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「いやー、学区が違うだけで、けっこう家は近かったんだね」
「あー、うん、そうだね」
「美味しかったでしょ、あの中華屋さん。昔からある町中華って感じで。まぁ、私も久しぶりだったから、ちょっと食べすぎちゃった」
夕食は菊次郎が居を構えるビルの1階に入っている中華屋で3人で済ませ、桃と蘭丸は二人で歩きながら帰っていた。中学二年生の蘭丸にとって、高校生の桃と二人きりで歩くのは気恥ずかしいようで、どこか受け答えもぎこちない。
「桃さんはあのおっさんとどういう知り合いなの?ってか、あのおっさんは何者なの?」
「菊ちゃんはねー、私のお母さんの中学の後輩なんだよ、それで私が生まれた時から知ってるんだ。
菊ちゃんのことは…なんて説明しようかな。ちょっと前まで普通のサラリーマンだったんだけど、株で一発当てたとかで会社辞めちゃってね。今はふらふらと暇そうに、Indiana…あの喫茶店とかに入り浸っているよ。
それで菊ちゃん自身はまぁ普通の人なんだけど、今から20年くらい前、ちょうど蘭丸君と同じ年くらいのころに、今回の猿の手みたいな不思議なアイテムが引き起こした事件を何件も解決したみたいなんだよね」
「へー、すごいじゃん。中学生で」
「ああいや、正確にはなんかオカルト専門家の人がいたらしくて、菊ちゃんはその助手をしてたのかな。まぁそんな感じで、菊ちゃんは専門家とは言わないけど、一応経験者ってことなのかな」
「ふーん。あれ、けどさ、それならその専門家の人に失踪事件も相談したらいいんじゃないの?」
「それがその人、オカルト関係のトラブルに巻き込まれて行方不明になっちゃったらしいんだよね。それも私が産まれる前だからよくわかんないんだけど。
それもあってか、菊ちゃん、オカルト関連の話を私にはぜんぜんしてくれないんだよね」
「トラウマってやつ?大人なのに、なんか情けないなー。けどさ、さっきは行方不明事件には自分から頭突っ込もうとしてたけど」
「まぁあんなでも根は善良な小市民だからね。なんの罪もない女子高生が被害にあったかもしれないと知れば知らないふりするわけにはいかないんでしょ。それで…蘭丸君は?」
「え?」
「蘭丸君はどうして手伝ってくれるの?」
「どうしてって言われても…」
急に首根っこを捕まえて、有無を言わせず怪しい事務所に連れて行ったのは桃である。そもそも蘭丸は行方不明事件を手伝うとは一言も言ってはいない。
しかし、桃にさも決定事項のように言い切られ、じっと見つめられると、まるで自分が自ら申し出たかのように思い込んでしまう。
「べつに日本に戻ってきてからヒマだっただけだよ。サッカーも出来ないし、学校もつまんないしさ」
『最近、寂しかったから』とは言わなかった。彼も中学生男子である。中学生なりの体面というものがある。
シングルマザーである彼の母は夜遅くまでよく働いている。最近まで海外留学していたため、学校に親しく話せる友達もまだ出来ていない。
部活もしていないため、放課後になればやることがなくなってしまう。
「そっか、それじゃこれからよろしくね。あと私のことは“モモ”でいいよ。私たちは先輩後輩ってわけでもないし、敬語もなしで」
「うん、わかったよ、モモ」
海外暮らしが長かった蘭丸にとっては、2人で歩くより、名前を呼び捨てる方がハードルは低いようだった。
「ここでお別れかな?じゃあ、次は''作戦決行日''に」
「アレかー。ほんとに上手くいくかな?」
「どうかなー。けど…、なんだかワクワクするでしょ?」
「…」
「うふふ。蘭丸君も男の子だねー。それじゃあバイバーイ」
ニンマリ顔の桃と別れ、1人で家までの道を歩く。
夜の8時。実は蘭丸は、この時間によく出歩いていた。母親が帰ってくるまであと1時間。
寮生活が長かったためか、誰もいない部屋で1人過ごすのがどうも苦手になっていた。中学生の蘭丸が歩いていてもまだ警察に補導されることなどは気にしなく良い時間。だからいつもはつまらなそうな顔をして、家の近所を目的もなく出歩いている。
だが今日は同じ道を歩いていても、どこかふわふわとして、初めて来た道を歩いているかのよう。
コンビニや弁当屋のご飯ではなく、出来立ての中華料理をお腹いっぱいに食べた。
焼餃子、春巻きに始まり、ご飯ものの焼飯と天津飯に、メインの唐揚げ、麻婆豆腐、レバニラ、酢豚、東坡肉、副菜として空心菜炒めと水菜のサラダ、そしてデザートにゴマ団子と杏仁豆腐。
次から次に運ばれてくる出来立ての料理たち。注文数も多いが、一皿一皿に盛られた量も多め。
母親にチェーンの中華料理店に連れてもらったこともあるが、彼女は女性としても少食な方なので、テーブル一杯の料理というものは蘭丸にとって初めての経験だった
どんどん食べて皿を開けていかないと、次の皿を置くスペースがなく、遠慮なんかしている暇がない。
蘭丸自身が育ち盛りの中学生男子だし、桃も部活帰り、菊次郎も酒よりも食の健啖家であった。
注文時は明らかに頼みすぎだと思ったが、三人がかりで完食。
ホット烏龍茶で口の中の油と塩味をさっぱりさせて一息ついた時は達成感と、あまり認めたくないが一体感のようなものさえ感じてしまった。
少し苦しかったお腹も少し歩いたことで落ち着いてきた。
いつもと同じ道、同じ時間、いつものように1人。それでもどこかふわふわと。
どこにでもある町中華の今日の夕食は、蘭丸にとって生涯忘れられぬ一食となった。