表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/16

第8章 スランボの行進

 ヨーダーがコロニーに来てからの日々は、思ったよりも賑やかになった。

「おーい、フニャックス!」

「フェ・ニ・ックス」

 フェニックスが訂正すると、ヨーダーはわざとらしく舌を出して笑う。

「ヨーダー、その発音、わざと間違えているだろう」

 山茶が淡々と指摘する。

「え、バレた?」

「バレないと思ったのか」

「思った!」

 焚き火を囲む夕食の席でも、畑仕事の合間の休憩でも、

 そんな調子で、誰かしらとやり合っている。

 五人は、よほどのことがない限り、必ず揃って食事をとるようになっていた。

 今日の収穫、街道で聞いた噂、AIコアから得た断片的な情報。

 それぞれが一日のあいだに拾ってきた「見聞きしたもの」を、

 木の器を回しながら少しずつテーブルに並べていく。

 それは、理に対する報告というより、

 互いの心を確認し合うための小さな儀式のようなものだった。

 そうして言葉を重ねるうちに、

 出発前よりもずっと強く、自分たちが「ひとつの群れ」になりつつあることを、

 誰もが薄々感じ始めていた。

 その輪の中に、今はヨーダーもいる。

 彼にはだらけ癖がある。悪戯も多い。

 だが、不思議なほど「怒られ慣れて」いた。

 叱られると、びくっと肩をすくめる。

 次の瞬間には、言われたことをどうにか直そうと、

 ぎこちないながらも手を動かし始める。

 その「直そうとする気配」は、

 表面だけの謝罪ではなく、本気でそうしようとしているのが分かるのに、

 今までの経験が、そこから先の一歩を何度も折り曲げてきたのだろう——

 そんな錆びついた癖が、彼の動きや表情の端々に、薄くこびりついているように見えた。

 ◆ ◆ ◆

「……あいつ、本当に追い出されてたんだな」

 ある朝、畑仕事の合間にステロイドがぽつりと言った。

 ヨーダーは、まだ拙い手つきで土を掘り返している。

 スコップを持つ位置も深さも不器用だが、

 山茶の視線をちらちらと伺いながら、真面目に手を動かしていた。

 その横で、山茶が根の張り具合を細かく教えている。

「ここ、もう少し深く。根が広がる余地がない」

「は、はい……」

 ヨーダーは舌を出しながら、言われた通りに土を崩していく。

「前のコロニーでも、きっと“面倒な子供”扱いされてただろう」

 セラが、遠くの街道の方角を見ながら答えた。

「だが、それは弱さだけではない。あやつの好奇心は、刃にも盾にもなる」

「刃の方に、だいぶ傾きがちだけどね」

 イネッサが肩をすくめる。

 その声には軽口の調子が混じっていたが、

 言葉の奥に、ごく薄く影が差していた。

 クーリンという種族に、好奇心は意図的に組み込まれた遺伝子の贈り物だ。

 楽観と衝動は、彼らの強さであり、同時に壊れやすさでもある。

 イネッサ自身も、それをどこかで分かっているからこそ、

 ヨーダーを見る目に、ほんの少しだけ「他人事ではない」という色が混じっていた。

「まあ、うちも大概だから、おあいこでしょ」

 イネッサは、最後にそう言って笑い飛ばした。

 ◆ ◆ ◆

 ヨーダーが最初に強い興味を示したのは、畑と書庫だった。

 栽培と知識。

 土に触れている時と、文字を追っている時だけ、

 彼の目は驚くほど真剣になる。

「ねぇ、これ、どうしてこの間隔で植えるの?」

 畝の間を歩きながら、ヨーダーが山茶に尋ねる。

「根が争わないようにだ。近すぎると養分を奪い合い、遠すぎると無駄が増える」

「ふーん、“理のバランス”ってやつ?」

「お前、教典をこっそり読んでいるな」

 山茶がじろりと見る。

「だって、皆それを信じてるんでしょ」

 ヨーダーは苦笑いを浮かべた。

「知っといた方が、怒られにくいかなって」

 冗談めかした軽い言い方だったが、その瞳にはどこか切実な色があった。

 怒られ慣れた自分を変えたい——

 ただ、また同じように失敗して「ほらやっぱり」と言われるのが怖い。

 そんな矛盾した気持ちが、土を掘る手つきのぎこちなさに、

 薄く滲んでいるようだった。

 ◆ ◆ ◆

 ある夕方。

 フェニックスは、湖畔の小さな丘の上でひとり空を見ていた。

 湿地と湖との境目を、薄い霧がゆっくりと這っていく。

 背後から、軽い足音がした。

「ねぇ、フェニックス」

「今度は正しく呼べたな」

「慣れれば余裕だよ」

 ヨーダーは膝を抱えて、フェニックスの隣に腰を下ろした。

 しばらくのあいだ、二人の間に言葉はなかった。

 湖面を渡る風の音と、遠くの鳥の声だけが流れていく。

「……ねぇ」

 ヨーダーが口を開いた。

「“理”ってさ、本当にいると思う?」

「また難しいことを聞くな」

 フェニックスは苦笑した。

「少なくとも、俺はいると信じてる」

「ぼくの宗教は、殴ってくる神様だった」

 ヨーダーはぽつりと言った。

「怒ってる時だけ、すぐそばに来る。

 怒られてる時だけ、“信者”扱いされるんだ」

 言葉と一緒に、彼の頭の奥で、古い光景がよみがえる。

 狭い部屋。湿った壁。

 床に散らばる空になった栄養パック。

 疲れ切った顔をした大人たち——実の両親の背中。

 星や鋼の偶像の前でだけ、妙に饒舌になり、

 それ以外の時間は黙り込んで何かを飲み、朽ちたように眠る。

 祈りの言葉は「我慢しろ」「お前のせいだ」「それが信仰だ」。

 祝福の言葉は来ない。

 手が触れてくるのは、撫でるためではなく、振り下ろすため。

 ヨーダー自身は、望まれて生まれた子供ではなかったのだろう。

 錆びついた心に宗教だけを流し込まれ、

 それを拠り所にするしかなくなった大人たちの不幸が、

 真っ先にぶつけられる場所として。

「こっちの理は、怒っても黙ってる」

 フェニックスは空を見上げた。

「だから、たまに余計に腹が立つ」

 ヨーダーが、くすっと笑う。

 視線の先には、コロニーでそれぞれ動いている仲間たちの姿があった。

 外壁の補強をしているステロイド。

 畑で新しい作物の配置を考える山茶。

 湖畔で洗濯物を干しながら、歌うように鼻歌を紡ぐイネッサ。

 遺跡と街道の境界をゆっくり歩き、風の匂いを確かめるセラ。

 時々悪戯を仕掛ければ、本気で怒られもするが、

 それでも最後には「次はやるな」と言って笑ってくれる。

 以前のコロニーでは、怒りは終わりであり、

 殴られた後には、何も続かなかった。

 ここでは、怒りのあとにも、話が続く。

 自分の居場所が、まだそこにある。

 それが、ヨーダーには少し不思議で、少し怖くて、

 それ以上に、とても嬉しかった。

「もし、ぼくが“理の信者になる”って言ったら……」

 ヨーダーは、真剣な顔つきになって続けた。

「少しは、ここにいていい理由になる?」

「理由が欲しいのか?」

「うん」

 ヨーダーは、膝に顎を乗せて言う。

「ここにいたいって思うの、ぼくの勝手だからさ。

 ……でも、“理のため”って言えたら、

 皆も少しは楽になるかなって」

 フェニックスは、しばらく黙っていた。

 湖面では、一匹の魚が跳ねたが、

 もう誰も驚きはしない。

「信仰は、居場所を守るための盾にもなる」

 やがて彼は答えた。

「ただ、盾だけで中身が空っぽだと、いつか割れる」

「中身って?」

「ここで誰と飯を食って、誰と働いて、誰を守りたいか」

 フェニックスは、湖とコロニーとヨーダーを順番に見た。

「それを決めるのは、理じゃなくてお前だ」

 ヨーダーはしばらく考え込み、それから小さく頷いた。

「じゃあ、ぼくは……ここにいる皆を守りたい。

 あの時、フェニックスたちが、ぼくを守ってくれたみたいに」

「それなら、十分中身はある」

 フェニックスは微笑んだ。

「神様の名前は、その上に乗っかる飾りみたいなもんだ」

「……その言い方、怒られない?」

「内緒だ」

 二人の笑い声が、夕暮れの丘に溶けていった。

◆ ◆ ◆

 数日後。

 街道の方から、いつもと違う振動が伝わってきた。

「……何だ、この重さ」

 建築中の梁の上で作業していたステロイドが、

 工具を持つ手を止めて顔を上げる。

 湖畔の霧の向こう——木々のあいだを縫うようにして、

 巨大な影がゆっくりと動いていた。

 やがて霧が裂け、その姿が現れる。

 厚い毛皮。長く湾曲した角。

 毛並みは、白とも銀ともつかない淡い色をしている。

 一本一本が、光を内側から透かすように柔らかく輝き、

 同時に、触れた衝撃を滑らせて受け流してしまいそうな、

 しなやかな強靭さをたたえていた。

 毛皮の下には、揺るぎない筋肉と骨格が隠れているのが分かる。

 歩くたび、足元の土が低く震えるのに、

 その足取りは驚くほど静かだった。

 伝説かと思っていた存在——スランボの群れだった。

「本当にいたのか……」

 イネッサが、子供のような声を漏らす。

 教典の片隅に挿絵のように描かれていた、

 「星の巡礼に寄り添う獣」の姿。

 スランボたちは、脅威というより、

 どこか別世界からそのまま歩いてきた旅人のようだった。

 湖畔の草を静かに噛み、

 霧の匂いと水の音を確かめるように角をわずかに震わせる。

 こちらをちらりと見るものもいたが、

 そこに露骨な敵意は感じられない。

 その群れの中に、一人の小さな影がいた。

 長い耳。柔らかな髪。

 背丈はまだ低いが、その歩き方には妙な落ち着きがあった。

 動物と同じ目の高さで歩きながら、

 何かを歌うように口を動かしている。

「……子供?」

 山茶が目を細める。

 近づくにつれ、その特徴がはっきりしてきた。

 イータキンの少年だった。

 イータキン——

 人間に似た体つきに、長い耳と微妙に異なる骨格を持つ種族。

 聴覚と平衡感覚が優れ、

 その多くが生理的に「群れ」と「環境の変化」に敏感だと言われている。

 中には、動物や星の動きに特別な親和性を示す者もいるという。

 少年は手をスランボの脇腹に当て、

 その歩幅と呼吸に合わせてゆっくりと歩いていた。

 口からは、言葉とも音楽ともつかないハミングが漏れている。

 それは、風と草の擦れる音とまじり合い、

 不思議と耳に障らない「揺らぎ」を作っていた。

「やあ」

 フェニックスたちが近づくと、

 少年は顔を上げた。

 半分眠っているような、

 夢うつつのような笑み。

「ここ、静かでいいね」

 少年は、周囲を見回しながら言った。

「動物たちも、怖がってない」

「お前は……?」

 フェニックスが問いかける。

「ファアーク」

 少年は自分の胸を人差し指でつついた。

「ぼくは、動物の流れを聞くのが得意なんだ」

 彼の周りのスランボたちは、

 まるで彼を囲う護衛のように輪を描きながらゆっくりと移動している。

 その足取りは重く、地面を確かに踏みしめているはずなのに、

 どこか優しく、土をいたわっているようにすら見えた。

「お前、一人でここまで?」

 ステロイドが、半ば呆れたように聞く。

「ううん。最初は、コロニーから放り出されたんだよ」

 ファアークは、まるで天気の話でもするような口調で言った。

「口減らしってやつ。でも、スランボたちが

 “まだ生きてていいよ”って言ってくれたから、ついてきた」

「言ってくれた?」

 イネッサが首をかしげる。

「言葉じゃないよ。音で。心の形が、揺れるんだ」

 ファアークは、湖面を見つめて微笑んだ。

「ここは……悪くない音がする。

 あなたたちも、今のところは“噛みつかなさそう”」

「今のところは、ね」

 イネッサが笑う。

 その場にいた全員が、

 何故だか分からないのに、

 「この少年は、ここに居つくだろう」と直感していた。

 ファアークの周囲から、ナノマシンのネットワークを通じて、

 ごく微かな振動が広がってくる。

 それは信号と言うには曖昧で、

 音楽と言うには形を持たない。

 けれど、どこか心象風景に近い何か——

 暖かい草原の匂いと、群れの寝息と、

 「ここは安全だ」という感覚だけを抜き出して、

 そっと渡してくるような波だった。

 だから誰も、すぐには反論の言葉を選べなかった。

「もし、ここに残るなら」

 フェニックスが一歩前に出る。

「お前は何をしたい?」

「動物を見る。守る」

 ファアークは、いつになくはっきりした声で言った。

「……それから、仕事もするよ。

 ぼく一人じゃ、スランボたちもいつか倒れちゃうし。

 人と動物の間に立てるなら、それが一番いい」

 スランボの一頭が、

 彼の肩に大きな鼻先を押し当てた。

 その仕草は、別れを惜しむようでもあり、

 送り出すようでもあった。

「行っておいで」

 ファアークは、その頭をなでる。

「ここなら、多分、大丈夫」

 スランボたちは、湖畔の草をもう一度噛み、

 最後にコロニーを静かに一瞥すると、

 森の向こうへと去っていった。

 残されたファアークは、一人でコロニーを振り返る。

「じゃあ……今日から、よろしくね」

 彼は、いつもの夢見心地の笑みを浮かべた。

「音の流れ、しばらくここで聞かせてもらうよ」

「ちょっと待て、決定早くない?」

 イネッサが、思わずツッコミを入れる。

「お前、怖くないのか。俺たちのこと」

 ステロイドも、眉をひそめた。

「怖いよ?」

 ファアークは素直に言った。

「でも、怖い音と、傷つける音と、守ろうとする音は違う。

 あなたたちは……今のところ、三つ目が一番大きい」

 山茶は、何か言いかけて口をつぐみ、

 セラは小さく笑って肩をすくめた。

 有無を言わせぬ説得力というよりも、

 「そうであってほしい」と皆がどこかで望んでいた答えを、

 ファアークがそのまま口にしたせいかもしれない。

 反論の種はそれぞれの胸の中にあったはずなのに、

 誰もそれを言葉に変えることができなかった。

 新しい波紋が、湖畔の小さな集落に加わった瞬間だった。

 その波紋は、スランボたちが残していった足跡のように、

 静かだが、確かに周囲の風景を変え始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ