14話「再会」
「”使い魔術。対象の生物、情報生物、無生物を使役する技術”思考の単純な生物を操るのが一般的だが、高度になると人間のような知能を持つ生物も操れる。極めれば完全に自立した意識や感情を持ちながら術者に仕えさせることが出来る。これが出来る奴は過去に一人いたが、危険視されて殺された。今日は魔法機械学で専用に作成した無生物、使い魔術の練習用の人形を操ってもらう。さて訓練の前に、使い魔術に真剣になってもらう話をする。普通の生物ではない、情報世界の領域に属する生物を操る場合のことだ。何を目的にするかで変わるが、使い魔術はこの情報世界の生物を扱うことからが本番だ」
赤い飛蝗が先生の口から這い出る。死人みたいな白髪頭でやられると冗談になってない。
「今更次の学期から始まる選択科目に目を通していない馬鹿はいないと信じる”超人術。人でありながら人外になる方法。寿命を延ばす、強靭な生命力を得る、身体の器官を増設する”これの中には使い魔を直接身体に取り込むという方法があり、一部領域で技術が重なる。これは比較的簡単に自分を変えることが出来る反面、恐ろしい副作用を生じる。記憶の混濁や内臓疾患のようなものが多いが、中でも最悪なのが使い魔が術者を乗っ取ること。その例がこの私だ。私は魔法使いアウリュディアを、単純に使役される関係を拒否して体を強引に乗っ取り、記憶も奪ってなり代わった。念のために言うが私とはこの赤い虫の方だ。その元使い魔だからこそ言える、情報世界に漂い物質世界が妬ましかった化物だからこそ言う。使い魔を侮るな。本物のアウリュディアの魂を食い、冥府にも行かせず死より酷い無を与えた。お前らに持たせた人形も練習用と侮り、反抗なんかしないだろうと思って扱うな。真剣にやれ。それが分かっていても中には自分の命以上のなにかのために自分の身体を変異させたり、乗っ取りを企てるような危険だが強力な使い魔を使役しようとする者はいるだろう。だが忘れるな、使い魔のみならず魔法は所詮道具だ。道具を得るために死ぬな、死ぬなら目的のために死ね」
こんなことを言われて見せられて、不真面目にやる奴がいるだろうか。
「しかし非常に危険だが、有効活用すればこれ以上ないのが使い魔術である。その危険性を減じるための方法が”言語学。古今東西、魔法について書かれた学術書を読み解く方法”魔法使いが書いた本、日記、覚書き、絵、落書き、石碑、死ぬ直前に見た光景が焼き付いた網膜、それらの写し等を利用することだ。先人の知恵を拝借出来るのは後代の特権だ。何も自分を実験台に使い魔術を究める必要は、ある程度の段階までは必要がない。いよいよ世界最高峰だという時にはやはり危険を冒すしかないがな」
先生が紙を一枚、最前列の一番廊下側の生徒に渡す。
「使い魔に関する基礎的な注意事項が書かれた三百年くらい前の本の、その一部の写しを現代語訳した物だ。内容は薄いから読んだら直ぐ回せ。誰かに教えようとする意志で書かれた物ならばいいが、そうではない物もある。自分だけが読めればいいような物だってある。魔法に秀でていても言語に疎い者が書いた物もある。訛った発音そのままに書き、間違った単語を羅列して、意味不明な絵を組み合わせていることもある。字が下手すぎて読めない場合だってある。凝り性の奴は暗号で書くことも多い。数学的な暗号、言葉の引用を利用した暗号、一番厄介なのは筆者以外には分からない暗号だな。錬金術を使った隠し文字もある。一見まともな内容でも、学者も諦めるような哲学で記述がされている場合もある。そして有志がそれらを理解しやすいように解読した本があり、学校でも公開しているし一部は貸し出しもしている。ただそれの解釈が間違っている可能性はあり、翻訳間違いという初歩的な失敗もあり、間違っていると思ったら再現性が極めて困難なだけという場合もある。間違いを避けながら本を用いるのならば、原本を読み解く力を得て欲しい……とは言っても寿命は有限だから専門家が修正した物だけを読むのも賢い選択だ。最終的な判断は君達がするしかない」
話を聞いている内に読んだその紙の内容はまとめるとこうだ。
使い魔術訓練において不適格と疑いがあれば使い魔術を諦めること。魔法が使える者、使えない者がいるように使い魔術が使える者、使えない者に分かれる。
使い魔を直接身体に取り込む方法はいかなる状況においても推奨されない。死以上の死である、魂の消滅の危険性がある。死後の世界を探索して記録した者の言によれば、死は現実的な救いであって最後ではない。
有用に使い魔を活用出来るなら、己が二人、三人に増えたに等しい活動能力が与えられる。一人でありながら組織活動が行えるという万能感は素晴らしい。
「では人形を操って見ろ。単純に魔法で動かすんじゃない、手を足を動かすという考えは駄目だ。手を振るようにして歩けと命令するんだ。お前等は歩く時どこをどう動かすと細かく考えながら歩かないだろう、その違いだ」
人形に立ち上がるよう命令を下す、何も起こらない。同級生の皆もうんうん唸ってる。クリちゃんも隣の子も微動だにしない。
授業の時間が半分以上過ぎようというのに未だ誰も動かせない。しかし先生は、休みながらやってもいいぞ程度にしか喋らないので大きく間違っているわけじゃないんだろう。
授業の時間も残すところ四分の一。気分を変えるためなのか、先生が使い魔術とはあまり関係ない話を始める。
「女に魔法使いが多いのは、いまだ論理的結論に至っていない。教室を見てもらえば分かるように、七割は女だな。男があーだ女がこーだというようなそこらで雑談されてるような水掛け論に留まっている。学問の発展が待たれるな。使い物になるかどうかはともかく、君達は選ばれし者達だ。原理が解明されれば魔法使いの大量育成が可能かもしれないが、しかし既得権益の維持という意味ではわざと停滞させるのも手だ。魔法使いが増えると一人当たりの値段が下がる。未来の後輩達に、簡単に背中を触られないようにするためには努力あるのみだ。あとを譲るのは死んでからでいい話だ。さて業界内では永遠に非公式だが、何故女が魔法使いになりやすいかを説明した言葉がある。あー、前置きをするが私が言った言葉じゃないぞ。ある人物が自分の股ぐらを指差してこう言った」
全員が耳を疑った。
「それは、おマンコの力だからよ」
あの大アウリュディア大先生がまさか、まさかその台詞を吐くとは何たることだろうか。これはお笑いにすらなりはしない。
「この程度だ。魔法の才能は親から、特に母親から子へと遺伝する傾向もあるから、興味があればそれと合わせて研究してみるといい。仮説の論文程度なら図書館にある」
そして冗談を言ったような顔も、笑いを取れなかった誤魔化しの笑みを浮かべることなく時間は過ぎて、女生徒の一部がわずかに動かすことに成功した。やはりその力なのか。
「今日、魔法使いが書いた本やその類に興味を持った学生もいるかと思うから最後に注告しておく。魔法使いの覚書のような物は鵜呑みにするな。本人が常識と思っていて省略していることがある。それが決定的な失敗につながることがある。だから嘘か本当か、抜けている内容は何かと推測する教養が必要になる。勉強するためにも勉強が必要だということだ」
授業終了の鐘が鳴る。明日からは別件で忙しくなるから代わりの先生がくると説明され、大袈裟に残念がってみたら棒で殴られた。
今日は来月分の授業料振込みの日で、そして教師の給料日。他にも雑務を処理して教師の定例会議があったりと午後の授業どころじゃないそうだ。経理の仕事が忙しい日で、午後の授業が終わったあとに授業料の振込みなんてされたらお役所の終業時刻に間に合わず、色々大変なことになるらしい。
この日は直ぐに教室を出ず、経理からの使いの人を待つのが規則。授業料の滞納通知、奨学生への今月の授業料の免除通知、出席回数で授業料が変わる者への授業料通知に、校内で回される私信など。使いの人が一人ずつ名前を呼んで配達物を渡す。呼ばれない人の方が多いのだが、渡し忘れへの防止策らしい。
「シーシャさん」
「んお? はいはい」
配達物を受け取り、席に戻ってその場で開封。クリちゃんが覗こうと肩寄せてくる。
指定口座、ザルグラド銀行のルノロジャ連隊人事部からの来月分の授業料の払い込みがされていません。原因が判明しましたら経理部担当までお報せください。
「何これ?」
「シーシャ、これ大変だよ!」
「うん?」
シーシャは頭を掻きながら考える。ザルグラド銀行、ザルグラドは戦争に負けて領土が消滅。ザルグラドにある銀行だからザルグラド銀行。つまり、銀行消滅。
「おわふっざけんな糞っ垂れ、銀行くたばってんじゃねぇか!」
「どうしようシーシャ、ねえ?」
本人以上にうろたえた様子のクリちゃんを見て冷静になるシーシャ。手のひらバチバチ殴って噴出す感情を抑える。
「いよし、確認しにいこう」
「どこに?」
「シェテル帝国大使館にザルハル方面軍の出先機関があるの」
「じゃ急ごう」
クリちゃんに手を引っ張られる形で学校を出て、各方面軍の大使も使うシェテル帝国大使館へ向かう。建物は規模に応じて馬鹿デカいし、揚げてるシェテル帝国旗が偉そうにふんぞり返って見える。
門の受付のおっちゃんに話すと、名前がザルグラド大公国とやらに変わって、その大使館機能はルファーラン海軍本部の近くにある建物に移ったらしい。軍施設内にあって今は民間人なんて門前払い。ザルグラド銀行については帝国軍務銀行の系列なのでそちらに行った方が早いとのこと。
道も教えてもらい、礼を言ってその帝国軍務銀行に出向く。その銀行もまた、建物は規模に応じて馬鹿デカいし、揚げてるシェテル帝国旗が偉そうにふんぞり返って見える。
受付の姉ちゃんに尋ねると、何と奥の部屋に案内される。妙に豪華な長椅子の上で、クリちゃんに怒られながらクネクネ寝転がっているとハゲたおっちゃんが入ってくる。自己紹介し合って、向こうはザルグラド銀行ルファーラン支店の元支店長だそうだ。憔悴しきった顔で声を掛けるのもどうしようか思うぐらいだったが、経緯を話す。
「学校で授業料の振込みの指定口座がザルグラド銀行のルノロジャ連隊人事部なんですけど、払い込みがされてないって言われたんです。おっちゃんは理由分かります?」
「おっちゃんじゃないでしょ!」
「まあまあ」
クリちゃんを宥めようとすると「何がまあまあよ!」と怒られる。デッカい子犬みたいで可愛い。
「いえ、いいですよ。ザルグラド銀行は本部が、ご存知の通り戦争で消滅しました。詳しいことは機密情報なので教えられませんが、帝国軍務銀行に合併されることなく消滅することになったので何も残っておりません。今ある金で一部だけでも返せという声はありますが、支店にあった資産は全て差し押さえられ、既に回収されております」
シーシャは腕を組んで考える。そして分かったかのように手を叩く。
「全然わかんねぇ」
「シーシャ、うんとね、ザルグラド銀行が完全になくなったのは分かる?」
「うん」
「そしてザルグラド銀行の親にあたる帝国軍務銀行はザルグラド銀行が持ってたお金を引き継ぐ権利を全部捨てたの」
「え、何で勿体ないじゃん」
「うーん、私もあまり詳しく語れる方じゃないんだけど、借金の方が多いからだね。お金貰ってもそれ以上に返さなきゃいけないんだったらいらないじゃない」
「いらないねぇ」
「あとはえーと、本部がなくなっても支店が何とかすればいいと考えると思うけど、誰が差し押さえたかは分からないけど、本部の代わりに全部持っていかれたあとなの。お財布空っぽ」
「ほうほう。要するにザルグラド銀行はスッカラで堆肥にも燃料にも使えねぇ糞の方が使えるゴミ山になっちゃったんだ」
「ちょっとこら! そんな失礼なこと言わないの」
すみません、とクリちゃんが代わりに頭下げて謝る。
元支店長は薄笑いして、深くお辞儀をする。そして促されて退室する。
一旦下宿に戻り、腹を空かせた下宿生どもに飯を食わせ、片付けも済んでから食後のお湯を啜る。
「終わったら経理部に行くの?」
動揺からか、包丁で指を切ったクリちゃんが治療魔法とかいうもの凄い技を使う下宿生に治してもらった所をさすりながら喋る。
「そうだねぇ。銭っこのことは難しくて分かんないけどねぇ」
「一回アウリュディア先生に相談した方がいいかな」
「だけどあの虫ババア、学校でおマンコに指差しながら興味があれば研究してみるといいって言ってるんでしょ」
「ちょっとシーシャ」
クリちゃんの笑っていいのかどうなのか悩む表情を楽しんでいると、天井からボトっと飛蝗が落ちてくる。この下宿、都市部とはいえ妙に虫がいないのが特徴の一つなのだが。
「あっ先生! こんな姿になっちゃって」
「シーシャ止めようよ」
「何を相談したいんだ?」
いつもと声は違うが、先生の喋り方と早さと調子が同じだ。翅を震わせて鳴くように喋っている。
「へ? 帰ってきた?」
「シーシャ、その飛蝗」
「そうだ、私と色も大きさも違うがな。学校で色々見せたのに察しが付かんとは情けない」
「げぇ、マジで?」
「まあいい。何があった?」
「うん。授業料振り込んでたザルグラド銀行がただの糞以下のゴミ山になっちゃって、お金がありません」
「撤退する時ゴタゴタしてたようだからな。手持ちの金はどうした? 飯を作って上手くやってるようだが」
「お金はあのザルハル方面軍大使の所にいたマリエン軍の人から毎月小遣いみたいにもらってて、今は下宿費払ったらスッカラカンかなぁ」
「ザルハル方面軍は変わったからそこからもらうのは望み薄だな。下宿費の支払いは待ってやる、金貸し売春屋にチンピラ、もぐりの魔法使いどもとの付き合いがないことが条件だがな。それと休学申請書は明日の授業が終わったら作るぞ。その位の時間は作ってやれる」
「休学申請?」
「お前とはまだ顔合わせてないと思うが、船乗りをやりながら私の教室に通っている奴がいる。外洋に出たりして往復の一航海で半年以上経つこともある。戻ってきたら復学申請出して、出港する時は休学申請出すということを繰り返してる。他にも仕事しながら通っている奴もいる。金がないならそうしろ。申請を出すのは小まめにやれ。休学申請出さないで休んでも授業料取られるからな。事件事故に巻き込まれた時は特例が出るが、金が絡んでるからかなり審査は厳しい。下宿の方は待っててやるから仕事を見付けろ」
飛蝗に向かって両手すり合わせる。
「ありがたやありがたや、んにゃんにゃんにゃ、先生と世界の支配者さまに感謝しますだ」
先生、というか使い魔? は何もいわず触覚を動かす。
「シーシャ、お仕事探さないといけないんだ」
何故かシーシャより辛そうなクリちゃんが肩を下げる。
「そうだ先生、私を雇って。お掃除お手伝いします」
「働き口は自分で探せ、掃除は私の趣味だ。お情けでやる仕事はない。それと注意事項だ。この国では組合組織が強い。勿論分野ごとに別れていて、そこに加入しないと就けない職場が多い。俗にモグリと言われる非組合員の職場もあるが、別に違法じゃない。ただし魔法使いは別だ。どこの国でも魔法使いの囲い込みはやっている。田舎でないかぎり魔法組合のような組織に入らないと魔法使いとして仕事に就けないのは世界の常識だ。ルファーランじゃ魔法学部を卒業していることが最低条件だから覚えとけ。モグリでやったら犯罪で、魔法組合から救いの手が入らないと死刑だ。捕まえるのが困難と判断されるから大体その前に殺されるがな」
「うぇ、何か糞めんどくさそう」
「当たり前だ。楽じゃない」
シーシャは机に突っ伏す。飛蝗の触覚をツンツン触ると、飛蝗は物陰に跳んで逃げる。
クリちゃんがシーシャの手を握る。いきなりなんだと思って顔を上げると、涙目になった目と目が合う。何でいきなり泣いてる?
「シーシャ、私も一緒に探してあげるからね」
「いやぁクリちゃん。嬉しいけどそいつぁ話がたぶんべっこよ」
「え、そうなの?」
「クリちゃんは勉強あるしさ。私の村みたいにあそこの家の畑人手足りないから行ってこいって感じで知り合い伝いでほいほい仕事あるわけじゃないからめっちゃ苦労するかもしれないしさ。とりあえず今は一人で探す」
更に泣きそうになったクリちゃんの髪をグシャグシャにして、席を立って出来るだけ明るい声を出す。
「まあ心配なさんなよ、おクリクリ。先生が言ったように、おマンコの力があれば不可能はないさ」
「うん? ん? ちょっとシーシャ!? 変な仕事は駄目だよ!」
玄関のドアを足で開ける。
「言われなくても売女なんざやらねぇよ!」
ついてこないか後ろを見ながら出たが、大丈夫なようだ。心配性で親切なクリちゃんは確かに可愛いが、一線というものがある。
金を稼ぐにはどうしようかと闇雲に街を歩く。忘れそうになっていた、経理部へのザルグラド銀行消滅の件を話しに行く。そんなこと知ってるという口振りで、切れそうになって受付の机を思いっきりぶん殴るだけで止めた。
まずは仕事を探すために、何の仕事があるのか街を歩いて見て回ることにする。今まで誰がそこで何の仕事をしているかということを意識しながら歩いたことはなかった。
まずよく見掛ける屋台を観察する。飯を作る、というまではいいが、客とのやり取りだ。店ごとに差はあるものの、概ね客に対して親切だ。そして、難癖付けるおかしな奴がいて、面倒なことになっているのが時折見受けられる。店主はそういうものを何とか我慢するか、適当にあしらって終わりにするかで、手は出していない。シーシャじゃ直ぐに切れて客を殴ってしまうだろう。
特技を生かしてお針子かと思い、職人がいそうな服屋を観察。外から中の様子が見れる店でも動きが見えづらい。冷やかし同然に店に入ってみると趣味ではない服が並んでいる。刺繍がある服は少ない。店員と話してみたところ、シーシャがいじるような服や刺繍の物は民族衣装系統の専門店じゃないとないらしい。ということは需要があるとすればそっち。
仕事に就く時に組合へ入る必要があるので、直接組合に行ってみたが、どう見ても部外者が入れる雰囲気になかった。下宿生や同級生を当たってどこかにコネがないか探ってみるのが先決かと思いながらも、街の店、何か作業をしている現場を見て回る。
日が落ちるまで見て回り、疲れたので火あぶり公園の静かな所で考えをまとめようとする。遠目に夜警が小さい灯りを手に歩いてるのが時々見える程度の寂しい場所の、長椅子に座る。
「へぇーどっこら糞っ垂れっと」
ここまで長距離を歩いたのは久しぶりで疲れた。昔ならこれに大荷物背負って運ぶ仕事ぐらいしてたのだが、都会生活で鈍った。
鳥にネズミに犬に猫が街中をうろついているし、塩なら海水から取れるし、下宿生の飯からの上がりで食うだけならいける。しかし学費を稼げる仕事って何だろう? 知り合いもいないのにどうやったら職に就けるのかも分からなくなってきた。
背もたれに頭乗せて空を見る。木の枝葉の向こうに、街の明かりで見辛くなった星空が見える。村を思い返せば別の世界にきてしまったようだ。
”天の目”輝きこそここでは鈍いが、悪いことをしたら罰を下す。
”彷徨う者”ハッキリ姿が見えないが、我々の道標。
”獣の母”位置関係からしか分からないが、血と肉は彼女ありき。
あとは”山の竜王”だとか”殺戮する戦車”だとか”叫ぶ嵐”だとか”凍て付く白と青”だとかがあるはず。”冥府の門”はどこだっけ?
クソボロ手袋をはめて、周囲には見えないように小さい光を、合わせた手の中に作る、消す、作る、消す。繰り返して雑念を払う。
しばらく繰り返していると今度は目が疲れてきた。目蓋の上を指でグリグリ揉んでいると、間抜けな破裂音ともいえない変な音、そして誰かの悪態が聞こえた。そして笑い声、凄ぇ不気味。
下宿の連中が腹空かせてるだろうと思って立ち上がる。予想以上に足が疲れていて痛くて重たい。
何となく後ろの方から変な予感がして背筋がビクビク動く。魔法は外で見せちゃいけないが、襲われたら別かと考え、短剣に手を掛けて警戒しながら歩く。自然にゆっくり歩いてしまっているのに気付き、足を速めようと思ったら草を踏む足音がさっきまでいた長椅子の方から聞こえてくる。そこには刀に拳銃に短剣と、兵士並に武装してる男がいた。頭に巻いた布と髭面に浮いたギラつく目と目が合う。そのまま立ち去ればいいのに睨んでくる。気のせいではない、一○、二○は数える程度そのまま。
「よう」
声を掛けてくる。脅しに手をピカピカ光らせる。
「んだこの野郎、私魔法使いだからね、てめぇ一匹ぐらい直ぐ丸焦げだよ」
男は参ったとばかりに頭の布を押さえて笑う。そして懐かしい言葉で話す。
「知ってる」
「あん?」
ザルハル語だ。
「まだそのクソボロ使ってんのかおめぇ」
「んお?」
聞き覚えのあるクソボロという言葉に気が抜けそうになる。男は頭の布巻きを外す。細かい所は変わってるが、間違いない。自然に痛いぐらい頬がつりあがる。
「何糞生意気に毛なんぞ生やしてんだこの糞っ垂れ!」
ノルトバルの胸を殴る。
「生きてやがったのかアホ!」
もう一回殴る。
「とっとと名乗れよこのド腐れ金玉、分かんなかったじゃない!」
殴り続ける。ノルトバルは顔面をゆがませながら笑って腹やら肩やらを揺する。バッチンバッチンひら手で叩きまくる。
「この糞っ垂れ性懲りもなく、なんでこんなとこにいんのよ!」
胸にノルトバルの顔がぶつかってくる。
「おっと?」
背中に腕が回り、膝を突いたノルトバルの顔が腰あたりまで下がる。
「ほい?」
荒い息吐きながらしゃくり上げる鳴き声が聞こえ、ようやく笑っていないと分かった。
「どったの?」
タルバジンに思いっきり拳骨くらって、のたうち回っても泣いたことがないノルトバルが子供みたいに泣きじゃくってる。
「どったのかなぁ」
頭と肩を撫で回す。思い切り抱きついているので腹が若干キツい。
ザルハルの方で戦争、ザルハル方面軍敗北の報せ、ノルトバルは従軍。経緯はよく分からないが何とか逃げてきたことは分かる。
しばらくなだめすかし、「あー」とか「うー」とか呻りながら腕を解いたノルトバルは立ち上がって痰を地面に吐く。
「悪ぃな」
「なんも」
顔がくっついてた部分は涙や鼻水に涎に垢でベロベロ。こんな物は洗えば済む話だ。
ノルトバルが落ち着いてから長椅子に座って、あの出征式から何があったか話し合った。
ノルトバルは戦争で落ち延び、逃げる途中でタルバジンが死んで、そのあとアファーズ山脈まで行ってタハル人やブリバク人に助けてもらい、そこからタハル王国のパルドノヴォで中大洋社という大きい会社の海兵隊になったそうだ。色々あったのか、意外にもなかったのか、簡単に話すだけだ。聞かれたくないこともあるだろう。
シーシャは寝泊りしている下宿で友達も出来て仲よくやってる。学校での授業は順調だけども、少し言いづらいが、ザルグラド銀行が消滅して学費が払えなくなったことを言う。まるで金を寄越せと言ってるみたいで喋るのを止めようかと思ったが。
「国でやってるんだろ、その銀行。偉いさんと金転がしの組み合わせなんて最悪糞っ垂れ、ケツ穴に噛み付くダニじゃねぇか」
「その心は?」
「大事な所から汚いやり口で吸い上げる虫野郎」
「まあ何てお下品な言い方。育ちの悪さを隠せませんねえ」
と冗談を言っても笑えない。ほんとに笑えない。溜息が思わず出る。
「足りなくなったんならしょうがねぇな」
「へ?」
ノルトバルが財布やら裸の現金に貴金属類、遂にはどっかの姫さんが付けてるようなメチャクチャ高そうな首飾りまでシーシャの服のポケットに突っ込み始める。突然のことで体も口も反応出来ない。
「もう少し稼いで来てやるから待ってろ。仕事は持ってんだ」
「え!? マジでいいの嘘ぉ? 何これ私目ん玉腐ってない? いやいやいや、こんなん貰ったら”天の目”に拳骨ぶち込まれるって」
「遠慮すんな」
「遠慮します」
「俺は金使う予定なんざねぇんだ。おめぇが必要なんだからおめぇが使えよ。ルノロジャで金出して払ってたんだろ? 俺どうなんだよ。余所者か何かか?」
「うぇ、そりゃ……うん、ありがと」
ノルトバルに頭をグリグリ撫でられる。しかしこの額はちょっと、略奪でもしない限り無理なような気がする。まあ咎める気なんて毛程もないが。
「でも、これちょっとさ」
「でもでもこれのおちょいちょいじゃねぇよ。おめぇが遠慮すんじゃねぇよ気持ち悪ぃ。余裕のある奴からはチンポコホイホイだかでたかるって言ってたじゃねぇか。俺は今食うにも困ってねぇんだからよ、ケツの毛まで毟るぐらい考えろよ。おめぇそれでも女か」
「うん……」
シーシャは長椅子に足を上げて正座に姿勢を変え、両手を膝に乗せる。正面から向き合う。顔をバシバシ叩いてから深呼吸。
「よろしくお願いします」
頭を下げる。
「おう、任せろ」
冷えてきたし、このまま公園でお喋りしていても仕方がない。というか連中の飯を作ってやらないといけない。クリちゃん一人に任せるなんて、愛想で誤魔化せても腹と舌が誤魔化せない。
「ノルくん、私の下宿で飯食ってく?」
「おう、うん。腹減ったな」
「泊まるとこ決めてないでしょ。泊まりなさいよ」
「ああ? ああ」
「この公園からそんなに遠くないから。じゃあついてきやがれ」
「へいへい」
夜の火あぶり公園を二人で歩く。家なしから恋人同士まで多種多様な人達が目に付く。ゆっくり歩くと雰囲気よさそうだが、腹空かした豚どもがいるので若干早足。
久々のザルハル語の会話のせいで所々シェテル語で話してたことを思い出す。シェテル語で話し掛ける。
「ちょっと飯食わせる連中がいるから早足ね」
「おう。全員の飯炊きやってんのか?」
「うん。そうだノルくん、何食べたい?」
「あ、あれ、あれ? 分かんねぇ名前あんのか知らねぇけど、あれ、あっつくて何か入ってるやつ。何か変な突っ込んでたあれ」
「お母ちゃんよく作ってたグノーシチのこと? 酸味付けた野菜汁にチーズ溶かすんだけど」
「それ食いてぇ」
「うん、出来るよ」
「そうか……そうか」
通じた。あの学の欠片もなさそうだったノルトバルが外国語話してやがる。ザルハル語に切り替える。
「ノルくんいつシェテル語覚えたの?」
「ん? ああ……教えてもらった」
「やれば出来る子だね」
「そうだな」
下宿に到着すると、門前でアウリュディア先生が組んだ腕に棒を挟んで立っている。急に悪いことしたような気になったが、思い当たるふしはない。何かあったらその場で殴ってくるし。ちょっと不安なので努めて明るく、手を上げて喋る。
「先生たっだいまん! この力」
「おかえり。その汚いのは何だ、チンピラと付き合うなと言ったぞ」
「んだ糞ババアこら。おめぇは墓守と地面越しにイチャついてろよ」
いきなり二人とも喧嘩腰とは何事か。この二人に喧嘩されるとメチャ気不味いことを瞬時に悟り、ノルトバルの横っ面に拳を叩き込んでから先生に説明する。
「この口悪いのは私と同じ村で、家の戸開けりゃ嫌でも見えるご近所。大体歳同じぐれぇの野郎なんです」
「ほう」
先生がつま先から頭の天辺までノルトバルを見る。ノルトバルは地面に唾吐いて、珍しく大人しくしてる。
「よろしい、が騒ぐな。その汚い服は脱げ、体もそうだろう。そのまま私の下宿に入ることは許さん」
「ああ? 船の野郎どもよりは遥かに綺麗だぞ。目ぇ腐ってんのか」
「人間より目も鼻も敏感だ。それに船乗り、長距離航海している奴等と陸の人間を同じ基準で考えるなよ」
「んだよ、じゃあ脱げばいいんだろ」
その場でノルトバルが遠慮せずに服を脱ぎ始める。通りすがりの人が何事かと見てくるので、しっしっと追い払う。
昔より体付きが変わってる。見たことがない傷痕がかなり多い。痩せたような気がしたが細くはなく、筋肉の凹凸がハッキリしている。こりゃスゲェと見ている内にボロっと出して脱ぎ終わる。
「よし。中が汚されては困るから――シーシャ、お前は腹空かしてる連中に早く作ってやれ――これは私が洗ってやる。裏庭の水場で垢だらけの体洗ってこい。代わりの服なら貸してやる」
ノルトバルが服を先生に渡しながらその顔をじっと見る。
「ババアおめぇ、いい奴だな」
普通なら喧嘩を売ってるような言葉だが、心底そう思って喋ってる。怒るようなところだが、先生は気分を害した雰囲気もなく、棒先で裏庭への道を指して進む。ノルトバルは素っ裸でケツの筋肉モリモリ動かし、先生のあとを追って刀と拳銃を持って裏庭へ行く。
部屋に戻って汚れた服から着替える。食堂に行けば、クリちゃんだけがシーシャを半泣き顔で迎えてくれ、他の未だに飯を待ってた連中は台所の方に詰まって何か騒いでる。
「いやあん、遅れちったねクリちゃんよ」
「シーシャ、馬鹿、遅くて心配したんだから」
とクリちゃんが抱きついてくる。大袈裟である。
「まあまあ、私にゃ魔法があんだから暗かろうとお日さまの下同然よ」
「うん、そうだけどさ」
どうにも相手してると時間がなくなりそうなので、適当にビシっと背中叩いて飯の準備に入る。そのためには台所から排除せねばならない。大声出して驚かせようと息を吸い込み、詰まってる連中が急に動揺しだすように慌てだし、勝手口を勢いよく開けたノルトバルにビビって逃げ出す。
「んだおめぇ等俺のチンコに興味あんのか!? 俺もおめぇ等のチンコとマンコに興味あんぞ。毛のっ玉見してみろよオラ、あぁ?」
その姿は素っ裸で濡ていて、手には抜き身の刀。先生は止めないのかと思ったら、やれやれと首を振りながら着替えを持って廊下の方から食堂に入ってきた。男は壁際、女はシーシャや先生のケツの後ろに隠れる。ノルトバルは楽しそうに笑ってる。
「おめぇ、いっつもこんなとこで体洗ってんのか?」
「男はそうだね。女は部屋に水桶もってきて布っ切れで拭くぐらいかな。たまぁに公衆浴場にもいくけど、お金かかるからね」
「今度行ってみるか」
「うん」
「うわぁ、普通に会話してるよ」と下宿生が変にビビり始める。大人しいと思ったらクリちゃんは、しゃがんで背を向けて耳まで真っ赤にして手で顔を覆っている。女らしい反応だ。
先生はノルトバルに着替えと手ぬぐいを渡して「騒ぐなよ」と釘を刺して去る。先生に取りすがる下宿生は棒で殴られて諦める。クリちゃんの背中を叩く。
「ほらもう終わったから作るよ。お腹減ったでしょ」
「だって……」
上ずった声でまともに喋れそうもないクリちゃん。そしてどうしたどうした? と、素っ裸のままこっちにくるノルトバル。
「どうした姉ちゃん。心臓でも悪ぃのか?」
「違ーう違う。育ちいいからそんなんボロンってぶら下げてる野郎なんて見慣れてないの。とっとと着替えろこの糞っ垂れ」
「あんだよ、見ても減らねぇぞ。見とけよ」
「うるせぇアホ。飯食いたくねぇのか? グノーシチ作んねぇぞ」
「分かったよ。着りゃいいんだろ」
その場で体拭いてから服を着て、サンダルまで用意されていてそれを履く。
「ほらクリちゃん、終わったから立って」
「うん」
まだ顔が赤いままのクリちゃんの背中を押しながら台所へ行く。ノルトバルもくる。
「ここは女の仕事場だ糞野郎、入ってくんじゃねぇ」
「知るかボケ。鞘取りにいくんだよ」
ノルトバルは勝手口から出て行く。クリちゃんの様子を見ると、何かもう寝かせた方がいいような気がしてきた。
「はいはい!」
シーシャは思いっきり手を叩く。
「今から作るから! 別にあの野郎は悪さしないから!」
空気を切り替えて調理に入る。そして何とそこには一通り食材が仕込みを終えて置いてある。この切り口の糞下手糞さ加減からみてクリちゃんがやったと見た。
「クリちゃん頑張ったねこの」
「うん」
脇腹をつつくとまだ変な上ずった声を出す。この声を出させるためにノルトバルを利用するのもありじゃないかと思えてきた。とりあえずノルトバルが食いたいグノーシチを念頭に入れて取り掛かる。あまり時間を掛けては流石に皆が可愛そうなので、時間は掛からないが豪勢に見える料理を主に作る。クリちゃんを助手に調理を始める。そして当然のように、正気を取り戻した下宿生から質問がくる。
「あの人誰?」
「名前はノルトバル。ちっちゃい頃から一緒だね。そこ、鍋、水あんまり入れなくていいよ」
「どんな人?」
「どんなって、普通じゃない? 生まれは知らないけど育ちは私とおんなじ田舎もん。それは小さく切らない方が食い応えがあるねぇ」
「ねえ好きな人? 恋人ぉ!?」
「にゃああ、違うねぇ。言うなれば友達以上義姉弟未満。そいつは潰してね」
「義姉弟未満?」
「私のお母ちゃんとあっちの親父が結婚する手前までいってくたばっちまいやがったの。それ塩はあと」
くたばったどうのという言葉に暗い空気が溜まってくる。
「はいはいおめぇ等そんなんで便秘三日目みてぇな面しないの。あ、これ皮剥いちゃったの?」
「んー、そうだ、働き者?」
「サボってるのは見たことないね。ほい前菜完成、出してちょうだい」
「じゃあ欠点、怒りっぽいとか」
「気ぃ短いかもだけど、気にするようなじゃないね。これ見本に野菜、皿に皆の分盛って用意してて。これ配置でちょっと味変わっちゃうの」
ノルトバルが正面玄関の方から入ってきて、壁に刀を立て掛けて拳銃も側に置く。
「触ったらぶっ殺すからな」
と言って椅子に座る。そんな態度じゃ皆ビビり、前菜に出してた手が止まる。
「おらノルくん! んなん言ったら怖いでしょが。分かるでしょこの糞っ垂れ。それは焦げ目付けてね」
「あん? 俺のどこが怖ぇっつんだよ。チンポコ見せただけじゃねぇか。おめぇ等触るか?」
いやいやと、苦笑いで返す下宿生の男連中。これはこれで情けない。
主菜が出来たので運ぶ。クリちゃんには切ったパンを配らせる。
「はいはいお待っとさんよー」
クリちゃんが、やっと白に戻りそうになった顔を、ノルトバルにパンを配る時に思い出したのか赤くなる。
「おう」
声も出ずにクリちゃんは台所に引っ込む。ノルトバルの耳を引っ張る。
「何だよ?」
「私の可愛いクリちゃんに何てことしてくれたのよ糞っ垂れ」
「うるせぇなぁ。おい赤ぇの! 悪かったな。今度から見てぇ時だけ見してやるよ」
「それが謝ってるつもりか!」
ノルトバルに拳骨。下宿生が思わず声を漏らすぐらい音が鳴る。
「痛ぇバーカ」
手づかみで主菜をノルトバルは食い始める。そこで空気を明るい方へ持っていこうとした下宿生の女が勇気を出す。
「これ旦那さんに作ったみたい」
「そうかね?」
と余裕の返しをし、女一人づつ指差す。
「焦がして、酢漬けで、内臓洗わないと。汁もん一つとっても知識がろくにない。まあ、あんたらお嬢さん方じゃ親父以外を喜ばすことが出来るかどうかだけどねッ!」
呻り声みたいな声にならない反論が返ってくる。下宿生の男も乗っかる。
「お母さんみたいだよな。パッパと作るし」
その言葉にピピっとくる。
「それはね、おマンコの力だからよ!」
肩幅に足を開き、左手を後ろに回し、股座を右の親指で差す。ここでようやくまともな笑い声が上がる。
「あ、と言うことはおめぇ等、穴一個足んねぇんじゃねぇの? あらやだ、何、代わりにチンコでも下げてんの? それともアレがチンコみたいにデッカいの? おらほらどうなの、あぁんこら」
女連中とキャッキャ言い合う。
「ねえ、何でこんな上手なの?」
クリちゃんが主菜のおまけを大皿に盛って出す。ちょっとは我慢出来るようになったのか、顔色以外は動作が普通。
「お母ちゃんには料理も出来ない女に価値はないって小さい時から拳骨くらって教えられたし、修道学校にいた時は飯当番やって、しみったれのゴミ飯しか作れねぇ穴なし女どもに指導してやったぐらいよ」
台所に戻り、シーシャとクリちゃんで食事を始める。
「あの、一緒に食べないでいいの?」
「ん? ああ、いいのいいの。私の主義だから」
「そっか」
「私は慣れてるけど、知らない人には強烈かもね」
クリちゃんの手が止まる。アレを想像しながら食うのは難しいらしい。
とっとと食べ終わり、本番のグノーシチを出す。正しい作り方とかはない料理なので村で作ってた物とは少々違う。皆に配る。何度か食べさせているので驚きはないが、これ好きだと言ってくれるにくい奴はいる。
「ほらノルくん、ご注文の品だ」
特別に大きい椀に入れて出すと、何も言わないで啜る。啜って汚い音だして鼻水垂らし始める。また泣いている。あんまりに大きい音を立てるので、下宿生の、顔も確認してないがそいつが「うるさい」と注意する言葉を喋ったと分かった瞬間に顔をぶん殴る。
「痛ぇ! ちょっと、鼻血出たじゃねぇか」
「うるせぇ糞っ垂れ! ピーピーそんなもんで騒ぐな。血なんざ毎月股から垂れ流してるじゃねぇか、ほっときゃ止らい」
「俺男だよ……」
ノルトバルは作った分がなくなるまで食べる。汗に涙に鼻水塗れの顔を手ぬぐいで拭って、鼻血の痕がある下宿生の鼻に気付いて拭ってやる。
「どしたおめぇ。あっついもん食うと鼻血出んのか?」
おかしな空気のまま食事が終わり、解散して後片付けに入る。クリちゃんが、聞かれる心配もないのに耳元でささやく。
「ね、あの人泊まるの?」
「そんだよ」
「部屋は?」
「まさかクリちゃんとこに入れられんでしょ。空き部屋ないし、私んとこだねぇ」
「そう、なんだ」
「何々、嫉妬してるの? 野郎なんざに渡せないって」
「違う違う!」
「あのね、そんな見知らぬ奴でもこの前会ったばかりでもないのよん。むしろあっちが私に誰かが何かしてないかって疑うぐらいだってのに」
「そうだね、ごめんね」
「おい!」
食堂に残ってお湯啜ってたノルトバルが、股間握り締めてクリちゃんに指差してる。
「おめぇ下の毛のっ玉も赤ぇのか?」
「クリちゃんいい? 拳を握り締めて、野郎の面を思いっきり殴る」
「え、ちょっと」
「お、何だくんのか、ああ?」
「いいからやれッ!」
走る姿勢と同じく、どこかで勉強したように綺麗な姿勢で、腰の入った拳をノルトバルの横っ面に叩き込む。よろけて「うへぇー」と言いながらノルトバルが体勢を立て直す。
「あの、その、大丈夫、ですか?」
「ああん?」
ノルトバルは口に指突っ込んで痛む歯をいじる。手のひらに唾飛ばして「血ぃ出たか」と呟く。
「おめぇのそれ女じゃねぇな。体長ぇからか? んなクセにチンコ見ただけで顔赤くしてんじゃねぇよ」
「いやあの、えっと……」
「んだよ。死ねとか糞っ垂れとか何か言えよ」
ノルトバルとクリちゃんが楽しげに会話している内に片付けを終わる。
「ほい終わり。ほれクリちゃん何か言ったれい!」
クリちゃんの背中をバシっと叩くと、殴った時の勢いはなく、俯いて肩下げてる。
「じゃ、あのその、糞った……ごめんなさい!」
クリちゃんは走って部屋に入る。慌ててるようでドアの開け閉めでは大きな音を立てないのは一体何なのか?
ノルトバルに唾と血を拭った手ぬぐいをこすり付けられようとしたのに合わせて拳を叩き込もうとしたら、その拳に頭突きを合わせられ、骨に響く痛みを誤魔化すように手をブンブン振り、自室のドアを開ける。
「ほれ、女臭ぇとこでよけりゃ入れ」
「おう」
魔法で光を作って部屋を照らし、見付けたロウソクに魔法で火を点けて灯りにする。部屋はいつも通りに整理整頓されて、洗濯籠に汚れた服が入っている程度。その服から貰った金品を抜いて、何の冗談だと思いながら引き出しにしまう。下宿の皆は信用しているが、流石にこの額だと友情が壊れてもおかしくない。明日にでも先生に相談しよう。あの飛蝗を金庫番に付けてくれとか、銀行はちょっと今信用ならないが、やっぱり銀行か。
ノルトバルは部屋の隅に刀に拳銃を置いて、床に座って直ぐ寝転んで伸びをする。勘違いだろうが、重荷寄越してさっぱりした顔してる気がする。
「ぐっへぇー、結構いいとこじゃねぇか。これ以上広かったら余すな」
「いいでしょ」
シーシャは寝台に座り、スカーフを外して、前の方に垂れた髪を後ろに払う。靴も靴下も脱いで、胴衣とスカートも脱いで寝台近くの机の上に畳んで置く。ノルトバルは靴と靴下脱いで、靴下を投げてきたので取って投げ返す。
「シーシャ、あれ皆友達か?」
「うん、その通り」
「あの赤ぇの、クリだっけか?」
「クリスティア。勿論魔法使いだから偽名」
「おうおう。あれと一番仲いいのか?」
「そうだねぇ」
「どんな奴だ? 可愛がってんのは分かったけどよ」
「素直で真面目、優しい通り越して冷遇してきた奴を恨みもせず、勉強して理解を得ようと努力してるなんて、おめぇ聖女かなんかにでもなるのかって感じ。憎悪が足りない。何かもうね、無害過ぎるの。私が守んなきゃってなんか、何にも貸し借りなしでそういう気分になんのよね」
「そりゃ惚れてんだ。しょうがねぇ」
「おおそっか、にゃるほどね」
さっきからシーシャを見るノルトバルの目がどこか遠い。村で別れてから一季節、二季節かというのにもうこんなに違うのか?
「お、そうだ。ノルくん、上の箪笥で布被ってるの見てみ」
「あん?」
ノルトバルは立ち上がっての箪笥の上で被ってる布を取って、シーシャの母親の頭蓋骨と対面する。
「おー、おー! あれあれ、この頭は姐さんじゃねぇかよ。久しぶりだな」
嬉しそうに笑ってノルトバルは、頭蓋骨の額と自分の額を合わせる。
「あーっと、何から言うかな? ああ、タルバジンのジジイはくたばった、ちゃんと戦ってだ。俺は何ともねぇってのは嘘かもしんねぇが、大事はねぇな。親父の糞飯のおかげか何か知らねぇが、酷ぇもん食ってきたけど腹は壊してねぇ。シーシャの飯は美味くなってるぞ。あとあれだ、金困ってたみてぇだけど俺が何とかする。あとなんか言うことあったか? ねぇかもしんねぇ。まあいいや」
ノルトバルはさっきよりもかなり晴れやかな顔になって額を離す。聞いてて恥ずかしくなるような台詞にシーシャはあまりそっちの方を見れず、布団の中に潜り込む。
「お母ちゃん、会えて嬉しいってたぶん言ってるよ」
「ああ」
ノルトバルは頭蓋骨を元に戻して布を被せ、ベットに座って壁に寄りかかる。俯いた顔に掛かる陰が濃くて、死ぬほど疲れてるように見えてくる。
「こっちで寝る?」
「んあ?」
意味は分からないがとりあえず返事をしたという声だ。半分以上寝てる様子。布団から出て、ロウソクを持って顔を照らしてみると、目は閉じて呼吸はゆっくりだ。こうすると頭にも顔にも毛が生えている以外は昔と変わってないように見える。懐かしくてしばらく眺めるが起きる様子はない。
ロウソクを吹いて消して、ノルトバルの体をそっと横に倒し、ジリジリと頭を枕元まで引っ張る。ゆっくりと布団を引き抜いて被せる。完全に寝てる。
そして、まあ何かあっても別にいいか、と思って布団に入って目を閉じる。朝食には遅れないようにと考えながら。