第4章 街道を行く影
今月中は朝方ないし夕方中心に日刊予定。目標。ともすれば。。
古い街道は、森と湿地の境界線のように走っていた。
湿地側の黒い土と、森側の暗い根の海とを、一本の帯が切り分けている。
石畳はとうに表面を風雨に削られて、角が丸い。
それでも、一枚一枚の石は、あり得ないほどしっかりと形を保っていた。
踏みしめられた石の奥で、何かがうっすらと光っている気がした。
古い街道の石は、かつてこの星に敷かれたナノマシンの循環路——
世界そのものの血脈に、後から人が「道」という名を付けたようなものだ。
石と石の隙間からは草が伸び、ところどころには苔がりん片状に貼りついている。
だが、草も苔も、石そのものを割るところまでは至っていない。
道路としての役目は、何百年、もしかすると千年にも及ぶ時間を経てなお、辛うじて生き残っていた。
荷車の車輪が通った跡は、かすかな轍として残っている。
新しくも古くもない、見分けのつきにくい痕跡。
最近通った隊商のものか、十年前のものか、それとももっと遠い昔のものか——そこまでは判別できない。
その轍が、この先に希望がある証のようにも見えたし、
同じ道を引き返していくときに背負うことになる「帰り道の重さ」の予告のようにも見えた。
街道は、進む者を歓迎しているのか、それとも飲み込もうとしているのか。
見る者の気分ひとつで、いくらでも意味を変えられる沈黙をまとっていた。
「……やっぱり、生きてる道だな」
ステロイドが額の汗を手の甲で拭いながら呟く。
彼の背後には、新しく組み直された外壁と、半分だけ真新しい長屋が見えた。
崩れかけた石壁を骨組みにして、少しずつ木と金属を足していった長屋は、
まだところどころに廃墟の面影を残している。
けれど、歪んでいた梁はまっすぐに矯正され、
雨漏りしていた屋根にはポッドの装甲板がきっちりと張られ、
夜になれば窓の隙間から、焚き火ではない、生活の光が漏れるようになった。
湖畔の風景の中で、その家はたしかに異物だった。
だが「場違いなもの」ではなくなりつつある。
ここに住む者たちの手が毎日少しずつ加わることで、
廃墟は「帰るべき場所」の形へと、ゆっくり肉付けされていた。
「山茶、そっちの畝はどうだ?」
畑に似た区画で、山茶が土を指でほぐしながら答える。
「酸性寄り。ここは木灰を混ぜた方が良い」
屈み込んだ拍子に、結わえた髪が肩から滑り落ち、うなじに沿ってさらりと流れる。
薄茶の髪が湿った日差しを受けて、土の上に淡い光を落とした。
フェニックスは、その横顔に一瞬だけ視線を止めてから、慌てて畝の方へ目を戻した。
フェニックスは鍬を肩に担ぎ、畝と畝の間を歩く。
そこには、ヒールルートとベリーに加え、見知らぬ塊茎が植えられていた。
塊茎は、地表から顔を出した葉だけ見ればジャガイモにも似ている。
しかし、掘り出してみると、表皮はとうもろこしの芯のように硬く、
内部には甘い汁を多く含んだ層が渦を巻いていた。
AIコアによれば、この星の土壌に適応した「汎用デンプン源」として設計された種らしい。
AIコアから引き出した情報と、実際の土の感触を突き合わせながら、
彼らは一本ずつ、“食べられる理”を増やしていった。
先進アーマーは、今は長屋の壁に立てかけてある。
五人はインナー・スーツの袖を肘まで捲り、首には獣の皮や端布をタオル代わりに巻いていた。
額や首筋から落ちた汗が土に染み込み、
土はそれを受け取って、ふわりと柔らかい匂いを返してくる。
鍬を振るうたび、土の塊が崩れ、小さな虫と根が顔を出す。
それを指で払い、再び土を被せる。
そうやって少しずつ、ここを「肥えた土地」に変えていく。
アウルテウスの教えの一節が、フェニックスの頭をよぎった。
——理は、耕された場所に宿る。
——土と汗と火を通じて、人は世界と契約を結ぶ。
この作業が、単なる食い扶持作り以上の意味を持つのだと、
教団は何度も繰り返して教えてきた。
その刷り込みが、今は少しだけ救いになっていた。
「フェニ、来客だよー」
街道側から、イネッサの声が飛んできた。
振り返ると、霧を切り裂くように、ふさふさした三本の尾が揺れていた。
クーリンのキャラバンだった。
クーリン——遺伝子操作によって作られた狐娘種族。
獣じみた耳と尾を持ちつつ、体つきは人間に近い。
表情筋の動きは豊かで、声帯も人間とほとんど変わらない。
愛嬌と順応性を最初から埋め込まれた、交易と社交のための「調整種族」。
先頭を歩くクーリンの商人は、陽気な笑みを浮かべて手を上げた。
長い外套は、動きやすさを残しながらも、関節部に硬いものを隠している。
胸元や肩のラインには、先進アーマーを思わせる補強がさりげなく入っていた。
あからさまに武装を見せつけない代わりに、
仕立ての良さと立ち居振る舞いが、「自分はただの行商人ではない」と自然に印象づけてくる。
誰が見ても、この一行の交渉窓口であり、地位の高い者だと分かる態度だ。
彼らが引いている獣車には、粗末だが頑丈そうな木箱が積まれている。
車輪は古い街道の石を知り尽くしているかのように、轍の上を滑らかに進んでいた。
「おーい、新しいコロニーさん。取引は好きかな?」
商人が尾を揺らしながら声を掛ける。
耳も、口元も、目尻も「人懐っこいですよ」と言わんばかりに下がっていた。
それが演技なのか、本能なのか、長年の習慣なのか——たぶん、その全部だ。
フェニックスたちは互いに目配せし、自然と持ち場につく。
セラは少し後ろで全体を見渡せる位置に立ち、
山茶は記録用パッドを構え、数字と物品をすばやく照合する。
ステロイドはさりげなく工具を手から離さない位置に立ち、
いつでもそれを武器に持ち替えられる距離感を保つ。
イネッサだけは一番前で、好奇心を隠しもしない顔で近づいていった。
自分と同じクーリンの群れに向かうその足取りには、わずかな警戒と、わずかな居心地の悪さが混じっている。
目の前の商人の笑顔の作り方が、あまりにも「仕様書どおり」だと、
自分自身まで同じ設計図から作られたような気がしてくるからだ。
「初めまして。ここ、まだ建ったばかりなんだけど」
「だからこそ、だろ?」
クーリンの商人が尾をふわりと揺らす。
「食料、薬、服、雑貨。何でもある。……武器も、少しだけな」
言いながら、にこりと目を細めた。
相手の欲しそうなものを列挙し、最後に少しだけ危ない匂いを混ぜる——
いかにも商売好きな者の話し方だ。
人間に好かれれば飼われ、悪どいことを言っても「しょうがない奴だ」と笑ってもらえるような、
最初から植え付けられた愛嬌が、そこには薄く滲んでいた。
イネッサは、その笑顔に自分がどう見られているのかを考えてしまい、
ほんの少しだけ、耳を伏せそうになる。
並べられた品は、簡素だが実用的だった。
干した肉と、塩気の強い乾燥魚。
ラベルの擦れた缶詰。
消毒薬と包帯、粗末な鎮痛剤。
グリップの削れた古びたピストルと、サイトの調整が甘い廉価なライフル。
そして、布に包まれた銀色の小塊——シルバー。
光を受けて鈍く光るそれは、通貨であり、贈答品であり、時には命の値段でもある。
「支払いは……」
フェニックスが、無意識に難しい顔をした。
ポッドから引き剝がした装甲板を売って手に入れたシルバーは、まだ多くはない。
湖と森だけではまかなえないものも多い。
これから冬が来るのか、来ない星なのかすら、まだ把握できていない。
「シルバーが基本だが、物々交換も可だよ」
商人は笑顔のまま、フェニックスの胸元の祈祷章に視線を滑らせる。
「宗教団体上がり? この辺じゃ珍しくないさ。
信仰ってのは、腹が満たされてからが本番だからな」
軽口に混じる、さりげない探り。
どれくらい金を出せるか、どれくらいの無茶を飲み込むのか。
フェニックスは、言葉を選ぶようにして答えた。
「理の言葉は、働く者の上に降る。……と教わってきた。
まずは、食べられる分だけ」
彼らは少量の薬品と乾燥食料をシルバーで買い、
代わりに余った革と、解体で手に入れたわずかなコンポーネントを売った。
さらに、脱出ポッドをバラして得たスチール材の一部も手放す。
建材として使いたい気持ちはあったが、今は「死なないこと」の方が優先だった。
山茶が、その場で小声で収支を伝える。
「シルバー残量、約半分。
次の取引で使い切る可能性が高い」
「貯金ゼロか。さすが巡礼生活だねぇ」
イネッサが肩をすくめる。
セラが小さくため息をつき、ステロイドは「まぁ、ゼロがスタート地点ってのは慣れてる」とぼやいた。
フェニックスは苦笑し、山茶も苦笑を堪えきれずに唇をわずかに緩める。
全員が揃って同じ種類のため息をついたせいで、一瞬だけ、妙な連帯感が生まれた。
帰り際、クーリンの商人が尾をひらりと振って振り返った。
「そうだ、新しいコロニーさん。街道沿いには他にも隊商が来る。気をつけな」
「何に?」
「“噂”に。良くも悪くも、な」
意味ありげに片目をつぶってから、商人は街道の先へと歩き去る。
三本の尾がゆっくりと小さくなり、やがて霧と地平線の向こうに溶けていった。
フェニックスは無意識に、長屋の中に置かれたAIコアの方を振り返っていた。
今は静かに光っているだけだが、
この街道を行き来する噂と、隊商と、別の何かが、
やがてここへも「理の変化」を運んでくるのだろう。
◆ ◆ ◆
数日後。
今度は別の影が街道を行く。
モエロトルの隊商だった。
モエロトル——遠い惑星でアホロートルから進化した両生類系の種族。
水と湿地を好み、体には螈気と呼ばれる特有のエネルギーが巡っている。
彼らは、普通のサイキックとは違う独自の感覚で、
水脈や湿度、土地の「呼吸」を読み取ることができると言われていた。
湿地育ちの両生類めいた美貌を持つ彼らは、
軽い甲冑と布地の装束をまとい、
石畳と沼地の境界を滑るような足取りでやってくる。
金属部品は必要最低限で、
代わりに織り込まれた紋様や、複雑な結び目が、彼らの文化と位階を物語っていた。
その中でも、若い女性の一人が鮮やかな紋様のローブを翻し、フェニックスたちに微笑んだ。
「新しい巡礼者たち? この湖は、良い水だよ」
肌は白磁のように滑らかで、ところどころに水かきのような模様が波打つ。
瞳は琥珀色に輝き、光の加減で水面のように反射した。
イネッサが、そっと肘でセラの脇腹をつつく。
「ほら、ああいうの。フェニ、絶対目のやり場に困ってるよ」
「……お主もあまり変わらんと思うが」
セラは小さく咳払いをし、視線を少し外した。
それでも、一団を見つめる目には、どこか慈しむような色が宿っていた。
自分と同じ螈気の流れを感じる懐かしさと、
ずっと先の時代に芽吹いた枝葉を見るような、静かな誇らしさ。
その感情の奥底に、もっと長く、もっと重い時間の影があることを、
この場で知る者はいない。
取引内容は、先のクーリンたちと大差はなかった。
食料、薬、布、古い道具。
ただ、モエロトルの商人たちは、商品と一緒に、別のものも置いていった。
言葉だ。
「この街道の先には、鋼主義の拠点がある。あまり近づかない方がいい」
ローブの女が、何気ない調子で言う。
「鋼主義?」とフェニックス。
「鉄と油で世界を測る連中さ。
何でも『部品』と『燃料』に分類したがる。
気を抜くと、身体のどこかを“余剰パーツ”として見積もられるよ」
「宙族の連中が、最近この辺りをうろついてる。
空の音がうるさくなる前は、家に入っておきな」
別のモエロトルが、上空をちらりと見上げながら付け足す。
宙族——星間航行こそ行わないが、
大気圏内用の先進装備で身を固めた空の略奪者たち。
浮遊プラットフォームや武装輸送艇を駆り、
街道と小コロニーを襲い、資源と人をさらっていく。
彼らは生まれつき残酷なのではない。
厳しすぎる環境と、壊れかけの文明の隙間で、
「奪わなければ死ぬ」という選択肢だけが残った結果、生まれた在り方だ。
だからといって、襲われる側の痛みが軽くなるわけではない。
山茶は黙々とメモを取り、フェニックスは礼を言う。
セラはモエロトルたちの足取りと外鰓の動きを目で追い、
イネッサは彼らの装飾や言葉のリズムを真似しようとして、途中で諦めた。
ステロイドは、彼らの荷車の車軸と、道具の使い込み具合をさりげなく観察していた。
モエロトルの隊商が去った後、コロニーは少しだけ賑やかになった。
持ち込まれた物資の数は多くないが、
外から運ばれてきた話が、世界の広さを静かに教えてくれる。
フェニックスは、新しく積み上げた壁の上から、街道を見下ろした。
自分たちの立つ場所が、どこか遠くの「理の網」の一点に過ぎないことを、
あの噂話の数だけ実感する。
ここから先へ歩き出すのか、それともここを守るのか。
街道は相変わらず、どちらの答えも沈黙のまま飲み込んでいた。
山茶は、メモを整理しながら、頭の中に簡単な地図を描いていた。
鋼主義の拠点、宙族の出没域、他のコロニーの位置。
今はまだ曖昧な点と線だが、いつか、その上に自分たちの生活圏と危険圏を重ね合わせる日が来る。
イネッサは、街道に残る轍をぼんやりと眺めていた。
自分と同じクーリンが笑いながら行き来し、
別の種族が別の流儀で世界を渡っていく。
そのどれもが「与えられた役」と「選んだ役」の境界線の上を歩いているように見えて、
胸の奥が少しむず痒くなる。
セラは、湖畔にしゃがみ込み、水面に指先を浸した。
街道を行き来する人々の流れは、
水面を走るさざ波とよく似ている。
美しい流れもあれば、汚れと泡を運ぶ流れもある。
それでも、すべてをひとつの「湖」として抱えてしまうのが、この星であり、この時代の理なのだろうと感じていた。
ステロイドは、外壁の陰で工具を磨きながら、空を一度見上げた。
鋼主義、宙族、噂の連中——
そういったものから身を守るために、どれくらいの厚さの壁と、どれくらいの深さの基礎が必要なのか。
それを考え始めると、手は止まらなかった。
「……それで、バッテリーは?」
夕方、外壁の陰に集まったとき、ステロイドがぼそっと言った。
山茶が資料をめくり、AIコアの出力表示を見つめる。
「電力系統、基本構造までは再現可能。
風力発電機、壁掛け照明、簡易冷却装置……」
「問題は?」
フェニックスが、慎重に言葉を選ぶようにして確認する。
「“蓄電ユニット”のデータが丸ごと欠損している」
淡々とした口調が、逆に重さを際立たせた。
「……つまり、電気は使えても溜められない、ってことか」
「現状の理の知識では、そうなる」
AIコアの光が、ひときわ弱く明滅した。
まるで、自分の欠損を恥じているかのように——
いや、そう見えるように演出しているだけかもしれない。
少なくとも、そこに「後ろめたさ」という感情が存在する保証はどこにもない。
(理は万能じゃない。少なくとも、“今の理”は)
フェニックスは、胸元の祈祷章を握りしめた。
冷たい金属の感触は、湖の底に沈む何かの表面とよく似ている。
街道にはまた、別の影が遠ざかっていく。
誰かがどこかへ向かい、誰かがどこかから帰ってくる。
その繰り返しの中で、いつか自分たちの名も、噂のひとつとして運ばれていくのだろう。
世界は広がりつつある。
だがその広さは、同時に、自分たちの脆さと足りなさを、いやでも浮き彫りにしていた。




