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第13章 ささやく空


 ヨーダーの熱が下がりはじめた頃、湿地の空気は少しずつ秋の匂いを帯びていた。

 ヒールルートの白い花はすでに色を失い、代わりに草むらには茶色い穂が揺れている。

 湖面は朝晩になると白い息を吐くように霧をまとい、

 その白の上に、遺跡の黒いシルエットだけが浮かび上がっていた。

「……畑、足りないな」

 フェニックスは畝の列を見渡し、小さく呟いた。

 幸い、この星の作物は他星よりも成長周期が短く、根付きも悪くはない。

 それでも、肌を刺す空気は「これ以上の作付けは意味がない」と告げている。

 土の上には、まだ育ちきらない作物たち——

 ヒールルート、ベリー、見た目はじゃがいもともトウモロコシともつかない塊茎が、

 ひょろりと頼りなく葉を伸ばしているだけだった。

 数は多くない。

 だが、この湖畔のコロニーで暮らす人数は、着実に増えていた。

 フェニックスたち五人。

 改宗したヨーダー。

 動物区画にかかりきりのファアーク。

 外壁と住居の補修に専念しているステロイド。

 研究台とAIコアの前を離れない山茶。

 街道と森を巡回し、訓練を怠らないセラ。

 そして、畑と台所、遠距離警戒をまとめて預かる、調理兼斥候担当のイネッサ。

 それから——遺跡の陰で沈黙を守ったままの、“何か”。

「食料のグラフ、見せてくれ」

 長屋に戻ると、山茶はすでに端末にグラフを表示させていた。

 備蓄量を示す曲線は、なだらかに、しかし確実に下降している。

 干し肉と簡易食料は、冬を越すには心許ない数字になりつつあった。

「冬までに、少なくとも現在の倍は収穫しないと危険」

 山茶は、感情を挟まずに告げる。

「狩猟と釣りを組み合わせても、安定には届かない」

「理の“恵み”は?」

 イネッサが、冗談めかして肩をすくめる。

「お前の手がもう一本、生えてくるなら、恵みと呼んでもいい」

 山茶が即座に返した。

「そっちの方がホラーだよ!」

 ひとしきり笑いが広がる。

 その真ん中で、ヨーダーが少しだけ青白さの残る顔で椅子に座っていた。

 膝には、開きかけの教典。

 指先には、畑で扱った土がうっすらと残っている。

「ぼく、もう動いても平気だからね」

 ヨーダーは胸を張る。

「山茶が“理論上は可能”って言ってた」

「“理論上”は信用しすぎるでないぞ」

 セラが笑う。

「現場では、理論と体力のあいだに深い谷がある」

「でも、手伝えることは手伝うよ。畑とか、本とか。

 ……前のコロニーみたいに、“役に立たないから出ていけ”って言われるのは、もう嫌だ」

 その言葉に、一瞬だけ空気が静かになった。

 前のコロニーで、不要な食い扶持とみなされ、

 皮膚が覚えるほどの冷たい言葉で追い出された少年。

 フェニックスは、それを打ち消すように両手をパンと叩いた。

「じゃあ、遠慮なく“役に立って”もらおうか」

 意図的に明るい声で続ける。

「ヨーダーは山茶と一緒に栽培区画の管理。

 ファアークは動物と牧草。

 ステロイドと俺は建築と防衛。

 イネッサとセラは警戒と狩りと偵察。

 こうやって、少しずつ“家”に手を足していくんだ」

「“巡礼”のはずが、完全に農家と職人なんだけど」

 イネッサが肩をすくめる。

「理は働く者を愛する、って教典にも書いてあったろ」

 フェニックスが返す。

「働く内容までは指定されてない」

「便利な教義だな」

 ステロイドがぼそっと言った。

 それでも、誰も否定はしなかった。

 ◆ ◆ ◆

 その日、空は妙に高く見えた。

 湖面から吹き上げる風が、どこかざわついている。

 湿地の草の穂が、同じ方向に撫でつけられるように揺れ、

 空のどこかで“何か”が息を吸い込んでいるような、妙な静電気の感覚があった。

 ファアークは動物区画の柵に腰を下ろし、目を閉じて耳を澄ませていた。

 牛と鶏と山羊たちが、彼の周りでのんびり草を噛んでいる。

「どうだ、音は」

 巡回の合間に、セラが声をかける。

「……ちょっとおかしい」

 ファアークは眉間にしわを寄せた。

「風の中に、砂利を噛んだみたいな音が混じってる」

「砂利?」

「うん。頭の中を、ザリザリ削る感じ。

 動物たちはまだ平気そうだけど、人間の方が先に気持ち悪くなりそう」

 ちょうどその時、研究小屋から短いアラート音が響いた。

 山茶の端末が、画面の隅で赤く点滅する。

 彼女は表示を一瞥し、すぐに顔をしかめた。

「……サイコスード反応。軌道上からの微弱な波形を捕捉」

 フェニックスが顔を上げる。

 教典よりも、訓練時の座学で聞かされた単語だった。

 サイコスード——

 軌道上や遠方の施設から散発的に送られてくる、

 “精神のボリューム”を弄る波形の総称。

 ときには幻覚めいた多幸感をもたらし、

 ときには無意味な高揚で人を走らせ、

 ときには、ただ気分を沈ませ、何もかもどうでもよくさせる。

 そして、特定の性別や特性に、より強く作用することが多い。

「サイコスード……男に効くやつか」

「今回の波形は“男性傾向強め”」

 山茶は端末のグラフを指で示しながら、淡々と読み上げる。

「精神不安、怒り、焦燥、衝動行動の増加が予測される。

 逆に、一部は“妙に調子がいい”と錯覚するかもしれない」

 そう言って、ちらりとステロイドとフェニックス、

 さらに少し間を置いてファアークとヨーダーへと視線を送った。

「なんだよ、その“問題児リスト”順番で見るのやめろ」

 ステロイドが露骨に眉をひそめる。

「統計上、お前が一番危ない」

「認めるのが腹立つ……」

「……ぼくは?」

 ファアークがおそるおそる手を挙げた。

「感受性が高いぶん、かなり危険。

 イータキンは本来、精神波形には鈍いはず。

 でも、貴方は特例」

 山茶の答えは容赦がない。

「動物の“音”に敏感な個体は、こういうノイズにも弱い傾向がある」

 ファアークは小さく肩をすくめた。

「でも、今のところはまだ……」

 そう言いながら、額に手を当てる。

「ちょっと頭が重いくらい」

 フェニックスは空を仰いだ。

 薄い雲の向こう、目に見えないどこかから、

 誰かがノブをひねって、精神の音量をじわじわ上げている。

(理じゃない。これはただの機械的な悪意か、

 あるいは、善悪すらない無関心なノイズだ)

 教典には「星々の向こうにも理は届く」と書かれていた。

 だが、そこには「理ではない何か」も、同じだけ満ちているのだろう。

「対策は?」

「深呼吸、休息、会話、作業の分散」

 山茶が答える。

「“何もしないでいる時間”を減らすこと。

 手を動かし続けて、頭の中を一つのことに占領させる。

 簡単に言えば、“忙しくしていろ”だ」

「それ、普段とあまり変わらないのでは?」

「普段以上にやれ、ということだ」

 イネッサが苦笑した。

「じゃあ今日は特別サービスで、ステロイドにお喋り付きの畑仕事をプレゼントしてあげよう」

「余計にイライラしそうなんだが」

「イライラしても、手は止めるな。

 止めた瞬間、頭の中に変な声が割り込んでくるぞ」

 フェニックスはそう言って、鍬を肩に担ぎ直した。

 苛立ちも、不安も、心配も——

 全部ひっくるめて、土の中へ叩き込むつもりで。

 それでも、皆は動き続けた。

 畑を耕し、動物の世話をし、壁を直し、食事を作る。

 イネッサはわざと大げさに鼻歌を歌い、

 ファアークはその調子を真似して妙なハミングを足す。

 セラはいつもより多く冗談を飛ばし、

 ステロイドはぶつぶつと材木への不平を呟きながら、

 寸分違わぬ角度で梁を組んでいく。

 ヨーダーはまだ走り回ることはできないが、

 椅子に座ったまま教典を読み上げ、それを山茶が“現代語訳”して聞かせる。

 手を止めた瞬間——

 頭の中に「ザリザリ」というノイズが、

 指を隙間から差し込むように入り込んでくる感覚があった。

 だから、止まらない。

 ◆ ◆ ◆

 夜になると、そのノイズは一段階強くなった。

 湖畔の霧の向こうから、見えない波が寄せては返す。

 屋根板を指の腹でこするような、微かな軋み。

 男性陣——フェニックス、ステロイド、ファアーク、ヨーダー——の表情には、

 薄く疲れと苛立ちの影が滲んでいた。

「どうだ、ヨーダー」

「……あんまり、好きじゃない感じ」

 ヨーダーは額を押さえながら言った。

「前のコロニーで怒鳴られてる時に似てる。

 自分の頭の中の声じゃないのに、耳から入ってくるみたいな」

「それは自分の頭の声だ」

 山茶が即座にツッコミを入れる。

「ただし、外部刺激で増幅されている」

 焚き火の火は、いつもと同じように揺れているのに、

 フェニックスには、その炎が妙にざらざらとした音を立てて燃えているように思えた。

 ファアークは焚き火の前で体育座りをし、

 膝に顎をのせてじっと火を見つめている。

 その瞳からは、いつものふわふわした焦点が抜け落ち、

 どこか遠くのものを追いかけているような濁りがあった。

「ファアーク?」

 フェニックスは、火越しに声をかけた。

「……うん、大丈夫」

 返ってきた声は、微妙に芯がずれていた。

「ただ、動物たちの音が“ざわざわ”してる。

 落ち着かない時の群れの音。

 それにね、遠くの方からも、知らない“声”が混ざってくる」

 フェニックスは、その言い方にぞくりとした。

「知らない声?」

「うん。スランボの群れとも違うし、人の言葉でもない。

 もっと……こう、“形を持たない牙”みたいな音。

 何かが“壊したがってる”音だよ」

 焚き火の炎が、ぱちりと弾けて火の粉を上げる。

 湖面の向こうで、遺跡の輪郭が

 ほんのわずかに揺らいで見えたような気がした。

 フェニックスは胸元の祈祷章を握りしめ、

 心の中で静かに呟く。

(理。

 今だけは、少しでいい、何か言ってくれ)

 しかし、返ってくるのはいつも通りの沈黙。

 代わりに、ナノマシンネットワークを通じて、

 AIコアのノイズが微かに揺れた。

——外部精神波形、観測。

——内部個体への影響、上昇傾向。

——観測者、沈黙。

(お前も黙ってるのかよ)

 フェニックスは、喉の奥で乾いた笑いを押し殺した。

 ステロイドは焚き火の少し離れたところで、

 工具箱の中身を無意味に並べ替えている。

 整然と並んだスパナ、ボルト、釘。

 またかき混ぜ、また並べる。

 イネッサが観察していたが、何も言わなかった。

 代わりに、いつもより少しだけゆっくりとした調子で、

 どうでもいい世間話を続ける。

「ねぇ、冬が来たらさ、湖凍るかな。

 凍ったら凍ったで、ヨーダー滑って転びそうだよね」

「……滑る前提なのやめろよ」

 ヨーダーがぼやき、

 ファアークが「氷の音、きっと綺麗だろうね」と夢見るように呟く。

 セラはそれを聞きながら、静かに焚き火の向こう側——

 外の暗闇を睨んでいた。

 その視線は、

 空から降り注ぐ見えない“ささやき”と、

 湖の底で目を覚まそうとしている“何か”の気配を同時に探っている。

 その夜、街道の向こうで犬か何かの遠吠えが短く上がり、すぐに途絶えた。

 空から降る“ささやき”だけが、

 コロニーの屋根を薄く叩き続けていた。

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