最初の食堂
私達は女性に言われた宿へ向かった。
宿兼食堂の扉を開けた瞬間ーー美味しそうな匂いが、私を殴った。
「……っ!」
焼いたパンの香ばしさ。
煮込みの湯気に溶け込んだ、肉と香草の匂い。
ほんのり甘いスープの匂い。
様々な匂いが鼻をくすぐった。
(あ、無理……)
理性より先に、胃が反応した。
村に入る前に木の実を食べたけれども、胃は求めているんだ。美味しいものを。
ぐぅ。
さっきよりも、はっきりした音だった。
(やめて!? 今ここで自己主張しないで!?)
食堂の中は思ったより広くない。
木のテーブルが数卓。
壁際には酒樽と棚。
中央の暖炉では、鍋がぐつぐつと音を立てている。
そしてーー視線。
村の入口と同じような感じで、数人の村人がこちらを見ていた。
旅服の男。
仕事帰りらしい若者。
年配の夫婦。
その目は、好奇心と警戒が半々。
「……見慣れない顔だな」
誰かが、低く呟く。
私は背筋を伸ばした。
破れたドレスでも、姿勢だけは崩さない。
(ここで縮こまったら、本当に”落ちぶれた令嬢”になる)
カツン、と靴音を鳴らして歩く。
ーーヒールをわざと鳴らすように。
「二人です」
フローレが、少し前に出て言った。
「食事をいただけますか?」
カウンターの向こうから、恰幅のいい女性がこちらを見る。
店主みたいね。
腕を組み、私の全身を一度だけ見回した。
「……金は?」
端的な質問。
フローレが答えようとした、その前にーー
私は口を開いた。
「あります」
短く、はっきりと。
でも虚勢を張ったって、私には一銭も持っていないのを思い出す。
それに気付いたフローレが布袋を差し出してくれた。
「……ありがとう」
小声でフローレに感謝する。
私はその布袋から硬貨を数枚取り出して、カウンターに置いた。
「これでいいでしょ?」
店主は硬貨を確認し、ふん、と鼻を鳴らした。
「じゃあ、座りな」
それだけだった。
通された席に腰を下ろした瞬間ーー
足の力が、抜けそうになる。
(座れる、生きているんだ……)
椅子って、こんなにありがたいものだったっけ。
「グローリア様、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫。ちょっと感動しているだけよ」
すると、店主が皿を置いた。
木の皿に、湯気を立てるシチュー。
黒パン。
素朴だけど、温かい。
ーー最初の食事。
一瞬、躊躇した。
(悪役令嬢としては、もっとこう、上品に……)
でも。
ぐぅ。
腹が、再び裏切った。
限界なのをはっきり伝えている。
「……いただきます」
スプーンを取って、一口。
「……っ!」
熱い。
でも、染みる。
肉は固めだけど、ちゃんと味がある。
野菜は煮込まれていて、甘い。
何よりーー温かい。
視界が、少し滲んだ。
(あ、やば……)
「美味しい……」
思わず、声が漏れた。
フローレが、ほっとしたように笑う。
「よかった……」
周囲の視線が、少しだけ和らぐ。
「……腹減ってたんだな」
どこかの席から、そんな声。
私はパンをちぎり、黙々と食べ続けた。
威厳?
今はスープの底に沈んでいる。
UIが、控えめに現れる。
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◆空腹(小)の解除
HP自然回復:所定ペース
MP自然回復:所定ペース
集中力:安定
精神状態:安定
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(……この世界、ちゃんと生きていけるかもしれない)
そう思えたのは、王都を追い出されてから、初めてだった。
これまでも、悪役令嬢グローリアとして生きていたんだけれどね。
私はスプーンを置き、深く息をつく。
「……生き返ったわ」
「ふふ、よかったです」
最初の村。
最初の食堂。
最初の”ちゃんとした食事”。
それは、追放された悪役令嬢が、世界に再び足を下ろした証だった。




