森に入ったら戦う羽目になった
かつて私は高校生として、何気ない日常を過ごしていた。
ブレザーを着て教室で授業を受けて友達と話して。
スマホで乙女ゲームを遊んで……
楽しかったな。受験が迫ってきたら、志望校に合格しなきゃって思いから大変になって追い込まれていったけれど。
そんな中で命を落としたんだっけ。
死んだのは分かるけれども、何で死んだのかは思い出せない。
頭を強く打って死んだ事だけ。
で、それから悪役令嬢グローリア・ルイーザ・ネウムとして、野辺地花奏の記憶を忘れたまま過ごしていった訳。
身も心も悪役令嬢で、悪行をしていたけれど。
そんな事をして追放された現在、私は記憶を取り戻して、王都を離れようとしている。
「でも、魔王軍なんて居なかったはずよ」
あのゲームには、王族や貴族といったのはあっても、魔物なんて出てこなかった。
何度も遊んでいるから分かる。
それなのにこの世界では、魔王軍が王国を攻めていて、何もしなければ滅亡の危機にある。 どういうこと……?
確かにゲームと現実の異世界が違うのは、当たり前だけれども。
「考えていても仕方ないから、出発しましょう」
もう門は閉ざされている。
王都へ戻ることは出来ない。
こうなったら次の村か町まで歩きましょうか。
「えっ、いきなり降ってくるの!?」
少し歩くと、ぽつりぽつりと雨が降ってくる。ペトリコールの匂いが鼻をくすぐる。
弱い雨はすぐに土砂降りへ。
私には傘なんて持たせてもらっていないから、雨で濡れてしまう。
ちゃんと決めていたんだけれど。
ドレスも濡れてびしょびしょに。
メイドがいたら着替えたかったけれど、もう誰も助けてはくれないと思う。
これが運-13なのかな。
「きゃあっ!?」
それでも歩いていたんだけれども、石畳は雨で濡れて滑りやすくなったいた。
ヒールだった私は、すぐに足を滑らせて転んでしまう。
「痛たた……」
尻餅をついちゃった。
ドレスも汚れてしまう。
こんなの悪役令嬢には相応しくないよね。
「お~い、気をつけなよ」
私を蹴飛ばした衛兵が笑いながら、大きな声を出していた。
完全にバカにしている。
破滅した悪役令嬢が惨めな事になっているから、笑いたくなるだろう。
しかも散々いじめてきたから、蜜の味みたいに感じているのかしら。
(アイツ……戻ってきたら張り倒してやるから……)
そう誓いながら、王都の城門からどんどん離れていく。
本当、いつ戻れるのかな。
二度と戻れないかもしれない。
ひょっとしたら、幽霊として戻ってくる事になるのかな。
「ううん、魔王を倒せば良いのよ!」
不安を振り払いながら、視界に表示されているマップを頼りに、石畳の道を歩いていく。
どんな道になっていくかは分からないけれど、魔物が出てくるのは確かだろう。
だから追放したようなものだし。
グローリアとしてこの世界のことは勉強しているけれど、実際に見るのは初めて。
楽しさもあるけれども、不安もある。
「お父さんは本当に私を追放させたのかしら」
王都の城壁が見えなくなるにつれて、王都にいるこの世界の両親を思い出した。
お父さん……この場合にはアレクサンダー公の話だけど、こうなるって分かって署名したのかな。
それとも無理矢理署名していたのかな。
どう気持ちだったんだろう。
小さい頃、夜眠れない私をお父さんは背中を撫でて寝かしつけてくれた。
そんな記憶さえ、悪役令嬢の私が塗りつぶしていた。
「お母さんはどう思っているのかな」
舞踏会から一切会えずに追放された。
悲しんでいるのかな、怒っているのかな。
記憶も悪役令嬢グローリアとして悪いことをしていて、婚約破棄の上で追放されたのだから。
最悪の娘って思っているのかな。
戻って訊きたいけれど……
私はもう王都へは戻れないから、私にはもう確かめる手段はない。
「でも行かないとね、きゃっ!?」
マップに従って歩いていると、突然犬に吠えられた。
私は逃げるように走っていく。
可愛いけれども、こんなに吠えられたら逃げるしかない。
何でこんなところに犬がいるんだろう……
そう思ったけれども、異世界だからいるのかもしれない。
ああ、犬に吠えられるなんて……運がマイナスのせいかしら。
犬から離れて安心したと思ったら、マップは鬱蒼とした森へ入るルートを示していた。
「この森に入るの……?」
別の道があるかもしれないけれど、青い線ははっきりと森へと続いている。
これが最短ルートだって言われるんだったら、行くしかない。
それにしても画面の中では、道はもっと明るかったし、こんな湿った森なんて存在しなかったはず。
「うう……こんな場所を歩くなんて……」
森は入ってすぐでも薄暗くて、地面が湿っていた。
歩くだけでもヒールが沈むくらいに。
「……何か嫌な気配がするんだけれども」
その瞬間、空気がぴん、と張り詰めた。
茂みが揺れて、灰色の影が飛び出した。
「お、狼!? いや、でかいって!」
教科書で見た狼とは違う。さっき吠えられた犬よりも大きい。
腰の高さくらいまであるし、目が異様に赤い。
明らかに普通の生き物じゃない。
(やめてよ、こんなのーー私、ただの高校生だったのに……)
戦うことになりそうだから、恐怖が震えている。
(違うわ。グローリア・ネウムなのよ。こんな小物に怯えてどうするの?)
でも悪役令嬢としての気持ちが、胸の中でぶつかる。
そして目の前に、突然ポップアップが表示された。
ーーーーーーーーーー
◆敵の行動予測
【次:横移動→跳躍/狙い:喉元】
ーーーーーーーーー
「え、予測が分かるの!?」
確かスキルの中でそういったのがあった気がする。
狼は低く唸って、地面を搔きながら横にずれて、UIの通りに飛んできた。
「わっ!? うそ、本当に来た!」
身体が勝手に動く。
花奏として体育の授業で鍛えられた反射神経が、生きて戻れと言わんばかりに。
ギリギリで身をひねると、狼の爪が空を裂いた。
それにしてもこのドレスとヒールは、この場面では動きにくいわね。
次の瞬間、再びUIが出てくる。
ーーーーーーーーーー
◆敵の行動予測
【次:着地→体勢立て直し→前脚でなぎ払い】
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「来る……!」
着地した狼が爪を横に振る。
ドレスの裾がざっくり裂けた。
「そんな!? ドレス、高かったのに!」
舞踏会用に特注したものだったのよ。
でもそんな事を気にしている場合じゃない。
このまま避けるばかりじゃ、ずっと同じなまま。
逃げ腰のままだったけれども、咄嗟に”旅人の杖”を握りしめる。
ずしりと思い。
だけどこの重さだったら。
(あれを横から受け止めれば、バランスを崩せる!?)
狼が突進してくる。
それと同時に、UIが光る。
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◆敵の行動予測
【次:跳躍→首元へ噛みつき(致命)】
ーーーーーーーーー
「やば……死ぬ……!」
半泣きで杖を横に構える。
「来ないでぇ!」
狼が飛んだ。
その横っ腹に、全体重をかけた横打ちを叩き込む。
ドゴッ。
鈍い音を立てて、狼が転がった。
「……え? 当たった……?」
転がった狼はすぐに立ち上がろうとしていた。
でもダメージを負ったのか、足元はふらついていた。動きも鈍くなっている。
(今ならーー届く!)
壊れた短剣を持って狼に近づく。
胸がバクバクして、呼吸が乱れる。
でも、行かなきゃ死ぬ。
「お願い、届いて……!」
飛び込んで、胸元へ短剣を突き立てた。
狼が震え、息が止まる。
「……はぁ、はぁ……倒した……?」
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◆戦闘に勝利
経験値+12
レベル:1→2
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「レベルアップ!? 本当にRPGなのね……!」
乙女ゲームの世界なのに、もうRPGに変わっていた。
そう思いながら腰から力が抜けて、地面にへたり込んだ。
怖かった。
けれど、”生き残れた自分”にーー少しだけ誇らしさがあった。
「……私、生きてる……」
震える手で短剣を抜き、そっと立ち上がった。
「よし……次の村か街へ目指そう。死んでいる場合じゃない。逆ハーレムどころかまだ仲間すらいないし……!」
涙を拭きながら、私は歩き出した。




