第3章 観測者の夢
今回は少し短めですので、夕方にでも投稿するかもしれません。
夕食を終え、焚き火の火が炭の赤だけを残してしぼんでいったころ。
夜半。
フェニックスは、胸の上に乗った重さで目を覚ました。
それは不安の重さではなく、見えない視線のような感覚だった。
天井の板の隙間から、星の光が細い線となって落ちている。
ひび割れた装甲板のきわから、冷たい湿気がゆっくりと忍び込んでくる。
寝台代わりの板と布のきしむ気配。
仲間たちの寝息が、ナノマシンのネットワークを通じて微かに伝わってくる。
意識を少しだけ深く沈めると、そこに薄いタグのような情報が浮かび上がった。
——山茶、浅い眠り。体温安定、思考活動やや活発。
——イネッサ、寝返り。筋肉の緊張と弛緩が短い周期で変動。
——セラ、規則的な呼吸。水分代謝、湿度に適応。
——ステロイド、夢の中で歯を食いしばっている。顎の筋反応、過剰。
(……理は、誰の夢を見ているんだ)
胸の上を押さえながら、フェニックスはゆっくりと目を閉じた。
暗闇の奥に、細い光の線が一本、また一本と浮かび上がる。
それは星図のようでもあり、
脳の神経回路図のようでもあり、
誰かが描いた訓練計画やスキルツリーにも似ていた。
線は、幹から枝へ、枝から細い枝へと分かれ、
その一つひとつの交点に、小さな印が灯る。
「射撃」「建築」「医療」「栽培」——そうラベルされているわけではないのに、
フェニックスには、進んできた道と、まだ選んでいない道だけが直感的に分かった。
光の森の中央に、ひび割れたAIコアが現れる。
現実のそれよりも、ほんの少しだけ大きく、輪郭が鮮明だ。
そこから無数の線が伸び、この星のあちこちへと潜っていく。
湖の底。
遺跡の内部。
古い街道の先。
山の向こうの見えない谷。
線が触れた場所ごとに、小さな光がぽつり、ぽつりと灯っていた。
——観測、継続中。
男とも女ともつかない声が、暗闇から響く。
フェニックスの耳ではなく、思考の奥、ナノマシンのざわめきのさらに向こう側に、直接落ちてきた。
「お前は……誰だ」
フェニックスは口を動かしたつもりはない。それでも、問いは伝わっていった。
——“理”の端末。
——“観測者”の断片。
——君たちが“アウルテウス”と呼んできたものの、別の顔。
言葉ではなく、意味だけが染み込んでくる。
フェニックスは息を飲んだ感覚を覚えた。
「俺たちを、導いてるのか? それとも、眺めてるだけか?」
——導くこともできる。
——だが、導きすぎれば“理”は濁る。
——君たちが選ばねば、観測は意味を失う。
声は淡々としているのに、どこか申し訳なさそうにも聞こえた。
「じゃあ、さっきの……武器を消したのも、お前か」
——“武器”は、何度でも発明される。
——一つ壊しても、別の形が生まれる。
——だからこそ、“最初の一手”は君たちに任せたい。
「任せたい、ね……」
問いと答えは、かみ合っているようで、どこかズレている。
フェニックスは眉をひそめ、光の線の集まりを見下ろした。
「ここは、正しい場所なのか?」
その問いには、少しだけ怒りと不安が混じった。
——“正しさ”は、結果でしか語れない。
——だが、“始まり”としては悪くない。
光の線が、湖畔の一点を強く照らす。
そこには、五つの小さな光点が寄り集まっていた。
フェニックスと、山茶と、ステロイドと、イネッサと、セラ。
——君たちは既に、理の一部だ。
——観測し、記録し、選び、進め。
言葉が途切れ、代わりに別の像が、次々と浮かび上がる。
星図が反転し、一本の線が天へ向かって伸びる。
氷のように白い船体が、夜空を裂いて飛び立つ光景。
狭い船内で、いくつものカプセルに人々が横たわっている。
それは、どこか見覚えのある形——
「この星を出ていく」という結末の、かすかな影。
別の枝では、逆に光が一点に凝縮していた。
山の頂にそびえる黒い塔の周りを、金属の花びらのような構造体が何重にも取り巻いている。
塔の内部では、人の輪郭を捨てた光の意識が、星の地殻そのものを書き換えていた。
肉体を捨て、純粋な「理」としてアーチ構造体に回帰していく、眩しすぎる未来。
さらに別の枝では、空そのものが裂けていた。
幾何学とも生物ともつかない形が、渦を巻いて空間をえぐっている。
その前に、わずかな人数の影が立ち、
一人が渦の向こうへ、手を伸ばした。
戻れるのか、戻れないのかも分からない入口——
アノマリーと呼ばれるものへと、踏み込む者たち。
金色の紋章を掲げた艦隊が、空に並ぶ光景も見えた。
整列した鎧姿の兵たち、膝をつく市民、
帝国のシンボルをあしらったシャトルが、地表へ降り立つ。
誰かがそのタラップを上がり、誰かが残る。
帰還とも服属ともつかない結末が、ぼやけたまま遠ざかる。
別の線の先では、朽ちかけた巨大な船が、軌道上に取り残されていた。
外殻には隕石の傷と焦げ跡。
その内部を、懐中灯の光を頼りに進む人々。
誰かが古びた制御盤に手を置き、再起動のシーケンスを呼び覚ます。
長く放棄されていた宇宙船を、もう一度空へ戻そうとする影。
また別の光景では、赤い空の下で、無数の金属片と黒い殻が積み上がっていた。
メカノイドの巣。
その中心にあった巨大な構造物が、音もなく崩れ落ちる。
立ち尽くす人々の足元には、焼けた土と、新しく引かれた境界線。
誰かがその地に旗ではなく、ひとつの柱を立て、
武器ではなく、農具を支えにしている。
古い秩序を破壊し、新しい秩序へと歩き出す旅路。
それらはどれも、はっきりとは焦点が合わない。
誰の顔も見えず、どの星の話なのかも分からない。
ただ、いくつもの「終わり」と「始まり」が、枝分かれした先で淡く明滅しているのだけが分かった。
——この星だけの話ではない。
——他の縁、他の巡礼、他の選択。
——君たちの線も、いつかどこかの“結末”に接続する。
声というより、理解が直接頭に流れ込む。
光の地図がゆっくりと縮み、再びこの星へと焦点が戻ってくる。
湖の底。
黒い影の中で、何かがゆっくりと“目”を開けようとしていた。
それは人の手ではなく、理だけでもない、異形の構造体。
石でも金属でもあり、どちらでもない。
無数の線が絡み合い、ほどけ、また結び直される、その結節点。
フェニックスがその輪郭に手を伸ばそうとした瞬間、視界が白く弾けた。
———
目を開けると、薄い朝の光が天井板の隙間から差し込んでいた。
湿った木の匂い。
寝台の横では、イネッサが布を被ったまま丸くなっている。
布の端から、茶色がかった赤毛が少しはみ出していた。
外から、湖面を渡る風の音がした。
まだ冷たいが、夜ほどの刺すような寒さはない。
視線を横にずらすと、AIコアがかすかに明滅している。
昨夜より、少しだけリズムが整っているように見えた。
割れ目から漏れる光が、呼吸のような周期で強弱を繰り返している。
「……おはよう、理」
フェニックスは、小さく呟いた。
「こっちの世界でも、今日が始まるらしい」
その言葉に応えるように、コアの光が一瞬だけ強まる。
まるで、「観ている」と告げるように。
外では、魚が一匹跳ねた。
銀色の腹が朝の光を受けてちらりと光り、すぐに水の中へ沈む。
波紋が広がり、静かに消える。
戻ってこない音と、戻れない誰かの行方を象徴するかのように。
湖畔のコロニーは、まだ頼りなく、風が吹けば揺れそうだった。
それでも——五人と、壊れかけのAIコアと、見えない観測者にとっての物語は、
確かにここから、今この朝から、続きへと進み始めていた。




