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いつのまにか眠ったのかもしれない。
食器の音に気がつく。食べ物の匂いがする。
そっと目を開けると、さっき気がつかなかったものがいろいろと見えてきた。
自分はベッドに寝かされているらしい。
天蓋があるほど豪華なもの。目の動く範囲で物を見れば
重厚そうな家具がならび、たっぷりと生地の使われた高価そうなカーテンが
天井近くから、床まで下がっている。
カーテンの隙間からごく細く、光がさしていた。
ここはいったいどこなんだろうか。
「どう?少し何か食べられそう?とりあえず、スープを作ってみたんだけど」
初めて声の主をはっきりと見る。考えていたよりずっと若いみたいだ。
25、6歳くらいだろうか?薄茶色の髪が顔にかかると、華奢な指でかきあげて微笑む。
「あの、、私、、。ここは?」
「ここは僕の屋敷。君が僕の農園で倒れていたんだよ。ほおって置けないからね。僕の家の客間に運んだんだ。それより、君が誰で、どこからきたのか教えてくれないかな。きっと君を探している人がいるはずだからね。連絡しなくちゃいけないし」
ぼんやりする頭で、質問を反芻する。私の名前、どこからきたのか。
私?、、、私、私は、、誰??
「いた!!!」
頭が急に締め付けられるような痛みを覚える。
「どうした?!」
「私、、わからない、、、。」
「、、え?、、、」
「私、、私、、、、、、!!!」
何も思い出せない。自分の肩にかかる髪を見る。
私の髪はこんな色だった?手で顔をなでる。
私の顔はこんなだった?手を見る。これが私の手?
わからない。わからない!!
「落ち着いて」
不意に手をしっかりと握られる。その手は熱っぽい私の手に、心地よい冷たさで私を落ち着かせる。
「きっと熱を出したりしたショックで一次的になっただけだよ。しばらくすれば思い出す。大丈夫だよ」
とても優しい瞳で私を見た。大丈夫だよ。この一言でこんなにも人に安心感を与えるほど
その人の声は不思議な響きをしていた。
「とりあえず、そうだな、ここの場所から説明しよう。ここは国境近くの山奥だ。交通手段は近くの飛行場のセスナしかない。辺鄙なところなんだ。道路がないからね。」
「セスナ?」
「うん。しかし、君はセスナに乗ってきたんじゃない。馬に乗って僕の農場で気を失っていた。残念ながら馬は息を引き取ったよ。足が傷だらけでね、ヒズメが化膿して。君を見つけたときはもう手遅れだった」
「馬、、、。」
私が少しでも思いつめる表情をすると、その人はすかさず明るい声で話を続ける。
「僕の名はローズ。僕の農園では薔薇を育てていてね、香水とかオイルとかに使うやつなんだけど、まあ、細々と一人で何とかやっているっという所だな。
バラ園で名前がローズなんて馬鹿みたいだけど、名前は自分では選べないからね、親を恨むのみだよ」
とても感じの良い笑顔を浮かべた。全身で安心感を出そうとする気遣いが伺える。
「そういうわけで、とりあえず、体調と記憶が戻るまでここにいてもらってかまわないよ。とにかく安心して欲しい。こんな山奥で一人で暮らしている男なんて、
なんか信用できなさそうだけど、信じてもらうしか方法はないんだ。それに、ここは外との世界との連絡がつけられなくて。電話も無いし」
私はもっと警戒してもよいだろう。この人の言っていることはうそかもしれない。案外近くに民家があるかもしれない。
しかし、そんなことを考えてここから抜け出したとしても、どこへ行ったらよいかわからないまま道に迷って、おそらく死ぬだろう。
どのみち、私の考えではどうにも出来ないところに私はいるのだ。
私は自分の名前すら、わからないのだから。
「ご迷惑じゃないですか?私がここにいるのが、、、」
「そんな事なら心配しないでいいよ。部屋は余っているし。生活に困っているわけじゃない。という事はこの部屋を見れば解るだろうけど」
私は改めて部屋を見る。壁一つ見ても何だかいかにも高級そうだ。
「君が信じてくれるというなら、僕は君が一刻も早く体調を元に戻せるよう協力するよ。ひとまず、スープをどう?」
ローズは温かそうな湯気を立ち上らせた小鍋を、私に見せて微笑んだ。