10話「ザルグラド包囲」
轟音を上げて砲弾が城壁に激突して石の粉と破片が散る。何度も何度も繰り返され、音で殺そうとしているかのようだ。
リーレスは埃とすす塗れになった城壁の上を歩く。鎧姿ではなく最近わざわざ仕立て直された軍服だ、無駄に勲章がぶら下がってる。すれ違う兵士達に声を掛けると敬礼と笑顔が返ってくる。時折視界を砲弾が横切って市街地に飛び込む。穴だらけの家の屋根にもう一つ穴が空く。
工兵達に志願した市民等が土嚢、瓦礫、廃材を積んで崩れた城壁を修理している。敵の砲撃に破壊される速度の方が若干早く、しっかりした修理を行っている暇がないらしい。
運悪く砲弾を受け、血溜まりに砲兵の肉片が転がる所へ向かう。衛生兵が運び出し始めていて、一人だけ無事に生きていた奴に声を掛ける。
「ちょっと大砲撃たせてくれ、やったことないんだ実は」
「は、はい? あ、リーレスさまじゃないですか」
「まずどうする?」
「えーと、先程撃ったままの状態なので大砲を前に出します」
一緒に大砲の重たい車輪を回し、発射位置に出す。
「螺旋棒、グネグネした金具が付いたやつです。それで大砲の中のゴミを取り出してください。照準は専門じゃないとアレで、えー、駄目なんで」
螺旋棒、名の通りに螺旋になった金具が先に付いた棒。砲口の中に突っ込んで、燃え残った袋の破片など大きいゴミを取る。その間に生き残りは敵を望遠鏡で見たり測距しながら大砲の縦横の角度を調整。
「次はその綿棒、大きい毛玉みたいなやつに水付けて中拭ってください」
綿棒に水を、と思ったが水が入ってる桶が壊れてる。
「小便でいいか?」
「あ、いや、まだ濡れ具合は十分だと思うのでそのまま」
砲口に綿棒を入れて中を拭う。
「次は火薬袋を、後ろの箱です」
箱から袋を出して、嗅いで間違いないか確かめてから砲口に入れる。生き残りは大砲の後ろ、上に向いた穴を指で押さえてる。
「それでさっきの螺旋棒で綿棒でも、それの後ろの方が装填する時に使えるようになってますんで、奥まで……」
真下の城壁に砲弾が激突して足元が揺れる。
「突っ込めばいいんだな」
「はい」
棒の後ろで押して火薬袋を奥まで入れる。
「次は砲弾か」
「そうです。重いので気を付けてください」
砲弾を掴むと確かに重い。丸くて滑って持ちづらいのが一番だ。砲口に入れる。砲口がやや上を向いているので奥に転がっていく。
「いいのか?」
「一応火薬袋と同じように突いてください。途中で止ってるかもしれないので」
ということで砲弾も突き入れる。
「よし、発射か」
「その前にここ、点火孔に錐を刺します」
生き残りから錐を受け取り、先程まで指で押さえていた大砲の点火孔に刺す。
「これで火薬袋に穴が空いたので、ここに点火薬を入れます」
生き残りが動物の角で作った火薬入れの栓を開け、点火孔に入れる。
「足元にある導火竿、先に火縄が絡んでる棒を持ってください。まだ撃たないで。火種を確認してください」
導火竿を持ち上げる。火縄に火がついているか息を掛けて確認、赤く光る。
「大丈夫だ」
「それじゃあ大砲は発射すると後ろに反動で下がります、当たり前ですけど。でもこれで怪我する人は毎年出てますので脇に立ってください。車輪に足を轢かれないように」
大砲の脇に立つ。見るからに砲弾が目の前に迫っているのでしゃがむ、頭上を通り過ぎる。そうしてから生き残りが一間隔置いてあとずさる。
「準備はいいので点火孔に火を点けてください」
導火竿の先にある火縄で着火、砲声が鳴って点火孔と砲口から白煙が噴出し、反動で大砲の車輪が回って下がる。砲弾の行方は煙にまかれてよく分からないが、たぶん我々が発射したであろう砲弾が敵陣地の地面を抉る。一応聞いてみる。
「当たったか?」
「至近弾ですので……あ、すいません。外れですけど、いい方の外れっていいますか。今の調子で撃ってれば遠からず当たるっていう外れなんです」
「よし、じゃあ次だ」
「はい!」
そうして撃ち続ける。水桶はとなりの大砲を操ってる組の物を使わせてもらった。撃った半分は地面を抉り、たまに敵の大砲を守る土嚢を吹き飛ばし、確実に敵を殺したと確認出来たのが一回だけで、大砲は一門も潰せなかった。
リーレスに驚く交代要員に引継ぎをしてから城壁を降りる。
午前中の目的は果たしたので元帥府まで遠回りしながら戻る。まだ城壁に近い所なので時折砲弾が降ってくる。建物は穴だらけ、焼夷弾も使われて焼け落ちた所が多い。今燃えている最中の建物もあり、消火が間に合わないので延焼を防ぐために建物を崩していたりする。
道にはカラスがつついている死体が横たわっているが基本的にあと回し。直ぐに腐って病気を広げるわけではない。
治療を待って横たわっている人を近くの治療所まで運ぶ。五人目を終えたところで人手が足りてきた様子になって離れる。
大きな通りは消火作業に当たっている消防団が水を運んで走り回っているので脇道に入る。
今更荷造りしている家族がいる。荷車に積んだ箪笥の引き出しが落ちているので入れてやる。また落ちた。適当な所に乗せる。彼等は忙しくてこっちに気付かれてない。
マリエン軍を決定的に崩壊させたという火箭が降り注いでそこら中で爆発して、炎上し始める。火薬じゃない毒物もあるらしく、酷い臭いの煙が広がる。目を真っ赤にして涙を流して咳き込む人々が見えてきたので走って距離を取る。
城壁から離れた所にくると、埃に煤が若干混じっている程度で綺麗なまま。避難してきている人が多いので若干息苦しいか。
昼間っからフラつく酔っ払いが通行人に迷惑を掛けていたので川に放り込む。店を荒らされても傍観してる店主の肩を叩いてから、犯人の腕を折る。不信心への神の怒りと、財産を投げ打って許しを乞え等と叫ぶ、乱れた格好の見たことない宗教の聖職者らしい奴を殴る。マンゼア軍が休憩を止めて攻撃している最中は街の警備が城壁側に持っていかれるので、その最中は治安が悪くなる傾向にある。
子供相手に可愛い程度に下品な歌で笑わせている吟遊詩人におひねりをやって、ボケた婆さんに息子と勘違いされる。
若い司祭が先頭に立って修道士や修道女、神学生まで引き連れ、ピカピカに磨いた真鍮製の三重円を吊るした竿、棍棒や槍に儀礼用の長剣を振りかざし「バルメークの教えに従い、共同体防衛のために信者もそうでもないものも奉仕せよ!」と説法しながら行進している。
アレクカルドが死んだので弔意の半旗を掲げる、バルメーク派教会が鐘を鳴らす、のはいいがあそこの大司教の爺さま、半分ボケてるから時間も考えないで派手に鳴らしまくる。応援のつもりらしいが真夜中にも鳴らすのだ。普段は下っ端の若い奴がやるのだが、戦争だからって張り切ってやってる。おまけに開祖直接の弟子の子孫とかで苦言を呈す度胸のある奴はまずこの街にはいないだろう。自分もちょっと気が引ける権威がある。善意か何かでやってる分性質が悪い。
元帥府がある城館の門衛から敬礼を受けて建物に入る。ここに掲げてある帝国旗もザルハル方面軍旗も半旗だ。そしてまるで降参しているかのように見える。
元帥の執務室に入り、座りたくないけど座るべき元帥の椅子に座る。大きく溜息。軍部の頂点が元帥で、行政の頂点が大公なのだが、慣例にしたがってリーレスは両方継いだ。
後継に名乗りを上げたチュムル公は爆殺され、その次と目されたイフェストポリ伯は毒殺され、そしてリーレスの名前が挙がった。本人の了承も得ずによくもまあこんな陰謀をやってくれたものだ。
ただ戦場でぶっ殺してればいいだけの立場ではなくなってしまった。お気楽に適当な所で死ぬつもりだったのに、全軍全市民のケツを肩に乗せてきやがった。おまけに軍人貴族に一般人も歓迎してる上、お偉方は責任逃れに成功して大喜び。リーレスと故元帥の中間にはまだまだ重役がいたが、戦死したり見切りを付けて国外逃亡したりでお留守な連中が多い。
部屋には皇帝下賜の、大公だけが着用出来る外套が飾ってある。それを着て就任式でアレクカルドから後任者へ、という遺書の一節が発表された。
リーレスを頼れ。追記、何らかの理由でリーレスが後任者になった場合は、ま、がんばれや。
もう一辺くたばれ髭野郎! と、外套についてる大きな三重円に加工されたエメラルドのブローチを引き千切って床に投げたものだ。ああいった物は売って軍資金の足しにしよう。高価過ぎて値が付かないかもしれないが。
ここまではいいようにやられたので、人事では文句を言わせないようにした。抵抗があれば「嫌な奴は首を置いてけ」と抜いた剣で首を撫でてやった。前は階級が上だった奴にも。そこでの一番の成功は宰相の任命だ。数ある不得手なものの中でも特に”金”についてリーレスは理解が足りない。飯屋で勘定払う程度。そこで行政で財務を担当していたプルフラム男爵に、元帥直下の准将の地位を与えて権限を強くさせた上で行政で大公の次に偉い宰相の地位を与えた。結構な歳の爺さまで、ザルグラドに初めてきた時から爺さまだったぐらい年寄りだ。信頼と信用に足る、ほどよい堅物で、死んだアレクカルドでもこの爺さまには頭が上がらなかった……汚い口は開きっ放しだったが。
そして部屋の扉をノックして、確認も取らないで遠慮せずに宰相が入室。干からびてそうなくらいの皺の顔と、凍傷で先が欠けた三角耳が特徴。
「失礼します。動きがあったところの報告です」
はいもいいえも何も聞かずに始める。最初はちゃんと形式ばってやっていたのだが、こっちがそういう風にやってくれと頼んだ。
「前元帥、大公アレクカルドのご遺族に関してです。ご兄弟からは何もかも全てこちらに一存するそうです。前妻とそのご子息からは遺産相続の権利を訴える書状が届いております。拝見なさいますか?」
「読んでも分からないから頼む」
「はい。まとめますと私有財産全ての要求、ザルハル方面軍元帥位とザルグラド公国大公位とそれらに付随する資産の買い取り要求、となります」
「元帥と大公の買い取りってどういうことだ?」
「はい。帝国法の慣例では元帥は大公を兼ねることが理想とされています。そして世襲相続を否定しないことになっております。西方のバルビリア方面軍は三七代も世襲しております」
「そいつらこっちに呼んで私と交代させよう」
「駄目です。ですのでお断りの返書を根拠を連ねて送ってあります。私有財産につきましては遺言にて既に我が国の物です。続きまして脱走や反乱の件です」
報告する意味があるのかと思いながらも黙る。
「治安維持部を海軍艦艇に同乗させ始めてから検挙数が延び、反乱の失敗も報告されております。特に我々が気を遣っているルファーラン共和国船籍に偽装しようとしている船が後を断たず、恩赦を餌に偽装の得意な海賊に検査官の手伝いをさせ、成功しております。また怠慢、共謀の疑いがある海軍関係者への処分は保留してありますが、次に何かあったらその分を上乗せするという噂を流させております。明日の午前にはそれに関連した処刑を行う予定です。バルメーク派教会の方から処刑人の派遣をしたいと申し出があります。バルメーク派教会を準軍隊化させるという前元帥の意向には沿うかと思いますが、どう致しますか?」
「軍人は軍人に。あとは任せよう」
「かしこまりました。次に陸軍と海軍です。陸軍に関しましては民兵達を指揮下に入れた上での訓練が行われております。特にバルメーク派の信者達の士気は非常に旺盛とのことです。海軍につきましては先程の話の通りです。本国に引き抜かれた陸海軍ですが、正規の手順では連絡が出来ていません。非正規な連絡では帰還を絶望視する返答のみがありました」
手紙を一通、宰相がリーレスに渡す。差出人はアウリュディア、旧友の愛しの魔法使いで化物。シャイテルについて知っていること、経験豊富なんだから助言寄越せ、婚約したいとの手紙を出しのだ。読む。
シャイテルに関して。不死に近い存在であることは疑わしいが、少なくとも欺瞞出来る実力があるという事実は無視出来ない。他人を不死化させられるということについては、我が校でも研究段階であって明言しかねる。大事を取って疑えとしか言いようがない。
奇形の竜に関して。ルガスドールとは昔話に出てくる化物で、滅法強くて悪者役ばかりじゃないという程度。そいつがシャイテルの使い魔かそれに準ずる何かであるのは間違いない。同程度の化物を複数保有していてもおかしくないので警戒を怠るな。
よく切れる剣について。刃を高振動させるとよく切れるという実験が学校で行われたことがある。切れ味の秘訣はさておき、もっと別の仕掛け、突然伸びるとかあらゆる可能性は考慮するべき。基本的に武芸家の領域だ。
最後。お前、その立場で未婚のままなんて恥ずかしいことは考えてないだろうな? 私相手にあれこれ言うのは勝手だが、世間は普通に子供が産める年頃の女以外にいい目は向けんぞ。
読み終わり、手紙を引き出しにしまう。
「以上かな?」
「お客さまです。いつどうやって侵入したか分かりませんが、降伏勧告にきた使者だそうです」
「通してくれ。無視したら直接私の所にくる手合いだろう」
これで五度目の降伏勧告だ。使者という言葉で想像が付く。
一度目はシャイテルとの一騎打ちの時。あの時は権限がなかったのでこれはないと考えてもいいかもしれない。
二度目はイギルスツカヤからの撤退時。降伏した者は財産を持って軍門に下ることも本国に脱出することも許された。この時点で寝返った者達がいる。この時にチュムル公が死んだ。
三度目はザルハルとザルグラド大公領の境目にあるナムバジニエ地峡要塞が突破された時。降伏した者の命は助けるという条件だった。脱走者が相次ぎ、イフェストポリ伯が死んだ。
四度目は首都ザルグラド包囲時。ザルグラドの門をくぐるか、冥府の門をくぐるか、という脅迫文だった。関係者の口を封じて情報が漏れないようにした。
そして五度目、城壁の修復速度を砲撃による破壊が上回ってきた今だ。
「やあ久しぶりだなリーレスくん。元帥並びに大公へ昇格とは、陰謀塗れとはいえおめでとう。恐怖という闇に飲まれた人々はこぞって希望という光に群がり、その足元で踏まれる誰かは闇ですらない場所に埋葬される」
どうやってかあのシャイテルが直接元帥府にやってきた。つば広帽子を取って胸に当てて一礼。穏やかそうな聖人風の顔が人智を超えた化物に見えてくる。左上半身だけを隠す外套は身に付けておらず、あのよく切れる剣がない。
「メラシジン王はこないのか?」
「彼は後方勤務で才を発揮する。リーレスくん、君とは真逆だ。あーいや、武術も相応に嗜んでいるからそうでもないな」
「手合わせしたいな」
「ところが浪漫に理解を示さない現実派だ」
「とっととここを落としてみたらどうだ」
「その気になっている連中は多い。略奪したくて堪らない馬鹿が燻っている」
「ん? 現実派のメラシジン王がそれを許すのか?」
「おっと気付いたか。戦争で疲弊してもここだけでマンゼア、ザルハル全体の倍以上の歳入が見込めるのは確かだ。あいつが許すわけがない。だから私が直接きた。別に征服したからと言って弾圧する気など更々ない。むしろ我々の方がシェテル帝国より君達を苦しめない」
「代替わりする度に同じことが言えるとでも?」
「一つ言わせてもらうなら、私シャイテルは代替わりしない。イギルスツカヤのことを忘れていないのなら、もう私のことは何とはなしに理解しているだろう」
「そのシャイテルの地位は?」
「私を友人にする者が常に君臨する」
当然のように言って放つ。
「返事を考えたい。お飾り大公には相談が必要だ。一旦帰ってくれ」
「次はいつにしたい? 城壁が突破されたあとに交渉が出来るとは考えるなよ」
「その時はこちらから使者を出す」
「今の君なら即答出来そうだがね。まあいい、待ってるよ」
シャイテルが帰る。選択肢はボロ船でも一応は浮いてる本国に逃げるか、最後の一人まで抵抗するか、本国を取り替えるか、だ。
本国に脱出してもどういう処分が下るか不明で全く信用ならない。リーレスに元帥やら大公やらを押し付けた連中が暗殺騒ぎを起こす程度には粛清が得意な連中だからだ。
最後の一人まで抵抗というのは格好いいがそれだけだ。そう言ったチュムル公は死んだ。
誇りを失うことを除けば、マンゼア王国に鞍替えするのが一番安泰だ。そう言ったイフェストポリ伯は死んだ。
戦って死ぬのは全く構わないが、陰謀に殺されるのはごめんだ。
「脱出を優先。そして目標はザルグラドだ。失う前に言うのもアレだがな」
宰相は返事に窮したような、言っている意味が理解出来ないような顔をする。そして話題を変える。
「待たせてありますが、中大洋社の代表が面会を求めています。海上貿易を主に行っている大企業で、簡単に言うと大きくなった海賊のような連中です。契約すれば搾り取り、しなければ略奪することを考えているでしょう。どうしますか?」
「そんないきなり喧嘩腰はよくない。会ってみれば分かる。正直は私は損得には疎いので助言してくれ」
「分かりました。呼んでこい!」
宰相が声を掛けると衛兵がその代表を連れてくる。後ろには秘書らしき者も随行している。
代表は、東大洋側で流行してる遊牧民族の服を着た――龍の刺青が仰々しいが――美女だ。愛想がよく、優雅なお辞儀は美しい。
「お初にお目に掛かりますザルグラド大公閣下。わたくし、中大洋社代表のメイ=リーユンと申します。この度はお忙しい中突然の訪問に対応頂き、感謝の言葉もございません」
目を細めて笑ってると思いきや、わずかな隙間から覗く目がゾっとするほど不気味。しかも、その目と目が合ったと思いきや、首を傾げて笑みを深める。何やら底知れぬ。
「メイとは母称ですので、お気軽にリーユンとお呼び下さい」
「用件を伺おう」
「はい。我が中大洋社は独自の軍隊を持ち、海運業を筆頭に金融業や農場経営をさせて頂いております。その他諸々細々な事業もありますが、今回は割愛させて頂きます。この度は我々の海軍力を買っては頂けないかとご商談に上がりました。ザルグラドからの脱出を考えておられると思いまして、戦闘能力に支障が出ない程度に船倉は空にしてきております。運送に関しても何かとお役に立てるかと存じます」
「引越しを手伝ってくれるし、おっかない人からも守ってくれる。引越し先も融通出来るし、お金が足りないなら貸してくれる。もし払えなかったら身包み剥いで強制労働させてもいいよ、って聞こえた気がするが」
代表は喋る時のくせなのか両手を合わせ、相槌を打って頭を軽く上下させる。
「大まかなところはそれでよろしいかと思います。いかがでしょうか?」
「いっそうちの海軍になってくれ。役職が欲しいならやる、新設してもいい。ああそうだ、私を継がないか?」
「あくまでもわたくしは会社の代表でありまして、そのような重要事項を役員会に持ち込まずに決定は出来ません。またザルグラド大公位並びに元帥位は民衆、将兵からの信望篤いリーレス=ザルンゲレンさまの手にあればこそ価値を維持していると考えます。わたくしの手にあっても意味を成しません」
丁寧に拒絶された。理由も全くその通りで、難癖付けないと反論も出来ない。
「宰相、どう思う?」
「はい。規模と費用を理想的に調整出来るならばよろしいかと思いますが」
「それは時間が掛かるか」
「はい」
宰相が言い切る。正直陥落まで時間は残されてないと思う。中々いいんじゃないかと思ったが、金が分かる宰相の考えは無視出来ない。沈黙が続いて何と言うべきか考えるが、誰か口開けとしか思い浮かばない。
「あの資料を」
代表が秘書から書類の束を受け取る。
「僭越ながら、こちらで試算したザルハル方面軍さんの軍事力と資金力に見合った、様々な状況に対応出来る、反攻することすらを前提にした脱出計画の草案を作って参りました。よろしければお目通しを」
手っ取り早くということらしい。リーレスは代表から草案を受け取って読む。宰相に渡す。宰相は呻ったりしながら顔の皺を深くする。
手を組んで、さてどうする? と言った顔を作って代表に視線を送る。美しい笑顔で返される。内容は難しくてさっぱり分からない。
「よく我々を研究なさっておいでだ」
「はい。商人として八大交易拠点の情報は抑えておかないといけませんから」
「くる時期も情報に基づいて?」
「はい。それと付け加えるなら優秀な社員の能力ですね。ほんと、いい人達に巡り会えました」
代表は幸せそうに笑う。しばらくしてから宰相が目を通し終わる。
「いかがでしょうか。詳しい資料を見せて頂けるのであれば試算した数値に修正を致しますが」
「いや、その試算はほぼ正確だ。気味が悪いくらい合っている。そんなことより、全資金を投入しても払えないこの費用について説明して頂けるか?」
「本当にそうでしょうか?」
代表の一言で部屋の空気が重くなる。宰相の表情は変わらないが、吐く息だけで人が殺せそうだ。
「どういう意味かな」
「国庫になくても、金庫や財布にはあります。脱出先はルファーラン共和国以外は現実的ではありませんのでそことさせて頂きます。彼の国ではこの程度の軍事力で略奪など行えませんので、必然的に滞在費は身を切ることになります。上層部だけ逃げて亡命政府を作るのであれば比較的簡単ですが、反攻することを考えて将兵を同行させるのであれば今の国庫では足りません。またこのような絶望的状況にある国の国債はまず売れませんので資金確保は軍隊に商売させる以外にないでしょう。そうしても効果が得られるほどに稼ぐことは出来ないでしょう。大公閣下、ご決断を」
宰相が頭を抱える。そんなにマズいのか? 宰相が話を進めてくれるのを待っていると、全く進まないことがわかった。とりあえず、分かってるフリを止める。
「あー失礼、それだけじゃ正直分からないんだ。教えてくれ」
「はい。大公閣下は脱出するだけでしょうか? それとも脱出してから反攻に出るのでしょうか?」
「勿論反攻に出る。勝てなくてもやるつもりだ。戦場で剣やら手やら振るしか能がない私に期待出来るのはそれだけだ。嫌なら代わりを連れてくればいい」
「はい、反攻をお考えですね。そのためには強力な軍隊が必要です。ルファーラン共和国において軍隊を増強するには傭兵を募るしかないのですが、極端に生還の望みが薄い戦争には集まりません。ですのでザルグラドにいる、死んでも国に尽くす正規兵を出来る限り多く輸送する必要があります。全軍に必要物資を合わせると艦隊には莫大な積載能力が要求されます。残存の海軍では不可能で、根こそぎ民間船を徴用してもまだ足りないでしょう」
「宰相」
「言う通りです」
「我が中大洋社の艦隊を持ってすれば、全軍に加えて民兵として期待出来る教会関係者も運べますし、少々選んではもらいますが家族も一部は可能です。そしてマンゼア王国、下った勢力の海軍程度なら十分に撃退出来る能力があります。脱出したら反攻準備ですね。そのためにはルファーランでの滞在費が必要です。食べて寝て、武器を揃えて訓練。ここを我が社に一括管理させて頂ければ安価に、そして安全面に衛生面でも不足なく過ごせるように出来ます。そうして準備を整え、海を渡って何らかの作戦でマンゼア王を交渉の場に引きずり出す。玉砕だけを考えてはいないですよね?」
「それは勿論だ。ザルグラドの奪還が目的だ」
「シェテル帝国に逃げ込むよう行き先を変更するなら多少自活の余地があってまだ安くなりそうですが、そうしますか?」
「本国は信用ならない。無用な争いに巻き込まれるのは間違いない。もしあっちに突っ込むなら全て手を尽くしてからだ。本国に加勢するかウィーバルに加勢するかは状況を見て決める」
「はい。このように具体的な金額を上げなくても莫大な資金が必要と感じて頂けるかと思います。そのためには今ザルグラドにある資金や換金可能な物を全て徴集する必要があると考えます。国民、外国人、国内に外国資本の企業、例外なく全てです」
「宰相」
「ザルハル方面軍の威信が底まで落ちます。今後企業や投資家は我々を無視するか復讐に妨害してくるかのどちらかでしょう。国籍を問わずに企業の保護を謳っている帝国の顔に泥を塗ることになり、関係は断ち切れるでしょう。そうしてまでザルグラドを奪還したとします。今まで築き上げてきたザルグラドの国際貿易港としての価値はおそろしく下がり、まともな企業は寄り付かなくなるでしょう。世界の都から、田舎の城壁が大きいだけの何かに落ちぶれます。そうなると、我々を相手にしてくれるのは中大洋社だけとなる。違うかな?」
「他社の動きまではその時にならないとハッキリ分かりませんが、空白に生じた絶好の商機を我々は見逃すことはありません。同じように考える会社の存在は否定出来ません」
「そうなると物の値段は思うがまま、生かすも殺すも自在です。植民地になるという危険を孕みます」
「それはキツそうだな」
「いえいえ、そんなことは致しません。我が社は常に適正価格を心がけております。顧客に餓えられたり嫌われたりするのは意図するところではありません。貧困で治安が悪化したり、最悪戦争になったりしたら損ばかりです。警備費用も莫大で、何より買い手が消えるんですから」
代表は笑みを崩さない。これが無表情だと言わんばかりだ。
「その言葉が真実であればいいですが。しかし、いつまでもあなたが代表で、方針もいつまでも変わらない保障はない。百年先も見なくてはいけません」
「これは私だけではなく役員会の総意です。また信頼を維持するために約束を反故にしたことは一度もありません。社史であればあとでお見せ出来ますが」
「まあまあ、そんなもんだろう。あ、契約するとしてだ、支払いは待ってもらえないのか? それなら無茶しなくていいんだが」
「申し訳ありませんが、金融部門の方からはザルハル方面軍さんの信頼度は、失礼ながら最低と評価が出ております。社内法により現金や換金可能な物、そして前金で支払ってもらわないといけないんですよ。価値の変動しやすい類の有価証券は駄目ですね」
その最低の国で一番目と二番目に偉い奴の目の前であっさり言うとはいい度胸をしている。
「宰相、目の前にいるとこで言うのもあれなんだが他の企業はいないのか?」
「この規模で今の我が国に商談を持ち掛けてくるような企業は現状で存在しないでしょう。悔しいですが公平、いや親切な取引です」
「お褒め頂きありがとうございます」
宰相が親切とまで言う。よく分からないのに余計な口出しをすべきではないだろう。ここは決定だ。
「宰相、契約する方向で話を進めてくれないか?」
「……分かりました」
宰相も流石に返事が遅い。
「ありがとうございます」
代表が深々とお辞儀をする。
「閣下、この話を進める上で多くの許可が必要になります。あとで書類を揃えますのでよろしいですか?」
「何でもやってくれ。で、具体的に少し教えてくれ」
「治安維持部による超法規活動の容認、海軍動員法の制限撤廃、民間人へ攻撃が可能な徴発部隊の編成。最低でもこの三つがないと話になりません」
「何でもやってくれ。あ、そうだ、ザルハル方面軍って名前はこのままでいいのか? 今までは本国の軍管区名でよかったとは思うが、もう関係が切れるんだろ。そうなってからもこの名前じゃ他所との話し合いで面倒が起きないか」
「そうですね……今の状況で書類の改定や仕様の変更は無駄に混乱が起きるだけなので、まずは口で言う分だけは変えましょう」
「候補は?」
「単純に既存の名のままにザルグラド大公国がよろしいかと存じます。独立性を強調してザルグラド王国という名にしたら内外での反感が強まります。本国に帰属意識を持つ者は少なくないので、無用な混乱の元です。状況に応じて本国の属国に戻ることも、他国の属国になることも容易に可能なこの名前は、この危機的状況下では器用に立ち回ることが出来るようになるおまじないになります」
「本国との鎖は切るが、その傘は被ったままという生意気なやり方だな。採用だ」
「分かりました。周知させます」