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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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女神ヴェリミナは嘘を嫌う

妹が「お姉様に毒を盛ったのは私」と自白した。~怠け者だと婚約を破棄されたわたくしは、隣国の王太子に愛を囁かれる~

作者: 夜音
掲載日:2026/05/10

『偽らざる国』。


 この国の別名は、国民たちの矜持の現れであった。


 信仰の対象である女神ヴェリミナは何よりも嘘を嫌う。


 遥か昔、神話の時代。彼女は最愛の夫と子供を悪意に満ちた嘘によって奪われ、ひとり孤独に絶望の海へと沈んだという。それ以来、ヴェリミナ像の前で嘘を吐く不届き者には恐ろしい呪いが降りかかると伝わっている。


 代々王家の婚姻は大神殿に鎮座するヴェリミナ像の前で行われ、女神の前で清廉潔白であると誓ってきた。偽りに隠された罪は女神の前で白日の元に晒される。


 嘘を吐くような不届き者は王族に相応しくない。その誓いは国民に向けて、自らは民の上に立つに値する高潔な存在であると知らしめる為の神聖な儀式なのだ。



 *



 神殿内には厳かなパイプオルガンの重低音が響き渡る。


 祭壇の奥には成人男性の倍ほどの高さの真っ白な大理石で造られた女神ヴェリミナ像が佇む。伏せられた睫毛の奥にある白い瞳はどこを見ているかわからないはずなのに、心を見透かされているみたい。


 女神の足元、祭壇の手前には純白の婚礼衣装を身に纏った第一王子ハロルド殿下と妹のイエナが立っている。


 こちらに背を向けていてもわかる。あの子は今、この世界で一番の幸せをつかみ取ったと勝利の笑みを浮かべているはず。


 わたくしに似た亜麻色の髪は艶やかに整えられ、今のわたくしとは似ていない。


 ――ほんとうならばあの場に立っていたのはわたくしだったのに。


『リネット、怠けるのはもうやめてくれないか? これ以上僕に恥をかかせないでくれ』


 婚約者だったハロルド殿下から最後にかけられた言葉は、鋭い刃物となり今も胸を切りつけられる。


 一年前、原因不明の高熱に浮かされること十日。熱が下がり日常生活へと戻ったわたくしを襲ったのは後遺症だった。


 夜会で殿下とのダンスの途中、体力が落ちてしまった体は息切れを起こしその場に座り込んでしまった。


 記憶力が衰えてしまったせいで、同盟国の気難しい外務大臣の名前を間違え激しく叱責された。


 妃教育の最中、集中力が切れて眠気に襲われ眠ってしまった。


 今まで当たり前にこなせていたことが、できない。もどかしさと悔しさは募るばかり。


 後遺症は一年経った今もわたくしを蝕む。


 あり得ない失態が続き周囲からは『怠け者』『自堕落』と蔑まれ、ついには殿下との婚約は解消されてしまった。


 ほどなくして新たな婚約者に選ばれたのは、わたくしの妹イエナだ。


 妹は、わたくしを支えるという名目でいつからか夜会や妃教育に同席していた。今思い返せば両親も陛下も婚約者をすげ替えるつもりだったのかしら。


 いつも思考はまとまらず、霧散してしまう。


 親族席ではなく最後尾の端。両親や叔父から離されて座るわたくしに向けられた、参列者たちの不躾な視線。嘲るような小さな笑い声にスカートを強く握って耐えた。


 ――なんて惨めなのだろう。


 重低音が鳴りやむと、神殿内は静寂に包まれた。


 祭壇を挟んで老齢の神官が二人と向かい合う。


「これより、女神ヴェリミナへと『高潔なる真実の宣誓』を執り行う。――偽りあれば、すべて白日のもとに晒されよう。汝らの言葉に一点の曇りなくばヴェリミナの祝福が花となりて降り注がん。……さあ宣誓を」


 厳粛な声が石造りの壁へと吸い込まれていく。


 この国の王族の婚姻は、ヴェリミナ像の前で自らが高潔であると宣誓する。新郎新婦ともに偽りがなければ祝福の花が降り、偽りの場合は、これまでに重ねた嘘と罪を洗いざらい吐き出させる呪いが下るのだ。


 幼い頃、王弟殿下の婚姻の儀式で女神の祝福の花が神殿内にひらひらと舞い落ちるのを見たことがある。それは美しく神秘的な光景だった。


 殿下とイエナは背筋を伸ばし、ヴェリミナ像を仰ぎ見た。


 そして、まずハロルド殿下の宣誓。


「我、ハロルド・アイザックスは女神ヴェリミナに誓う。我が心、我が魂は高潔であり一点の偽りもないことを」


 天窓から差し込む光に照らされ殿下の金色の髪が輝きを増す。


 神々しいまでの姿を、国内の主要な貴族たちはもちろん、同盟国から招かれた賓客たちも誰もが幸福な結末を確信し見守っていた。


「我、イエナ・ゼインは女神ヴェリミナに誓う。我が心、我が魂は高潔であり一点の偽りもないことを」


 鈴を転がすような愛くるしい声が宣誓の言葉を紡いだ。


 しかし、女神からの祝福の花弁が舞い落ちることは、なかった。


 神官が戸惑いの表情を浮かべ天窓を見上げるのにつられて、参列者たちも顔を上へと向ける。


 ハロルド殿下が隣に並ぶイエナに何か声をかけようとした。


「……イエナ?」


「――っ。あの夜、お姉様に毒を盛ったのは私よ。でも熱が出ただけで死ななくてがっかりしたわ。だけど熱が下がってから後遺症に苦しむお姉様を見てこれだと思った。毎日毎日、少しずつ紅茶に毒を混ぜてやったのよ。あの完璧なお姉様が人前で恥をかいて叱責されるのを見るたびにおかしくって笑いだすのを堪えるの大変だったわ!」


 突然の暴露に、静まり返っていた神殿内は一転して騒然となった。


 殿下の横顔が離れたわたくしの目にもわかるほど色を失っていく。先ほどまであんなにまばゆく輝いていたのが嘘みたいだった。


 取り乱したイエナが参列席の方へと体を向けた。ガタガタと全身を震わせ、自分の口を両手で必死に押さえていた。けれど、指の隙間を縫うように言葉は勝手に溢れだす。


「ぐっ……。あの毒は叔父様が用意してくれたわ。叔父様とお母様は愛し合っているのよ。二人の愛の証が私! 私の婚姻が結ばれたらお姉様とお父様にあの毒を飲ませて、叔父様とお母様と私は本当の家族になるのよ! 今度こそ失敗しないわ。……ああ、なんなの? なんで勝手に言葉が出るの? 呪いなんて嘘なんでしょ? ねえ、お母様! バートンお父様!」


 イエナに名を呼ばれた母と叔父は、ただ俯いている。父は立ち上がると叔父の胸ぐらを掴んだ。


「バートン……貴様、やはりそうだったのか! 弟の癖によくも……! よくも……」


 叫びながら父は、その場に力なく座り込んでしまった。大きく肩を震わせて嗚咽を漏らす姿に、侯爵としての威厳はない。


「毒、ですって?」


「……リネット様の不調は、毒によるものだったのか?」


「不義の子だということか?」


 狂乱に包まれた光景をわたくしは他人事のように眺めていた。


 わたくしの名誉も健康も、この一年間を奪ったのは、イエナだった。


 あまりに無慈悲な現実を受け止めることができない。


「……リネット、すまない。君が苦しんでいたのに僕は……僕は、君を支えることなく責めてしまった。どうか許してほしい。そして、もう一度僕の婚約者として隣にいてくれないか」


 ハロルド殿下が、ふらふらとだけど真っ直ぐに祭壇を降りこちらへと歩いてくる。ひとり取り残されたイエナの口はまだ止まらずに何かを吐き出し続けていた。


 国王陛下は席を立ち息子の姿を力なく見守り、その隣には俯いて扇で顔を覆う王妃様の姿があった。


 彼の言葉は、女神の呪いを受けていない。間違いなく高潔なのだ。だからこそ、耐えられない。


『イエナを見てご覧。君のために自分の時間を犠牲にして付き添っているんだよ。彼女の方がよほど王子妃に相応しいと僕は思う』


 そう言った殿下の言葉は、嘘偽りのない本心だったということ。


 常に『王子の婚約者』として完璧だけを求められ、ずっとその期待に応え続けたわたくしを、後遺症で苦しむわたくしをあっさり捨てたのが貴方の高潔なのでしょう?


 弱々しく伸ばされた殿下の両手がわたくしに届きそうになり、反射的に目を閉じ顔を背けた。


 ――わたくしに触らないで。


 身を竦ませたわたくしにその手が届くことはなかった。


「……彼女が怯えているのがわからないのか? ハロルド殿下」


 低くて落ち着きのある声に背けていた顔を上げると、殿下の前に立ち塞がる人の大きな背中が視界に入る。


 振り返ったその人は、わたくしの前に片膝をついて跪いた。黒い、濡れた鴉の羽のような艶やかな髪。わたくしを見つめる瞳は、夜明け前の深い空を映したような、紫色をしている。


「リネット嬢。初めて出会った子供の頃から、ずっと想っていました。……だが、あなたにはすでに婚約者がいた。だから今日までずっとこの想いを胸の奥に隠してきましたが、もう我慢するのはやめました。どうかこの私の妻になってくださいませんか?」


 隣国クアールズの王太子エドガー殿下とは、幼い頃から何度か顔を合わせたことがある。けれど、まさかわたくしに想いを寄せていただなんて。


 紫色の瞳――そうだわ、あの日同盟国の会議に同行していたあの男の子と同じ色だわ。迷子になってしまった彼を偶然見つけたのは、わたくしだった。涙目になっていた彼の手を引いて会議の場まで歩いた。


 あんなに小さかった男の子が、こんなに精悍な青年になっていたのね。


「身に余るお言葉、嬉しく思います。ですが、わたくしには体力も記憶力や集中力もないのです。とても貴方のお役にたてません」


「我が国には毒に詳しい名医がいます。必ずや回復させてみせましょう……! 仮に回復しなくても、私があなたの杖になり、記憶となり支えましょう。どんなあなたでも私の隣にいてくれるなら、それだけで幸せなのです」


 家族もハロルド殿下も後遺症に苦しむわたくしを認めてはくれなかった。わたくしにかけられたのは『怠けるな』『常に完璧であれ』そんな言葉だけ。


 ずっと、欲しかったのは今のわたくしを受け入れてくれることだった。


「――ほんとうに? ほんとうによろしいのですか? ただ隣にいるだけで?」


 どこまでも深い紫色の瞳に吸い込まれそう。


「ええ。私の隣でずっと笑っていて」


「はい。エドガー様、ずっと貴方の隣にいたいと思います」


 差し出されたエドガー様の手に、わたくしの手をそっと重ねる。


 幼いあの日繋いだ柔らかな手は、今はもう節くれだった厚みのある大人の手になっていた。けれど、握り返す優しさはあの頃と変わらない。


「愛している。リネット」


 ――その瞬間。


 音もなく無数の白い花が舞い落ちた。


 水滴を含んだかのように瑞々しく、真珠のような光沢を湛えた不思議な花。どこか懐かしさのある清らかで甘い香りが神殿内を満たしていく。


 女神からの祝福に参列者たちからは歓声が、祭壇の上にひとり佇んでいたイエナからは悲鳴が漏れる。ハロルド殿下は、ただ呆然と立ち尽くしていた。


 エドガー様の腕がわたくしを支える。逞しさに安堵し身を任せた。


 光が溢れる神殿の出口へと歩き出す。降り積もる白い花が幾重にも重なり、まるで純白の絨毯のようにわたくしとエドガー様の進む道を飾っていた。



 *



 その後、イエナはハロルド殿下との婚約を破棄され、重罪人として一生を神殿での過酷な労働に捧げる刑に処された。女神の呪いは未だ消えず、偽りを許されないその唇は醜い本心を吐き出しているそうだ。かつての愛らしさは消え去り、今では神官たちから忌むべき存在として蔑まれている。


 母と叔父も身分を剥奪され、それぞれ最北と最南の監獄へと送られた。愛し合う彼らはもう二度と会うことは叶わないだろう。それでも二人の愛は変わらないだろうか? ――わたくしには知る術はないけれど。


 妻と実の弟に裏切られた父は侯爵家を親族の若者に譲り、領地の片隅で静かに暮らし始めたという。ある日、一通の手紙を受け取った。そこに並んでいたのは、毒や後遺症の苦しみを知ろうともせず突き放した己の愚かさに対する謝罪の言葉。わたくしは『どうか健やかにお過ごしください』と一度だけ返事を送った。


 そしてハロルド殿下は、高潔であるべき王族として神聖な儀式を汚した咎により王位継承権を剥奪された。偽りを信じ真実を捨てた彼を待っているのは、誰からも愛を囁かれることのない孤独な余生のみ。彼は今も自らの誤った選択に苛まれ続けているそうだ。



 *



 あれから数年。


「リネット、お茶の用意ができたよ。少し休憩しよう」


 穏やかなエドガー様の声に膝の上に広げていた本を閉じると、彼が自然な仕草でわたくしの手を取り唇を寄せた。


 少しくすぐったくて、ふふふと笑いながら顔を上げれば、そこにはあの日と変わらない深い紫色の瞳が優しく揺れている。


 実家を離れたことで毒を断ち、名医による治療とエドガー様の献身的な支えのおかげで、わたくしを苦しめた記憶力や集中力の低下は今ではほとんど回復している。少し疲れやすいけれど、そんな時は彼がすぐに気がついてこうして解毒作用のあるハーブティーを淹れてくれるのだ。


「エドガー様が淹れてくれるハーブティーは、とても美味しくて好きです」


「好きなのはお茶だけ?」


「……いちばん好きなのは、エドガー様よ」


 窓の外では、白い花が風に舞って踊っている。女神ヴェリミナの祝福は、今もわたくしたちに優しく降り注ぐ。




最後までお読みいただきありがとうございます。


妹イエナ視点の

女神の呪いで「お姉様に毒を盛ったのは私」と自白させられた。~愛される王子妃になるはずだった私は、今日も床に這いつくばる~

も明日18時過ぎに投稿予定です。


よければそちらもあわせてお読みいただけると嬉しいです。


評価、ブックマーク、誤字のご指摘、ありがとうございます。


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父の弟なら叔父では。
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