第一章 降りてきた者たち
本作『リムワールド巡礼記 ―アウルテウス教五人宣教団―』は、小説家になろう投稿作品となります。
ゲーム内記録をもとにした、SF・宗教色強めの群像寄りコロニー運営サバイバルを目指しています。
状況によってはBADENDも十分にあり得ます。ご留意ください。
更新は週2~3回程度を目安に進めていく予定ですが、
執筆状況や私生活の都合により前後する場合があります。
気長にお付き合いいただければ幸いです。
警告灯が、血のような赤で狭いポッドを染めていた。
天井も床も分からない密室で、重力の向きが何度もねじれ、体がシートとハーネスに押しつけられる。
5つ並んだ座席には、それぞれ同じ型の宇宙服——先進アーマーを着込んだ影が揺れていた。
艶のない白銀色の装甲プレートと、湿った光を吸い込むような黒いインナー・スーツ。
胸と肩には、薄くアウルテウスの紋章が刻まれている。理を示す円環と、その中央で交わる十字。
顔全体を覆うメットのバイザーは、外からは誰の表情も読めない漆黒のミラーだが、内側には薄青い文字列が雨のように流れている。
「高度、あと一万。大気圏突入開始」
無機質な声が頭の中に響く。耳からではない。
細胞の隙間にまで入り込んだナノマシンを介した共通インターフェースが、全員の神経を一瞬だけ同じ方向へ震わせた。
フェニックスは、向かいの仲間たちを見た。
メット越しでも、それぞれの癖や輪郭はもう見慣れている。
正面、少し背の高い影——山茶は、細い指でデータパッドを握りしめていた。
肘をぴたりと引き、背筋は棒のように真っ直ぐ。メットの内側の表示に視線を固定し、落ち着いた呼吸で数字を追っているが、その親指だけがかすかに震えている。
緊張を数値のチェックという作業に溶かしているのは、彼女らしいやり方だとフェニックスは知っていた。
その隣で、イネッサは足をぶらつかせながら座っている。
小柄な体格に対してアーマーが少し大きすぎるのか、膝の装甲がリズムよくシートにこつこつ当たる。揺れに合わせて肩をすくめ、メットの奥の口元をニヤつかせているのが、仕草だけで分かる。
セラは両膝の上に両手を重ね、目を閉じていた。
小刻みに上下する胸郭に合わせて、ヘルメットの内側に曇りが淡く広がる。祈りとも呼吸法ともつかない一定のリズムで息を整え、全身を一本の刃のように静めている。
ステロイドは、低く唸るように喉を鳴らしながら、自分と隣のハーネスを何度も点検していた。
屈強な上半身を締め付けるベルトのバックルを確かめ、カチャ、カチャ、と指先で金具を押しては離す。重い肩の装甲が微かにきしんだ。
理屈抜きの「不安」を、手順と確認に置き換える——彼なりの落ち着き方だ。
(理よ、俺たちを見ていろ)
フェニックス自身は、一番前列の左側に座っている。
他の3人よりわずかに低い視点。少年のまだ伸びきらない体に、大人用サイズのアーマーがきっちり馴染んでいる。
胸元のモニタに流れる降下データを一瞥してから、彼はポッドの側壁へと視線を移した。
窓の外は、まだ真っ黒だった。
厚い強化ガラスの向こうには、光のない空虚だけが広がっている。
星さえ見えない。ポッドが巻き上げるプラズマの帳に包まれ、宇宙と大気圏の境界が曖昧になっていく、その「何も映らない黒」。
それは、旅立つ前に教団で聞かされた言葉——「理の外縁は、何も映さぬ闇だ」という教義の一節を思い出させた。
やがて、その闇の縁から、ゆっくりと色が滲み出す。
黒が灰色に焼け、灰色の中に線のような橙が走る。
大気との摩擦で炎が走り、ポッドの外側を火の帯が流れていく。
窓の端から端へ、橙と白と青が幾重にも重なり、外界は一瞬、燃える滝の内側になった。
「うわ、きれい。ほら見て、神様のプロモ映像始まったよ」
イネッサが、背もたれに頭を預けたまま両手を広げるふりをして笑う。
「こういうの見せてくるってことはさ——まだ落とす気はないってことだよね、アウルテウス」
揺れに合わせて小さく肩を震わせ、メットの中で目を輝かせているのが伝わってきた。
「縁起でもないことを軽口で上書きするのやめろ」
ステロイドが低く唸る。
手すりを握る指に力がこもり、金属がきしむ音がした。
「大丈夫だよ」
フェニックスは、わざと軽く、言葉を投げた。
喉の奥の乾きを押し隠しながら、炎の滝の向こうをじっと見据える。
「理が“行け”って言ったんだ。なら、まだ死なない」
アウルテウスは、宇宙と歴史の流れそのものを「理」と呼び、
その理の中で信徒に「見える場所へ行き、言葉を広げなさい」と命じたと教団は説いた。
退屈に満ちた空虚の中で、人と石を作り、それでも満たされず——
ついには、星々に信者をばら撒いた神。
その解釈がどこまで真実か、フェニックスにも分からない。
だが今この瞬間だけは、「理が行けと言った」という理由に縋るしかなかった。
炎の向こうに、青緑の地表が見えてきた。
薄いベールを剥がすように、黒と灰の層が退いていく。
雲の層を抜けるたび、景色が細かくなる。
白い絹を裂いたような雲間から、褐色の山脈が背骨のように連なり、その谷間には暗い森が黒い傷のように広がる。
ところどころで銀色に光る筋は、蛇のようにうねる川——光を飲み込む湿地の流れだ。
さらに高度が下がる。
山と森の隙間、凹んだ盆地のような地形の真ん中で、鏡のような湖がぱっと視界を満たした。
湖面は空の色をそのまま貼り付けたように青く、その縁を取り囲むように、広い湿地が黒と緑の斑模様を描いている。
そして、その湿地の端を貫くように、一本の古びた線——
土と石を固めた太古の街道跡が、褪せた傷跡のように一直線に伸びていた。
「降下地点、確定。古い街道跡、近傍に反応」
山茶が読み上げる。声は落ち着いているが、その手に握られたデータパッドの端が、わずかに小刻みに震えていた。
次の瞬間——
体が、空中でいったん止まり、そこから地面へ叩きつけられたような感覚が襲う。
ポッドが、湿った地面を鋭い爪で引っかくように抉り、そのまま泥の上で跳ねた。
重心が前後左右に激しく揺れ、ベルトが肩と腰に食い込む。肺から空気が一気に押し出された。
「——ッ!」
イネッサが短く息を呑み、笑い声が途切れる。
ステロイドは歯を食いしばり、ぶ厚い腕で隣のシートを庇うように伸ばした。
セラの身体はほとんどぶれず、わずかな揺れを膝と腰で受け流している。
山茶は、その瞬間でさえ視線を計器から外さず、数値の変化を追っていた。
警告アラートが、ひときわ甲高い音を立てて鳴り止む。
赤いフラッシュが一度だけ激しく瞬いたあと、ポッド内部の照明が、落ち着いた白に切り替わった。
やがて全ての振動が止まり——
金属の軋みと、遠くで泥の崩れる音だけが残る。
密閉された空間に、重い沈黙が戻ってきた。
誰も、すぐには口を開かなかった。
ハーネスの中で胸が上下する音と、自分の血流のざわめきがやけに大きく聞こえる。
「最初に何か言った者が、この場の空気を決めてしまう」とでもいうように、5人全員が、ほんの数秒だけ互いの様子を探る。
「……着地、成功。全員、生体反応あり」
山茶の静かな報告が、その沈黙をやわらかく破った。
フェニックスは大きく息を吐き、胸の前で固く結ばれていた指をほどくと、ハーネスのバックルに手を伸ばした。
重い留め金が、カシャン、と乾いた音を立てて外れる。
同時に、ポッド側面のロック機構が作動し、ハッチの外周を走るシールがゆっくりと解かれていく振動が足元に伝わった。
圧力の調整を告げる低い警告音が一度鳴り、
続いて、油の切れたヒンジがわずかにきしむ音とともに——
ハッチが外側へ押し出されるように開いた。
ポッド内と外を隔てていた境界が破られ、冷たい湿った空気が流れ込んでくる。
乾いた金属と焦げた樹脂の匂いに、土と水と苔の混ざった匂いが重なり、空気の質そのものが変わる。
硬質な宇宙の匂いから、獣と草と泥の匂いへ。
遠くで、見えない何かが水を跳ねる小さな音がした。
ハッチの向こうには、薄く霧が漂っていた。
白い幕の切れ間から、鏡のような湖面がのぞく。
風はほとんど吹いていないのに、水面には、さざ波とも呼べない微細な揺らぎがいくつも走っている——まるで、この土地そのものが浅く呼吸しているように。
ポッドのすぐ近くには、苔むした石積みと、半分崩れた壁が寄り添うように立っていた。
風雨に削られ、ところどころにツタが絡みついているが、石の組み方や、壁の厚みには人の手の痕跡がはっきりと残っている。
かつて誰かが暮らしていた気配。
長いあいだ放置され、忘れられてきた静けさ。
その二つが混ざり合った空気が、ひやりと肌を撫でた。
フェニックスが先に立ち上がり、ハッチの縁に手をかけて外を覗く。
その後ろで、ステロイドが腰をさすりながら立ち上がり、何度か膝を曲げ伸ばししてから、慎重に足を運ぶ準備をする。
イネッサはシートから軽く跳ね起きるように立ち上がり、ハッチの縁に両手を乗せて身を乗り出した。
山茶はヘルメット越しに外気の情報を読み取りながら、一歩一歩確かめるように近づいていく。
セラは最後に立ち上がり、ポッド内を一度見渡してから、静かにハッチの方へ歩み寄った。
「……コロニー跡、だな」
ステロイドが、崩れかけた壁に拳を軽く当てた。
石は思ったよりしっかりとした手応えを返し、その感触に彼の声音には、ほんの少しだけ期待と自負が滲む。
「基礎はまだ生きてる。建て替えれば、家になる」
「湖、ヒールルートの群生、ベリー。街道跡も近い」
山茶が淡々と指をさす。
霧の切れ間ごとに、赤い実をつけた低木や、特徴的な葉を持つ薬草が顔を覗かせている。
「理の巡礼地としては、許容範囲だと判断」
「いいじゃない。水も魚もあって、遺跡までおまけ付き。神様、サービスいいね」
イネッサが湖の向こうを顎でしゃくった。
山茶は周囲の空気をスキャンし、ヘルメット内の数値を見つめる。
酸素濃度、微生物の密度、有害ガスの有無——一つひとつを確認し、最後に小さく息を吐いた。
「外気成分、呼吸可能域内。短時間の曝露なら問題なし。
……マスクを外しても、少なくとも即死はしないと推定」
「その一言が一番こわいんだけど」
イネッサが笑いながらも、フェニックスの方を見る。
フェニックスは小さく頷き、右手でヘルメットのロックを外した。
シールが空気を抜く鈍い音を立て、前面のバイザーが上方にスライドしていく。
露わになった顔は、まだあどけなさの残る少年のものだった。
陽に焼けたような浅い褐色の肌に、金と灰が混ざったような瞳。
短く刈られた黒髪が、湿った風を受けてわずかに乱れる。
山茶もヘルメットを外す。
白に近い薄茶の肌、切れ長の黒い瞳。端正な顔立ちだが、感情の揺れは表情にあまり出ない。
額の横には、ささやかな傷跡が一本走っていて、彼女が机ではなく現場で育ってきたことを物語っていた。
イネッサのヘルメットが跳ねるように外れる。
日焼けした頬に、茶色がかった赤毛が乱暴に結ばれている。
明るい琥珀色の瞳が湖面を見て細められ、その口元には状況を楽しんでいる笑みが浮かんでいた。
「んー、ちゃんと“生きてる味”だ」
イネッサがわざと大げさに息を吸い込み、笑う。
「これで即死してたら、ただの悪い冗談だしね。……今んとこ、神託寄り」
ステロイドも、ゆっくりとメットを外す。
濃い色の肌に、短く刈った黒髪。
顎には生えかけの髭が影を作り、目つきは鋭いが、どこか少年の迷いも残っている。
「毒だったら、俺が一番先に倒れるな……」
ぼそりと呟きながらも、外気を一度しっかり吸い込む。その呼吸は慎重だが、拒否ではない。
最後にセラがヘルメットを脱いだ。
他の4人とは明らかに違う輪郭。
白磁のように滑らかな淡い肌に、頬から首筋にかけてうっすらと水かきのような模様が浮かぶ。
耳のあたりからは、淡い桃色の外鰓が花びらのように広がり、湿った空気を吸い込んでわずかに震える。
瞳は、深い湖底を思わせる翡翠色。瞳孔は丸いが、光の加減で水面のようにきらめく。
新しい空気を吸い込み、セラはほんの少しだけ目を細めた。
「……悪くはありませぬな」
「湿り気はまだ荒いが、この湖と霧なら、いずれ美しい“呼吸”が整う」
——モエロトル。
遠い星でアホロートルから進化した、両生類系の人種。
彼女の体には、螈気と呼ばれる特有のエネルギーが巡っており、
湿地と水辺では常人以上の持久力と感覚を発揮すると言われている。
5人がそれぞれ違う空気を胸いっぱいに吸い込みながら、周囲を見回す。
その時——
セラの視線が、霧の奥に引き寄せられた。
湖の向こう、湿地のさらに向こう。
霧と木立の隙間に、黒い塊がうっすらと浮かんでいる。
岩にしては直線が多すぎる。
自然の侵食ではありえない角度と継ぎ目が、ぼんやりと見て取れる。
「……見えるか、フェニックス」
セラが目を細める。
彼女の外鰓が、小さく総毛立つように震えた。
「アルコテックの……“何か”じゃな。
人の手とも、理ともつかぬ形じゃ。……美しいとも醜いとも言い切れぬ、いびつな輪郭よ」
フェニックスは、その異様な影から目をそらし、仲間たちを振り返った。
出発前、教団の大聖堂で聞いた言葉が耳の奥によみがえる。
——理は、見える場所に現れる。
——星々の縁に、古きものと新しきものが交わるとき、
その狭間に立つ者こそ、言葉を運ぶ巡礼者なり。
あの黒い塊が、教義に出てきた「古きもの」なのかどうか、誰にも分からない。
ただ、この土地が何かを隠していることだけは、全員の肌が知っていた。
「ここを、理の見える場所にしよう」
言葉が思ったより静かに出た。
自分で口にしてみて、その重さに遅れて気づく。
「布教とか立派なことは、あとでいい。
まずは——俺たちが生きる家だ」
イネッサの眉が一瞬だけ上がり、口元にいたずらっぽくない笑みが浮かぶ。
「生きる家、か。うん、そのほうが実感あるや。神様も、そっちの方がきっと笑う」
山茶は小さく頷き、視線を湖から廃墟へと移した。
「生存と生活の基盤を整えること。理に従うなら、順序として合理的」
セラは、黒い塊から目を離さぬまま「そうじゃな」と低く呟き、外鰓を静める。
「住まう形もまた、理と美のあらわれ。乱雑なままでは、拝するに値せぬ」
ステロイドは、崩れかけた壁を支えるように手を当て、短く息を吐いた——それは、諦めではなく、覚悟のための息だった。
「……崩れたまま放っとくには、もったいない骨組みだ。
どうせ建てるなら、長くもつやつにする」
五人の視線が交わる。
それぞれの信仰と不安と期待が、粘土のようにまだ柔らかいまま、ひとつの方向へと形を変え始めていた。
「決まりだな」
ステロイドが笑う。
さっきまで強張っていた頬が、ようやく本物の笑みに変わっていた。
「最初の柱は、俺が打つ。……ちゃんと、倒れないやつを」
「最初の食事は、私が作る」
山茶が淡々と続けるが、その声の端には微かな高揚が混じる。
「最初の血は、あたしがぶち当ててやるよ」
イネッサがニヤリと笑い、銃ではなく自分の拳を軽く握って見せた。
「できれば獲物の血で、私たちのじゃないといいけどね。……ま、悪いほうは幻聴ってことで」
「最初の壁は、理に恥じぬよう積んでやろう」
セラが、腰に帯びたブレードの柄にそっと触れながら言う。
その瞳は湖と、霧の奥の黒い塊と、仲間たちを順番に映した。
フェニックスは、胸の内側——アーマーの下に下げている小さな祈祷章に手を触れた。
薄い金属の板に、アウルテウスの円環と十字が刻まれている。
けれど、その金属は、この星のものではない。
手の中でわずかに冷たく、先ほど霧越しに見えた黒い遺構の表面と、どこか似た鈍い光を宿していた。
誰も、その由来を知らない。ただ「教団から託されたもの」として、フェニックスだけが身につけている。
(アウルテウスよ。
ここが、お前の言う“見える場所”なら——)
言葉にならない祈りが、金属の冷たさに吸い込まれていく。
その瞬間、湖面で、一匹の魚が跳ねた。
銀色の腹をちらりと見せて、すぐに水の中へ沈む。
小さな波紋が、幾重にも円を描いて広がり、湿地と霧の境界でやがて溶けていく。
跳ねる音は驚くほど小さく、その余韻はどこまでも静かに、戻ってくることなく消えていった。
——帰還できなかった者たちの声のように。
——まだ何も知らない、この未開の地そのものの沈黙のように。




