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1-8

「おいおい、タオルを湯船につけるな、少年。さっきも髪洗ってるときもシャワーを後ろにばらまいてたし、ほんとに来たことないんだな」


「だ、だからそう言ったじゃん!ついこないだまでドイツにいたのに、日本の温泉のルールなんて知らないって。俺にとってはアニメとかマンガの世界だっての」


シャワー文化しか知らない蘭丸にとって、大衆浴場というのは落ち着かないのか、語勢は強いがどこか恥ずかしそうにモジモジとしている。


「ははっ、そりゃそうか。日本の露天風呂も悪かないだろ?街中で、曇り空しか見えないけどな」


「…まぁ確かに悪くはないね、外でお風呂ってのは」


「だろ?少年も大人になったら、ちゃんとした温泉地に行ってみればいい。こんな‘なんちゃって’より、もっと良いもんさ」


このように蘭丸の前では風情の善し悪しがわかる粋な大人のように振舞っているが、実際にはこの男は仕事を辞めたあとの温泉旅行で、山奥の宿に1週間1人で過ごすことに耐え切れず、キャンセル料を払って4日ほどで帰ってきている。


桃が指摘したように、菊次郎は蘭丸の前だとどうもカッコつける節があるらしい。


「…なぁ、おっさん。その背中の痕ってさ、聞いていいの?」


菊次郎の背中には右肩から背中にかけて、大きく黒く変色していた。


痣というには禍々しく、刺青というには生々しい。


何かの意匠のような模様を読み取れなくもないが、もし意味があったのだとしても世界中のどのコミュニティの思想や価値観に根ざしたものとは到底思えない。


これを見た人間が抱く感情は「不安」であろう。


これのおかげで利用を断られる浴場もある。現に今も、他の客は気味悪がったのか露天風呂には菊次郎と蘭丸の2人しかいない。


「…まぁ、お察しの通りさ。自分の分ってもんを弁えずに首を突っ込んで、痛い目を見た」


「たぶん…左目もそうだよね?」


「ははっ、よく気づいたな。左目の視力も失っている」


菊次郎の左目は見た目には何の異常もないし、視力を失って何年も経つので日々の振る舞いにぎこちなさを感じさせることもない。それでも蘭丸が察したのは、アイコンタクトが重要なスポーツをやっていたからだろう。


「桃から聞いてるんだろうけど、俺も昔、ちょうど少年と同じくらいの頃に、世の中には‘普通ではないもの’が潜んでいることを知ってな。夢中になって追いかけたよ。


途中までは面白いくらい全てが上手くいってな。まるで自分が物語の主人公になったみたいだったな。


…けど、そうやって調子にのっていたら、しっぺ返しを食らうもんだ。


自分の体の事はいいさ、けど…それだけじゃすまなかった。そこでようやく気付いた。こんなモノに自分から関わっちゃいけなかったんだってな」


菊次郎は失ってしまったものに想いをはせているのだろうか。街中の露天風呂の狭い空を見上げた。


「だから少年、このドタバタにケリが着いたら、猿の手やあの外人のことなんか忘れて、真っ当な青春を謳歌するといいさ。サッカーは…もう出来ないのかもしらんが、他にも楽しいことはいくらでもある。ゆっくり探せばいい」


「俺の他にやりたいことは置いとくとして…どうして今回の猿の手に関して、モモを手伝わせてるの?知り合いの…さっき話に出てきた“なんとか先輩”って人の子供なんでしょ?危ないじゃん」


やはり中学生にしては蘭丸は敏く、話の次が読める子であった。


「それは少年も桃も、もう既に猿の手と関わってしまったからな。繋がりが出来たと言ってもいい。


少年は直接、受け取ることで。桃は受け渡しの現場を目撃して、さらに誘拐事件と繋げてしまった。


そしてこれは理屈じゃなく、経験則のようなものだが、一度でもオカルトや怪異と繋がりが出来てしまったら、どういう形であれケリをつけなきゃいけなくなる。


全てを忘れて、布団の中で縮こまっていたら、知らないうちに解決していたってことはない。【猿の手】という怪異譚の登場人物として、物語上の役割を果たすまではな。


それに桃はあんな性分だ。勝手に暴れ回られるより、せめて目の届く範囲に置いておいた方がまだ安心だ」


「ははっ、モモについては同感だね」


知り合ってから数日しばらく行動を共にしたが、実は菊次郎と蘭丸が、桃抜きに2人になるのはこれが初めてだった。


最初はどちらも身構え、ぎこちなさもあったが、裸の付き合いというのはいつの時代でも効果があるものらしい。二人の間にあった些細な緊張感も、湯船に溶けていくようにいつの間にか無くなっていた。


それでも蘭丸は背中の痣について菊次郎に踏み込んで聞けなかった。その背中の痣は何かの物語の舞台からまだ降りることを許されていない証ではないかと。

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