01話「内憂外患」
絨毯の上で雄羊がプルプル震えながら丸っこい糞を垂れ、それに小便を加えて絨毯を汚す。ファーヴ織の物で、亡き母の誕生祝に贈答された品だと聞いている。
毛皮敷きの椅子に座り、親戚が縫った刺繍の敷布が掛けられた机に肘を突き、髭の生えた顎を手で支える。客人相手に礼を失した姿勢だが、流石に体が反応する。
風が鳴って宮幕が揺れる。普通の幕舎と違って冬の冷たい隙間風が吹くような作りはしていないが、その客人は寒さかなにかで震えている。
極寒用の大きな毛皮帽子で青い顔を包んだその客人、隣のジッティン王国からの使者は雄羊の排泄が終わるまで待ってから大げさに親書を広げて読み上げる。その裏が灯篭の明りで透け、反転して見えるが殴り書き同然で判読し難い。字数から推測出来るかもしれないが、奴が正しい言葉を使っているか信用がならないので不可能だろう。上質な紙面に低劣な文。まさに奴を体現している。
「ジッティン王より未婚のマンゼア王へ、挨拶としてまず雄羊を一頭贈呈する」
こんな挨拶の伝統はない。未婚の男色野郎にはこれをくれてやる程度の意味だろう。
「年明けにこちらの遊牧地をそちらが侵害した件について、補償として良馬百頭を要求する」
「選別したあとに早急に届けよう。謝罪文は今晩中にしたためたあとに早馬で出そう」
せめて証拠の捏造くらいしたらどうだ、と言いそうになる。馬を百頭捻出する手段をいくつか考える。
「新しく妻を迎える予定が立った。贈り物はなにがよいか相談したい」
親の代から仕える狼頭の奴隷に手で合図。装飾箱に入れた、亡き母の髪飾りと耳飾りが一体になった逸品を一度見せてから渡す。
「こちらを贈ろう。手持ちの中では特に価値がある」
あとで送り先の追跡をさせておくか。
脇に装飾箱を抱えた使者は窮屈そうに親書を閉じ、控える奴隷に渡す。用件が手短なところだけは評価しよう。
「親書は了承した。遠路遥々ご足労のこと痛み入る」
顔が青黒くなった使者が一礼して足早に宮幕から出る所で、異国の神学者のような男と鉢合わせる。使者は敵意剥き出しに睨み付け、その男は穏やかな笑みを作り、つば広帽子を脱いで胸に当て、頭を下げながら道を譲るように手を伸ばす。使者は荒く鼻息を吹いて去る。
ここまで無礼な親書は常識であり得ない。正当な宣戦布告の理由になる。怒りに任せて使者への”無礼”を働くのが向こうの狙いだ。使者に対して敬意を払わないことは正当な宣戦布告の理由になる。開戦理由の模索に焦っている様子だ。大帝の重病の噂は本当かもしれない。一族では強い者が評価されるので、手頃な相手――兄弟親戚相手だろうがなんだろうが――に戦争を仕掛けて後継者に選ばれるための得点稼ぎや脅迫をするのも一つの手である……迷惑な。
奴隷に手で合図。奴隷は雄羊を宮幕の外へ追いやり、糞の乗った絨毯を素早く片付けて予備の絨毯を敷き直す。そして神学者のような男を案内し、こちらへ連れてくる。冬営地には珍しい外客だ。冬にこの土地へくるのは命がけで、余程のことがないかぎりは暖かい季節に用事を済ませて帰ってしまうのが普通である。服装も妙だ。毛皮の内張りすらない黒い服は北国へくるには生地が薄く、羽織っている外套も同様で礼装程度のもの。長い髪も揃えた髭も街の方で整えてきたばかりのようで乱れが全くなく、凍えている様子すらない。こちらは幕内で火鉢を焚き、帽子と外套と靴の内側に毛皮を仕込んでいても若干寒気を感じるているにも関わらずだ。まるで突然そこへ降って湧いたようではないか。
「ようこそお客人。冬場にこのような辺鄙なところまでよくきてくれた」
神学者のような男は手に持っているつば広帽子を胸に当てて優雅に一礼をする。
「とんでもありません。このような流れ者と謁見して頂けるとは重畳の至りです殿下」
他所の民族に比べれば我々の門戸は広いが、さりとてこのような怪しい輩を報告もなしに門衛が通すのも不可解。すり抜けてきたか?
「用件を伺おうか」
だがこの男、怪しいを通り越した”おかしな気”とでも言うべきなにかがある。神々しさと禍々しさが合わさった……とにかく常人ではなかろう。
「始めに不躾な言葉の数々を事前にお詫びしておきましょう、類まれなる幸運の持ち主よ。私は予言者ではないが歴史の流れを見る力には誰よりも自信があります。最も危惧すべき隣の王からの圧迫、内乱の危機を助長する定住民の人口増加による遊牧民との摩擦、まだ他に細かい問題はあるでしょうがそれらを一撃で解決出来る時がきました」
机の上に山と詰まれた定住民の地方行政官、遊牧民の千戸長、都市の太守、それらの監督官からの定時及び臨時報告書をチラっと見る。一番上になっている報告書には大したことは書かれていない。独自調査でそのことは知っているらしい。即興劇が得意な詐欺師ではないようだ。売り込みにきた在野の学者か?
「この話、興味がおありですか?」
「質問に質問で返して悪いが答えてもらおう。なにが目的だ」
神学者のような男は不敵に笑って口調も変える。
「マンゼアの王などと呼ばれている場合じゃないぞメラシジン! するべきことを教えよう、忘れ去られぬために」