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第5章 取引される鋼

 シルバーの残量は、目に見えて減っていった。

 乾燥食料、薬、釘、布。

 必要最低限のものを揃えただけで、保管箱の底板がちらちら見え始める。

 古い木箱の内側には、教団基地から持ち出した数字のラベルが貼られている。

 それは今や、理想的な在庫表ではなく、「減っていく現実」の目盛りだった。

「……シルバー残量、あと一度大きな取引をしたら終わり」

 山茶が、記録パッドを見ながら静かに告げる。

「終わりって、さらっと言うね」

 イネッサが、顔をしかめて箱の中を覗き込む。

 薄い銀の板が、まるで数枚の魚の骨のように寂しく並んでいた。

「じゃあ、どう言えばいい。“理想的ではない残高”とか?」

「それはそれで腹立つ!」

 イネッサが抗議の声を上げ、フェニックスは苦笑いを押し殺す。

「“理想からの乖離が許容範囲を超過しつつある”とか」

「山茶、それ専門用語で誤魔化そうとしてない?」

 イネッサが両手を挙げて大げさに嘆いて見せると、

 ステロイドは木箱の縁にもたれながら、ため息とも笑いともつかない息を吐いた。

「要約すると、“ほぼスッカラカン”だろ」

「……否定はできない」

 山茶が素直に頷き、四人の視線が自然とフェニックスに集まる。

「それじゃあどうすればいいのよ、って顔してる」

 イネッサが肘でフェニックスの脇腹をつつく。

「いや、実際そうだろ」

 フェニックスは苦笑しつつ、天井の梁を一度見上げた。

 湖畔の風はまだ穏やかだが、財布事情だけは既に嵐の手前であることを、

 誰もが分かっていた。

 そんなやり取りをしていた日の午後だった。

 街道の方から、重い足音と車輪の音が近づいてきた。

 乾いた石を踏む靴底の音に、金属の打ち鳴らすような響きが混ざる。

 長屋の陰、物資箱の脇には、小さな白い塊が転がっていた。

 最初の数日、罠のつもりで仕掛けた板に挟まれていた小動物の死骸だ。

 誰も回収する余裕がないまま、乾ききって、ただの骨と皮になっている。

 それは、もしこの先のやり繰りに失敗すれば、自分たちもこうなり得る、

 ささやかな未来図のようにも見えた。

 今回の隊商は、前の二つよりも無骨だった。

 粗末な防弾装備に身を包んだ人間たち。

 胸当てと肩当ては、どこか別の戦場から引き剝がしてきたような傷だらけで、

 その上から適当な布が巻かれている。

 腰には派手さのないホルスターと、野暮ったいが実用本位のナイフ。

 荷車には包みの多い木箱が積まれ、その隙間から鉄の匂いが滲み出ていた。

 血と油と火薬が混ざったような、湖の匂いとはまったく別種の重たいにおいだ。

「よう、新顔さん」

 隊商のリーダーらしき男が、口の端だけで笑った。

 髭は伸びすぎてはいないが、刃を入れる時機はとうに逃している。

 目の下には寝不足の影と、諦めきれなかった何かの名残が沈んでいた。

 着ているジャケットは、ところどころ補修されているが、

 その縫い方があまりにも雑で、

 最初から長持ちさせる気などないことを物語っている。

 彼の纏う空気は、一言で言えば「カタギではない」。

 フェニックスは、そういう言葉を教団で習ったことはないが、直感ではっきり分かった。

「噂は聞いてるぜ。宗教団体出身の、真面目な巡礼コロニーだってな」

 フェニックスの横で、ステロイドが低く呟く。

「噂の出どころは、あまり良くなさそうだな」

 セラは、ほんの少しだけ目を細めて一行を眺めた。

 イネッサの尾は、不快と警戒が混じったリズムで揺れ、

 山茶は自然な動作を装いながら、男たちの武装と人数をメモに落としていく。

 フェニックスは一歩前に出て、穏やかさを装った視線を向けた。

「取引なら歓迎する。価値が釣り合えば、だが」

「もちろんさ。こっちは“価値”にはうるさい商売でね」

 男は木箱を足で軽く蹴った。

 その動作一つで、「これを全部ぶちまけて踏みにじることもできる」とでも言うような圧が走る。

 気弱な相手なら、その足の動きだけで一歩引いてしまいそうな、

 慣れた威嚇だった。

 周りの部下たちも、フェニックスたちの若さに気づいたのか、

 わずかに口元を歪める。

 値踏みするような目と、「まだ柔らかそうだ」という侮りが混ざった視線。

 木箱の蓋が少しずれ、内部の金属光沢がのぞく。

 銀ではない、もっと鈍い、殺傷力のある光だ。

 刃の一部には、まだ完全には落ちきっていない褐色の染みがこびりついている。

 誰かの血が乾いて、武器の一部になっていた。

 そう、それは誰かのモノだったようにしか思えない武器だった。

 既製のボルトアクション銃、手製の短機関銃、刃渡りの長いナイフ。

 中には、どこかの軍需工場から流れたと思しき、高性能なライフルも紛れている。

 スコープの調整ノブは滑らかで、ストックに付いた擦り傷は「使い込まれた安心感」と「奪われた違和感」を同時に語っていた。

「どうだ? この辺りじゃ、ちょっとした宝だぜ」

 男が、箱の中身を顎で示す。

「シルバーが足りねぇなら……」

 男の目が、遺跡の方へと滑っていく。

 湖の向こう、霧の奥に黒く沈むアルコテックの塊。

 宙族や鋼主義の連中にとって、

 未解析の技術、価値の高い遺構、異形の構造物は、

 いつか空へ戻るための踏み台か、

 星を丸ごと抱え込むための足場に過ぎない。

 育ちきったコロニーは、彼らにとって、

 肥え太って屠殺を待つ家畜か、

 枝から落ちて地面でひしゃげ、種をまき散らす寸前の果実か。

 どちらにせよ、「収穫」の対象であることに変わりはない。

「あの黒いの、少し削ってくれりゃ、それでチャラにしてもいい」

 男の声は軽く、提案のようで、ほとんど命令に近い響きがあった。

 背後で、セラの気配が変わる。

 外鰓がわずかに膨らみ、翡翠色の瞳に冷たい光が走った。

 誰よりも遺跡の価値と意味を知っているのは、セラだ。

 その変化を、他の四人は言葉にできないまま肌で察する。

 フェニックスは、男から視線を逸らさないまま、呼吸を一つ整えた。

「……あれには触れない。理の領域に、人の欲で線を引きたくはない」

「理、ねぇ」

 男は鼻で笑った。

「きれいごとだ。あんたらも、さっきからシルバーの残り枚数を気にしてるくせに」

 その言葉には、妙な重さがあった。

 かつて、彼もまた、誰かの教えや理想を信じていたのかもしれない。

 その手を離した先で、生き残るために選んだのが、今のやり方なのだろう。

 「一皮むけば、お前もこっち側だ」とでも言いたげな視線が、フェニックスを刺す。

「きれいごとでも、今はそれが俺たちの線だ」

 フェニックスは答えた。

「武器は、今あるもので足りている」

 胸の内側では、喉の渇きとは別の不安が蠢いていたが、それでも言葉だけははっきりさせる。

 ここで線を引けなければ、この先どこでも引けなくなる気がした。

「足りなくなる日が来るぜ」

 男の目が細くなる。

 その奥には、かつての自分や、眩しかった誰かの眼差しを思い出したような、

 ほんの少しの羨望と、小馬鹿にした色と、「どうせそうなる」という諦めが混じっていた。

「そん時、“理”が弾を出してくれりゃいいがな」

 最後の一言だけは、純然たる皮肉と悪意に染まっていた。

 現実の冷たさに、自分自身をもう一度縛り直すような声音だった。

 空気が、じわりと重くなった。

 イネッサの指が、腰の銃のグリップにかかる。

 ステロイドが無言で一歩前に出ようとした時、

 山茶が小さく首を振った。

「取引の条件が合わなかった。それだけの話」

 山茶の声は冷たく平坦だ。

「これ以上の交渉は、時間の無駄」

 隊商の男はしばらくフェニックスたちを眺めた後、肩をすくめた。

「……まぁいいさ。聖人ぶった顔も、最初のうちだけだろうしな」

 そう吐き捨てると、部下に合図を送る。

 武器箱の蓋が乱暴に閉められ、金属同士がぶつかる音が乾いた空気に響いた。

 隊商の中で、まだ年若い男が一人、

 惜しそうにこちらを振り返りながら舌打ちをする。

 目の前にぶら下げられた餌を取り逃がした獣のような、その仕草は、

 いつか自分たちも誰かに向けることになるかもしれない感情の、鏡にも見えた。

 彼らは街道へ戻り、土煙と鉄の匂いだけを残して去っていった。

 背中を見送りながら、イネッサが小声で言う。

「ねぇフェニ。ああいうの、ちょっとくらい買っても良かったんじゃない?」

「シルバー残量は既に危機的。買った瞬間、他の必要物資が枯渇する」

 山茶が即座に返す。

 数字の上では感情の入る余地はほとんどなかった。

「理が禁じているわけではない」

 セラが、静かに言葉を足した。

「だが、今の我らには“扱う器”が足りぬ。

 鋼を握る前に、心が割れてしまう」

「俺は、どっちでもいい」

 ステロイドがぽつりと言う。

「ただ、家を守る道具が足りないのは確かだ」

 自分が積み上げてきた壁と柱が、

 あの武器箱ひとつで簡単に破られてしまう未来を、

 どうしても想像してしまう。

 フェニックスは黙って四人の顔を見た。

 それぞれの目に、それぞれの「現実」と「信仰」の色が混じっている。

 山茶の目は数字と効率を見ていた。

 イネッサの目は恐怖と好奇心の間で揺れていた。

 セラの目は理と美の均衡を測っていた。

 ステロイドの目は、柱と壁の強度と、その向こうで眠る仲間たちを見ていた。

「……いつか、必要になる日が来るかもしれない」

 フェニックスはようやく口を開いた。

「でも、その時に線を引くのは、今日の俺たちだ。今、ここで」

 言葉にしてしまえば、子どもじみた意地のようにも聞こえる。

 それでも、その意地を立てるしかないと思った。

 長屋の中で、AIコアが薄く明滅した。

 研究台のモニタに、短いログが浮かぶ。

——外部勢力評価、変動。

——噂の拡散、予測不能。

——観測、継続中。

 フェニックスは、その文字を見て小さく息を吐いた。

(理は、見ているだけだ。選ぶのは、やっぱりこっち側だ)

 その夜の焚き火は、いつもより少し静かだった。

 湖の上を風が渡り、暗闇の向こうで、

 昼間の隊商の誰かに似た笑い声が聞こえた気がした。

 それは風の悪戯か、隣の湿地で鳴く獣の声か、それとも——

 未来の自分たちの笑い声かもしれない。

 宗教団体出身の真面目な巡礼者たちと、

 武器箱を蹴って笑うアウトローの一団。

 その差は、今のところはっきりしているように思える。

 だが、飢えと恐怖と噂が少しずつ積み重なっていけば、

 理の線も、心の線も、いつか滲んでくるのかもしれない。

 焚き火の火は、風に煽られて一瞬だけ高くなり、

 すぐにまた小さくまとまった。

 湖畔の闇の中で、五人の影と、ひび割れたAIコアの光だけが、

 静かに揺れていた。

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