整える。そのざわつきに敵は気付いて、手近な武器を手に取り始める。

「撃てェ!」

 一斉射撃。景気よく白煙が噴出して銃声が鳴って、銃弾の雨で何人か敵が死んで、それ以上に驚いて混乱し始める。小銃を鞍の鞘に収める。白煙の雲を突っ切る。

 隊長が刀を振りかざし、何度も閃かせる。その度に朝日が反射してチカチカする。

「 ”獣の母”よ、敵の血を今捧げる! 全隊抜刀!」

 柄頭に小指を引っ掛けるようにして刀を抜く。

「”彷徨う者”よ、勝利の道を示せ! 突撃ィ!」

 馬の足を更に早めて襲歩へ。喚声を上げて突撃。そして刀を流れるままに、背中を向ける敵の首に振ると意外にあっさり落ちた。

 タルバジンの先導に従って進む。敵を斬ったり馬でふっ飛ばし、テントには松明を持った仲間が火を付ける。

 そして大砲が野ざらしに並んでいる所まで一気に駆け進む。騎乗したまま周囲を警戒する者と、下馬して大砲の点火孔に釘を打ち込んで使えないようにする者に分かれる。

 ノルトバルは馬から降り、金槌で釘を点火孔に打ち込む。二つ三つやっつけてから次の大砲に移ろうとした時、目に付いた大きなテントの中に妙な物を発見する。槍にしては穂先が大きく太く尖っていない長い物が見える。中に入るとそれが何百本も並べられ、積み重なっている。 

「おや、君はなにをしているのかね? 子供が火遊びをしてはいけない。大人でもいけないんだがね」

 髪が長くて、変に髭が上品そうな男が物陰から出てくる。この状況で余裕ぶってる辺り、手強い相手か……撤退の笛が鳴る。

「なにか合図のようだね」

 男も長い物も無視し、馬に乗って野営地の外へ走り出す。

 馬に乗って指揮をしようと刀を振り上げる太った敵士官らしき男が目に入り、近寄って馬上から馬の勢いを入れた蹴りで落馬させる。下馬し、落馬で苦しんでるそいつの頭を蹴っ飛ばして気絶させ、近くのテントにあった絨毯で全身を巻き、縄で解けないようして鞍に繋いで馬で引きずって逃げる。

 ようやく動き出した敵騎兵が追ってきて、体を捻って後ろ向きに拳銃を向け、撃つ。馬の頭に当たって、騎手が吹き飛ばされるぐらい派手に転ぶ。

 襲撃から撤退の笛が鳴るまであっと言う間だった。


 砲弾が地面を抉り、跳ねながら迫ってくる。目に見える速度でもあんなのを食らったら体が千切れる。進行方向を見定めて、横にずれる。後ろで戦列を組んでいた兵士の足が千切れた。痛そうだ。

 見渡す限り、左から右には爆音と同時に白煙と砲弾を吐き出す大砲が、多少の高低差はある地形に沿って並んでいる。兵士に戦列を組ませ、大砲を撃って、砲弾で殺すの繰り返し。まるで根性試しの殴り合いだ。

 ルノロジャ伯爵という全く意味のない称号を持つリーレスは、まるで標的になるための格好をしてザルハル方面軍の最前列に立っている。羽根付兜、特注の鮮烈に紅い軍服、鏡のように煌く胸甲、左腕に分厚い小手、それぞれに金の装飾。若い頃から派手趣味はなかったが、今では実用性も兼ねて目立つようにと指導されている。そして指揮官をするつもりはなかったのに、もう一○年近くやらされてる。「リーレス=ザルンゲレンとは将校ではなく、ただの一人の戦士だ」と格好付けて言ってみたら笑われたことがある。確かに恥ずかしかった。

 今、我等がザルハル方面軍は敵のマンゼア軍と大砲の撃ち合いをしている。お互いにドカンドカンと砲撃して、砲弾転がして人間を潰し合っている。大砲の数と精度はこっちが勝って、兵の数はあっちが勝ってる。マンゼア王国にあそこまで動員能力があるとは意外だった。

 偵察によると敵軍中央が一番数が多く、中央を相手取る我々はいつも通りにキツい。右翼は分かりづらいが数が多い可能性があり、マリエン軍は規模不明瞭な敵に当たってキツいだろう。左翼は数が少なく、ザフカーク軍に見えない影が迫らなければ楽だろう。

 顔の古傷をいじりながら考える。本国西方での戦乱から早五年、ザルハル方面軍に第三次派兵要請がきて送り出してから間もなく、北からアルーマン構成国の一つマンゼア王国が侵略してきた。お隣のウィーバル方面軍に救援を求めようにも不穏な返答ばかりで意味がない。我々は南下してきたマンゼア軍を素早く撃破して不足の事態に備えなければいけない。

 懸念がある。我々がアルーマン全体と衝突することを恐れ、アルーマン系遊牧民が国の指導と関係なく行う部族単位の略奪からザフカーク軍を守ることが出来ていない事実だ。今のところは従順だが、マリエン軍も含めていつ土壇場で裏切ってもおかしくない。その昔は裏切られても跳ね返す戦力差があったが、今はもうない。嫌な予感が消えない。

「伝令!」

 到着した伝令が敬礼してから文を広げて読み上げる。

「発、アレクカルド元帥より。宛て、ザルンゲレン准将へ。前進し攻撃せよ、以上であります」

「ご苦労。その通りにすると伝えてくれ」

「分かりました! 失礼します」

 再び敬礼、伝令が去る。分かりやすいのはいいことだ。

 腕を上げる。ラッパ手が行進準備の吹奏をし、士官連中が怒鳴って姿勢を正させる。待機中につきやや斜めに持たれていた各旗、緑地に三重金円の帝国旗、左半が帝国旗に右半が黄地に黒獅子のザルハル方面軍旗が選抜旗手により高く真っ直ぐ掲げられ、そして各連隊旗も高く真っ直ぐ掲げられる。

 前に振り下ろす。初代ザルハル方面軍元帥を題材にした行進曲”荒野の黒獅子マサリク=アレクカルド”を軍楽隊が演奏。戦場の中央、リーレス指揮下の前衛軍が曲と小太鼓に合わせ、旗を揺らしながら行進する。空から見ることが可能ならば地面が動いているように見えるだろう。

 まず、帝国の神聖な緑の軍服を着ることが許された弓兵が戦列を組まずに素早く前進する。そして訓練次第では小銃より遠くから命中させられる合成弓で射撃する。この矢には毒が塗られていて、受けた矢が致命傷じゃなくても苦しんでもがき始める。敵の士気が削がれていく感情が伝わる。

 互いの砲撃はまだ続くが、こちら側は味方を撃たないようにと砲座の調整でもしてるのか砲撃間隔が長くなる。その長さが元に戻る頃、小銃の撃ち合いには丁度いい距離になる。

 腕を上げて合図。銃兵が最前列に出て戦列を並べ、弓兵は最後列まで移動する。

 雑な格好で小銃を持つマンゼアの銃兵と、統一された軍帽に軍服の我が軍の銃兵が整列して対峙する。整列指示も兵士の動作も格段にこちらが速く、第一列の銃兵が小銃を並べて一斉射撃。一斉に白煙が噴出して、敵銃兵がバタバタ倒れる。敵銃兵が撃ち返そうと構えている間に、第一列がしゃがんで小銃に弾薬の装填を始め、第二列が一斉射撃を加える。また敵銃兵がバタバタ倒れる。そして統一のなってない敵銃兵の銃撃が返ってきて、少数の我等の兵士が倒れる。

 万事そのような状態で足を止めて撃ち合い、敵士官が逃亡兵の処理をし始める頃に、突撃部隊が準備を終えた合図のラッパが鳴る。

 弾を避けたり、両手剣の腹で防いだりしながら観察したところ。後ろに控えている敵槍兵の長槍はかなり長くて統一されており、銃兵は数はかなり多いが身形は基本的に粗末な連中ばかり。農民どもを大量に徴兵して大量生産した武器を与えた様子がうかがえる。

 腕を広げる合図で銃兵の戦列に一定の隙間を作らせ、突撃部隊の突入路を確保。両手剣を振り上げて突撃の合図を出す。

 リーレス自身が真っ先に敵へ斬り込む。撃つか撃たないか逃げるかどうしよう、と慌てふためいてる敵の頭をカチ割る。一人で突っ込んできたことに理解が出来ないのか、敵士官もどう命令しようか悩んでいるようなので斬り殺す。

 突撃部隊の先頭、司教帽を被った精鋭の擲弾兵が銃兵の間を縫って進み、一定距離まで詰めたら素早く一斉射撃を加え、次いでまた距離を詰めてから手榴弾を投擲して敵銃兵の隊列を吹き飛ばし、そうしてから喚声を上げた銃剣突撃で敵銃兵に激突し、殺しまくる。

 混乱している敵部隊だが、大太鼓の音が鳴り、それを合図に何とか敵銃兵と敵槍兵が前後列を交代し始める。リーレスは敵銃兵を手早く殺して前に進み、前に進む後ろに引くでもみ合っている最中の敵槍兵に斬りかかって一部でも戦列に穴を開けておく。

 素人が操っているとしても長槍に対し銃剣では分が悪い。擲弾兵は後続の、兜に胸甲で身を固めた槍兵と徐々に交代。ガチガチと長槍をぶつけ合う音が鳴り、敵味方は槍衾を絡めあってぶっ叩き、突き殺し合う。敵槍兵は防具も無く痛そうな声を上げて突かれて倒れ、こちらの槍兵は防具に守られながらも苦悶の声を上げて突かれて倒れる。

 火矢が一本一本等間隔で敵の中へ放たれ始め、そしてリーレスが敵を斬って刺して殺しまくって作った安全地帯から連絡士官が信号弾を打ち上げる。最後の火矢の位置を目印に弓兵による射撃が始まり、見事な曲射で頭上を通り越して敵に降り注ぐ。前と上から殺され、敵部隊から更に脱走兵が続出する。

 徴収された農民のような者ばかりで、兵士として長く訓練された者や、連中の手強い遊牧兵がいない。こいつら被害担当部隊か?

 今、中央で敵を押さえ付けている。その隙にザフカーク軍が手薄な敵左翼を突破し、回り込んで攻撃する手はずになっているが、彼らのいる方角で戦闘が行われているようには、遠目だが見えないし音も響いてこない。いくら爆ぜた火薬の音と白煙の海にいるからそれが分からないと言うほど素人じゃない。マリエン軍の方はちゃんと手筈通りに敵右翼に攻撃している様子が伝わってくる。

 嫌な予感が消えない。


 他のマリエン軍の連隊は粗方敵との戦闘に入っている。遠くからは土煙や白煙に地面の高低のうねりでよくは見えないが、銃声に砲声も混じって何となくは分かる。

 予備兵力としてルノロジャ連隊は待機中だ。ザフカーク軍が戦闘をサボっているという噂が広まっていて座りが悪い。ガキの頃に逃げてきたとはいえ元はザフカークの人間だ。

「アルーマンに恨み骨髄の連中がやる気がねぇとは奇妙だ」

「義務も果してねぇ帝国に愛想尽かしたってのは分かる話だ。”慈悲なくば慈悲をなく”だ」

「おめぇら知らねぇのか? ザフカークに手ぇ出してんのはジッティンで、今きてやがんのはマンゼアで別もんだぞ」

 聞いてて気分が悪くなるので違う方に耳を傾ける。

「見せてやりたかってぜ、タルバジンの爺さまの熱弁をよ。随分と熱くその功績がいかに凄いかって口説いてたじゃねぇか。ちょっと相手が渋る素振り見せりゃ、勲章があれば見えきって結婚出来るってな! やー、爺さまにゃ参ったぜ。こっちまで面が赤くなる」

「おらぁ、爺さまにもなにか別の勲章贈ってやっていいとおもうぜ。爺さまにかかりゃ俺だって皇帝の野朗から蔦付三重金円勲章もらえるぜ」

 珍しく顔を赤くしてタルバジンがそいつの頭をぶん殴り、全員ゲラゲラ笑って冷やかす。ノルトバルが敵士官を生け捕りにした功績により勇敢勲章を授与された話だ。胸に付いた勲章をいじる。これはこれで聞きたくない。

 バルメーク派の従軍司祭が祝福を掛けて回っていて、自分達の所にくる。意味は分からないが祝詞を上げ、鐘を手に持って鳴らしている。特に信じてるわけじゃないが、気が紛れるのは事実だ。

 急に「ザフカーク軍が寝返った!」とざわめきが走り、続いて予備兵力投入だという話も聞こえてきて騒がしくなる。

 連隊長が指揮杖を振り上げ、仕草で黙らせる。それでも喋ってる奴が頭をぶっ叩かれて黙る。

「ザフカークの連中にゃ寝返る理由がある。俺達マリエンにゃそれがねぇから寝返らねぇ。おめぇ等、腹決めて死ね! 筋ぃ曲げたら全部失うが、曲げなきゃここにいる糞野郎どもがくたばるだけだ。どうだ、大したことねぇだろ!?」

 年寄りが笑い始め、つられて若いのが笑い始める。ノルトバルも顔が緩み始める。

「とにかく死ぬまで敵を殺しまくれ。もう今の状況じゃ勝ち負けなんぞ分からん。だったら伝説の一つ二つ作って、死んでからも永遠に生きるぞ!」

 思い残すことはまだまだあるが、これでもいいかという気になってきた。

「死なねぇ奴にゃ家に帰る資格はねぇ、帰りてぇなら骨になれ! 男なら戦って死ね!」

 そしてその気になった時、声を上げて笑った。

 連隊長が縦隊整列と声を掛け、角笛が鳴り、旗手が隊列の先頭に立ち、それに従って隊列に加わる。とりあえず一緒に駆けて殺すんだ。

 大砲とは全く別の、間抜けた爆発とも思えないような轟音を上げてなにかが煙を引いて飛んでくる。何だろうと思って眺めていると――あの長い物だ――と思ったら空中で爆発する。その破片を浴びた奴が叫び声を上げて落馬、驚いた馬が走り出して他の馬にぶつかって騒ぎが広がる。

 次々とあの長い物が打ち上げられ、引かれた煙の筋が集まって壁になる。見事だと思って見とれてしまう。あんなことを人間が出来るのか?

 そして降ってきた。突っ込んできて、這ってきて、転がってきて、途中で爆発しながら無秩序に襲ってくる。そこら中で爆発、土砂混じりに煙が吹き荒れ、破片が空気を甲高い音で突っ切り、人が馬が鳴いて叫んで暴れて倒れる。ようやく兵器だと理解した時には既に連隊は掻き回されていた。

「狙い撃ちだ、散れッ! 固まるな!」

 誰かの怒鳴り声に促され、人と馬と長い物の残骸が転がる場所から抜け出すよう馬を走らせる。長い物の棒の部分が飛んできて馬に当たり、鳴いて棹立ちになって暴れ始める。首に抱きついて、宥めるようにやさしく適当な言葉を繰り返す。自分でもなに言ってるか分からない。

 ようやく馬が大人しくなった頃に、今度は信じ難いものが連隊を襲っていた。蛇のように尾をくねらせ、馬より遥かに早い、足のない白い化け物だ。しかも馬より熊より何倍も大きい。刀のような爪で人馬ごと切り裂く。尾の一薙ぎで、まとめて十数の人の胴も馬の首も千切れ飛ぶ。もてあそぶようなことはせず、無駄なく殺していく。

 異形の化物に人も馬も恐怖に染まり、爆撃で混乱していた連隊が更に混乱。どう見ても収集がつくことはもうない。

 連隊の規律は既になくなり、背中を向けて逃げ出す仲間が続々と現れる。そしてそれを逃がすまいと甲高い角笛が鳴って、いつの間にか現れた敵遊牧騎兵が群れをなして襲ってくる。集団からはぐれた仲間から真っ先に狙われ、弓や槍や刀で狩られる。一箇所に固まれば化物に撫で斬りにされる。散れば敵遊牧騎兵に狩られる。恐怖に窒息するともがくことも許されない。ただわけも分からず殺されていく。

 戦うことも逃げることも忘れて仲間が死んでいくさまを見ていると、投げ縄が首に掛かって馬から引き摺り降ろされる。引きずられる。首が絞まらないように首の縄に手を掛ける。草の柔らかさと小石の鋭さを背中で味わう。短剣を抜いて縄を切る。

 荒く息を吐いて朦朧としているところに乗り手を失った誰かの馬が突っ込んできてはねられ、吹っ飛ばされて転がる。体が止まり、一瞬怖気が走ったあと、中に圧し折れるかと思うほどの苦痛がやってきて勝手に体が丸まり息も出来ない。しばらく堪えていると息が出来るようになる。仰向けになると青いはずの空が灰色に霞んで見えた。

 眠たくなってきた。戦場だからどうした? 殺せばいい。寝るのは邪魔するな。目を閉じて、痛くない程度に呼吸していると胸倉を掴まれて引き起こされる。

 仲間かと思ったら、兜被って毛皮付きの外套を着た年老いた遊牧兵。そいつが勝手にノルトバルの刀を抜いて手に持たせてくる。何だと思う暇もなく、次は同じ格好の若い遊牧兵が刀を振りかぶって突っ込んでくる。反射的に腕で振り払う、刃は反れて腕に浅そうな傷が出来た。そのまま若い遊牧兵はノルトバルの服を掴み、投げようとしたので踏ん張って持ちこたえる。何だこれ、初陣の息子か孫に人一匹殺させようって親心か?

 若い遊牧兵の顔に頭突きを入れる、顔を押さえて後ろに下がる。敵意に顔を歪ませてるとはいえ、何だか近所のガキみたいな可愛い顔をしている。刀で突きを繰り出す構えを取り、期待通りに刀を突き出してくるので避けながら腹に蹴りを入れる。そうしたら腹を押さえて膝を折った。

 年老いた遊牧兵の方に手招きする。しかし、腕を組んだままこちらを睨んでるだけ。余所見をしている内に立ち直った若い遊牧兵がまた刀を振りかぶって突っ込んでくる。刀を刀で打ち払うと、そのまま腰に体当たりしてくる。転ばないように踏ん張ったあと、若い遊牧兵の腰帯掴んで横に投げる。倒れたところで横っ面をかかとで蹴る。そういえばなんで俺は手加減なんぞしてやってんだ? 今殺せたはずだ。頭が呆けてやがる。

 今度は年老いた遊牧兵が刀を振り上げて突っ込んでくる、刀で防ぐとそのまま押されて肩に刃がめり込む。膝蹴りを食らい、苦し紛れに顔に唾吐き掛けながら後ろに飛び退く。距離を取ったと思っていたら、胸を斬られる。まだ距離を取ろうとしたら、前のめりに飛び込んできて太股を刀で斬られる。年老いた遊牧兵は飛び込んだ勢いを殺さずに立ち上がってまた斬りかかってくる。刀で防ごうとしたら軌道が変わって顔に迫る。目を閉じないように顔に力を入れながら上体を反らすと、左目の上が斬られるだけで済む。血が目に入り始める。年老いた遊牧兵が死角になった左側から、たぶん斬りかかってくる。破れかぶれで体当たりをすると、肩を刃で殴られるような感触。服を掴まれ、空が見えたと思ったら全身に衝撃。息が詰まり、全身が一斉に痛みを喚き始める。体も心も動きそうにない。

 見下ろす年老いた遊牧兵と、口から血を流してよろけながらなにか歳相応に高い声で喋ってる若い遊牧兵。年老いた遊牧兵が一言なにか言うと、若い遊牧兵は刀を振り上げて突き刺そうとしてくる。これが終わりか?

 若い遊牧兵の喉が血肉の破片になって弾け飛ぶ。銃声のような音が聞こえた気がする。年老いた遊牧兵が目を剥いてどこかを見やると、その方向から飛んできた刀が胸に刺さる。若い遊牧兵が仰け反って倒れる。年老いた遊牧兵はこちら側に倒れてきて、ぶつかる寸前でその顔に誰かが馬上から蹴りを入れて退ける。

 大分視界が霞んできたが、見慣れた白髭が見える。

「おい生きてるか!?」

「今度は一発だったな……」

 何とか一言搾り出し、意識を保つ努力は止めた。


 逃げる敵の背中を片手剣で刺しながら伝令の声を聞く。両手剣は使いすぎて壊れた。

「右翼側より後衛軍を襲撃したザフカーク軍を一時撃退するも、散兵戦に移行し膠着状態。またマリエン軍壊走により左翼側は戦闘能力喪失。全軍撤退を開始。リーレス=ザルンゲレン准将は引き続き前衛軍を指揮し、殿を務めよ。以上です」

 アレクカルドは死んだか重体か、何れにせよ口も利けない状態らしい。発と宛てを誤魔化した上にあいつはこんな長ったるい文は送ってこない。

「了解した」

 腕を上げて回す。ラッパ手の撤退の吹奏が始まり、戦闘の熱気で反応は遅れがちだが、目の前と足元に転がってる連中とはわけが違い、士官連中の怒鳴り声に反応して兵士が整列を始める。

 手のひらを背中側に向け、手を前後に振る。また士官連中の怒鳴り声が始まる。擲弾兵と銃兵と前面に出て列を作り、槍兵が側面に広がって側面攻撃を警戒し、弓兵がいつでも仲間の頭越しに射撃出来るよう中央に集まる。

 腕を振り下ろす。小太鼓に合わせて擲弾兵と銃兵は、端から小隊単位で威嚇射撃を行って一定距離後退して小銃の装填作業を終えてからまた威嚇射撃することを繰り返して後退。槍兵は、縦隊を作って擲弾兵や銃兵と離れない速度で後退。この縦隊は直ぐさま側面攻撃に対する横隊となる。弓兵は中央で周りに合わせながら後退。

 ジリジリと後退を続けた。その内に威嚇射撃も小隊の判断で行われなくなり、散発的に遠くから銃声が鳴る程度になった。ただ小銃や弓の射程距離外には今だ敵遊牧騎兵が張り付き、うろついているから油断は出来ない。

 後衛軍はザフカーク軍との小競り合いを続けながら順調に後退していると斥候が逐次確認を取っている。マリエン軍については組織行動は取っていないらしい。

 日の傾きが開戦当初と大分変わったと実感し始める頃、軍使らしき者が単騎で進んできた。毛の長い黒馬に乗った、地味な黒い服なのに妙な風体に思わせる上品そうな男で、左上半身を外套で隠し、右手につば広帽子を掲げながら進んでくる。攻撃の意思はなさそうだ。

「そのまま後退を続けろ!」

 片手剣を鞘に収め、そして歩み寄ると軍使らしき者は下馬し、つば広帽子を胸に当てて一礼する。

「私はシャイテル、マンゼア王メラシジンより代行権限を預かっている者だ。将軍の馬印を受けた身分だ」

 兜を外してこちらも一礼。羽飾りがもげて落ちる。

「私はリーレス=ザルンゲレン、ザルハル方面軍で元帥直下の准将を務め、ルノロジャ伯位もある」

「ははー、なるほどなるほど。あの伝説の勇士か、道理で」

「用件を」

「ああ失礼、興味対象があると我を忘れてしまう癖があってね。では用件だ、降伏すれば一先ずの命は保証する。和平交渉はそれからだ」

「私には前衛軍を指揮する権限はあるが、軍全体の降伏の判断をするまでの権限はない。それに撤退命令が出ている」

「ふむ? アレクカルド元帥戦死の報は聞いていないのかな。君ほどの影響力を持つ者が降伏を、元帥の代行を務めている者に具申すれば叶う気がするがね」

「私の首を持っていけば叶うだろう」

「なるほど、地獄の撤退行もリーレス=ザルンゲレン准将が殿を務めていれば安心と言うわけだ。分かった。これだけ美しく後退されていては降伏しろだのとは言えないな。これは儀礼的なものだから気にしないでくれ」

「以上かな?」

 兜を被り直そうとすると止められる。

「まあ待ちたまえ。代行としての用件は終わったが、もう一つ私人として用件があるんだ」

「私人?」

「ふむ、しかしおそろしく統制が取れている軍だ。小細工なしには勝てなかったよ」

「用件があると言いながらはぐらかしているような気がするが」

「君は突出して凄かったが、他の将兵も大したものだ。一応今でも世界最強を名乗るシェテル帝国なだけはある。凋落の時期がきてるがね」

「雑談だけなら戻りたいのだが」

「まあまあ、ちょっとぐらいいいじゃないか。いきなり本題に入るのもカドが立つというものだ」

 シャイテルという男、妙な笑顔を作る。あまりにも感情表現というものが似合わなくて不気味だ。

「さてリーレス=ザルンゲレン、私人としての用件を言う。君が欲しい、対価もある。どうだ?」

 まさかこんな所で引き入れとは恐れ入るな。

「断る。まだ負けてもいないのに敵軍には降りれない」

「いやいやいや!」

 心外と言わんばかり手を振る。

「そんな些細なことじゃない。マンゼアは関係ない、私個人が君を欲しいんだ」

 よく分からず、首を横に傾げる。

「ああ、まず何と言おうか、ああそうだ、実物? そうは言わないか。とりあえずちょっと待ってくれ」

 シャイテルは握り拳を作ってその親指を眉間に当ててしばし集中するように瞑目。すると異様な気配。反射的に片手剣を抜きながらその気配の方向を見れば、音らしい音もなく蛇のように尾をくねらせ、恐ろしい速度でやってくる脚のない化物。尾は相当に長く、胴体から頭まででも一軒家ほどはあろうか。まるで昔殺した化物のようだ。

「紹介しよう、彼はルガスドールという。見て分かる通り脚がなくてね、生まれ付きの奇形の竜なんだ」

 ルガスドールという奇形の竜は腕を組み、巨大な緑眼をこちらに向ける。知性は間違いなくある。

「彼は本当に尋常ならざる努力をしてね、自分の骨格を別生物かと思うほどに変えたんだ。努力するにも限界が普通はあるが、解決策がある。一番は時間、寿命だ。彼は本来なら捨てられるか殺されるかするはずだったが、私が身元を引き受けた時に話し合い、寿命を半永久的にした。詳しくは省略するが、魔法の力と言えば分かるかな?」

「それを目指して狂った化物になった連中は嫌というほど見た。アレの仲間入りはごめんだ」

「君が一躍有名になったパルドノヴォの乱だね。私をあのような未熟者達と一緒にしないで欲しい」

「同じだ」

「門外漢は直ぐこれだ! 専門家が違うと言うのに耳を貸さん。あのパルドノヴォで物質世界と情報世界の局所融合を画策して失敗した馬鹿者達と一緒にするなど酷い侮辱だ。私を宮廷料理人とするならば、奴等は捕まえた虫を焚き火に素手ごと入れようとする赤子ほどに違うぞ」

 初対面ではあるが、激昂するシャイテルというのに異様なものを感じる。元々異様なのだが、輪がかかっている。そういえば魔法使いってのは変なのばっかりだと知り合いが言っていた。そういうものか。

 ルガスドールがシャイテルの肩をデカい手でポンポンと叩く。あまりにおかしくて、笑いを堪えても鼻から息が吹き出す。それに気付いたシャイテルが一礼する。

「失礼した。専門分野のこととなると視野狭窄に陥ってしまうのだ。謝罪する」

「いや、別にいいんだが」

「で、どうだ?」

 なにがで、どうだ? だ。

「勿論断る」

「どうしてだ? そのままの知性と姿で半永久的な寿命が得られるだぞ。それを目指し、志半ばで寿命に敗北していった権力者や魔法使いがどれだけいたか分かっているのか」

「そんなインチキ臭いものに興味はない。それにあんたみたいなうさんくさくて気味の悪い変態の物になるってのが気に入らない。死んだ方がいいはずだ」

「ふむ、中々どうして否定出来ないのが悲しいな」

 シャイテルが慰めを求めるようにルガスドールに顔を向ける。ルガスドールは無言で地面に唾を吐く。バチャっと鳴るくらい凄い量だ。

「ならばこうしよう。学者である私の本分ではないが」

 シャイテルは外套の陰から、剣身に静脈と動脈が走ったようなおぞましい剣を抜き払う。

「リーレスくん」

 くん付けで呼ばれて怖気が走る。

「まずは君を打ち負かして無理にでもその寿命を与える。それから何十何百年と説得を続けよう」

 ルガスドールが、また始まったとばかりに溜息を吐く。

「さあ剣を抜きなさいリーレスくん。ルガスドール、手は出すなよ」

 ルガスドールは呆れたように地面に寝そべる。

 シャイテルは足を肩幅程度に開き、真っ直ぐに剣先をこちらに突き出す。そしてゆっくりと踊るように前に左右に時に後ろに足を動かし始める。

 一騎打ちで話を付けようというなら内容は無視して文句はない。敵王の代行権限を持つという奴を仕留める機会を向こうから持ってきたというのも幸いと見るべきだ。兜を被る。

 どう仕掛けようかと観察していると、シャイテルが踏み出して突いてくる。左の小手で弾いて、片手剣で突き返す、それをすり抜けて剣先が首に向かってくる。飛んで避けると追随してくるから蹴飛ばす、それも空を切り、剣先が迫る、地面を転がって距離を取る。

 なにが学者だ、ここまで気持ち悪い剣技を持った奴は初めてだ。

 先制を取るように片手剣を振ると、剣身が斬り飛ばされる。ほとんど手に感触がなかった。あの不気味な剣の斬れ味、鋼鉄も熱したバター同然か。壊れた片手剣を顔に向かって投げながら距離を取る。勿論避けられた。

 短剣を手に取る。そして兜を脱いで盾に使う。

「流石はリーレスくんだ。切り替えが早い」

 シャイテルが斬り込んでくる。兜で受け止め、半分まで斬らせたところで捻って動きを封じる。

「なんと素晴らしいッ!」

 横腹、腎臓目掛けて短剣で刺す。

「これは痛いぞ!」

 兜から剣が抜けたので、大事をとって距離を取る。どの道内臓をやられたらもう持たないだろう、と思ったらシャイテルに苦しそうなところが一つもない。腎臓をやられて背筋を伸ばし、涼しい顔しているなんて信じられない。人の形をしていても化物か。

「いやはや、見事だリーレスくん」

 シャイテルは剣を外套の陰に収めてから拍手をしだす。

「私が並の人間だったら苦しみもがいているところにトドメを刺されていたはずだ。しかしまあ、自慢じゃないが並ではないのでね。この程度はどうにでもなるんだ」

 横腹の傷を触って確かめもしない。まるで気にしていないのだ。 

「今回は君の勝ちでいい。私は人間シャイテルの力で戦ってこそだと思ってる。美学と言っていい。容赦なく戦うのであれば軍隊を差し向けるところだ。勿論そこでくつろいでいるルガスドールもその一人になるね」

 ルガスドールは尾を軽く揺らして天を仰いだまま。

「これはこれで満足だ。また会おう」

 シャイテルは毛の長い黒馬に乗り、さっさと尻を向けて帰ってしまう。ルガスドールは寝たままだ。

 半分斬られた兜を被り、短剣を鞘に収める。去り際にルガスドールが言葉を発した。

「奴はしつこい」

 見てるかどうか分からないが手を上げて別れを告げ、その場を去る。

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