02話「ベルシ村の一日」
部屋に窓はないが、作りが雑なので隙間からは光が漏れ出している。鶏やら朝の早い家畜どもが騒ぎ出してる。
手探りで枕元に置いてた縁なし帽を探す。毛皮のゴワゴワした手触りが続き、少し冷えて硬い布の感触、これだ。剃った頭を撫でながら起き上がり、縁なし帽を被って位置を調整。赤くて派手なシャツに絡まってるゴミクズを適当につまんで床に捨てる。寝台の脇に転がってる長靴に突っ込んである布を足に巻き、それから履く。樽に入れた飲み水に浮いてる蝿を取り除いてから手で掬ってうがい、それから飲む。木の壁に石で打ち付けた錆釘に引っ掛けてある軍装と普段着を兼ねる薄黒い外套を羽織って腰帯を締め、短剣を差す。
釣り糸と釣り針を使って天井から吊るしたナマズの干物を取り、立て付けの悪い扉を足の内側で蹴飛ばして開ける。いつものようにバキッギギーと鳴る。
あくび。空は暗めの青に白と灰色と侵食するような橙色、朝だ。物欲しそうに近づいてきた近所の犬を掬い上げるように蹴っ飛ばしてから定位置に向かう。
なだらかな丘陵と小さな森が点在する広大なザルハルの草原、対岸が霞むマリエン川。朝の定位置は家の入り口から五歩の所にある切り株。先客の、近所の豚の黒と薄桃色の斑尻を踵で蹴って追いやろうとする。微動だにしない。フゴフゴ鼻を鳴らすだけ。目玉を指で突く、ブヒっと一鳴きして立ち上がる。耳を殴って行き先を誘導、去る。
冷たくない切り株に腰を下ろし、ナマズの干物の状態を見る。短剣を抜き、カビの生えた部分をゴリゴリ削る。終わったら短剣を納めて噛り付く。固くて味気ない。
目の前には朝焼けとそれに輝く雄大なマリエン川。宝石の輝きだとか言う奴もいるみたいだが、ありゃ紛れもなく水の輝きだ。もっと価値がある。
今日の朝はとりあえず川に行って漁だ。雪解け水で水位は高いようだが、ここ何日か雨は降ってないから流れも緩いだろう。家に戻って刀を腰帯に差して外出の用意をしてから、櫂が長くはみ出た道具袋を背負い、一人用の小船に入れ、担いで川に向かう。
川の桟橋では煙管咥えて煙草を吹かし、釣りをしている年寄りのタルバジン。あのジジイも縁なし帽を被り、赤いシャツの上に外套を着ている。それは一昔前の物で、古参兵が偉ぶって着てるやつだ。これがここの男の格好だ。
「おぅ」と言葉でもない声を出せば「むん」と呻り声が返ってくる。
「なんだノルトバル、網か」
「何匹?」
「三」
篭を見ればそこそこの大きさの魚が三匹。小さいのは決まりの通りに逃がしてる。
「日ぃ昇る前からやってんのか?」
「年寄りだからな」
小船を桟橋に置き、滑らせるようにして川に浮かべる。
「目ぇ開く内はまだいいな」
鼻から煙出して笑うタルバジンの、傷と皺で古木のようになった顔にシダやらコケやらが群生したような白髭を見て、自分の顔を撫でる。まだ産毛がせいぜいで傷もなくてツルツルだ。
転覆しないよう慎重に小船に乗り、櫂で軽く漕いで川の真ん中あたりまで出す。網を投げ入れ、充分に広がったことを確認してから下流の村の手前を目指す。あとはのんびり太陽の方角へ向かう流れに任せるだけだ。
雪解け頃から吹き始める緩くて温い南風を浴び、縁なし帽を腰帯に差してから短剣で頭を剃る。時々刃と頭を川で洗う。
毎日恒例のもよおし物、転覆しないように中腰になる。ズボンをめくってケツを川に突き出して踏ん張れば、母なるマリエン川は受け入れる。息を長く吹き、手で川の水を掬って尻を洗う。ケツ出してる反対側の縁を足で押して均衡を保つというのは難しい。難しいような小船なのだ。新しい物買う金はないし、作るのは面倒くさいし、そもそもこれで用が足りてる。親父はこうして糞するのが上手だった。手本を見せるために目の前で糞垂れてやがったのを思い出す。こんなので得意げな顔しやがって糞親父。
帆を膨らませた船が遡上してくる。網が絡まないように櫂で船の位置を調節。この緩い南風の割りにはあの船は足が速い。船尾には左半が緑地に三重金円、右半が黄地に黒獅子のザルハル方面軍旗が揚げられている。帝国の船だ。
目が合った船頭に、縁なし帽を脱いで胸に当てて一礼。船頭も帽子を脱いで胸に当てて一礼。帆に風を送って膨らませている帆走補助員の魔法使いにも改めて一礼。軽く手を上げて返してきて、集中が乱れたか帆が揺れ動き、直ぐに修正される。そういえばこの場合、船頭以外に礼をする必要がなかった。ま、細かいことはいいか。宮仕えじゃない。
「捕れるかい!?」
「だといいけどな!」
距離があるので自然に大声になる。船曳人夫はいないが魔法使いの帆走補助員付きだ。かなり金持ちの船だろう。
「んおっ!?」
素っ頓狂な女の声が響く。そして船縁から身を乗り出す灰色の髪の毛お化け。
「おーノルくんじゃないかぁ!」
「あん? 誰だおめぇ!?」
「ぶっはぁ邪魔くせぇ!」
お化けは長い髪の毛掻き分け、凝った刺繍で鮮やかな色のスカーフでまとめる。
「誰が誰だだノルトバル、この面忘れたたぁ言わせねぇよ!」
頭にのスカーフを巻き、白いシャツの上に刺繍の胴衣、船縁で見えないが女だからスカートだろう。これはここの女の格好だ。朝の挨拶も億劫になるくらい顔合わせるような近所の幼馴染も、二年もすれば懐かしくなる。彼女は目がクリっとして表情豊かで、それに再会の笑顔が加わればこちらもつられてしまう。
「おぅ!? シーシャじゃねぇか。髪伸びたなおめぇ! あとあれだ、別嬪になったな!」
「え!? なに聞こえない? もう十回言って!」
「調子乗んな糞っ垂れ! やっぱそうでもねぇや」
「今日も朝っぱらから糞の原料調達?」
「シーシャこの糞女! 嫁入り前の娘っ子が糞糞口から糞垂れてんじゃねぇぞ糞っ垂れ!」
「うっせぇアホ!」
「お寺の学校終わったのか!?」
櫂で小船の位置を調節し、船に近づいて船縁から垂らしてる縄網に掴まる。小船の縁に足を引っ掛けて流れないようにして併走する。
「終わったよ! シェテル語もベラベラ、あとで聞かせてあげる! これでもうあの屁も性に合わねぇしみったれ修道学校はお終い! 帰りに魔法の学校の入学手続きとね、学費振込みの銀行口座だとかっていうやつの小難しいアレアレも終わってね、向こうの下宿の契約もしたよ!」
シーシャは魔法が使える。そして凄い魔法使いになってもらうために金を軍が出して、まずは修道学校でシェテル語を学ばせた。我々マリエン川のマリエン軍はザルハル語で喋る。遊牧民族の系統にあるザルハル語とシェテル語は似ても似つかないのでよく勉強しないと分らない。それを終えたシーシャは次に、シェテル語が話されてる海の向こうの有名な魔法の学校に通う予定だ。厚遇されているのはシーシャが偉いさんの娘だからではなく、魔法が得意で勲章をいくつも授与されたシーシャの母ちゃんのようになれと皆から期待されている結果だ。
「全部ね、ルノロジャ卿が手伝ってくれたの。あと一杯ごちそうになったし、太ったかも!」
前はペタンコだった気がする胸を掴み、乳が太ったことを強調。
「あん? おめぇ礼は言ったのかよ!」
「言ったよ、ありがとございますー! って。ね!」
ね! でシーシャが振り返った方から、赤に金が混じった毛色の髭面で傷顔の男前、我等がルノロジャの地の領主が顔を出す。
「確かに言ったよ」
縄網に掴まったまま胸に手を当てて一礼。
「こりゃどうも! ウチの村の奴が世話になりました。税も人足もなんも出してないのに七面倒くさいこと申し訳ないです」
「仕事のついでだったし、君等に頼まれたことだ。気にする必要はない。それに魔法使いは貴重だ」
「そうだ、気にするな! 貴重だぞ」
縄網から手を離し、櫂で船の腹を突いて距離を取る。
「おめぇは気にしろボケ! 家畜の世話した姐さん方に礼言えよ! おめぇ直ぐ忘れるからな!」
「はいはいはーい!」
漁は切り上げて対岸に舳先を向けて着岸する。網を引くと、水草や折れた枝等のゴミに紛れて小さいナマズにコイ、おまけに亀が一匹。いずれもマリエン川に返さなきゃならない大きさで、漁は失敗だ。船に取り付いた時に網が裏返って逃げたか、途中で切り上げたから元から入ってなかったか。小船に道具を入れて、濡れた船底に頬を押し当てながら担いで村に戻る。
ゆっくり歩いて戻ると、先程の船が村の桟橋に係留されている。そして四頭立ての馬車が桟橋から村へ行く坂道で立ち往生。四頭の大柄な農耕馬は荒い息を吐いてうな垂れ、地面には蹄で派手に引っ掻いた跡がある。無理に続けさせれば怪我しそうだ。帝国の、菜っ葉役人みたいな三角耳のシェテル人どもと船員は息切って座り込み、帆走補助員は座ってボーっと眺めている。魔法使いはしょうがないが、しかし馬が四頭もいて人手もあって動けないとは一体なにを積んでいるのか? ルノロジャ卿は見当たらない。偉いさんが力仕事するわけないか。
シーシャが輓具を首に掛けた馬を三頭引っ張ってくる。
「それで引っ張んのか?」
「うん。男連中はね、集会があるからってその辺に散ったみたいよ。姐さん方にばっちゃん方は料理仕込んでるし、買出しにも行ったね。じっちゃん方は煙草吸って忙しいみたい」
「他にいねぇのかよ。ガキんちょどもは?」
「集会のやり方教えるって引っ張ってったみたい。あとはこんなの」
シーシャは手で、膝下ぐらいを切るようにする。ようやく喋り始めた程度のちっこいのしかいないらしい。
「じゃあジジイどもだな」
ジジイどもが集まってるだろう集会所へ行くと、いつもは見ないザルハル方面軍旗と、四分割された図柄でマリエン川の右岸で下方であることを示して初代連隊長の家紋が入ったルノロジャ連隊旗が掲げられている。中に入ると煙草の煙で雲が出来てる。
「おら、死ぬ前に一働きしろ無駄飯喰らいども。口からインチキ武勇伝垂れてねぇでこいや」
面倒くさそうな返事と笑い声だけ返ってくる。
「ルノロジャ卿の馬車が坂で往生してんだよ。動けんのだけでもこいよ」
重たい尻を、中でもまだ現役の連中が上げる。歩くのに手を引っ張るようなのは流石に座ったまま。煙に紛れてたルノロジャ卿も席を立とうとするが、ジジイどもに制される。いくら不在でなんの権限もないとはいえ、一応領主さまだ。
タルバジンが手のひらを出す。
「なんだよ」
「お駄賃くれや」
「俺にねだんな」
手のひら引っ叩く。馬車の所へジジイどもを引き連れて戻る。馬車には鉤付きの縄が何本も取り付けられ、三頭の馬の輓具にも繋がっており、人間用に滑り止めの結び目がある縄も用意されてる。つぎはぎだらけのボロい革手袋を手にはめたシーシャ、そして船員達は縄の結い目の強度に問題ないか、括り付けた馬車を足場に踏ん張って引き、確かめている。あの蝿糞役人どもは黙って見てるだけだ。
「おめぇ、その手のクソボロまだ使ってんのか」
昔くれてやった、革職人に指導してもらって作った革手袋をまだ使ってやがる。十年はいかないが、そのくらい経ってないか?
「いじりゃまだ使えるもん捨てんの勿体ないでしょ」
シーシャは作業準備完了とばかりに馬車をゴツゴツ叩く。
「はーいはーい! 準備完りょー引くよー。じっちゃん方は腰抜かさないでねー」
ジジイどもはしゃがれて野太い声を上げて返事。雑草役人どもは押し黙ったまま、景気悪ぃな。
馬とノルトバルにシーシャにジジイどもが引っ張り、お付連中と船員達が馬車を押す。馬車の御者が馬に鞭を入れ、のろのろと動きだす。一度勢いが付けば一気に動きそうなものだが、なんせ上り坂だ。ジリジリと動く。
そして桟橋の人夫かなにかと勘違いしたクズ石役人が偉そうに文句垂れる。
「おいもっと力入れろ!」
「うるせぇ糞びょうたん! 川ん叩っ込むぞボケ!」と答えながら引っ張る。ジジイどもが笑う。
片手で縄を引きながら、馬に鞭入れてるシーシャに聞く。
「なに積んでんだアレ、ここ坂っつったっていっつもこんなてこずらねぇだろ」
「銀銀。あの馬車鉄骨入ってるけど、普通のだったら底が二枚抜けるくらいあるってさ」
「動員の駄賃か?」
「そんじゃない?」
平らな場所まで引っ張り上げる。シーシャは馬の片付けに入り、ジジイどもは後片付けもしないで帰り始める。唯一残ったタルバジンと一緒に、鉤付きの縄を桟橋の倉庫に片付ける。
奴等はロクに礼も言いやがらない。ここを植民地かなにかと勘違いしてやがるんだ、帝国のすっとこ役人どもめ。あの気持ち悪ぃ三角耳引き千切ってやりたい。
片付けが終わり、若い男連中が出払ってるので遊ぶ相手もおらず、女連中は全員仕事に掛かりきりでからかうことも出来ず、向こうの話をシーシャに聞こうにしてもどっか行きやがった。近所の犬を足で撫でて暇を潰す。そうしているとタルバジンが声を掛けてくる。
「おいノル行くぞ、見当付けてる熊の穴があんだ。マリエン軍の総統がくるし、帝国代表のルノロジャ卿もいるし、シーシャも帰ってきた。旨いもん食わせてやりてぇじゃねぇか」
「あの馬車銀だっつうけどよ、戦争でもすんのか?」
「はっきりしねぇがとりあえず動員は掛けとくんだとよ。ほれ、お祈りすんぞ」
”獣の母”に祈ってから出発。仕留めたら必ず捧げ物をしますと誓約。
背嚢を背負ったタルバジンは馬に乗り、小銃、刀、手斧を持ち、もう一頭に荷車を引かせてきた。ノルトバルも出猟の準備を済ませ、小銃に又杖、刀、拳銃、槍を持って、家の裏の草むらで蟻の巣穴狙って立小便してから馬に乗って出発する。
川沿いのヒマワリ畑の農道を通る。
「昔はおめぇ等連れてここに遊びにきたな」
「今もきてんじゃねぇか」
「そういうことじゃねぇよ」
花粉塗れの蜂が腕にとまり、息を鋭く吹き掛けると飛んでいく。
「見ろ、あの辺りだ。あそこら辺で酒飲みながら釣りしてたらおめぇとその親父にお袋がマリエン渡ってきたんだ」
なにも目印のない川岸をタルバジンが指差す。
「その話何回目だよ」
「まあ聞け。話してるこっちも分からねぇくらい年寄りの話ってのは教訓やらなんやらが混ざってんだよ。ルノロジャ卿の着任祝いでな、酔っ払ってルノロジャ卿にからんだ馬鹿もんの頭カチ割って半殺しにしちまってな。バツ悪ぃから一人でほとぼりが冷めるまで川で釣りだ。あん時はほとんどの連中が酒飲んでなけなしの常識まで小便と一緒にその辺に撒き散らしてやがった。馬鹿は酒飲むなって世界の支配者達も神話で言ってる。なんの話だったか忘れたが、そんなことはどうでもいい。大事なんは内容だ。そん時からルノロジャ卿はな、若者らしい怯えも虚勢もない奴だった。馬鹿な魔法使いどもが起こした反乱の鎮圧で名を上げたらしいから、その時に老けちまったんだろう。今もあの時と、歳は食ったが変わらん様子だ。並の人間じゃねぇのは分かるし、凄ぇ英雄だってのも話でも空気でも分かるが、あの歳で変に老成なんてするもんじゃねぇ。若ぇ奴にゃ年寄りがやれねぇやることがあるもんだ。なにかと言われちゃ、年寄りだから忘れちまったけどよ。それから川だ。ルノロジャ卿の宴席からかっぱらった酒飲みながら釣り針を放ったんだがしばらく待っても全く釣れねぇ。竿先にピクりともこない。どうなってやがる? と飲み続けたわけだ。そしたら対岸から大ネズミが泳いでやってくるじゃねぇか。なにも釣竿だけが道具じゃねぇ。拳銃を抜いて撃ったのよ。水飛沫が上がったから外したっと思ったら、止めろ糞っ垂れ! って大ネズミが怒鳴りやがるわけだ。素面だったら間違えなかったかもしれんし、酔っ払ってたから外したかもしれん。どっちだろうな?」
「知らねぇよ」
「幻聴聞こえるまで飲んだつもりはねぇと思ってな、よくよく見たら大ネズミが手ぇ振ってやがんのよ。撃つな馬鹿垂れ! 酔っ払いの糞盲! テメェのケツに突っ込め間抜け! ってな。撃てってのか撃つなってのかわかんねぇよな。ここでようやく人間だって分かってな、帽子を脱いで胸に当てて一礼だ。おめぇ、よく分からねぇ相手でも礼はちゃんとしとけよ。例え敵みてぇな奴だろうとよ、丁寧にやりゃなんか敵意ってのか? 削がれんだよ。で、近くまで、えーとな、やっと足が着く所まできて歩いてくるとようやくおめぇと、バラした人間入ったズタ袋担いでんのが分かったんだ。こりゃエラい事件から逃げてきたって直ぐ分かった。酔いが一発で醒めたもんだ。おめぇもやってる剃り上げ頭に、口髭顎の下まで垂らしたザフカーク野郎の格好だからよ、下手に関わりゃ戦争にだってなることもあるからな。最悪そこでおめぇと親父ぶっ殺して川に流すことも考えたんだよ。いいか、ザフカーク軍の連中とワシ等マリエン軍の関係は一筋縄じゃいかねぇんだ。敵だとか味方だとかそんな単純なもんじゃねぇ。隣同士で言葉も同じ、同じ契約をザルグラドの大公さんと交わしてるからって仲間じゃねぇ。だからって互いにぶっ殺し合うってわけでもねぇんだ。なんつーんだろうな、家の裏にいる蛇とか斜め向かいの家の糞っ垂れとか、そんな感じか。とりあえずここでワシがかっぱらった酒を飲ませたんだ。ワシ等じゃなくて、ザルグラドからきたルノロジャ卿の酒だ。ここであっちの用意した酒で歓迎されたってな言い訳作るんだ。方便だけどよ、そういうもんなんだ。新しい名前だけの領主が持ってきたやつだって言ったら奴も直ぐに分かったよ。これでザフカークの連中が文句付けるにしても、ザルグラドの方に話持っていかなきゃなんねぇってな。あとは宴会から墓守の馬鹿っ垂れ引っ張り出して、おめぇの母ちゃんの葬式済ましたんだ」
「エラい事件ってよ、親父は喋らなかったけど聞いてねぇのか?」
「その前にくたばりやがったしな。ただ、心底下らねぇから喋らねぇって言ってたな」
川から離れて湿地の縁を通る。羽虫や水鳥が目に付く。
「ここで蛭に噛まれておめぇ、ギャンギャン泣きやがってたな」
「だってあれ気持ち悪ぃじゃねぇかよ」
「まあな。大したことなくてもゾッとくんな」
湿地を過ぎて獣道も見えない荒地を通る。
「シーシャの母ちゃん、こっちにきた時からなにあったか知らねぇが、西からきた魔法使いってんなら迫害されてたんだろうが、面半分焼けて腕一本の半分死んだみてぇな形でやってきた。シーシャ布に包んで首からぶら下げてな。あの灰色の髪、西じゃ貴族連中があの色目指してるとかなんとかでワザワザかつらにして被ってんだ。それで女の長いやつなんか金になるからな、そん時はほとんど坊主頭で男かと思ったもんだ。村の広場でよ、巻き煙草片手で器用に巻いてから魔法で火ぃ点けて吹かしてな、珍しい客見にきたワシ等に、なにか仕事ないか? ってな。三つ数える内に雨被った薪燃やすし、冬はソリに帆付けて馬で夏場でも片道一日かかるとこ一日で往復してくるしな。腕十本あったって出来ねぇ仕事はよくやってくれてた。北のイシュラの狼頭との戦争でもよ、あっという間に奴等をパパパっとよ、魔法の光で焼き殺すんだ。火薬に引火すりゃ派手なもんだった。大砲潰したこともあんだぜ。そんな凄ぇのでもやっぱり人間は人間なんだよな。おめぇの親父が、シーシャの母ちゃんの前だからって格好付けようとしやがったんだが、射撃号令掛けてるイシュラの士官に騎乗射撃して混乱させようとしたんだ。狼頭も大したもんで銃弾ぶち込まれても踏ん張って号令続けてな、戦列が一斉射撃するのを見送ってくたばったんだ。そん時に五、六発食らっておめぇの親父はくたばった。シーシャの母ちゃんよ、それでぶち切れちまって敵ぶっ殺し始めたんだが、目立ったのがよくねぇ。施条した小銃持った狙撃兵がな、奴等は選抜射手って呼ぶが、そいつが心臓ぶち抜きやがったんだ。あんまりにもド真ん中抜いてたからよ、死体見た時感心しちまったぐらいだ」
「またその話かよ。おめぇはそんなことするんじゃねぇぞって続くんだろ、飽きたぞ」
「なあノル」
「あんだよ?」
「久し振りに見たら美人に見えたろ?」
「あ? 知るかボケ」
「ハッハァ! ワシは誰とは言ってねぇぞ」
「俺が誰かとか言ったかよ!」
「クロキエの灰髪美女は有名だからな! シーシャの母ちゃん、面の半分焼けたアレでも十分美人だったからな」
「だから俺がなんか言ったかよこの耄碌ジジイ、耳ん中カビ生えてんじゃねぇのか」
「色褪せた色ってのは、アルーマンとかあっちの東じゃ縁起がいい色だ。無駄がねぇとか年季入ってるとか珍しいとか何かそんな感じで高尚な意味なんだとよ」
「色褪せた色?」
「灰色とか白い色のこと言うらしいぞ」
「で?」
「縁起がいいんだとよ」
舌打ちする。結婚は親が決めるもんで、ノルトバルとシーシャの親代わりになってるタルバジンが二人をくっつけようとするのは極自然だ。悪くないんだけどなぁ、まだ早いよなぁ、初陣も飾ってねぇし。
タルバジンが人差し指を口に当て、それからその指で林の中を指す。静かに進むという意味だ。無言のまま進む。顎をしゃくった先には熊の爪跡がある木が一本。次に足元を指差す。踏まれて折れた枝に、そして虫が集るデカい糞。
「こんなとこまできて野糞垂れてんのか?」
「シッ、だぁっとれ」
タルバジンが歩みを止める。指差した先には大木、そして根の下に出来た深そうな穴。
馬から降りて準備を始める。小銃と拳銃に火薬と弾薬を詰める。撃鉄を半分起こして安全な状態にして、薬包を噛み切って、火薬の一部を火皿に入れて火蓋を閉じる。残りの火薬、弾丸を銃口に入れ、包み紙を丸めて入れて、込め矢で奥まで突き入れる。小銃も拳銃も大きさは違うが作りは同じ。
タルバジンは巣穴に聞き耳立てて、鼻もヒクヒク動かして嗅いで在宅を確かめる。そして同じく小銃に火薬と弾薬を詰め、更に火縄に火を点けて手首に巻いて鉄製の手榴弾を取り出す。タルバジンがこっちを見てニヤっと笑う。つられてノルトバルも腹が震えて鼻息が漏れ出す。
巣穴の横の方に移動したノルトバルは、足元に直ぐに使えるよう槍を地面に刺しておく。そして又杖を突いて、又の部分に小銃を据えて構える。撃鉄は完全に起こし、熊がいつ出てきてもいいように備える。同じように射撃用意を整えたタルバジンは、手首に巻いた火縄を使って手榴弾の導火線に着火。巣穴に放り込む。
爆発、白煙粉塵が穴から噴き、熊が狂ったように吠えながら飛び出す。
タルバジンが発砲、白煙が噴き出る。熊の足は止まらない。火薬の爆発に慣らした馬でも熊には驚き、鳴いて棹立ちになる。
熊の横っ面狙って発砲、白煙が噴き出る。熊はかすれたおかしな鳴き声を上げてこちらに顔を向ける。首と左目の下がわずかに血に濡れてる。
小銃を捨てたタルバジンが手斧を熊の顔面に投げ付け、槍を取って首の傷口に穂先をねじ込む。熊の動きを槍でタルバジンが止めている隙に、拳銃を抜いて目線と銃口が一直線になるよう腕を伸ばして眉間を狙い発砲、白煙が上がる。熊はドっと倒れる。
「よしどうだ」
「これで獲物の発見に追跡も出来りゃ、まあまずいっちょ前だ」
「へいへい」
熊の面と首を見る。
「穴三つだ」
熊の首をつま先で蹴飛ばす。
「酒飲んでんのか?」
「うるせぇ、もうちょいズレてりゃ首の骨やってたんだよ。喉だって急所だ」
「一発で死んでねぇじゃねぇか」
「おめぇも一発目し損なったろが」
「うるせぇ、もうちょいズレてりゃこめかみぶち抜いて脳みそやってたんだよ」
「頬っぺたは急所だったか?」
「いっちょ前のジジイが下らねぇこと気にしてんじゃねぇよ」
「へっ、まあ、拳銃で眉間ぶち抜いたのは褒めてやら」
「うるせぇ気持ち悪ぃ」
誓約を果たす。手斧で頭カチ割って脳みそ掻き出し、目玉を抉り、短剣で腹掻っ捌き、食道と直腸切り離して取り出した内臓を地面に広げて土を被せる。そして”獣の母”に祈りを捧げる。死臭を嗅ぎ付けた鳥が空を舞い、蝿や蟻の姿が増えてくる。
「なあ、いっつも思うけど勿体ねぇよな」
「これを他の生きもんが食い、そいつらをデカいのが食って、そのデカいのをワシ等が食い、垂れた糞がマリエンに流れて世界に還る。勿体なくない」
「そんなもんか?」
「知るか。何かの学者にでも聞け」
「知らねぇのにお見通しぶってんじゃねぇよ」
「おめぇは年寄りを何だと思ってんだ? お寺の賢者さまじゃねぇんだぞこの馬鹿垂れ」
中ほじくっていくらか軽くなったがまだ重たい熊を何とか荷車に乗せて帰る。
ちょいちょい道を外れながら獲物を探し、小銃で鳥を二匹仕留める。馬の上で、馬には血を付けないように気を付けながら鳥の内臓を短剣でほじくり出し、首も落としてから羽を毟りつつ村へ戻る。
戻ったら道具の片付けをとっとと済ませ、飯炊きをしてる姐さん方の所に鳥を置いてから熊の解体作業に移る。シーシャがひょっこり現れる。かなり暇そうだ。
「女手が足りてない所を見っけー。ということでなにすりゃいいの?」
「おめぇ姐さん方から今日は何もすんなって言われてんだろ?」
「何で知ってんの? やや、まさか貴様も魔法使い」
「違ぇよアホ」
「ほんじゃシーシャ、毛皮屋んとこのジジイを呼んできてくれ。皮剥ぎは奴が一番だ」
「はいはーい。融通利かねぇ誰かの糞っ垂れ」
少ししてシーシャが毛皮屋のジジイの手を引いてくる。途中で面倒くさくなって担ぎ上げて連れてくる。
そのジジイは足腰はヨロヨロしてるが手元はしっかりしていて、三人で熊を解体する。肉はシーシャと、見よう見まねで後ろをついて行く子供が飯炊きをしてる姐さん方の方へ運んでいく。やっぱり仕事するのか。
毛皮屋のジジイが昔、敵の生皮綺麗に剥いで被り、敵陣に潜り込んで火薬庫爆破しただのという、うさんくさい武勇伝を聞きながら作業を続ける。熊の解体は思った以上に早く終わり、マリエン川で身体と服洗ってから干して、小屋に戻って着替えて一眠りする。
目が開いた時には小屋の中は真っ暗。もう夜だ。ドアがガタガタ鳴り始め、一瞬お化けかなにかと思って背筋がビクンとなった。
「たぁ、便秘糞かこの動く糞壁、まだ直してねぇのかっつの」
声はシーシャ、起こしにきたらしい。ダルいからまだ起きない。
「ほいっ」と掛け声、篝火に照らされるドアを蹴飛ばす姿勢のシーシャ。ドアが大きな音を立てて開いて、ぶつかって戻って閉じ、殴られてまた開く。
「んお、これでまだ起き出さないとはお寝坊さんめ。どうしてくれよう」
寝てると勘違いし、ニヤニヤしながら近寄ってくる。毛皮を投げ付け、両脚で胴をはさんで引きずり込み、ケツを引っ叩く。
「おう」寝台から起き上がって挨拶。「むう」髪とスカーフを乱して毛皮を投げ付けてくるのを掴んで寝台に投げる。手を掴んで小屋の外に引っ張り出す。シーシャは髪を手櫛で整えてからスカーフを巻き直し、無言でケツに蹴りを入れてくる。予想以上に怒っているみたい。知るか。
夜の宴会が始まっている。集まった皆で食べて飲んでいる。ここベルシ村は規模こそさほどではないが交通の便がいい。人口に不釣り合いなくらい大きい集会場と広場があるが、今はその機能を十分に果たしている。ルノロジャ中から代表団がやってきているからだ。
ベルシ村出身の者は大体年代別に焚き火を囲んでる。代表団は代表団ごとに四分割の連隊旗を掲げた場所に集まり、ルノロジャ卿がいるザルハル方面軍旗とルノロジャ連隊旗が並ぶ場所には、偉いさん方が集まっている。
焚き付けに使ってる乾いた牛の糞の山に躓く。雑草が濃い所に足突っ込んで牛の糞を払いながら歩く。
自分の年頃の所へ向かうと姐さん方が、皿じゃ間に合わないので木の板に熊のお頭焼きを乗せて持ってくる 焼き石と松明使って中も外もちゃんとコンガリ焼けてるらしい。
持ってきた姐さんが「ノルが仕留めた!」とデカい声で言う。拍手と口笛。
ノルトバルが慣習的に皆に切り分けるのだが、ざっと人数を見ると数が多くて少し手間である。
「ちょっとおめぇら頭っ数多いからよ、面倒くせぇからいい加減に切って渡すぞ。それ食ったら自分で食いてぇ分切れよ」
皆に切り分け始める。シーシャには帰郷祝いに頬肉の片方を丸ごと渡し、自分には舌の半分を取る。酒も配られ、飲みながら肉を食う。肉にめり込んでいた手榴弾の破片を噛んだ奴が「痛ぇ糞何だこりゃ!?」と悪態を吐く。近所の話題に仕事の話、色恋に狩猟に馬鹿ホラ話がそこかしかで始まる。ルノロジャ卿の方では何の話をしているやら。
ルノロジャ卿からだと蒸留酒が一瓶渡され、味見したいと群がってくる連中を蹴る。
そこでルノロジャ卿の話題に移り、馬車の銀の話は皆知っているので戦争か? という話になる。何となく今度戦争になるなら北東にあるアルーマン構成国のマンゼア王国だという雰囲気があったので、自然敵はマンゼア王国だという話で進む。
「またこっちに糞垂れにきやがったのかよ糞野郎どもめ」
戦争ではなくても向こうの方から小遣い稼ぎのように略奪しにくることがあるのだ。
酔いが回って下らないことで殴り合いが始まったり、頭に乗せたリンゴを拳銃で撃ったり、中身が入った酒瓶を咥えてしゃがんだまま足を交互に伸ばして踊り出し、男女連れ立って物陰に消え始める頃になってくる。
ノルトバルは剥けた足の皮千切って焚き火に投げ込むのに飽きて、シーシャと、その隣に座るケツのデカい仕立て屋の娘の間にケツをねじ込んで座る。
「ちょっとなによ!」
「うるせぇケツデカ! 度量もそのケツぐらいデカくしてろい」
「なによ糞っ垂れ」
鼻息荒い面を寄せてくるので手で掴んで押し退ける。
「シーシャ、ルノロジャ卿に迷惑掛けなかったか?」
「全然全然、むしろおねだりしたね。かわゆくぷぷいとやればチチンホイホイ、おっさんが財布となるのです。あれいいなと言えば買ってくれるの」
「おめぇ、いつかやられるぞアホ」
否定するように手を振って「へんへんへんへん」と聞いたことのない声を出す。
「いいの、余裕ありまくりのルノロジャ卿みたいな人にしかしないもん。金持ちのおっさんなんて犬にゃんこに餌撒いた程度にしか考えてないんだから」
ケツデカがうるさいから膝の上に乗せてやると暴れだす。ケツ柔らけぇと思いながら外側に放り投げる。そいつの恋人の変な眉毛の奴がやってきてなにか言う前に殴り倒す。笑い声が上がり、煽る声もあるが、一発で気絶した。そんな騒ぎも無視して女連中がシーシャの所に集まる。
「ねぇシーシャ、街の坊主の学校ってどんなだったか聞かせてよ」
「朝早いのはいつも通りで、寝る時間がやたら早いのがアレだったね。寝れないから同じ部屋の子と喋ってるんだけど、見回りのおばちゃんがまあ地獄耳でね、屁の音鳴らすだけで反応してるんじゃないかな。同じ学生の連中ね、百姓んとこの子はいいんだけど、街からきた金持ちんとこの子は掃除の時に水が冷てぇだの肌がガサガサになるだのやかましかったね。あと勉強に説教! 聖なる預言者バルメークの教典だかの引用混ぜ込んでてカビ臭ぇのね。聞き流してたからまともに覚えてないけど、無理やりありがたい教典に関連付けてくるから意味分かんなかったね。あとね、飯少ないし肉ないからハト捕まえて食ってたら怒られた。奴等糞垂らしてポッポコうるせぇだけなのに一つの命だ一生懸命生きてるとかだとか当たり前のこと馬鹿みたいに抜かしてね、親戚死んだみてぇに辛気臭ぇ面するのよ。私の組の担当みたいな三角耳のガイコツババアがそん時に尻に棒打ちくれやがってさ、頭にきてぶん殴ったら一発で鼻へし折れてぶっ倒れたの。それで偉いばっちゃん方が裁判ごっこみたいなヘナクソなのやって、ありがたいとこで教育してもらえってことか何なのか、大司教さんがいるって凄ぇデカいお寺に移されたの。あそこのどっかはぎ取ってくれば結構な金になりそうなくらい豪華だったよ。そこは女もいたけど男が多くてね。何か皆眉間に縦じわ刻んだみたいな辛気臭ぇもいいとこの奴等ばっか。少しはなんかゴツい体した僧兵だったっけ? あういうのもいたね。そこでもまともに肉食えないから、あー魚の干物は出てたけど、足りないからネズミ獲って寺にいた呆けてるじっちゃんと食ってたらまたなんかヘンテコ会議みたいなの始まって、元の学校に戻ったの。それからちょいちょいしたらシェテル語の読み書きも出来てきたから帰ってきたの」
「修道服は持ってきたの?」
「あんなしみったれたのでも金出した物だから捨ててないよ。あとで仕立て直して真っ当なのにするよ」
「バルメークのガキんちょどもってなんか鉄引っ掻いたみたいな声で歌うんでしょ? 習ってきた?」
「そうゆうお勉強もあったらから覚えてるよ。でもあれ伴奏ないとへんちくりんもいいとこなんだよね。ああ、ま、いっか」
シーシャが歌いだす。確かに伴奏もないとへんちくりんだ。
変な眉毛がのろのろ起き上がる。ケツデカがぶっ倒せと渇を入れるが、ボーっと立ったままで、何発も引っ叩かれてまた倒れる。
「奴等のお経ってどんなのだった?」
「ここの司祭のおっさん唱えてるのと一緒だよ。これ暗記出来るか試験までやってたから嫌でも覚えちゃうね。何かあれ、言い回しがやったら古臭いらしくて分かりにくいのよね。普段喋ってるシェテル語と全然違うの」
「シェテル語で喋ってみて」
シーシャがベロベロとシェテル語を話す。なにを喋ってるか予想も付かない。
「うわ、やっぱりベロベロ喋ってて変だねぇ、分かんない」
「バルメークのあの三重円だっけ? あそこのヘボ教会にあるけどあれって何なの?」
村の広場に面したところには帝国からやってきたバルメーク派の坊主が住んでる教会がある。今は酔っ払った連中が小便引っ掛けたり、扉を拳銃で撃って開け閉めして遊んでる。
「あれはね、天界、常界、魔界を現してるんだって。天界ってのは神さんとその手下が住んでる凄い世界、常界ってのが私達のこの世界、魔界ってのが魔法使い達の頭イカれた世界なんだって」
「じゃあ、シーシャは魔界ってとこにいるの? 目の前にいるけど」
「それね、物理的に隔絶されてるんじゃなくて精神的に隔絶されてるんだってさ」
「どういうこと?」
「頭の中身が違うって話だよ」
「あんた昔から変だもんね」
「うっせぇアホ! おめぇに言われたくねぇよ」
変だもんね、と言った女の頭にデコピン連発。シーシャのはバチンバチンいい音が鳴って結構痛い。
「痛い痛い痛い、ごめんごめんごめん」
最初に組んだ集団が散らばり、各々好きな所へ移ったり、その辺で寝始めたり家に帰ったりする頃になる。
流れ者の吟遊詩人が隣に出来た集団の所で歌っている。手持ちの弦楽器を奏でながら綺麗な声を出し、自然とそれに集まってる女どもがうっとりしてるのがむかつく。
母なるマリエン 静かに流れる 慈愛と恵みの女神
祖父も母も子も腕の中 川で産まれて川で死に 冥府の海で永遠に
対抗してこっちの男ばかりの集団が下品な替え歌を即興でやることに決定した。その傍に近づき、酒を飲みながらだみ声で叫ぶ。
嫁よりマリエン 突っ込みゃ濡れてる 飯もくれる女神
そんなにいいなら抱いてもらえと ケツを蹴られて魚になって 網にかかって糞になる
ハァー、ホイサホイサァ!
対抗して下品な替え歌を美しく歌う吟遊詩人。
おさせのマリエン 手間要らず したいとよがる女神よ
あっちもそっちも皆兄弟 尻を掘ったら痘痕になって 鼻がもげてアホになるー
ラーララララー、アホになるー
負けてしまった。替え歌を考案した奴が何度も小突かれる。ノルトバルは小石を十個ぐらい投げた。
そこで考えた。考えたと口に出すのはおこがましい程度だが。
しばしチンコをいじって見栄えを整え、立ち上がり、吟遊詩人の前へ行く。一体何の用だと女どもの集団の注目が集まったところでズボンを下ろす。
「あ、間違った」
吟遊詩人が「キャア!」と可愛い声を上げて後ずさる。お粥野郎かと思ったら女かよ。男も女も爆笑。
「なにがキャアだこら、間違ったって言ってんだろ!」
酒が入ったせいで怒鳴り声になったらしく、尻向けて逃げ出す。ズボン振り回して追い掛けると結構な足の早さで逃げて闇に消える。一層男も女もゲラゲラ笑う。集まりに戻ると年増の一人が股間に手を伸ばしてきたのでそれを避けながらズボンを履く。
「くんなこの、お手に取るつもりになってんじゃねぇぞ」
「こら逃げんな、息子欲しくないの!?」
誰かと思えば去年、旦那が逃げたとこのパン屋の長女だ。捕まったら麦っ玉転がすだけで人生終わる。
「いらねぇよ、一発で野郎こさえる気になってんじゃねぇぞ糞ババァ!」
「誰がババアだ、まだ二人しか産んでねぇよ糞ガキ!」
年増が焚き火に突っ込んであった火かき棒を振り上げて追い掛けてくる。勿論逃げる。