20話「和平交渉」
ウルヴィニィの宮殿内、あまり広いとは言えない応接間は、最後のウルヴィニィ大公を中心にその先代、先々代と続いて初代までの肖像画が飾られている。描画技法に服装にも各時代の空気が感じられ、歴代の思念が渦巻いているようだ。
和平交渉の席には、ザルグラド大公国側からはリーレスとアウリュディア。中大洋社からは提督。アルーマンからはメラシジンとシャイテルだ。三対二の形で長卓を挟んで座っている。あとはアウリュディアの凄く格好いい蟻みたいな使い魔と、相手方の狼頭が書記を務める。為政者と魔法使いという組み合わせは、魔法での幻惑防止ということでよくある光景である。それを怠っていいようにやられた事例は子供向けのお話にもなっている。付け加えて、提督が参加しているのは中大洋社に不利なことが条約で結ばれないか監視するためである。
美しい刺繍の外套に帽子を被ったメラシジンと目が合う。澄んでいて鋭く、氷の刃で刺されたような感触だ。長くて真っ直ぐな髭で男と分かるが、顔が美しすぎて女に見ほれてる気すらしてくる。自分の神経を疑いたくなるぐらいに。
「シャイテルからはそちらのご活躍のほどは聞いております。当初は自壊を待って迎えの船でも出そうかと簡単に考えていましたが、勇敢さで持って覆されました」
若干他人事のように話して褒められる。宰相から渡された予習用の紙束にそれに対応する言葉はあったかと思い、緊張でまっさらに忘れそうになる。
「またその勇敢さを奮わないためにはそちらの協力が必要です。我々の元の領域を返して頂きたい」
「大公殿、こちらは長々と吹っ掛けては妥協するを繰り返す時間を取る気はありません。ですので、一つ提案があります。私の親族に素晴らしい女性が何名かいます。ザルハル王として封じられる気はありませんか? 元の領域より広く出来ますよ」
言葉どころか息さえ、脳みその血流さえ止ってしまいそうな言葉に固まる。絶対宰相の予習の紙束にはなかったぞこの発言。シャイテルが口を押さえて笑ってる。提督も二角帽で顔を隠している。アウリュディアに爪先を踏まれて渇が入る。
「我々は独立した存在であり、今後もそうであります。仮にザルハル王を名乗ることがあっても、アルーマンに封じられることはありません」
「控えめに大公を名乗るからにはそういう用意があったと思っていましたが?」
事実を言われてまた反応に詰まる。もう一発アウリュディアの渇が入る。
「シェテル帝国は混乱状態にありますが、何らかの形で何れ決着が付きます。その時、必要であれば我々は以前の状況に戻るだけです」
「なるほど。旧ウィーバル方面軍、バルジェレクス朝シェテル帝国は同盟国です。今もって優勢ではありますが、主だった事案が解消されれば我々は軍事支援に乗り出す予定です。話が未来過ぎましたかね」
宰相を連れてくればよかったと後悔する。しかしその後悔は間違いなのか? 分からない。
「正直大公という名には拘りはありません。便利だからと言っておきましょう。さて、そちらは海をどう思われますか?」
「主に河川を通じて触れてきた世界です。しかしその重要性は実感しておりますよ。そちらには大きな期待を寄せています」
リーレスと違ってメラシジンは悩むことなくスラスラと喋り、会話の先手を取ってくる。やりづらい。
「大きな期待とは?」
「我々には海軍とそれが作る海の道が必要です。そちらにはそれを維持する金と資金源が必要です。世界中に金のことで嫌われているそちらが欲しい物が用意出来ます。それに傭兵に頼ったままではいられないでしょう」
猫提督が髭をピクリと動かす。それを言われるとどうにもならなくなりそう。どうしようかとまた迷うと、メラシジンの目付きが更に鋭くなる。どんな化物より怖い気がした。
「リーレス殿というよりはその背後の連中が余計なことを吹き込んだな。そちらが欲しいのはザルグラド大公領だけで、海上のことで連携していこうと言うんだろ? 弱みは海軍が現状では弱体で、アルーマンが内乱の危機にあるからそれを突けと言っただろ。違うか?」
もう全てがお見通しらしく、両手を上げる。
「その通りにして頂きたい。駄目ならもうここで首を獲って馬鹿騒ぎして回る」
アウリュディアがおっかない顔で睨んでくる。猫提督は隠さずに膝を叩いてる。シャイテルは嬉しそうに笑ってる。
「賠償金はなし。そちらにはナムバジニエ地峡以南を返す。通商は互いに最恵国待遇、細かい数字の調整はあとに特使を送って決める。海賊対策は合同だ。防衛条約に関してはそちらの頭脳陣が必要だろう、あと回しだ。よろしいか?」
不味い点がないか一言一言を吟味する。全く不満がないところが逆に怪しいくらいだ。席を立って手を出す。メラシジンも席を立ち、握手する。手を離せば忙しげにメラシジンは退室の準備を始める。狼頭が毛皮の外套や帽子を着せ始める。
「シャイテル貴様、冬にウルヴィニィまで呼び出すとはな。お前の使い魔の馬がいたからよかったが、一人で何とかならなかったのか?」
「いやメラシジン、彼らには嫌われてしまってね。真っ当な会話にならないと思ったんだ。とくにそこの魔法使い、アウリュディアには殺気だけで殺されてしまいそうなんだ。リーレスくんも同じかな。おおそうそう、忘れていた。もう一つの交渉だ」
シャイテルはいやはや忘れていたという風に手を叩きながらおどける。
「アウリュディア、あの娘をくれ」
あの娘とはあの緑の光を使っていた魔法使いか。救出劇っぽいあれはちょっと感動的だった。というかあの娘、ベルシ村のシーシャじゃなかったか? 魔法学部やらアウリュディアの下宿の紹介までして、学生なのに傭兵? 傭兵は命を懸けてまで金目的に働く。この作戦は危険すぎて傭兵が集まらない、のに集まった? 我々は何をした? 銀行手続きをシーシャにしてやった記憶が蘇る。凄く可愛い笑顔で「ありがとルノロジャ卿」って言ってた。それから金持ちしか入れない飯屋で好きなだけ食わせた。その銀行は我がザルグラド大公国軍が根こそぎさらってしまった。それで困窮して紆余曲折あれこれ色々あってあんな目にあったのか! 知らずはとは自分がその状況に追い込んで、そしてそこのシャイテルがつけ込んだ!?
頭が混乱してきて思いっきりシャイテルをぶん殴りそうになり、流石にこの場は不味い、壁も絵があるから駄目、そして椅子を殴ると板が割れる。そして周囲は別に何とも思わず話を続ける。
「教え子を変態にくれてやる馬鹿がどこにいる」
「変態とは失敬な」
やれやれといった感じでメラシジンは再び席に座る。リーレスも座る、板が割れてる。
「要求するのはこちらだ、彼女を解放しろ。情報世界を通じて本名で直接接触をして意のままに操ることを今後禁じ、こちらの監督下ではこちらの意に反する接触、独立したならば本人の意に反する接触をしないことを、情報世界を通じて”天の目”に誓え」
「私は彼女の望みを叶えてあげただけだ。”天の目”の名前を持ち出されるほど非難されたくはないな」
「情報生物と融合させたことはもういい。今後のことだ、話を反らすな、ワザとか? 馬鹿なのか?」
「それは失礼。口調が強いものだから済んだことを引きずっているのかと勘違いした。さて、私に利点がないようだが、代償は用意しているのかな?」
「私の蔵書の閲覧を許可する」
「閲覧を許可? 譲渡ではなく許可でよかったかな」
「あれは私に有用、そちらは保管に保全の手間暇が実質省ける状態になる。解読作業中、製本して読みやすくしている最中の物もたくさんある。そしてその写本を学校に供与している。所有の件は私だけの問題ではない」
「なるほど、譲渡は世界への罪になるということは納得した。だが、私はそちらの部屋に侵入したり、学校の写本を閲覧することも可能だ。取引材料になるかな?」
「女の部屋に無断で入って漁るような下賎な者ならやってみるがいい。学校で見れる写本については解読して清書して製本してから閲覧させるに値すると会議で判断を下してから棚に並ぶ物だ。知識欲が枯れてるようだが、それではただの魔法使いではないか?」
「これはこれは、私に対する殺し文句を心得ているようだ。もう一押し、二押しは欲しいかな」
「今後、ザルグラドとアルーマンは共同歩調を取ることになる。私とリーレスは個人的に共同歩調を取ることだろう。つまり、その関係が続く限りは味方同士ということだ。仲違いが望みか?」
「友情で押されると弱いな。おお! 我が友メラシジンよ、どう思う?」
長々と興味ない話を聞かされて不機嫌そうなメラシジンは、チラっとシャイテルの顔を見ただけで何も言わない。
「どう思う? さあどう思う?」
しつこく食い下がるシャイテル。メラシジンは急に晴れやかな顔で頷く。何か思い付いたようだ。
「アウリュディア殿はルファーラン共和国では著名で人望ある方であり、国立学校、魔法学部においても序列的にも相当上位であると聞いています。その力は魅力的です。我々にはまだまだ人材が足りません。相互助力の関係を維持するためには無茶は言いません。アウリュディア殿の名で就職、就学のための窓口を作ってもらえませんか? 贔屓して特別扱いするのではなく、連絡窓口を維持する程度で結構。無能を特別扱いしても互いの不幸です。この件に関する宣伝の許可も欲しいです」
「なるほど、それは建設的で素晴らしいです。次の会議の議題に載せたいと思います。担当か連絡員か、それに相当する人物を寄越してくれれば話が早くなります」
「よし、友情の名の下に契約成立だ。戦後処理が済んだらシャイテル、行ってきてくれ。いちいち説明しなくても友情に篤いお前なら分かるだろ」
「ははは、これは参った。友情万歳。分かった降参だ、そちらもこちらも全てその通りにしよう。ただアウリュディアよ、一つ分かってもらいたいことがある」
「言ってみろ」
「彼女に融合させた情報生物、もとは情報生物ではないのは私の技術……また話が逸れそうになった。あの緑の光の持ち主はマハンリという大切な人だ。関係や感情について正確に伝えるには哲学的過ぎて他人には理解出来ないと思うが、そういう人だ」
「分かった。だが主人格を尊重しろ、逆転もさせるな、いいな?」
「そうか……」
あまり彼を知ってるわけではないが、珍しくシャイテルがしょげたような顔をする。
「そんな面をするくらいなら何故融合させた? 誰か別に面倒がなさそうな相手を自分で見繕って、その大切な人を望んだ通りに物質世界に出せばよかっただろう」
「素体が重要なんだ。悪食もいれば美食もいる。無理やいい加減なことをすれば存在の危機だ」
「それで分かった。”彷徨う者”よ。私からは以上だ」
メラシジンが何だとと言わんばかりに顔をしかめ、シャイテルを睨み付ける。リーレスもアレが”彷徨う者”の正体だと聞いて神話や伝説は一体何のために存在するのか分からなくなってしまった。猫提督はハンカチを取り出して鼻をかむ。
「草原と沙漠に生きる者達に対して何か言うことはあるか? ないか?」
その言い草はいくら何でも酷いじゃないかと思ったが、その通りだとも思う。信仰してた相手が直ぐ近くにいて、それはまだしも、こんな、何とも言えないようなうさんくさくて神聖さの欠片もない変態だったら当然だ。
「私の過去の業績が評価されて星座の名前と成り、それが広まって信仰が拡大したという経緯がある。私は悪くない。信仰に値する知性は持ってるつもりだが、品性までは保証しかねるな。そもそも品性とは時代や文化、世代差に個人の主観によってだって受け取り方が違うんだ。そこまで求められても対応は出来ない。それにそもそも信仰対象たる”彷徨う者”は既に私とは別の情報になってしまっている。関連付けて利用出来る程度の別だから正確には違うのだが。ふむ、情報になっている……おお、メラシジン、朗報だ。アルーマン大帝メラシジンが神にも認められた正統なる存在だと宣伝が出来るぞ。いやはや、他人のことならとやかく調べ上げるのが趣味だが、自分のこととなると暗闇の足元のごとくか。うむ、それで行こうじゃないか。研究の要があるが、信者が望む”彷徨う者”を情報世界より呼び出すことも検討しなければいけないな。うむうむ、素晴らしい、様々な面倒を快刀乱麻といこうじゃないか」
メラシジンは椅子を蹴っ飛ばして立ち上がり、狼頭も続いて退室する。我々も退室する。
「おい何だ、酷いじゃないか。なあ君もそう思うだろ?」
「お前さんを拝まなくても別に星座は消えないんだろ? 知ったこっちゃねぇさ。こいつに付いた鼻水の方が懸案事項だ」
猫提督が部屋から出てくる。
「あー、これはちょっと酷いじゃないか。な?」




