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アメリの足跡  作者: 月花
第2章 きらきら光る
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第8話 水の洞窟


 砂の国には一年の真ん中、夏に祭りをする風習がある。


 半分を無事に過ごせたことを感謝して、もう半分の幸せを願うために。誰もが盛大に祝う日で、昔からとても大切にされている一日だと聞いていた。


 日が落ちて、薄暗くなりはじめる。あたりは群青色だった。大通りはいつもよりもにぎやかで、ずっと笑い声が響いていた。ノエは街中の壁にもたれかかって、かかとで地面をたたく。


 表からは独特の香りが漂っていた。どの店も酒を売っているのだ。馬の乳を混ぜこんだ酒らしく、何人もがカップを受け取っているのが見える。ノエも何回か声をかけられたけれど、いざというとき酔っ払っていたら話にならないので断る。


「お待たせ」


 すぐそばの建物から出てきたアメリが、もじもじとしながらノエの近くまでやってきた。


 彼女は黒いワンピースドレスを着せられていた。絹で織られているそれはわずかな明かりでつややかに光る。いつも後ろで一つに結んでいる髪も、綺麗に結い上げられていた。銀の髪飾りもついて、とても清楚だ。


 ノエはぼうっとしたまま彼女を見ていた。

 いつもだってそうだけれど、今日はいちだんと──。


「どうかしら。変じゃない……?」


 黙りこんでしまったノエに、彼女は両手をきゅっと握る。駄目だ、なにか言わないと。脳内ではさらっと褒めるシミュレーションが完璧に行われていたのに、現実のノエの声は若干ひっくり返っていた。


「に」

「に?」

「似合って」

「似合って?」


 彼女がにじり寄ってくる。

 ぐっとつばを飲みこんだ。そのときノエは意を決したのだった。


「似合って……ないこともない……」


 アメリは「よかった。似合っていないこともないのね」と満足そうにうなずいた。


 どうして自分はこうなのだろう、とノエはがっくりと肩を落とす。出だしから最悪だった。ちなみに調子が良かったときなんて一度もない。


 彼女は「そろそろ行きましょうか」と街の下を指さした。街は令学院からゆるやかな下り坂になっていて、人波は下へと向かっているのだ。二人も人にまぎれるように並んで歩いていく。しばらくしてノエは舌打ちをした。


「後ろ、ずっとついてきてる」


 アメリは顔だけ振り返った。もうすっかり見知った顔の世話人が、数メートル離れたところから追いかけてきているのだ。


 アメリと視線が合うとにこりと微笑むから、アメリも会釈していた。そういうことをするからつけ上がるんだ、とやや八つ当たりをした。たぶん関係はない。


「本当だわ、よく気が付くのね」

「そりゃ、それが俺の仕事だし」


 なんでもないことのように返しつつも、悪い気はしない。機嫌のメーターが戻ってきたので、ノエはできる限りあの男を空気だと思うことにした。


「まあ、さすがに見張りくらいつけるか」

「でも許可が下りるなんて信じられないわ。私、ずっと出られないと思っていたのに」

「……あんたを毛嫌いしてるのは、政治をしている人たち。令学院そのものはたぶん、というか確実にアメリに興味がある。それはアメリだってわかってるでしょ。お忍びで学者たちが顔出しにくるし、黙認もされているし。だから条件はそんなに悪くなかった」

「だから今日を狙ったのね?」

「この日は一番大事にされてるらしいから。パワーバランスが崩れるんじゃないかと思った」


 ただの予想で、願望こみ。今回はたまたまノエの思い通りに転んだだけ。けれど一度でもそういう日があれば、後々のためになる。『許されたことがある』のと『ない』のとでは大違いだ。


「儀礼に参加するだけっていう条件付きだけどね」


 坂道を下ると、一本の長い洞窟があった。


 ずっと遠くまで続いていて、中は暗い。人はランプを持ってどんどん中へ入っていく。


「ここに行けって、令学院のじいさんから聞いてたけど」

「どこへ続いているのかしら?」


 二人は顔を見合わせる。そもそも祭りの作法がさっぱりわからない。ノエが聞いていたのは、アメリの礼装を用意してくれる店と、道筋だけだ。するとアメリは後ろを振り返って「世話人さん」と呼びかけた。


「これからどうすればいいの?」


 彼女はときどきノエの予想を簡単に越えて、ぶっとんだことをする。人なんて山ほどいるのに、どうしてよりによって彼に訊くのだ。


 さすがの彼も驚いたようで、「はい?」と不思議そうな顔をしていた。けれどすぐにいつもの薄っぺらい笑みを浮かべると、二人のもとまで歩いてきた。


「入り口に立たれている方から、ランプを一つずつお受け取りください。そして洞窟を道なりに進みます。中ほどから水が張っておりますから、靴は手でお持ちになるとよいでしょう」

「ええ」

「五分ほど歩きますと、外へ出ます。ランプを所定の位置に戻していただきますと、代わりに麻紐を受け取れます。それを手首に巻かれますと、年の終わりまで安泰に過ごせると言われております。古くからのおまじないのようなものでございますね」


 アメリはうんうんと頷きながら聞いていた。存外丁寧に説明してくれたので、ノエは「どうも」と口だけ礼を言ってから、「どっか行け」と手で追い払った。本音は後半にしかない。


 無意識のうちに睨みつけてしまう。彼はアメリに呼びつけられたから、わざわざ近づいてきただけなのだが、特に不満そうではなくて、むしろちょっと面白いものを見たような顔で去っていった。


 洞窟の空気はひんやりとしていて、少し重たい気がする。ランプにはたくさんの装飾がされていて、アメリは綺麗ね、と笑った。ノエは足元を照らすように下ろして、彼女の半歩前を歩いていった。


 彼の言っていた通り、途中から水がたまって奥の方まで静かに流れている。この水はどこから来るのだろうとランプをかざすと、隅のあたりから自然に湧き出しているのが見えた。ノエは「靴貸して。持つから」と左手を伸ばした。


「絶対落とすでしょ」

「一応訊くけれど、私のこといくつだと思っているの?」

「二十四歳児」

「惜しいわね。最後だけがちょっと余計」


 彼女は少しふらついたから、壁に手をつきながら靴を脱ぐ。


「子どもはあなたよ、ノエ」

「……八つしか違わない」

「あなた十六歳でしょう。人生の半分じゃない」


 言い返す方法が見つからなかったので、自分の靴は自分で持つことになった。


 昼間はあんなに汗をかいていたのに、今では足が水に濡れて肌寒いくらいだ。足首まで浸かっていて少し歩きにくい。足を大きく上げて、じゃぶじゃぶと音を立てながら進んでいく。「寒くない?」と訊くと、アメリは「ちょうどいいくらい。さっきまで少し暑かったの」と答えた。


「ノエはこのあたりに来たことがある?」

「近くまで買い物で行ったけど、こんなに大きい洞窟があったのは知らなかった」

「街で遊んだりはしないの? 食べる店がたくさん並んでいるし、劇場もあると聞いているわ。自由に使えるお金だって渡しているのに」

「俺はいつでも仕事中」

「もう、拗ねたようなことばかり言って」


 アメリは仕方がなさそうに返した。思ってもいない返事だったから、ノエは水に足を取られてつまずきそうになった。


「拗ね…………誰が?」

「もしかして気が付いていなかったの?」


 今度はアメリが驚いたように言った。


 思わず顔を見合わせて、お互いなんでそっちが驚いているんだという目で見つめあう。しかしどちらも譲らなかったので、二人して釈然としないまま退くことになった。


 心の中で拗ねてるってなんだよ、と呟く。


 誰がいつ、そんなことを言ったのだろう。まったく身に覚えがない。なのにその言葉が妙に引っかかって、考えこんでしまう。アメリは「ごめんなさい、あなたを悪く言ったつもりはないのよ」と慌てて付け足した。


「ほら、ちゃんと前を見て歩かなくちゃ駄目よ。転んだら悲惨だわ」

「あんたから言い出したくせに」


 深く考えるのはやめることにしたが、やっぱり釈然としなかった。


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