15話「反攻会議」
乗っている馬車が止る。こちらに敬礼する、小銃を背負った歩哨が見える。御者が門衛と出入許可証の確認を行い、鉄格子門が重たく左右に開かれる。中に入ると三本の支柱にそれぞれルファーラン共和国旗、割銀円の両方が錨になってるルファーラン海軍旗、そして待ち望んだ黄地に黒獅子のザルグラド大公国旗が揚げられている。やっと注文した品が出来上がった。
洋上で行っている海軍を除いて全軍の訓練が――ルファーラン共和国の国家保安省の監視付きだったが――中大洋社が郊外に用意した場所で行われた。
陸軍。撤退前同様に訓練の成果は見せてくれたが、皆の表情がベテラン連中も含めて不安そうだった。
民兵。バルメーク派の僧兵や聖職者や神学生は特に意識が高く、軍部で指導した以上に士気が高いので逆に懸念材料になりそうなほどだ。義務を果たして死ねば天界に行けるという噂が自発的に立つぐらいだ。
アウリュディアを通して紹介された魔法使い達。手の内を明かさないのが流儀なので訓練というよりは机上演習に近いものだった。それだけでも異様な威圧感に呑まれて吐き気がした。昔懐かしの魔界の片鱗、若い頃はこんなの相手とは知らず斬りかかったものだ。
中大洋社との合同訓練は今日の会議が終わったあとにやるかどうか調整することになってる。お互い格好付けたいのは分かるが、何とも回りくどくて気持ちが悪い。気軽にやってしまえばいいのに。
奴隷市場を見張っていた情報員にも会ってきた。マンゼア王国は捕虜の身代金支払いには応じないので商人経由で取り返そうと考えていたが、親の仇でも売り払うとまで言われたアルーマン人なのに、ザルグラドはおろかザルハル、タハルの人間でさえ売れ残り以外は流通せず、ほぼ完全にマンゼア勢力圏との奴隷貿易路が遮断されているそうだ。略奪する野蛮人ではなく、治世する統治者だということなのか。
ルファーラン海軍基地内にある迎賓館前に到着、馬車を降りる。無料で借り切らせてもらうには躊躇するような立派な佇まいだ。来賓予定がしばらくないし、他にも同様の施設があるので問題ないらしい。
全く無神経というわけでもないリーレスは、入りたくないけど入らなきゃいけない執務室へ足早に向かう。中に入れば、穀物を入れる大袋が机の上に、ギッシリと本来入れる物ではない物が入っている。用意したのはその側に立つ、三角耳の先が欠けた宰相だ。
「目を通してください。閣下宛てです」
中身はほとんどが告訴状や抗議文。無視していいような物と、読まなくてはいけない物とがある。身内や元身内の物であれば流石に面倒くさいでは済まされない。
「送り主は確認したか?」
「仕分けしてあります」
「右左どっちを読めばいいんだ?」
「両方ですが」
軍服の上着を背もたれに掛け、ワザと音を立てて椅子に座る。人さまに借りた物だということを思い出して丁寧に座り直す。
「熱心な連中だ。意中の相手はあの糞ババア一人だと昔から言っているのにな」
「熱い想いがこもっているのは確かでしょう」
「小難しい法律やら権利が書かれても理解は出来ないぞ? いいのか」
「読んだ上でそう言われるとよろしいかと。なるべく誠意を込めて」
「込めれば込めるほど怒りそうな気がするけどな」
「問題ありません。逆に言えばそれだけです。我々は今干渉が出来ない異世界にいる状況です。誰にも没収する権限はありませんし、力づくとなれば騒乱を望まないルファーランの国家保安省が守ってくれます。何より我々の武力が物を言います」
「無視していいだろう」
「駄目です。部外者ならまだいいですがね。まずはご覧下さい」
髭や傷痕を手のひらでゴリゴリしばらくこすって時間稼ぎをしてみるがこんなの意味がないと悟り、嫌々ながら袋の中に手を突っ込み、手紙にしては変に厚い物があったので手に取る。中を開けると防水布に包まれた三角耳が一つと、血文字の手紙。いきなりこんなのか。
「宰相、検閲とか以前に検査したのか?」
「送り主は誰でしょう」
「ザルグラド銀行元ルファーラン支店長って書いてあるな」
「そこはもう消滅しておりますが、無視出来る立場の者ではありませんね。お読みください」
面倒くさいということを主張するため、あえてやる気なさそうに声に出して読み上げる。知らないお役所単語があったら宰相に教えてもらおう。
ザルグラド大公国元首リーレス=ザルンゲレンさまへ。
戦時により不安に駆られた顧客によって資金の引き出しが行われ、準備していた資金が足りず取り付け騒ぎになりました。国が運営する銀行である以上はこのような事態は想定しており、これで忙しかった等と抗議するつもりはありません。しかし違法という言葉を通り越した徴発をあなた方が行ったため、追い討ちを掛けるように形振り構わぬ訴訟が続いて業務停止状態になりました。そして支店の誰も彼もが知らぬ内に、本国が緊急避難用の改竄資料を使い、彼等の仮想企業に最後の一欠片まで持っていかれました。それぞれの意で空になった金庫、山と積んだ無効な紙切れを見せてはもう何もないと説明する日々には疲れてしまいました。隠し金庫に用意していた金で行員に退職金を非公式ながら渡せたのが不幸中の幸いです。今私は帝国軍務銀行で後始末を行っていますが、全てがただただ不毛。危険を承知の金融業者ならさほどに同情はしませんが、何も知らない少年少女達にまで不幸をなすり付けていく権利を誰が持つのか、はなはだ疑問であります。斜陽に駆ける帝国ですが、信念と誇りは失われていないと信じてきました。しかしそれは私が単に愚かであったせいで、幻を見ていたのでしょうか? 今やそれを確かめる心も耳も失いました。シェテル帝国とその守護者たる皇帝陛下万歳。ザルハル方面軍とその最後の元帥そしてザルグラド大公であるアレクカルドよ冥府にて安らかに眠れ。
ザルグラド銀行元ルファーラン支店長ニキリファス=ネリトラス=アバファルー。
珍しく宰相が片目から涙を一筋垂らす。
「宰相どうした?」
「いえ、違います。ただ、何でもありません」
「私に遠慮はいらないぞ」
「では。この元支店長とは私の息子のことです」
宰相は手で涙を拭う。やっぱり聞かなきゃよかったな。そのあとは宰相の前でサボる気にもなれなくなり、手紙を読んでいく。悪口だらけかと思ったら、丁寧に名称を変えたり上品な言葉に変えて、やっぱり悪口だらけ。よく分からない問題で褒められている気になった箇所があれば、たぶん皮肉だ。それと彼等に申し訳ないのは、なりたくて大公になったわけじゃないので罪悪感がさほど沸かないのと、知ってる名前と役職があまりに少なくて誰が誰だか分からないこと。そして何かの引用や故事を交える文や、日常会話じゃ使わない専門用語らしき言葉があり、何を言っているのかさっぱり分からないことだ。それと洒落た書体の文は完全に読めない。折角の怨念だが一部しか意味が分からない。
「宰相」
「はい」
「書いてある意味が分からないって返事はしてもいいのか?」
「控えた方がよろしいです」
「分かりやすいように書き直してくれってのはどうだ?」
「同じことです。更に悪いです」
「それじゃ手伝ってもらわないとまともな返事一つ出来ないぞ。よく分からないが悪かった、とかそんな程度になる」
「あとでそういう手紙を読み解けるような者を呼びましょう。その時相談なさって下さい」
「そうしてくれ」
宰相は頷き、壁掛け時計を見る。そういえば今日は会議がある日だ。
「ではそろそろ時間です。行きましょう」
内容は、暫定で決まっている作戦計画をもう一度考えることと、現状に合わせて修正すること。大胆な案を持っているなら提出することだ。反乱分子の粛清は前の会議の時点でほぼ終わったからある程度は気持ちよくやれる。
会議室に入ると既に面子が揃っていて、全員が姿勢を正す。正しい反応だがこれは気味が悪い。適当にぐーたらお喋りしてて構わないのに。
ザルグラド大公国からはリーレス、宰相、陸軍長官、海軍長官、大司教が参加。中大洋社からは代表、猫頭のカルプト人の提督いや猫提督。そして特別顧問としてアウリュディア。
手紙のやり取りはしていたが、アウリュディアとは忙しくて顔を合わせるのは久しぶりだ。活きのよさそうな顔に不吊り合いの白髪頭は変わってない、服装は何だか都会人の正装に魔法使いの外套が合わさって都会派魔法使いといった雰囲気だ。昔会ったころは秘境の妖怪ババアみたいだった。
席に座る。そして壁や天井に飛蝗が張り付いているのに気付く。あれはアウリュディアの使い魔だから盗聴対策か何かだろう。会議の初回からこれだけは頼んでおけばよかったかもしれない。
大司教に目を移す。この前の会議の時は意識が曖昧になってて出席出来なかった。今日は調子がよさそうだ。
「始める前に、都合がついてようやく紹介することが出来る。私がくる前に自己紹介をしたかもしれないが、彼女はアウリュディア。私が英雄ごっこをしていた時に出会い、今ではこの国の国立学校魔法学部で教鞭をふるっている。今回はザルグラド奪回に限って協力を取り付けた。大国並みの規模で魔法使い達を集められたのは彼女のおかげだ。私が最も信頼する人物で、自分以上に信頼している」
アウリュディアが余計なことを言うなと一瞬横目でにらむ。そして代表が感激したように手を合わせて喋る。
「まあ、アウリュディアさまですね、お会いできて光栄です。伝記を始め、お噂はかねがね伺っております。徳高きオルヤン仙人さまにはわたくしの一族も助けられたと伝えられております。先祖に代わって改めて御礼申し上げます」
「それは私が本人の体を乗っ取る前の話だ。それとそのオルヤン仙人さまは止めてくれ、いい思い出がない」
「それは失礼をいたしました。申し訳ございません」
気付けば、代表が袖の長い黒い服に変わっている。そういえばもう冬の季節が迫っていた。リーレスは席に座り、そのことを切り出す。
「代表、それは冬服かな? 似合ってるぞ」
そう言うと嬉しそうに笑ってくれる。
「まあありがとうございます。誰もそういうこと言ってくれないんですよ」
猫提督が鼻水吹きそうになりながら笑い掛けて我慢する。そして愛しのアウリュディアの一つも反応のない反応を伺いながら本題に入る。
「宰相、資金はいつまで持つか? 全軍に冬服を配る余裕はあるか」
「今の出費のままでは年が明け、そして間もなく窒息します。冬服は既に調達済みです」
「そうか。あー何て言うんだっけ、金儲け? 金策の方は?」
「強奪の悪評が加わり、勝ち目なしというのが世評で国債は売れていません。各方面の金融機関に喧嘩を売ったせいで基本的にそちらの方面は門前払いです。海外資産は凍結状態でしてそこからも同様です。訓練の合間を縫って僧兵や聖職者や神学生等が寄付を募っていますが微々たるものです。他のバルメーク派系の寄付活動と食い合っているので尚更ですね。中大洋社さんの方から融資を受けられないか検討しましたが……」
代表は心持ち申し訳ありませんと苦笑顔を作る。
「以前にもお話しましたが、金融部門の査定ではザルグラド大公国さんは最低位と評価が下り、現状を維持しています。こうなると私の判断でも我が社の資金は一フェントもご融資出来ません。今も全ての料金を事前に現金で支払って頂いているのもそのせいなんですよ」
愉快じゃないことをさも愉快そうに言う。あれが彼女の無表情なのかと思えばやっぱり気に食わないな。
「他に何か収入を得る方法は?」
宰相が陸軍長官に目配せする。陸軍長官が発言。
「兵士に個人単位で日雇いの仕事を奨励してはどうだと意見が出ています。ただ脱走の危険性と、士気が高い者でもその仕事に”いついて”復帰しなくなる可能性があるので保留しています」
次に海軍長官が発言。
「艦隊を使って安全な短距離の交易業務を行ってはどうかという意見も出ています。こちらは訓練を兼ねて行うことが出来ますので準備を進めております。私掠の対象についてルファーラン海軍との調整が進んでいる最中です」
資金は冬が厳しくなる頃に無くなる。金策も大したものじゃない。だからいつになれば作戦が可能な練度に達するかが問題だ。
「陸海軍が連携して作戦行動に移れる練度に達するまでどれくらいかかりそうか?」
陸軍長官が海軍長官に目配せしてから口を開く。
「はい。秋中には形になる予定です」
「秋か、いい時期だな。僧兵や聖職者や神学生達……民兵か。彼等の士気はどうか?」
「大司教のご協力もあり非常に意欲的です。ただ一つ問題があります」
陸軍長官へ視線で促す。大司教が歳相応に焦らしてから口を開く。
「総主教の洟垂れが文句を付けてきましたな。大司教の後任を送るだの、こちらで信者を保護するから送って寄越せだのと。教会内での内輪揉めを抑えるよう工夫をしておりますが、あちらに説得力を感じる者は少なくないようです。常に正気が保てればやりようも……いや申し訳ない」
「いえ……次、船の数は足りているか?」
海軍長官が手元の資料を再確認してから口を開く。
「船の数は問題ありません。ただ非正規の水夫が脱走や反乱を企てて目減りする一方で、ルファーラン各所で募集しても人数が足りません。素人同然の民兵を水夫に転用していますが、圧倒的に専門技術を持った人間が足りません。強制徴募は出来ませんので募集金額の増額、若しくは中大洋社さんの方からの斡旋を希望します」
「そっちか。宰相、そちらに資金を配る余裕は?」
「工夫で何とかなるならそうして頂きたいのが現状です。中大洋社さん、斡旋は可能ですか?」
猫提督が軽く咳払いをしてから口を開く。
「我が社で臨時職員を雇ってザルグラド大公国の軍艦に乗せるっていうのは、法でも組合規約でも社内法でも、船乗りの情としても苦しいところがありますね。正社員ならそこは問題ありませんし、ウチには予備人員枠があって不可能ではありません。しかし必要な予備なのでお貸し出来ません。訓練教官が不足しているというのなら協力は可能です。船にはそれぞれ癖があるので実施訓練では思ったよりお役に立てないかもしれませんが、座学ならお役に立てますよ」
海軍長官が渋い顔を作る寸前に、代表が小さく手を上げたので、どうぞ、と促す。
「しかし抜け道があります。その人員が足りていない船を譲渡して頂き、我が社の社員が扱うのであれば問題ありません。勿論それらの船はこちらの指揮下に入りますし、仕事の仕方もこちらの作法で行います。そして損傷沈没などした場合は弁償を致しません。そして必要経費は請求させて頂きます。作戦終了時にはお返しします」
どうですか? と代表が笑顔で首を傾げる。海軍長官が渋い顔を作る。
「慣熟訓練には時間が必要です。お早いご決断を」
猫提督が付け加えると海軍長官も諦め顔になりそうになる。宰相が口を開く。
「その必要経費がどの程度なのか、そしてこちらにその余裕があるのか検討させて頂く必要がありますので後日ということで」
「左様でございますか。では」
代表は足元の鞄から資料の束を取り出して宰相へ渡す。
「それはその必要経費がどの程度なのかを段階に応じてまとめてあります。計算式も合わせて載せておりますのでよろしかったらお使い下さい。色よい返事をお待ちしております」
宰相が資料を流し読みする。鼻息が自然と荒くなるような内容らしい。
「分かりました、検討させて頂きます」
「お願いします」
代表が頭を下げる。カモにされてる気はするが、しかし論理的な批判は出来る気がしない。
「解決し難い問題は、厳しい冬がくる頃には資金が尽きるということ、軍が作戦可能になるには冬がくる直前あたりということだ。よって限られた期間で和平交渉がしたくなる戦果が必要になる。まだ色々足りない。なにか新しい情報を得た者はいるかな?」
一番に代表が笑顔で手を挙げる。この中でも特別歳若いのに臆するところが欠片もない。
「ギルシンに代わり、既に新たなアルマーンの大帝が即位したという情報があります。円座会議が開かれ、各王が広い帝国内から不足なく集まり、そして解散したということに基づきます。新しい大帝の地盤が整うまで前大帝の死を伏せておくのが慣わしですので公式発表はあとですね。そしてそれを裏付けるのが、次期大帝と目されているジッティン王が軍勢を本来の敵であるセシュトロ帝国側から帝国内部へ向けつつあるということです。これは内乱の兆候であり、地理的にジッティン王とは中立がありえないマンゼア王が内乱へと集中するために比較的簡単に和平交渉に入る可能性があります」
宰相、陸軍長官、海軍長官へと順に視線を送るが、全く知らなかった様子しか伺えない。諜報部は死んでいるということか。
「宰相、もし新しい大帝がマンゼア王であった場合はどう考える?」
「可能性としては極めて低いですが、即位をしたなら支持は最低限しか得られず、反対派との闘争や工作に今後忙殺されるはずです」
「どちらにせよ時間はないが、足元がグラついていることは期待出来る。これも念頭に置いて同盟工作に変更はあるか?」
「彼等にとって丁度いい具合に、アルーマン西側の周辺国も問題を抱えていてその政変に興味を持てそうにありません。一番に期待出来るセシュトロ帝国との共同戦線は、我々に資金という寿命がある以上は不可能です。資金提供の話をしましたが濁されました。諜報活動では協力すると約束を取り付けましたが真意のほどはまだ分かりません。恥ずかしながら、その円座会議の情報すら知らされていませんでした」
「信用がないからな。じゃあ宰相、今の所の目的とその手段を」
「はい。我々の目的は短期決戦でのザルグラドの奪回にあります。ザルハル地域については元々現地勢力との契約関係以上のものではなかったので諦めるしかありません。奪回については和平交渉の場で必ず合意した上で取り返さなければいけません。そうしなければ脱出前の包囲された状況に戻るだけですから。軍の再編は順調ですが、万全の状態になっても単純な陸戦では圧倒的に不利です。不利な状況で戦う必要はなく、主戦場を我々に有利な海上やマリエン川やザフカーク川、その沿岸にします。海上で優勢な我々は、兵力を艦隊で大量に運ぶことによって局所優勢を作り出すことが出来ます。そしてマンゼアにとって無視することが出来ない沿岸主要都市へ艦隊で接近して強襲上陸を行い、占領することで和平交渉に移ります。本国……失礼、シェテル帝国でも一部しか運用されていない、魔法使いによる集団魔法が今回は可能になっています。攻城砲を使わずに素早く城壁を突破することが可能になっており、長期の包囲準備が必要ありません。どこを攻撃するかですが、普通の遊牧民は我々と違って拠点を容易に移動するので占領して脅迫しても効果が薄い。しかしマンゼア王国に至っては既に完全な遊牧民とは言えません。定住民のマンゼア人が国の基軸になっています。小銃や大砲を大量生産出来る経済基盤を持った、狩猟や放牧で素朴に生きる遊牧国家では既にありません。彼等には持ち運べなくて失いたくない物があります。中でも、ザフカーク川を遡ってザルハルを越えた先のマンゼアにある、旧ウルヴィニィ大公国首都ウルヴィニィです。メラシジンも父こそアルーマン貴族ですが、母は由緒あるマンゼア貴族で、その父はマンゼア統一直前までいった最後のウルヴィニィ大公です。灰になった都かザルグラドを返すかをその時に選ばせます。そして我々の海軍力を売り込みます。海軍なき商船は海賊の餌であることが分っていれば、海軍力を喪失したマンゼア王が海上交易の重要性を賢明に理解するならば交渉に友好的に応じるでしょう。今は恨み骨髄の敵ですが、いずれは手を取り合うべきなのです。最後に、まだ陸海軍と中大洋社さんとの連携に不安があり、訓練が必要です。また年末年始は寒すぎて川が凍りつく時期でもあり作戦行動が不可能です。作戦実行時期は秋の終わりか冬の始まりしかないでしょう。以上です」
「今ので何か言いたいことがある者は?」
アウリュディアが手を挙げる。手で促す。
「補足になると思うがいいかな。さて解決可能な問題。魔法で水上を凍らせ、船を傷付けることなくそれを魔法で破砕して進むという実験が既に行われて論文もある。船団を組んでも支障は少ない。速度は無論落ちる。次に、大雪の冬に城が包囲され、自領を略奪しながら急いで脱落者も無視して救援部隊を向かわせたが間に合わず、陥落した事例がある。包囲側も寒さで大部死んだらしいがな。さて集団魔法。力を使いたくてうずうずしている連中が揃った。戦場と実験場の区別がついてないような常識外れのいわゆる馬鹿ぞろいなのは我慢してもらおう。中の一人はシェテル帝国で集団魔法の部隊を率いて、決死の覚悟で守備兵が立てもこもる要塞を一日で陥落させた経験がある。城壁吹っ飛ばして、塔も崩して、中も荒らして。ま、上司と喧嘩して二百人ぐらい殺して逃げてきた奴だけどな。私は戦争について素人じゃないが専門家でもない。使えるところがあったら拾ってくれ」
リーレスは事前に勉強していた内容を超越していて思考がほぼ停止状態。誰か何か喋らないかなぁ、と静観していると誰も喋らない。
代表が猫提督の袖をちょんちょんと突いているのが見えるが、無視されてる。強めに猫提督に視線を送ってみると天井を仰いでしまう。
陸軍長官は人差し指で眉間を押さえて何か考えているような、いないような。大司教はたぶん居眠りをしている。
アウリュディアはこちらをチラっと見てくる。早く進めろと言っているのだろうか。宰相は眉間に皺寄せて口を固く閉じている。
そして海軍長官が汗も掻いていない額を拭ってから発言する。
「アウリュディア殿の意見は重要です。まず艦隊規模で氷を砕いて航行可能かどうか訓練してみる必要があると考えます。これが証明されるだけでも作戦実行時期の幅が広がりますし、行く道に帰りの道が凍っていても大丈夫です。あと厳冬期となれば物資の量が多くなりますので、船の数を増やすか連れて行く兵士の数を減らすか考慮しなくてはいけません。とにかく有利にことが進むようならやってみましょう」
宰相が悩みが吹っ切れたように大きく頷く。次にやることは決まったからこれでいいか。
「それぞれ課題も出来たと思う。解散しようと思うが、何かあるかな?」
声もなく首を振る程度。皆が立ち上がって帽子を被り始める。居眠りじゃなくて瞑想か何かをしていた大司教はゆっくり立ち上がる。
そこで一つ思い出す。何故忘れていた。
「あー皆そのまま。時間はとらせない。シャイテルという魔法使いに関して新たな情報がある者はいるかな?」
以前の会議で、不死身かもしれない、一見聖人みたいな魔法使いシャイテルを話題にした。メラシジンと親しく、政治に長けている可能性が高いという点を踏まえても謎で、伝説や民話に似たような名前があったかもしれないという話で終わっていた。アウリュディアも静かに首を振るだけだ。何もないか。
「邪魔をした。解散だ」