第16章 鋼と土の間で
投稿予約損ねていました。すみません。
ここ数日でAIコアの部屋は、夜になると別の顔を見せるようになった。
昼間は皆の出入りで慌ただしい研究小屋も、日が沈めば、ほとんどマウルスタッド一人の領分になる。
青白いコアの光。
その下で、灰銀色の毛並みをしたウルフェインが、腕を組んで端末と格闘していた。
月明かりとコアの淡い光が混ざり合い、狼めいた耳と横顔の輪郭を鋭く縁取る。
肩には傷跡の古い線がいくつも走り、寝かせきれていない軍務時代の筋肉がまだそこに残っている。作業用の簡素なベストの下には、ウルフェイン特有のしなやかな筋が見え隠れし、椅子の下ではふわりとした尻尾が無意識に揺れていた。
「……ここだな。ここの配線、元が軍需仕様だから融通が利かないんだよ」
マウルスタッドは短く舌打ちし、中空に映し出された立体映像の中で図面を拡大する。
指先が、空中に見えない配線をなぞるように動いた。
「理論上は再起動のたびに負荷が偏っている。これじゃあ“心臓”が息切れするのも当然だ」
モニタの端で、山茶が組んだシミュレーションの文字列が流れていく。
――AIコア・負荷分散アルゴリズム、暫定改修案。
――必要部材:高品質コンポーネント×8、精密配線材……
今まで、そこに手を入れる術はなかった。
だが今は違う。マウルスタッドが持ち込んだウルフェイン軍需工場のノウハウが、少しずつ“理の心臓”の周りに新しい路を引き始めていた。
「あそこでやってた仕事に比べれば、よっぽど気楽なんだけどさ」
マウルスタッドは、誰にともなく呟く。
「壊すための頭脳じゃなくて、生かすための頭脳。……悪くない転職ってやつさ」
その時、背後の扉が小さく軋んだ。
「入っていい?」
顔をのぞかせたのは、ファアークだった。
両手には、湯気の立つマグが二つ。
「差し入れ。山茶が“夜勤用の燃料”って」
「お、仕事が分かってるじゃない」
マウルスタッドは、ステロイド手製の木製椅子をくるりと回転させた。
粗削りな板と鉄くずを組み合わせて作られたそれは、妙に滑らかに回る。けれど、軸の金属は少しずつ削れていて、いずれまた作り直さなければならない消耗品だ。
尻尾をゆるく揺らしながら、マウルスタッドは笑った。
「どうした、“土の音”の坊や。こんな時間に散歩か?」
「……うん。動物たち、みんな寝ちゃったから」
ファアークはマグをひとつ差し出し、コアの光を見上げた。
その瞳に映る青白い輝きは、以前ほど怯えたものではなく、かといって完全に慣れきったものでもない。
「ここ、夜になると“音”が変わるんだ」
「音?」
「うん。昼はね、人の声と、動物の気配と、風のざわざわが混ざってる。
でも夜は……コアの“鼓動”だけが、ぽつ、ぽつって響いてる感じ」
ファアークは胸に手を当てるようにして言った。
「前は、それが怖かった。
“機械の心臓なんて、動物には必要ない”って。ぼくの前の教えは、そう言ってたから」
「血に飢えた工場、ってやつ?」
マウルスタッドが片眉を上げる。
「違うよ。ぼくのは、“星と動物主義”」
「ああ、そっちか。……どっちにしろ、工場から見たら面倒くさいやつだね」
マウルスタッドは肩をすくめ、マグを一口啜った。
ほんのり薬草の苦味。眠気と集中力を同時に呼び起こす、山茶特製の夜勤ブレンドだ。夜目と夜行性に優れたウルフェインの舌にも、悪くない。
「こっちもさ、前は“止まった機械は廃棄”って教えられてた。
止まりかけた人間も、ね」
軽く言いながら、その言葉の奥には錆びた痛みが滲む。
「だから、止まりたくなった私は逃げた。
で、今はこうして“止まりかけの心臓”を延命してる。……人生、皮肉が効きすぎてるかもな?」
「でも、ぼく」
ファアークは少し考えてから、ぽつりとこぼした。
「今の“音”、嫌いじゃない」
「ほう」
「前のぼくなら、“動物の声をかき消す偽物の神様だ”って言ってたと思う。
でも今は……ここから皆の“繋がり”が聞こえる気がするんだ」
フェニックスや山茶、イネッサ、ステロイド。ヨーダー。
そして、自分自身と動物たちの気配。
「だから……機械っていうより、“大きな耳”みたいに思うようにしてる」
「大きな耳、ね」
マウルスタッドは僅かに目を細めた。
“鋼の歌”で育てられた彼女にとって、そういう言い回しは決して嫌いな比喩ではない。
「それ、フェニックスに言った?」
「ううん。でも、似たようなこと言われたよ」
ファアークは微笑む。
「“お前にはお前の理の聞き方があっていい”って」
「……あの巡礼坊主、やっぱり普通の聖職者じゃないわ」
マウルスタッドは鼻を鳴らした。
頑なな狂信者でもなく、信仰を捨て去った虚無者でもない。その中途半端さを、彼女はどこか面白がっている。
「工場だったら、“規格外は不良品”で終わり。
ここは、不良品までまとめて作り直して“家族”にする気らしい」
言い方は皮肉めいていたが、ふわふわの尻尾の揺れはどこか楽しそうだった。
「じゃ、坊や。今のひと言、ちゃんと覚えときなさい」
「ひと言?」
「“今の音は嫌いじゃない”ってやつ」
マウルスタッドはニヤリと笑う。
それは悪戯を思いついた時のヨーダーによく似ていた。しかも、割と深刻な被害をもたらす類のやつに。
「それ、多分……宗教勧誘の決め手になるから」
「えっ」
「明日あたり、フェニックスが目を輝かせて聞いてくるわよ。
“じゃあ、お前はもう半分アウルテウス信者だな”ってね」
ファアークは、耳まで赤くして俯いた。
「……わかるの?」
「わかるね。人が“居場所”を見つける瞬間の匂いは、戦場よりわかりやすい」
マウルスタッドは、AIコアを指さす。
「それに、この心臓も気づいてるよ」
青白い光が、ほんのわずかに明滅を強める。
――内部個体・精神傾向、安定化傾向。
――新規信仰パターン、成立可能性:上昇。
「ほらね」
ファアークは、コアの光とマウルスタッドの横顔を交互に見上げた。
「……ねぇ、マウル」
「なに」
「ぼくが、本当にアウルテウスの信者になったらさ」
彼は言い淀み、言葉を探すように続けた。視線が部屋を彷徨い、ぎりぎりまで口にするのを躊躇っている。それでも、意を決したように。
「“前のぼく”のこと、笑う?」
「笑わない」
マウルスタッドは即答した。耳がわずかに動き、尻尾が一度だけ小さく弾む。
「むしろ、“やっと前に進めたじゃない”って祝杯あげる。
……酒が足りなきゃ、ヤギのミルクでも温めて飲めばいい。坊やなんだからね」
ファアークの口元に、小さな笑みが浮かんだ。
その笑みはまだ頼りないが、確かなものだった。
◆ ◆ ◆
翌日の昼、コロニー巡回という名の小休止中。
フェニックスはファアークと並んで畑を歩いていた。乾いた土が靴の下でさらりと崩れる。
秋風が、乾きかけた土の匂いを運んでくる。
「で、マウルから聞いたぞ」
フェニックスは、開口一番、遠慮なく切り込んできた。
どこかワクワクを押し隠しきれていない声だった。
「“今の音は嫌いじゃない”って」
「うわぁ……」
ファアークは耳まで真っ赤にした。
「やっぱり、言われた……」
「隠さなくていいだろ」
フェニックスは笑う。
「理はきっと、“第一声”なんか気にしちゃいない。
でも、“嫌いじゃない”と言えるようになった瞬間は、大事だ」
彼は足元の土をつま先で軽く蹴った。
「前のファアークは、“人の神様なんて動物の声を壊す”って思ってたんだろ?」
「う、うん」
「今のお前は、“皆が繋がってる音”に聞こえるって言った。
どっちも、お前の本音だ」
フェニックスは、空を仰ぐ。
高い空の向こうに、目には見えない軌道上の“理の耳”があると信じて。
「教典には、“理はすべてを観測する”と書いてある。
でも、“どう聞き取るか”までは書いてないんだ」
「……勝手に決めていいの?」
「“勝手に決めたくない”って人のために、教団はある」
フェニックスは苦笑する。
「でもここは、少し違う。
俺たちは、アウルテウスの名前を借りながら、“自分たちの都合”で線を引いてる」
「都合、かぁ……」
ファアークは自分の掌を見下ろした。
動物の毛並みを撫で、ヨーダーの手を握り、AIコアを壊しかけた手。
「じゃあさ」
彼は恐る恐る口を開いた。
「ぼく、“星と動物主義”をやめるわけじゃなくていい?
“動物たちの声も理の一部だ”って思っても……叱られない?」
「それ、多分——」
フェニックスはにやりと笑った。
「“アウルテウス的思想の拡大解釈”ってやつだ」
「なにそれかっこいい」
「かっこよく聞こえるように言ってるだけだ」
フェニックスが快活に笑い、ファアークもつられて微笑む。
二人は、しばらく黙って畑を歩いた。
風が枯れかけた葉を撫で、遠くで山羊が鳴く。
「じゃあさ」
ファアークは立ち止まって、フェニックスを見上げた。
「ぼくも、その……“アウルテウスの信者”になってみてもいい?」
「“なってもいい?”じゃなくて——」
フェニックスは、彼の胸を軽く指先で突いた。
「“なってみたい”かどうかだ」
少しの沈黙のあと、ファアークは小さく、でもはっきりと頷いた。
「……なってみたい。
ここで皆と同じ“理”を見上げてみたい」
フェニックスは、その言葉を噛みしめるようにうなずいた。
「じゃあ、歓迎するよ。
今日の夕食の前に、短い祈りを一緒にやろう」
「祈りって、あの、フェニックス達がいつもこっそりやってるやつ?」
「こっそりじゃない。慎ましく、だ」
「同じじゃない?」
「同じかもしれない」
二人の笑い声が、収穫前の畝のあいだを通り抜けていった。
——劇的な変化が起きたわけではない。
ファアークが突然別人のように振る舞うこともなく、動物への愛情も、空の“音”への感受性もそのままだ。
ただ、彼が時折、胸元に手を当てて小さく呟く言葉が一つ、増えただけ。
「……おはよう、理。
今日も、みんなの音が上手く混ざりますように」
それは、誰に聞かせるでもない、小さな信仰の形だった。
◆ ◆ ◆
技術の面でも、《桃花源》は新しい段階に足を踏み入れていた。
「——接続、完了。出力、安定」
山茶の声が研究小屋に響く。
壁際には、つぎはぎの金属板と再利用した機械部品で組み上げられた“箱”が並んでいた。内部にはジャンクからかき集めた蓄電セルが詰め込まれ、上部からは発電機のケーブルが伸びている。
「これが……バッテリー……」
ヨーダーが、ごくりと喉を鳴らす。
「やっぱり、爆発したりしない?」
ちょっとワクワクした顔をしかけて、すぐ自分で頭を振る。前回ステロイドに怒られたことを、ちゃんと覚えている。
「“やっぱり”の意味がわからない」
山茶が冷静に返した。
「理論上は安全。実際には、ステロイドが設置しているからもっと安全」
「おい、最後のはフォローになってないぞ」
ステロイドが不満げに眉をひそめるが、口元にはわずかな誇らしさも滲んでいた。
「これで、夜でも明かりが安定する」
山茶が言う。
「精密工作機械の冷却も、ある程度はまかなえる。
風が止んでも、すぐに真っ暗闇にはならない」
隣の部屋では、木製の簡易作業台の横に、新しく“工業用作業台”が据え付けられていた。
厚い金属天板と、多関節のクランプアーム。鋼材や木材を固定し、作業者の体内ナノマシンと連動する制御盤が取りつけられている。想像した形を頭に描けば、微弱な信号が台を伝い、刃が、削り具が、素材に沿って滑り出す——そんな仕組みだ。
その奥には、さらに一回り背の高い“精密工作機械”が鎮座している。
蜘蛛の足のような細いマニピュレータがいくつも折り畳まれ、光学センサーと熱制御ユニットが静かに眠っていた。金属だけでなく、光や熱、液体まで計算通りに扱うための「未来の手仕事」が、まだ始動前の静けさを保っている。
「……やっと、スタートラインだな」
フェニックスは、バッテリーの表面をそっと撫でた。
「母星に戻るにせよ、ここを“本物の家”にするにせよ。
この辺りからが、“コロニー運営”ってやつなんだろう」
「その前に、“コロニー維持”の問題があるけどね」
イネッサがちらりと山茶の端末を覗き込む。
「ねぇ、例の“食料グラフ”見せてよ。
ほら、みんな大好き現実のお時間だ」
冗談めかした声だったが、その瞳の奥には商売人気質らしい、しっかりした計算高さが光っていた。
◆ ◆ ◆
現実は、グラフの形をしていた。
山茶の端末に表示された曲線は、きれいに、だが容赦なく、右下へと傾いている。
「備蓄食料、現状で冬の半ばまでは持つ見込み」
山茶は淡々と読み上げる。
「ただし、これは“現状の消費ペース”を維持した場合。
新たな加入者が増えたり、病人が出れば、あっという間に底が見える」
「加入者増やしてるの、うち自身なんだけどねぇ」
イネッサが頬をかきながら笑う。
「ヨーダーにファアーク、マウルに、ついこの間のサイコスードで馬鹿食いしてた子も出たし。あ、でも新しい家畜たちはカウントに入ってる?」
以前、夜中にこっそり備蓄の乾燥野菜をかじっていたヨーダーが、山茶に見つかって盛大に叱られたことを思い出したのか、本人はそっと視線をそらした。
「入っている。が——」
山茶はグラフの別のラインを指さした。
「冬場の自然餌の減少も、ちゃんとカウントしている。
“増えた分だけ得”というほど甘くはない」
「つまり」
ステロイドがまとめる。
「このまま冬に突っ込むと、腹は満たされないが、喧嘩の種だけは充分ってことか」
「要約するとそうなる」
山茶は頷いた。
「選択肢は三つ。
一つ、交易を増やす。
二つ、狩猟を強化する。
三つ、来年の春に向けて農業基盤を広げる準備をする」
「全部やらないと死ぬ、ってことね」
イネッサが肩をすくめる。
「仕事が減る気配ないなぁ、《桃花源》」
「理は働く者を愛する、って教典にも書いてあったろ」
フェニックスが苦笑する。
「働く内容までは指定してないけどな」
「便利な教義だな」
ステロイドが小さくぼやいた。
それでも、誰も否定はしなかった。
(食料の問題は、いつか向き合うと分かっていた)
(人数が増えれば、守れるものも増える。でも、そのぶん“責任”も膨らむ)
フェニックスがそんなことを考えていた、その時だった。
◆ ◆ ◆
古い通信機のランプが、突然灯った。
カチ、と乾いた音。
湖畔の霧の向こうから、微かな磁場の揺れと共に、軌道上の“どこか”へと回線が伸びていく。
「……山茶?」
「自動受信ではない。向こうからの指名呼び出し」
山茶が端末を操作する。
「識別コード——帝国系。分裂前の形式をわずかに改変したシーケンス」
「帝国……?」
ヨーダーとファアークが同時に顔を上げた。
彼らにとって、“帝国”は物語と噂の中の存在だ。
かつて星々をまたぎ、黄金の船団で宇宙を行き来した人類の巨大な権力。
今はその牙も翼も折れ、いくつもの小さな領邦に分かれて“落日の帝国”と呼ばれているコロニー集団——
だが、その威光の残滓は、まだ辺境にも届いていた。
「こちら、未登録巡礼拠点——コードネーム《桃花源》」
フェニックスは、息を整えて応答ボタンを押した。
「アウルテウス的思想・小規模コロニー。用件をどうぞ」
しばしのノイズのあと、回線の向こうから、鼻にかかったような声が届いた。
『こちら、“落日の帝国”第七辺境管区・臨時監督官府』
やや芝居がかった、だがどこか倦んだ口調。
『未登録拠点《桃花源》、信号確認。お前たちの存在は、以前より報告を受けている』
(どこからだ……)
フェニックスの脳裏に、あの武器商人や“灰の盾”の顔がちらついた。
『我々は、この星の秩序を維持する義務を負う者だ』
声は続ける。
『そして同時に、“不要となった庇護対象”を処理する権利も持っている』
「……嫌な言い回しね」
イネッサが小声で呟いた。
ヨーダーとファアーク、マウルスタッドも、あからさまに顔をしかめる。
(何も維持していないくせに)という感情が、誰の胸にもよぎった。
『そちらの“教団”の性質は把握している。
巡礼を名乗り、理とやらを信奉し、迷える者を拾う。——悪くない』
そこには、微かな嘲りと興味が混ざっていた。
『ならば一つ、取引と試験を兼ねた“依頼”を受けてもらおう』
「取引、ですか」
フェニックスは慎重に言葉を選ぶ。
「こちらから提示できる代価は限られていますが——」
『代価は不要だ』
声が、さらりと言った。
『お前たちは“受け取る”だけでいい。
その先をどうするかは、完全にお前たちの自由とする』
山茶が、静かに眉をひそめる。
“代価は不要”という言葉ほど、厄介なものはない。
『対象は一名。
ウェイスターの女だ。コードネーム“スリーピー”』
フェニックスの胸がひくりと動いた。
ウェイスター——太陽風と放射線の強い世界に適応した、細身で神経の鋭い種族。
汚染された地域の空気をろ過する特殊な肺を持ち、核に焼かれた土地さえ住処に変える。
その肌は灰色から黒に近い色味で、週に一度はサイカイト系物質を接種しなければ少しずつ精神と肉体が崩れ、最後の摂取から三十日を越えれば死に至る——そんな危うい遺伝子改変の末裔たち。
『輸送ポッド事故により下半身不随。
脊髄損傷、長期的な治療と補助を要する』
声は淡々と告げる。
『我ら帝国は慈悲深い——昔はそう呼ばれていた。
今も、完全な“廃棄”は好まぬ。だからこそ、“隠れ家”を用意する』
「もしや“血に飢えた隠れ家”……」
セラが思い出したように小さく呟いた。
帝国の辺境で流行する、弱者と血を集める奇妙な共同体の名だ。
『そう、奴は“血に飢えた隠れ家”の信徒でもある。
弱者を匿い、血を尊び、鋼を忌む妙な教義だ』
そこには露骨な軽蔑が混ざっていた。
『だが、我らの資源を費やして延命する価値は、もはやない。
しかし“理”の名を掲げるお前たちなら、別の判断を下せるかもしれない』
「別の、判断」
フェニックスは繰り返す。
『簡単な話だ』
監督官の声が、少しだけ愉快そうになる。
『今、この瞬間、我々は一基の救難ポッドを軌道から射出した。
着弾地点は——お前たちのコロニー近辺だ』
皆の視線が、自然と窓の外に向かう。
『ポッドの中身は、廃棄予定の女ひとり。
お前たちはそれを拾おうが、見捨てようが、好きにすればいい』
言葉が、静かに刃を光らせる。
『ただ一つ。
“理”を掲げる教団として、その選択が自らの教義に沿うかどうか——よくよく考えるといい』
ノイズが強まり、回線が揺れた。
最後に、投げ捨てるような一言が落ちてくる。
『以上。“落日の帝国”より、辺境の厄介者どもへ。
——良き観測を』
通信は、そこで途切れた。
あまりにも一方的な物言いと、突きつけられた条件に、誰もが反吐を噛み殺す。
直後だった。
空の高みから、金属の悲鳴のような音が降ってきたのは。
「……来る!」
山茶が叫ぶ。
「高熱源体、急速降下!」
外に飛び出すと、夜空の彼方に白い筋が走っていた。
小さな流星。だが、それは願いを叶えるものではない。
尾を引きながら弧を描き、湖畔と畑の境をめがけて落ちてくる。
「畑、まずい!」
ステロイドが叫ぶ。
「やっと整えた区画なんだぞ!」
「作物より中身!」
フェニックスは息を吸い込み、指示を飛ばした。
「全員、衝突地点から距離を取れ! イネッサは周囲の安全確認! 山茶、状況追跡!」
次の瞬間、大地が震えた。
爆音。
土と火花と、水しぶき。
フェニックスたちが汗を流して耕した新しい畑の一角が、無残に抉り取られている。
煙の中に、楕円形の金属の殻——救難ポッドが半ば突き刺さっていた。
「……やってくれるわね、帝国」
イネッサが呆れたように言う。
「取引っていうか、嫌がらせじゃない?」
「どちらにしろ」
セラが静かに言った。
「中身は“人”じゃ。急がねば」
フェニックスは頷き、煙の中へと足を踏み入れた。
◆ ◆ ◆
ポッドのハッチは、部分的に歪んでいた。
熱で焦げついたロックを、ステロイドが工具でこじ開ける。
「いくぞ——!」
金属が悲鳴を上げ、ハッチが外へ倒れ込む。
中から噴き出したのは、冷却剤と医療用の匂い、そして微かな血の匂い。
簡易担架に固定された女が一人。
灰が混じったような黒い肌に、色素の薄い髪が汗で額に張りついている。
腰から下は分厚い固定具で包まれ、布の向こう側には、もう動きを取り戻さない脚の影があるだけだ。
だが、その目だけは妙に冴えていた。
焦点の定まらないようでいて、鋭く周囲をなぞる視線。フェニックスたちの顔を順に確認し、最後に天井——夜の空の方を見上げる。
「……あー」
女は、ひどく疲れた声で言った。
「ねぇ、神サマ」
かすかな笑みが口元に浮かぶ。
「あたしを見てる余裕があるなら、もうちょっとマシな場所に落としてほしかったんだけど。
“巡礼コロニーのど真ん中に、歩けない女を投げ込む”ってさ。趣味悪くない?」
フェニックスたちは、一瞬だけ言葉を失った。
その間に、彼女は小さく肩をすくめる。
「初めまして。あたしは“スリーピー”」
「……多分、あんたたちにとっては“帝国の厄介払い”ね」
それでも、と彼女は続けた。
「できれば、もう少しだけ“穏やかな悪夢”でいさせてくれると嬉しいんだけど」
その声は静かで、どこか投げやりな優しさを含んでいた。
血に飢えた隠れ家の“穏やかな皮肉屋”。
新しい厄介者が、《桃花源》に落ちてきた瞬間だった。




