守られた部屋
食堂で温かい食事を終えた後、宿の店主に案内されて階段を上がる。
二階の一番奥、小さな木の扉の前で足が止まった。
「ここだよ。二人部屋しかないけどね」
主人が鍵を差し出す。
それを受け取りながら、私は小さく頭を下げた。
「ありがとうございます」
ぎい、と鍵を開ける。
部屋は狭い。
でもーーちゃんと『部屋』だった。
粗い木の床。
壁に掛けられた小さなランプ。そして並ぶ二つのベッド。
それだけの空間なのに、私は思わず息を飲んでしまった。
(屋根がある)
当たり前のことなのに、胸にじんわりと染みる。
森の土の冷たさ。
夜の恐怖。
何が出てくるか分からない不安。
それらが、扉一枚隔てただけで世界から切り離されていた。
扉を閉める。
鍵を回す。
ーーカチリ。
ただそれだけの音が、身体の奥まで響いた気がした。
まるで警戒心を解けるような。
(鍵、閉まった……)
「ふぅ」
知らないうちにため込んでいた息が、零れる。
同じ”鍵の音”なのに。
王都では私を閉じ込める音だったのに、今は私を守る音なんだ。
「グローリア様?」
振り返ると、フローレが心配そうに私を見ていた。
「大丈夫よ。ただ、ね。安心しただけ」
私はフローレの心配を解くために、はにかんだ。
「安心、ですか?」
「ええ。今日は誰も追ってこないし、誰にも追われない夜だから」
言葉にして初めて、それがどれだけ貴重なのか理解する。
断罪の日。
人々の視線。
冷たい宣告。
罵声と無関心の境目みたいな世界から放り出されて。
私は今日、ようやく『守られた空間』を手に入れた。
それは宮殿でも、豪華な部屋でもない。
ただの村の小さな宿屋の一室なのに。
(こんなに温かいんだ)
私はベッドに腰を下ろす。
布が沈む感触に驚いて、笑ってしまった。
「ふふ、柔らかい」
昔の私なら「安っぽい」と鼻で笑っていたのに。
今はこんなにも、愛しい。
「王都の寝台よりは安物ですが、今はきっと、これが一番ですね」
フローレも隣のベッドに腰を下ろす。
シーツを握り、小さく微笑んだ。
その瞬間、UIが静かに浮かぶ。
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◆安全圏:村の宿(危険度:極めて低い)
HP/MP自然回復:上昇
精神状態:安定
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(やっと、ちゃんと休めるんだ)
肩がふっと軽くなる。
「今日は、色々あったわよね」
「はい。あたしが森で倒れてしまったのに、助けていただいて。戦って、そして、こうして眠れる部屋まで」
そこで、フローレは少しだけ目を伏せた。
「ありがとうございます。あたしを助けてくださって。今、こうしてここにいられるのは、グローリア様のおかげです」
「違うわ。私だってあなたに助けられたもの。魔獣に吹き飛ばされた、本当に終わってた」
「それでもあたしは、今日初めて幸せだと思いました」
「幸せ?」
思わず聞き返す。
フローレは静かに笑った。
「はい。だって、もう一度”あなたの側にいられる”のですから」
胸が熱くなる。
罪悪感。
後悔。
そして、救われるような感覚。
「ありがとう」
私はただ、それだけを言った。
「よろしければ、グローリア様、ご一緒にお風呂へ入りませんか?」
少し時間が経って、フローレがそう言ってきた。
「お風呂に?」
この宿屋にもあるんだ。
珍しいね。
魔法でお湯を沸かしているのかしら。
転生前だったら家にあるけれど、この世界は無さそうだけど。
「はい。清めた方がよろしいかなって」
「そうね! 入りましょう」
今はフローレとの二人旅。
女の子同士だから、一緒に入ったって問題ないよね。
逆ハーレムになっていくと、難しくなっていくんだし。
「ふぅ、気持ちいい」
お風呂は熱めだったけれど、丸一日歩いて汚れた身体を洗うのはさっぱりする。
「グローリア様も私も、入っていませんでしたからね」
「そうよね」
私はともかくフローレだって同じか。
大変だったのね。
お風呂から出ると、フローレが今まで着ていたドレスを手にしていた。
破れまくりでボロボロだけど。
今の私は、この部屋にあった服を着ている。
「グローリア様、これ直しておきますね」
「えっ、フローレが?」
直してくれるのはありがたいけれど、ちょっとだけ申し訳ない気持ちになる。
私が破いたものだから。
「はい! 奉公していましたので、なんとか出来ますから」
「でも悪いし……」
「いえいえ、あたしはもう仲間ですから。これからずっと旅をしていくので、何とかしたいんです! お任せください」
「分かったわ」
フローレの熱量に負けて私は頷いた。
これは、何か代わりにしてあげたいけれど。
何が出来るのかな。
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◆フローレ:『裁縫スキル』発動
衣服耐久:暫定回復
好感度:上昇
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とりあえず、私にはフローレを守ることしか思いつかなかった。
やがて夜になっていく。
夕食を済ませて寝るだけになっていた。
外では夜風が木々を揺らしている。
でもここは静かで、穏やかで。
フローレは裁縫を続けて、私のドレスを直している。
彼女も服が少々ボロボロになっているけれど、それでも私のドレスを優先して直してくれていた。
それが私の心に響いていた。
「グローリア様はゆっくりと、おやすみください」
「分かったわ。無理しないでね」
お任せするしかなかった。
ランプの火だけは灯したままで、フローレ寄りに。
家の電気みたいに明るすぎるわけじゃないから、これでもいいかもしれない。
(今日は……眠れる)
ベッドに身を預けた。
まぶたが落ちる直前、UIが最後にひとつだけ表示された。
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◆メインストーリー進行
【第一章:追放令嬢、生存確定】
クリア
次章解放条件:『ツルイ村での情報収集』
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(はいはい、ミッションね)
意識がゆっくり沈んでいく。
悪役令嬢としての過去も。
女子高校生としての記憶も。
断罪の瞬間も。
全部一旦、遠くへ追いやって。
ランプの光が揺れて、世界が遠のいていく。
追放された悪役令嬢でもなく、転生者でもなく、ただ『生きている私』として、私は眠った。




