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薔薇の記憶  作者: as
3/3

翌朝早くに目が覚めた。

カーテンが厚いので、例え昼でも部屋はなんとなく暗いのだが

わずかな隙間からまだ弱い、外の光が漏れていた。

昨日食べたスープのおかげか、体が少ししっかりしてきたような気がする。

不思議なほど気分もすっきりしていた。

とはいうものの、やはり名前は思い出せない。

名前どころか私に関することが何一つとして思い出せない。

記憶のその部分だけが白いもやに包まれてしまっているようだ。

ローズとも話したけれど、日常的なこと、要するに会話とか歩き方とかそういうことはちゃんとできる。

私のことだけがすっぽり抜けてしまっているのだ。まるで突然、魂を入れ替えられてしまったみたいに。

起き上がろうと体に力を入れたら、思ったより楽に起き上がることが出来た。

改めてベッドの上から、部屋を見渡す。

広い。広すぎる。天井には立派なシャンデリアがかかり、テーブル、ソファ、調度品。何を見ても豪華そうである。

私はそろりとベッドを抜け出し、立ち上がってみた。

なんとなくふわふわするけど、一人で何とか歩けそうだ。

床には柔らかな絨毯が敷き詰められていた。

ゆっくり歩いて調度品をよく見てみる。

手触りといい、つやといい申し分ない。ホテルスウィートルームのようだ。

出口とは違うドアもある。なんだか重厚そうなドアを開けてみると、そこはバスルームだった。

ここも広い。大きな鏡も置いてある。

鏡か、、。

私は静かに鏡の前に立ち、自分を映してみる。

栗色の髪が軽くウェーブして肩にかかっている。色は、白いほうだろう。

目は髪と同じに栗色。全体的に痩せている、というよりちょっと痩せすぎかもしれない。

何歳くらいだろう?20歳くらい?10代ではない感じがする。30歳近いという感じはしない。

ひざまである大きなシャツを着ている。これはローズが貸してくれたものだろうか。

これが、私。

そう思ってもはっきりとしない。そうなのかもしれないし、そうじゃないといわれればそのようにも思える。

とにかく思い出さねばならない。唯一の手がかりがこの姿なんだから。

そっと鏡に触れると、鏡の向こうの自分も私にそっと触れる。

その顔は思い出してくれるのをずっと待っている、忘れられた人形のようにさびしい目をしていた。

バスルームから出て窓のほうに足を向ける。

ずっしりとしたカーテンに分け入ると、そこには又何重にもレースのカーテンがかかっていて、かき分けるようにしてカーテンをくぐる。

ガラスが見えないくらいに磨きこまれた窓はこれもまた天井に届くくらい大きい。

夜明けまもなく、外は霧に包まれ、空はごく薄い水色のベールに包まれているようだった。窓に手をかけ、ゆっくりと開ける。ひやりとした早朝の風が頬をなでる。

窓は重かったが、体を預けるようにすると滑らかに向こう側に開いた。

そこはテラスになっていた。はだしの足に気持ちよい冷たさを感じる。

柵まで走り出ると、眼下に薔薇の森が広がった。

「すご、、、。綺麗、、、」

朝靄の中にピンク色の花がずっと広がっている。

その中に私は人影を見た。目を凝らすと、それがローズである事がわかった。

彼は籠いっぱいに薔薇の花を摘んでいた。たった一人でこの広い農場の薔薇一つ一つを注意深く観察しながら、手を止めずに作業を進める。

と、急にその手を止めてこちらを振り返った。

ローズは微笑みながら大きくこちらに手を振る。

私も思わずそれに答えた。

彼は籠を抱えてこちらに戻ってくる。山ほど詰まれた薔薇が昇り始めた朝日をまぶしく反射していた。


  コンコンと軽く部屋のドアががノックされる。

「はい」

「おはよう」

人懐っこい笑顔がのぞく。

「調子はどう?歩き回って平気?」

「はい、なんだかすごく気分がいいんです」

「そっか!それはよかった!」

「こんな朝早くからお仕事ですか?」

「うん、日が高くならないうちに摘み取ってしまうんだ。香りが失われないうちにね。そして冷蔵の倉庫に入れて、一週間に一度のセスナの便に乗せる。僕の仕事なんてそれくらいだよ」

ローズから薔薇の香りがした。

「さて、お腹すかない?食事の用意はしてあるけど、まだ早いから、どうする?」

げんきんなもので、食事の話が出たとたん、おなかがグーっとなった。

「今もって来るから、ちょっと待ってて」


 しばらくするとワゴンに食事を乗せて、ローズがもどってきた。

手早くテーブルにセットする。いくつかの果物と、まだ温かいパンと、スープとオムレツ。

「ローズさんが作ってくださったんですか?」

「うん、まあ、こんなの料理のうちに入らないよ。君が元気になったらもっとびっくりするようなものを作って見せるからさ。」

パンはふわふわでバターの香りがした。野菜がとろけるほど煮込まれたスープは、食欲をそそるスパイスが弱くも無く、強くも無く効いていて、野菜の甘さを引き立たせる。具の無いプレーンオムレツも卵の味だけで十分だった。

しばらく無言で真剣に食べてしまった。ローズの視線にふと我に返る。

「おいしい?」

「おいしいです!!つい夢中になってしまいました」

「そういう風に食べてくれると、作ったかいがあるよ」

ローズは紅茶も勧めてくれる。とてもよい香りの紅茶で、砂糖もミルクもいらない。

「そういえば、ローズさんはお食事すんでるんですか?」

「うん、朝早いからね。食べてからじゃないと、動けないんだよね、僕は。」

そう言ってにこりと笑った。いつ見てもとても感じのよい笑顔だ。

「そういえば、あの、この服のことなんですけど、、、」

「ああ、これについては本当に申し訳ない!!君の着てた服は夜露や何やらで汚れてしまっていて

僕の服に着替えさせたんだけど、その、どうも失礼した!!」

ローズはしきりに頭を下げて申し訳無さそうな顔をした。

「いえいえ、いいんですよ、そのままだったら肺炎とか起こしてたかもしれないですし。

かえってすみません。」

バツの悪そうな顔をしたローズは、いつもの落ち着き払った顔よりも数段若く感じた。

ひょっとすると私より若いのかもしれない。

「それにほら、こんなに痩せてたら、あんまり色気も無いでしょ?」

と冗談めかして言うと

「そ、そんなことないよ!!あ、いや、そんなこというとあれだけど、、えーっと、、」

私は思わず噴出してしまった。おかしそうに笑う私を見てローズは頭をかいた。

「君もなかなか人が悪いねえ」

咳払いを一つ。

「さてと、それで、」

案外この人は照れ屋なのかもしれない。

「洋服なんだけど、君のはクリーニングに出しちゃったんだよね、再来週には仕上がってくるとおもうんだけど

とりあえず、間に合わせの用意したから」

「え?」

そう言うと、部屋のクローゼットから七分袖の淡い水色のワンピースを取り出した。

「これ??」

「僕の特技の裁縫だよ」

「ローズさんが作ったんですか?」

「サイズは大体こんなものだと思いながら作ったんだけど、というと誤解を招くかもしれないけど

こういうの、得意なんだ」

「ありがとうございます、なんか何から何まで」

「いいんだ、気にしないでよ。誰かのために何かするのって好きなんだ」

「、、あの、、」

「なに?」

「聞いてもいいですか?」

「どうぞなんでも。何しろ得体が知れないからね、僕は。何でも聞いていいよ。君が少しでも安心してくれたらそれでいいから」

そういいながら両手を広げて見せた。

「そういうわけじゃないんです!安心してます。とても。そうじゃなくて、その、ローズさんは

いつからここで、一人で?」

「そっか、そういうもろもろのことをちゃんと話しておいたほうがいいね」

「あの、別にそんな興味本位で根掘り葉掘り聞きたいわけじゃないんですけど、、」

「うん、わかってるよ、そんなことよりこれくらいのことで君が安心して養生してくれたほうが大事だよ」

そう言いいながら、りんごを手に取り、器用に剥き始めた。

「僕は父と二人でここにやってきた。母方が金持ちでね、母が死んだときにその遺産をそっくり父が相続した。で、ここいら一帯を買って、家を建てた。父はここで薔薇の栽培を始め、気候や土壌が良かったのかとても香りの良い薔薇の生産に成功した。ここの薔薇はあっという間に世界中で引っ張りだこさ。良い企業を選んでそこと契約した。ますます財産は膨れ上がっていった。そのうち父は死んだ。で、必然的に僕がここを受け継いだというわけさ。父が人嫌いで家の事は全部二人でこなしていた。掃除も洗濯も食事もね。だからあえて僕も人を雇わなかった。一人だし、どうにでもなるから。そういうわけで僕はここで一人で暮らしてる」

りんごを食べやすく切ると私の前において、さあどうぞと微笑んだ。

「そのとき、ここを下りなかったんですか?一人じゃさびしいじゃないですか」

「思ったけど、ここを見捨てていけなかったんだ。さっき見たでしょ、あの薔薇達。

あの薔薇を残してはいけないし、薔薇は、僕にとって最後の身内みたいなものだから」

「お母様はいつ亡くなったんですか?」

「僕が覚えていないくらい昔。だから僕には父の記憶しかないんだ。父と薔薇と」

立ち上がって窓辺に行き、カーテンを開ける。まぶしい朝の日差しが部屋に広がる。

窓の向こうに薔薇の森が広がる。

「綺麗でしょ?」

日を背にして窓辺に立つローズの顔には、普段目にすることの無い孤独がかすかに影を落としていた。

「食べ終わったら、一眠りするかい?」

暗い印象を断ち切るように、明るく言う。

「いえ、なんかお天気も良いし、もったいない」

「そう?この分だと思ったより早く回復できるよ。次のセスナの便で帰れるかもしれない」

そういえば、私がここに来てもうどれくらいの日数がたっているのだろうか。

「私が眠っていたのは何日くらいなんですか?」

食べ終わった食器を静かにもとのワゴンに戻す。とても手馴れている。

「そんなに経ってないよ、今日でまだ三日目。今日も目を覚まさなかったら、どうしようかと思ってたところだよ」

「ご心配おかけして」

「気にしないで、そんなことより体調と記憶を戻すことに専念しようよ」

「実は、さっき、鏡をみてみたんです」

「うん、それでどうだった?」

「、、ああ、こんな顔だったかなあっていう感じで、、、」

「うーん、そっか。まあ、無理しないで何か取っ掛かりみたいなものを探していくといいかも。

たとえば好きな食べ物とか。僕もいろいろ作ってみるからさ」

「、、好きな食べ物かあ、、」

「胃袋は正直だからね」

軽く片目をつぶる。

「じゃ、ひとまず退散するよ。何か用があったら、そこの内線をつかってくれればいい。内線電話はいつも携帯してるから」

ワゴンを押してローズが部屋を出て行った。




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