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第2章 湖畔の火

更新は週2~3回程度を目安に進めていく予定ですが、

執筆状況や私生活の都合により前後する場合があります。

気長にお付き合いいただければ幸いです。

 彼らがこの湖にたどり着いてから、もう何日かが過ぎていた。

 脱出ポッドから持ち出せたものは、思っていたより少ない。

 五人分の先進アーマーと、最低限の個人武装。

 フェニックスの手には、旧世紀由来の設計を引きずった中口径のパルス・カービン。

 山茶は、細身の長いバレルを持つ精密ライフル——狩りと測距に向いた、無骨な相棒。

 ステロイドは、近距離での一撃を想定したショットガンと、石や木を叩き割るための重いハンマー。

 イネッサは、古びた短機関銃と、指の関節を守る厚いグローブ——殴ることも、撃つことも、同じくらい軽々しくやってのけるための装備。

 そしてセラの腰には、湿地の金属で鍛えられたという螈鋼の長剣が下がっている。儀礼用にも見える美しい刃だが、その重さとバランスは、実戦用の武器そのものだった。

 ほかに残ったのは、簡易医療キットが詰まったケースが一つと、フィルターやパイプ類の予備が少々。

 ナノマシンの補修カートリッジは、手のひらサイズのパックが数個だけ。

 個包装された非常食パックが中型のコンテナ一つ分と、折り畳み式の工具セット、ポッドの装甲板を何枚か剥がしたもの——それが、彼らの「文明の残りかす」のすべてだった。

 そのわずかな資材を崩れかけた壁と組み合わせ、ステロイドが木を伐り出して柱を立てる。

 セラが重さとバランスを測りながら梁を渡し、フェニックスとイネッサが装甲板を屋根代わりに括りつけた。

 山茶は、その間ずっと湿地の植物を観察し、燃やせるものと燃やしてはいけないもの、食べられるものと毒になるものを仕分けていった。

 こうして、湖畔の廃墟に張り付くような形で、小さな屋根と寝床だけがどうにか整った。

 最初の数日は、ひたすら「足りない」の積み重ねだった。

 ベッドは、ポッドの内装材と粗く削った板を組み合わせた寝台に、薄いシートを敷いただけ。

 床はむき出しの土で、夜になると、地面からじっとりと湿気が這い上がってくる。

 椅子も机もなく、非常食コンテナをひっくり返した箱が、そのまま食事台と作業台を兼ねていた。

 湿った土の匂いは、時間帯によって表情を変えた。

 朝は霧と混ざり合って、どこか新鮮な冷たさを運んでくる。

 昼には温まった泥の、少し甘くて重い匂いになる。

 夜は、冷えた水と苔の匂いが強くなり、寝台の下からじわじわと背中を冷やしてくる。

 イネッサは最初の二日は「野営感あってサイコー」と笑っていたが、

 三日目には「野営感」と「ただのジメジメ」の境目があやしくなってきていた。

 山茶は、湿度計の数値と自分の肌感覚を冷静になぞりながら、カビや病原菌のリスクとしてそれを受け止める。

 ステロイドは、土台に含んだ水分がどれだけ柱や壁を腐らせるかを計算して、どうしても眉間に皺が寄った。

 セラだけは、湿気そのものにはあまり嫌悪を示さない。むしろ水気を好む種族だ。しかし、制御されていない湿り方——筋の悪い湿度の溜まり方には、静かな不快感を覚えていた。

 フェニックスは、そのすべてをまとめて「新しい土地の匂い」と呼び、無理やり前向きなラベルを貼ろうとしていた。

 今、五人はそのひっくり返した箱を囲んで、夕食をとっている。

 箱の上には、ポッドから持ち出した携行コンロと、小さな鍋が一つ。

 取り分け用の皿は足りず、空になった非常食パックを洗って折り曲げ、即席の深皿にしている。

 印刷された賞味期限やメーカー名の文字列が、スープの縁からのぞいているのが、嫌でも「残り時間」を意識させた。

 非常食パックの山は、すでに目に見えて低くなっている。

 持ち込んだ食料だけで生きていける猶予は、そう長くない。

 火の上では、山茶が捕まえた小動物の肉とベリー、刻んだヒールルートが煮えている。

 湯気と一緒に、獣脂と土の匂いが立ち上る。

「栄養バランスは最悪ではない。味は保証しない」

 山茶が、手早く混ぜながらぽつりと言う。

「せめて前半だけで止めといてよ、それ」

 イネッサが膝の上でパック皿を支えながらこぼした。

 口調は軽いが、焚き火の光が映る瞳の下には、薄く疲れが滲んでいる。

 山茶は、軽く肩をすくめるだけだった。

 フェニックスは、最初の一口を飲み込んでから言った。

「……悪くない。少なくとも、教団の標準配給よりはずっとマシだ」

 それは本音だった。

 肉の臭みは強いが、ベリーの酸味とヒールルートの土っぽい甘みが、ギリギリのところでそれをまとめている。

「塩がもう少し欲しいな」

 ステロイドも、スープをひとすすりしてから正直な感想を付け足す。

「でも、体が温まる。仕事終わりにこれがあるなら、俺はしばらく文句言わない」

「評価は上々。次は胡椒に相当するスパイスを探してみる」

 山茶の声音は変わらないが、その言葉の端には、わずかな満足が滲んでいた。

「理の巡礼って、もっとこう、ありがたい感じじゃないの?」

 イネッサが、パック皿の縁を指で弾きながら言う。

「ほら、金ピカの祭壇とか、ふかふかのクッション付きの椅子とかさ。

 “よく来たね、巡礼者たちよ”って感じでさ」

「教典に“椅子完備”と書いてあった覚えはないが」

 セラが淡々と返す。

「むしろ“苦難を共にする食事こそ尊い”とあったじゃろ。

 椅子は、そのうち理に恥じぬ形でしつらえればよい」

「その“そのうち”までに、尻の肉が先になくなりそうなんだけど」

 イネッサの愚痴に、フェニックスは苦笑しながらスープをかき混ぜた。

 湿った土から帰ってくる冷気と、焚き火から立ち上る熱が、彼らの膝のあたりで押し合って、落ち着きの悪い空気の層を作っている。

 日中、それぞれには既に役割がある。

 ステロイドは崩れかけた壁を見回り、再利用できる石と木を選別する。

 どの石が基礎に向き、どの梁が荷重に耐えられるかを、職人の眼で測る。

 セラは街道と遺跡の間を巡回し、危険な動物や不審な痕跡を確かめる。

 湿地に馴染んだ足取りで、ぬかるみに残る足跡や、風の流れの乱れを読み取るのは、彼女が一番得意だ。

 山茶は周囲の植物と水の検査を続けている。

 飲める水と煮沸を要する水、薬になる根と毒になる葉——それらを記録しながら、仮の台帳を作っていた。

 イネッサは主に狩りと偵察を担当した。

 冗談を飛ばしながらも、獲物の気配を察する時だけは、目が笑っていないことをフェニックスは知っている。

 フェニックス自身は、その全部をつなぐように動いていた。

 誰の仕事がどこまで進んでいるかを聞き取り、次に必要なものを考え、ちょっとした揉め事が起きれば間に入る。

 気づけば、報告の矢印は自然と彼のところに収束していた。

 夕食を終えた後、その「食卓兼作業台」の箱の上に、物語の中心とも言えるものが置かれた。

 銀灰色の拳大のコア。

 フェニックスは山茶と一緒に、ポッドから持ち出したそれを、箱の中央に慎重に据えた。

 表面には細かい亀裂が刻まれ、その隙間から淡い光が漏れている。

 アウルテウス本土から託された、自律型AI研究コア。

 帰還航路と技術体系と交渉プロトコル——“理の骨格”が詰まっていたはずの心臓だ。

「起動シーケンス、投入」

 山茶が手順を読み上げる。

 指先でインターフェースに触れると、コアの光がじわりと強まり、内部から電子音とも心音ともつかない振動が響いた。

——観測モジュール、再構成中……

——技術データベース……断片的。

——環境情報、不整合多数……

 光は、明るくなりかけて、また弱まる。

 焚き火の炎も、ちょうど同じタイミングで風に揺れ、一瞬だけ陰を濃くした。

 湖の向こうから、正体の分からない獣の鳴き声が遠く響き、霧に飲まれて消える。

 モニタに流れる文字列を見ながら、山茶の眉が沈む。

「どうだ?」

 フェニックスが問う。

「やはり読み出せるのは、基礎建築、簡易医療、初期農耕……」

 山茶は淡々とスクロールを追い、そこでわずかに言い淀んだ。

「それと、ごく一部のナノマシン制御だけ」

「武器は?」

 イネッサが身を乗り出す。

「消失。戦術アルゴリズムも、武装設計も」

 それは、この時代の人間にとって重大な意味を持つ言葉だった。

 彼らは、旧世紀の人類とはもう別の生き物だ。

 細胞の一つひとつにまでナノマシンが入り込み、血肉と一体化している。

 ナノマシンは、石や木、金属を分解し、再構成する。

 種を蒔くように土に撒けば、指定した形の畝と水路を刻み、

 トタン屋根ほどの板材なら、数分もあれば必要な枚数を「生やす」ことができた。

 適切な設計データさえあれば——

 弾倉の中身は、撃つたびに自動で再充填される。

 工業用の作業台は、地面から引き剝がした鉱石と空気中の微量元素だけで、精密部品を吐き出す。

 高度に発達しすぎた科学は、もはや魔法と区別がつかない。

 無から有を生み出すことさえ、「手順通りに行えば起こる現象」に過ぎなかった。

 だからこそ、ヒトの肉や皮にも価値がある。

 ナノマシンを豊富に含んだ血肉は、ただのタンパク源ではなく、

 「効率の良い資源」としても扱われる。霊的な意味合いをそこに見出す者もいた。

 己と同じ「理に適応した血」を取り込めば、

 技術も記憶も、どこかで自分に還流してくるのだと信じる連中もいる。

 そうした信仰は、いくつもの星でカルトとして姿を変え、

 ある教団では公然と、別の教団では地下で——人肉食を「儀礼」として認めていた。

 アウルテウス教団は、表向きにはそれを禁じている。

 だが、「理の巡礼者」である彼らもまた、

 ナノマシンとナノマシンが混じり合うことの意味を、知らないわけではない。

「理、スパルタすぎない?」

 イネッサが口を尖らせる。

「家は建てていいけど、武器は自分で考えろって? “殴るか石投げとけ”って?」

 フェニックスは、自分の腕に埋め込まれたインターフェースに意識を集中させた。

 近くの木片と石にナノマシンを流し込み、「杭」の形を指定する。

 木目が震え、石の表面に光が走る——

 次の瞬間、白い火花を散らして霧散した。

「……だめか」

「“生活インフラ以外への武装転用は、理の拒絶反応により構造崩壊する”」

 山茶がコアから引き出したログを読み上げる。

「要するに、“便利にはしてやるが、殺し方までは教えない”ということ」

「ふざけてんのか、理」

 ステロイドが鼻で笑う。

「こっちはもう敵がいる前提で放り出されてんのに」

 五人は知っていた。

 発達しきったナノマシンであっても、より高度な武器や防具を安定して作るには、

 作業台や工作台、精密機器用の操作台といった「場」が必要だということを。

 ナノマシンが勝手に工場そのものを作り出してくれるわけではない。

 だからこそ、彼らはこのコアから、その“場”を設計するためのログを引き出したかったのだ。

 しかし今のログは、「家」と「畑」と「最低限の診療所」しか約束してくれない。

「敵がいるからこそ、“どう守るか”は人が選べ、ということかもしれない」

 フェニックスは、自分でも驚くほど、教団で教わった答えをそのまま口にしていた。

 湖は、すぐそばで静かに波紋を繰り返している。

 森は霧の向こうで黒い幕のように立ち並び、その隙間から、太古の街道が帯のように覗いている。

 どこまでも続いていくようで、実際にはどこへ通じているのか分からない道。

 その景色は、この先の道筋を誰も知らない彼ら自身の心の中を、妙に正確に映しているようだった。

 夜。

 風は冷たく、湖からの霧が足元を這う。

 湿った空気は、焚き火の熱でかろうじて押し返されているが、

 少し距離が離れれば、すぐに闇と冷気がじわじわと入り込んでくる。

 五人は焚き火を囲み、ひび割れた屋根越しに星を見上げた。

 装甲板の隙間から覗く空は、細く切り取られた帯のようで、

 その狭い視界に、数えきれない星々が押し込まれている。

「ねぇ、フェニ」

 イネッサが火越しに顔を覗き込む。

 炎に照らされたその顔はいつものように笑っていたが、

 影の落ち方のせいか、その笑みはどこか心もとなく見えた。

「理、ほんとに見てると思う? あたしたちのこと」

「……見てるさ。少なくとも、コイツは記録してる」

 フェニックスはAIコアを顎で示す。

「観測者ってやつだ」

「観測してるだけで助けてくれないとか、ちょっと性格悪くない?」

「理は、試練を与え——」

 セラが口を開きかけて、ふと黙った。

 教典にある定型句は、この場に置くには薄っぺらく思えたのだ。

 彼女の翡翠色の瞳が一瞬だけ揺れ、その迷いが、言葉よりも雄弁に心中を語っていた。

 ステロイドが火に木をくべる。火花が弾けて暗闇に消えた。

「……正直に言うとだな」

 ステロイドがぼそりと言った。

「理がどうとかより、“ここで本当にやっていけるのか”で頭がいっぱいだ。柱も屋根も足りない」

「怖いの?」とイネッサ。

「怖いさ。当たり前だろ」

 珍しく即答だった。

 その言葉の重さに、イネッサはいつものような軽口を一つ飲み込んだ。

 しばらく沈黙が続いた。

 焚き火のはぜる音と、湖のほとりで小さく水が揺れる音だけがする。

 フェニックスは、その沈黙の重さに耐えかねて口を開く。

「でも、俺たちはここを選んだ。理のせいにしても、最後に動くのは俺たちだ」

 自分でも、どこに向けているのか分からない言葉。

 それでも、何かを言わずにはいられなかった。

 山茶が小さく息を吐き、「それは、正しい」とだけ言った。

 セラは無言のまま頷き、外鰓がわずかに震えたあと、静かに落ち着いていく。

 イネッサは肩をすくめる。

「ま、怖くても腹は減るしね。明日も狩りに行かなきゃ」

「お前のそれ、励ましになってんのか?」

 ステロイドが呆れたように言う。

「なってるって。生きてる証拠でしょ」

 今度の笑みは、さっきよりほんの少しだけ、目の奥まで届いていた。

 焚き火の火が、皆の表情をゆらゆらと照らす。

 湖からの風が吹き、どこかで魚が跳ねた。

 その小さな音も、やはり霧に飲まれて戻ってこなかった。



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