第3話 いつか花園になる庭
「ありがとうございました」
世話人は「他に必要なものがあればご遠慮なく」と言った。アメリはにこりと笑みを返してから、扉を閉める。ノエは部屋から顔だけのぞかせた。
「護衛を差し置いて扉開けるの、やめてもらっていい?」
「だってノエ、シャワーを浴びていたでしょう? さすがに全裸の子を向かわせるわけには……」
「服を着るくらいの能はあるけど?」
ノエは髪をふいていた布をかごに入れた。アメリから荷物を取り上げるようにして受け取る。ずっしりと重いそれにはいろいろな文具が詰めこまれていた。ペンの換え軸、インク、ペーパーカッター、のり、糸──いかにも学者といったものがそろっている。
けれどなかには関係のない荷物が混ざっているようだ。ノエは布の切れ端をつまみあげた。
「何これ、雑巾? 拭き掃除の前にまずは片付けから始めたら?」
言いながらノエは部屋の中をゆっくりと見まわした。まだ三日しかたっていないのに、床には本が積み上げられていて、走り書きした紙が散らばっていた。ノエが拾ったはしからまき散らすのだから腕が何本あったって足りない。
アメリは「片づけるわ、明日」と言った。そのセリフはなんと昨日も聞いたのである。
「それは金属を磨くための布よ。ほら、あのブローチ」
そういえばキャラバンで砂漠越えをしたとき、マントを止めていたブローチがあったな、とノエは振り返る。あれだけは今も机の上にきちんと置かれている。
「私の門弟たちが、受勲の記念にくれたものなの。みんなでお金を出しあって買ってくれたらしくて──とても可愛い子たちよ。素直で、優秀で、みんなとても熱心に研究に取り組んでくれて、本当に嬉しかったわ」
アメリはブローチを手に取って、懐かしむみたいに指先で撫でた。よく手入れされたそれには錆一つない。
アメリには十人ほどの門弟がいて、ブランシュ学派と呼ばれていた。伯爵家の出身であるアメリだが、出自なんて聞かずに門弟を迎えていたらしい。まあ今となってはもう誰も残っていないけれど──。
ぴかぴか光るブローチを眺めながら、ノエは「じゃあそれが形見だな」と呟いた。
彼女は少し考えるみたいに手を止める。そして目を細めた。
「ええ、形見ね。見るたび、昨日のことみたいにあの子たちを思い出せる」
詰められた荷物を一つ一つ出して、床に並べていく。すでに散らかっているのだから一つや二つ増えたところでもう変わらない。小さな布袋をつまみあげたノエは「香辛料?」と訊きながら、軽くゆすった。粒のようなものがたくさん入っているけれど、においはしない。
「それは花の種よ」
「食うの?」
「食わないわ。まくのよ」
「部屋に?」
「……わかった、わかったわ。今日片付けます」
アメリは真顔でうなずいた。そうしてもらえるとノエも心穏やかに過ごせるので大変ありがたい。
彼女は逃げるみたいに裏庭につながっている扉を開けて、「こんなに素敵な庭があるなら、花を育てたくて」と声を張り上げた。裏庭はこじんまりとしているけれど、よく手入れされていた。アメリたちが越してくる前に雑草を抜いたらしく、草の小山ができている。
春の陽気でぽかぽかとぬくい日だった。アメリは上着を着ないままで裏庭に出て、さっそく種を埋めようとしている。相変わらずのんきだ。
ノエは扉にもたれかかって「よくやるよ」と呟いた。
「どうせ冬になったらぜんぶ枯れるのに」
しゃがみこんでいるアメリは「そういうものでしょう?」と返す。当然のことみたいに。ノエがぽかんとした顔で見ると、彼女は目を細めた。
「でも春になったらまた咲くわ」
彼女はノエのもとまで小走りで戻ってくる。そしてノエの手を取ると、種をちょこんと乗せてきた。意味がわからない。ノエが自分の手とアメリの顔を交互に三度くらい見ていると、彼女は不思議そうにノエを見つめ返してきた。
「……いや、なに?」
「ノエも一緒にどうかしら、と思って」
「俺が興味ありそうに見える?」
「ちっとも?」
よかった、目は悪くないみたいで、とノエはややげんなりした調子で言った。アメリは少しも気分を悪くしていないようで、後ろ歩きしながら微笑んだ。
「きっと楽しみが増えるわ。意外と毎日気になるものよ?」
大人の言うことって割とあてになるんだから、と彼女は言った。
大人だというのなら荷物の整頓くらいしてほしいし、髪を濡らしたままで机にかじりつきになるのもやめてもらいたかった。