2話 桜の絨毯
通学路を進んでいるとあまりの晴天に「本当に昨日雨が降っていたのか?」と嘘のように感じられた。
雨が降っていた事さえ、ただの夢だったのだろうか。
何度見ても慣れることの無い夢。加えて、初めて名前を呼ばれた事がその考えに拍車をかけた。
数日前まで遅咲きの桜が、日陰の少し湿った地面に張り付いた淡い桃色の絨毯と化し、色あせていた。
その事実が、あれは現実だったのだと確信を持たせた。
この校舎も何度見たことだろう。
新学期が始まるというのにまたこの校舎で過ごすのかと思うと少し気が重い。
うちの高校はエレベーター式の小中高一貫校だ。校舎自体離れているものの近距離に小学校、中学校、高校と設置されている。
春休み明けなんて、どの年代も足取りが重たくゆ鬱な気分で登校する生徒が多いというのに、今年はえらく校門が賑わっている。
「なんの騒ぎだ?」
新学期早々喧嘩でも始まったのかと思うほどピリピリとした空気が漂っている。
頭に「?」が浮かんだまま最後尾に近づくと、そこには見慣れた後ろ姿があった。
「おはよう。夏鈴」
と私は声をかけた。
「あ!椿ー!おはよう!」
「朝から元気いいね。それにしてもこれ何の騒ぎ?なんかあったの?」
「そうなの!」
鈴が鳴った様にコロコロと笑うのは夏鈴。
その声に周りの空気が明るくなるのを感じた。
中学の頃この学校に転校してきてからはずっと仲良しの友人。
夏生まれで、生まれた時から鈴のように笑うことから両親に夏鈴と名付けられた。
まるで名前そのものの性格をした可愛らしい子だ。
「実はね転校生来たんだって!!」
「転校生?珍しいね」
小中高一貫校なだけあって他所から転校してくる子は少ない。夏鈴を含めて片手で足りる人数しかいない。
「それがね、春休み中に部活があった女の子達が、高身長イケメンが職員室に入ってくのを見かけたって話がここの生徒達のSNSで広まって、その顔を人目見ようと始業式早々こんな人だかりができたってわけ!!」
なるほど。この漂うピリピリ感は喧嘩ではなく女の子達から発される「我先に」という感情から来るものだったのか。納得がいった。
「そんな話が広まってたなんて知らなかったよ。
転校生もご愁傷さまだね」
「椿ったら、私以外に友達つくらないからだよ?
みんなと話した方が楽しいのに!」
夏鈴は頬をぷくっと膨らませ、少し寂しそうな目をして下を向く。
「椿の事情知ってるからこそ、友達と楽しく高校生生活送って欲しいんだよ」
「ありがとう。でも夏鈴が居てくれるだけで私は毎日楽しいの!自分で生活するためにバイトしてる事も、両親の事も知ってくれてるから、私も素の自分でいられる。沢山遊びに行けなくても夏鈴は怒らないでしょ?」
私にも友人はそれなりにいた。だけど両親がなくなってからは、自分で自分の生活費、学費を払わなくてはいけなくなった。以前ように遊んで、周りと同じ金銭感覚でいることができなくなった。誰も口にはしなかったが、少しずつ遊ぶ回数が減って、いつしか誘われなくなり、話すことも無くなっていった。私も周りから気遣われている事に苦しくなった。そんな私を責めずにずっとそばに居てくれたのは夏鈴だけだった。
「怒れるわけないじゃん!でもたまには遊んでくれないと寂しいよ!」
「ごめんごめん!そんな怒んないで。今度新しくできたカフェでも行こうよ!ね?」
「もう!仕方ないなぁ」
満更でもなさそうな夏鈴を微笑ましく思う。冗談交じりに言っているが、きっと本心なんだろうなと思う。
どこか無理してでも夏鈴と遊びたいな。なんてさっきより生徒が居なくなった校門を通り過ぎながら考える。
ざわざわと揺れる木々の音に混ざって誰かの甲高い声が聞こえる。体育館に高校生全生徒が集まり、賑わってきた。「静かにしろ!」と声が枯れるほどの大声で怒っている生徒指導の先生の声が響き渡る。
始業式も始まり、長い校長の話が始まった。みんな真面目に立っていたのもほんの数分。5分10分と経つにつれて、揃っていた頭の位置もみんなバラバラになる。それを遠くから見て、頭を抱える生徒指導の先生。本当に大変そうだ。
女子生徒は辺りを見渡し仕切りにキョロキョロとしている。お目当てのイケメンを探しているようだ。うちの学校では、転校生を始業式など、みんなが集まる場で紹介される。
まるで今か今かと餌を待つハイエナのように見えてきた。
ポンポンと左肩を叩かれ、少しだけ後ろに振り返る。
「ん?どうしたの、夏鈴」
小声で夏鈴に呼びかけると、にこにこした顔でみんなに見えないように左を指さしてこう続けた。
「今年もいるよ!椿の事見てる男の子たち!」
その指につられて目線を上げると1年生の男の子数名と目が合った。
「ね!見てたでしょ!椿美人だもん!今年もほとんどの生徒が椿に告白するんだろうな〜」
「夏鈴ってば恥ずかしいから冗談やめてよ。そりゃ、人並みに手入れして綺麗にはしてるけどそんな言われるほどじゃないよ」
夏鈴はあからさまに「はぁ」とため息をついて項垂れる。
「これだから無自覚美人は…」
「なんかいった?」
「いえ。なにも。」
「そう?じゃあ校長先生のありがたいお言葉をしっかりと聞くことね」
なんて二人で静か微笑んでいたら後ろにたっていた担任の先生と目が合う。
口元を見ると「お前ら、静かにしろ」と口パクしている。
ペコッと頭を下げて、大人しく校長の話を終わるのを待つことにした。
はぁそれにしても長い…