第5話 真昼の強盗
アメリと違って、ノエは少しくらいなら外に出ることができる。
その日もアメリから頼まれて街に下り、いくつかの食べ物を買ってきた。世話人に用意してもらうこともできたけれど、ノエは自分で行くことにしている。あの男は信用できない。
陽の光がさんさんと降り注いでいた。ノエはふと立ち止まって、手でひさしを作りながら空を見上げた。雲一つない青空だ。この国にはほとんど雨が降らなくて、いつでも空気が乾いている。
アメリが欲しがっていたクッキーを探していたら遅くなってしまった。荷物の入った紙袋を抱えて、早足で帰り道を行く。ゆるやかな坂道を登って正門をくぐって、家まで戻る。
「…………?」
扉が少し開いていた。
ノエは確かに鍵を閉めてから出ていったはずなのに。
ノエは音を立てないように扉を押し開けた。誰かの声がうっすらと聞こえる気がする。足音をさせないままで身体をすべりこませて、廊下を進んでいく。今度こそ床をきしませてしまうようなへまはしない。風呂場やノエの寝室のそばを通って居間の前へ。
話し声がしていた。
アメリの声だった。
「──まあ、とにかくお茶でもいかが?」
彼女は陶器のティーポットがお気に入りで、よく温かい紅茶を入れていた。たぶん客が来ていて、お茶を出そうとしているのだろう。時々忘れそうになるけれど、アメリは留学中という体だから史料の仕分けなどを任されているのだ。
それにアメリの功績は令学院でも有名だから、学者たちがこっそりとやってきては意見を求めたり、討論したりしている。
邪魔をするつもりはないけれど、傭兵としては客の顔くらいは見ておきたい。ノエは静かにノブを掴んで、ゆっくり──本当にゆっくりと回した。
扉を開ける。
大きな窓からの光が眩しい。ノエは少し目を細めながら、彼女の姿を探していた。
「ナイフもお持ちですし、バターケーキも召し上がります?」
アメリは両手を上げていた。
そしてそばの男に、ナイフを突き付けられていたのだ。
「────」
ノエは勢いよく扉を閉じた。バタンッとものすごい音がした。
思いきり強盗に入られている。
とりあえず深呼吸──は全然できなかった。扉に手をついて「は? いや、は?」と口早に呟く。わけがわからない。何がどうなればああなるのだ。どう考えてもまずい状況だけれど、アメリは意気揚々とティータイムを勧めていた。
ノエは初めてあの女をのんきではなく、馬鹿だったのかもしれないと思った。
ノエは深く息を吸って、吐く。そしてあの光景が幻であってくれないかと心の底から願いながら、もう一度ドアを開けた。
「おかえりなさい、ノエ。ティーカップは戸棚の中だったかしら?」
アメリは肩をわし掴みにされ、首にナイフをあてられていた。絶体絶命の人質以外の何者でもなかったけれど、彼女はにこにことしている。しばらく言葉らしいものが出てこなかったので、ノエはその場で立ち尽くすしかなかった。
「嘘だろ」
愕然とした顔で言う。
「一つ言いたいんだけど、こんな状況で茶を飲みたいのはあんたしかいない」
「そうなの?」
アメリは顔だけ後ろに向ける。強盗──ノエは勝手にそう呼ぶことにする──はやや戸惑ったようにうなずいたので、そこは返事をしてくれるのかと妙に感心してしまった。人は混乱すると素直になるのである。
「おもてなしって難しいのね」
「俺は人質としての作法から説明しなきゃいけないわけ?」
「時間があるときにお願いするわね」
「そうだな、今は時間がないもんな。わかってるなら大人しくしててくれないかな」
「私、ちゃんと両手を上げているわ?」
「じゃあついでに黙っててもらっていい?」
ノエが若干うんざりしつつ返す。こんな家に強盗に入るなんてあの男に同情してしまう。「あんたも大変だな。俺も大変だけど」とノエは憐れんだ。
「それで何の用?」
とりあえず仕切りなおし。
男は思い出したように「動くな」と言った。本当に思い出したように。
「動いたらこの女を殺すぞ」
「俺、さっきから動いてないじゃん」
「子どもが屁理屈を」
「めちゃくちゃ道理でしょ」
武器を捨てろと言われたから、大人しく腰の長剣を床に置いた。それから両手をあげる。これで丸腰に見えるけれど、背中に短剣をしまっていたはずだ。ちょっとの隙があればいつでも引き抜ける。
「本を寄こせ」
男は命令した。ノエは顎を引いて男の顔を確かめようとしたけれど、布をかぶっているからよく見えない。声にも聞き覚えがないから、会ったことはないはずだ。本国からはるばるやって来た刺客か、それともこの国の人間か──それすらも分からない。
けれど目的ははっきりした。アメリが持ち出したあの本のことが知られたのだ。
「本? 部屋の中よく見れば?」
ノエはすっとぼけた顔で視線を投げる。今日も部屋にはあらゆる本が積み上がっている。
「よりどりみどりだけど?」
どうぞ好きなのを持っていってよ、少しは片付くから、とノエは他人事みたいに言った。
わりと本音である。
「赤い革表紙の本だ」
「十冊はある」
「古びている」
「いやぜんぶでしょ」
「……宮廷の紋章が刻まれている」
「八冊」
「…………厚みは五百ページほど」
「おっ、五冊くらいまで絞れたね」
ノエはうなずいた。男は舌打ちをして、今度は捕まえているアメリに話しかけた。
「おまえなら知っているはずだ。どこにある」
「私、来年の目標は整理整頓にするって決めているの」
彼女が自信満々にそう言うのを、ノエは黙って見ていることしかできなかった。たぶんそのうち刺されると思う。
まばゆいばかりの光を宿しているまなざしに、ノエは「一生言ってろ」と吐き捨てた。
「そういうわけだから、もう自分で探せば? どうせそのへんに転がってるよ」
らちが明かないし、このままでは日が暮れる。男も無駄だと悟ったのか、アメリを掴んだまま右足で本の山を崩した。バサバサと音をたてて本が散らばっていく。彼女からは抗議の声があがったけれど、靴先で本をひっくり返していく。
赤い革表紙の本はない。
男はアメリを抱えながら少しずつ動いて、手探りで本を見ていくしかないが、ろくに身動きできない。だんだんじれったくなってきたのか、男はアメリを離した。みぞおちにナイフを突きつけて、「動くなよ、動いたら殺すからな」と何度目かの命令をした。
「あの、ちゃんと手元も見てくださいね!? よそ見して刺したら化けてでますから!」
「それは歴史に残るうっかり死になるだろうね」
彼女はノエの方に顔を向ける。視線がまじわった。新緑みたいな瞳の色だ。もうとっくに見慣れたと思っていたけれど、疑心なんて少しもない目に見つめられると、背筋がくすぐったくなってそらしたくなってしまう。
それはきっと気恥ずかしさで、うしろめたさだった。
自分はそんな綺麗なものじゃないのに、と言いわけしたくなるのだ。誰に訊かれてもいないのに。
アメリと表情だけでやりとりをする。あの男を知っているか、と目を向けると、アメリは小さくかぶりを振った。この様子だと事情もよくわかっていないだろう。
そうこうしているうちに男は机上を探し始めた。ノエは視線だけで男の手の先を見る──このままではまずい。例の本はもうすぐそばだ。