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CASE9 菊埜寛志の場合

 さて、ここまで読んだ君はこう思うだろう。『教授の言う、ある1人の女性とは誰なのか』と。常に私の近くに居た君はもう薄々気づいているとは思うがね。彼女――押井早苗は、私の研究者としてのプライドを、いや、私の人生を賭けて幸せにしたいと思った女性だった。


 彼女に出会ったのは30年前。まだ彼女が自分の足で地上を歩いていた頃だ。その頃の私は未来科学と医学を学ぶ苦学生だった。人類の未来に貢献する人間になるんだと、辛い毎日でもなんだかんだ楽しく過ごしていたように思う。

 街路樹が赤と黄色に衣替えを始める頃、私は彼女に出会った。

 大学の構内で不安そうに辺りをキョロキョロとしている彼女をなんとなく放っておけなくてつい声を掛けてしまったんだ。


「失礼。迷子ですか?」

「え! あ、はい・・・・・・。えっと・・・・・・」

「この大学は結構入り組んでて広いですから。案内しますよ」

「いえ! それは申し訳ないです」


 チラと、彼女の目線が私の腕いっぱいに抱えられた学術書に移った。


「問題無いですよ。僕はいつものことですから」

「・・・・・・図書館に行っていたんですか?」

「はい」

「これ、全部読むんですか?」

「そうですね。もう読んだ物もあるんですけど、研究の参考にまた読み返そうと思って」

「すごい。大先生ですね!」

「いやいや。僕なんてまだまだ毛が生えた程度の苦学生で」

「そんなことないです。この大学は最先端の科学と医学を学べると聞きました。そこで学んでいる貴方は、私からしたら十分立派な先生です」

「いやぁ・・・・・・。あ、どこに行きたいのですか?」

「すみません。あの、少し持ちます!」

「あ、えっと・・・・・・じゃあ、この2冊をお願いします。落ちそうなので、ってあぁぁ!!」


 腕の中の本の山は私が彼女の背に合わせようと屈んだところで崩れてしまった。


「すみません! 大丈夫ですか!?」

「はい。私は大丈夫です。なんか、すみません」

「いえいえ、僕が悪いんです!」


 2人で本を拾い集めながら、彼女はふふふと笑った。とても楽しそうに。


「どうかしましたか?」

「いえ、こんなふうに人と話したりするのが久しぶりで、なんだか楽しくて」

「あの・・・・・・失礼ですが、何かのご病気ですか?」


 この大学は、学び舎でもあり、病院でもあり、研究施設でもある。彼女の様子から大学の学生という感じはしない。患者も散歩と言ってはよく歩いていたりするが、彼女は健康そのもののように見えて、ついそう聞いてしまった。


「え、えぇ・・・・・・。もう5年になります。主治医も匙を投げ、こちらの病院に今度からお世話になることに」

「そうなんですね・・・・・・。えっと・・・・・・それなら僕、毎日本を持って行きます!」

「え?」


 そこで我に返った私は、途端に気まずさと恥ずかしさと自分の浅はかさで、小刻みに震えながら彼女の視線から逃れた。今時、本を贈るなどキザでもやらない。すべての本は電子化されているし、媒体の設定を弄れば紙の本を読んでいるように立体映像をめくって読むこともできる。こうして実際に紙の本を読んでいるのは研究者か私のような学生くらいだ。


「あ、あの・・・・・・すみません・・・・・・変なこと・・・・・・」

「い、いえ・・・・・・すごく・・・・・・すごく嬉しいです」


 そっと彼女を見ると、大きな瞳で私を見つめている。その瞳からはポタポタと涙が溢れていた。


「すみません! ホントに、変なこと言って!」

「違うんです。違うんです・・・・・・。私、すごく嬉しくて。きっとここに入院したらもう死ぬまで自由に外を歩いたり、誰かと話したりできないだろうから、最後の思い出に外を歩いてみたくて。私なんか、幸せになっちゃいけないから・・・・・・だから、だから・・・・・・」

「そんなのあんまりだ! 医学も科学も人の為に、未来の為にあるんです! 必ず僕が貴女の病気を治します! 貴女も幸せになっていいんです! だから、えっと・・・・・・と、友だちになりましょう!!」

「で、でも、先生と友だちなんて、畏れ多いです」

「まだ、先生じゃありませんから。今のうちに友だちになればいいんです!」

「・・・・・・ふふふ。優しい人なんですね。有難うございます。私と、友だちになってください」


 そう言った彼女はとても重そうにその手を差し出した。私は彼女の小さくて少し冷たい手を力強く握り返した。それからはより一層、勉学と研究に励んだ。

 彼女の病気は過去の症例が無く、精密検査をしても異常が見つからない。なのに日に日に体が動かなくなっていくのだそうだ。視野や内臓機能、記憶力なども彼女によると年々衰えていくらしい。時にはあちこちに激痛を伴う時もあるが、検査をしてもやはり異常は無い。

 私はいつの間にか教授となり、学生たちを教える傍ら、研究室に籠もった。研究の合間に彼女の様子も見に行った。しかしいくら時間をつぎ込んでも、彼女の病気を治す兆しすら見つけられない。

 そんな頃に君と出会ったんだ。君にはとても助けてもらった。まるで未来を見透かしたかのようにサポートしてくれた君には本当に感謝している。だが、その甲斐虚しく、彼女は力尽きた。


「先生、もういいの。これは私の罰だから」


 それが彼女の最後の言葉になってしまった。


 私は自分の無力さに、愚かさに、約束を果たせなかった無念さに、打ちのめされた。記憶の中の彼女が儚げに微笑む。


「そうだ、彼女は・・・・・・咲苗は、まだ過去に居るじゃないか。肉体的に異常が無いなら、心理的な異常から来る病気なのかも。それに罰とは・・・・・・」


 こうして私は時間物理学と総合心理学に研究を絞り、人払いをした。それなのに君という奴はこんな変人の助手として頑なに残り続け、私がお願いした彼女の過去も、彼女の過去の心理状態に関係したであろう人物も、黙って調べ上げてくれた。本当に不思議な人だよ、君は。君は、大事な人を亡くして意気消沈した老いぼれの気晴らしに付き合うくらいの気持ちだったのかもしれないな。

 そして私は君にも内緒で、この時間移動装置を完成させた。

 私は過去に戻り、リストアップした6人の人物と接触し、彼らの過去を変えることにした。もちろんそれは極秘裏に行わなければならない。過去の早苗に勘づかれてもいけない。それでも・・・・・・。


「これで過去が変われば、咲苗に未来を与えられる・・・・・・!」


 私はそう信じて装置のスイッチを押した。そうしてまずは、咲苗の中学時代に強い影響を及ぼした、『愛川ゆりか』の時代へと行ったのだ。




『CASE10 押井早苗の場合』に続く

次話もお楽しみに!

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