08.治療院
乗馬を習いつつ、刺繍を進めて二週間ほどが経った。
「乗馬って難しいんですねぇ。」
馬に慣れるところから始め、上に乗り始めたばかりの一週間は、ただひたすら怖かった。
視界の高さや自分の意識ではない移動の怖さというものが凄いのだ。
空も飛べるし、車にだって乗っていたわけで、どちらももっと高くてスピードも出るのだが、生き物の上に乗って移動するということの怖さっていうのは、別格だったのだ。
「止めますか?」
騎士さん改め、シュレインさんにそう聞かれたのだが、私は首を振って頑張った。
この世界では馬に乗れることは大きなポテンシャルになるだろうし。
二週間が過ぎた今、シュレインさんが引く馬ではなく、一人で歩く馬に乗るくらいのペースで乗馬を進めている。
この調子だと、遠出するなんて、まだまだ先になるだろう。
今日は乗馬がお休みの日なので、街に出ることにした。
「今日は治療院に行きますが、本当にスラム街に近い方でよろしいんですか?」
何度目かの確認にうんざりしながら、無言でうなずいた。
今日は二人とも街に溶け込むような服に身を包んでいる。
私は村から持ってきたワンピースだが、シュレインさんも普通の服って持ってるんだな。
「シュレインさんて、お家が王都のどこかにあるんですよね?」
「そうですね。実家が所有している屋敷を使っていますが。」
坊ちゃんのようだ。
「庭を畑にしませんか?」
「それは怒られますね。さて、ここら辺からは絶対に離れないようにお願いします。」
だんだんと街並みが変わっていく。大きくて整然とした建物から、建物の規格がバラバラになってきた。
まだスラムというほどではないところ、人が建物からあふれている場所があった。
「あそこですかね?」
「ですね。」
「じゃぁ、ここからは約束通りに、私は妹、シュレインさんはおにーちゃんね。」
「・・・・・・わかった。」
治療院の入り口を覗くと、中にも人があふれていた。
けがをしている人、具合が悪そうにしている人、その付き添いの人。
様々な人がいるが、看護婦さんのような人は見えない。
「働いてる人が見えないね。忙しいみたいだし、声かけづらいね。」
「ここには回復魔法の使える先生が一人でいるんだ。」
「え?じゃぁ、大変だ。」
そう言って、私はずかずかと中に入っていく。
中は一言でいうならば、臭い。それ以外の感想が消し飛ぶレベルで臭い。ごめんだけど、私は浄化魔法を自分にまとう。臭いが消せるのだ。
後ろを振り返ると、シュレインさんも入ってきたが、顔色を変えていない。
坊ちゃんであるけれど、さすが訓練されている人なだけある。そんなことで動揺しないようだ。
私はシュレインさんにも浄化魔法をかけた。それに気が付いて、シュレインさんがこちらを見たので頷いておく。
病気も感染するものがあるかもしれないし、初めからかけておくべきだった。
診察室であろう人の列の先にある部屋を覗くと、短い白髪のおじーちゃんが魔法をかけているところが見えた。
「今日この時間に手伝いに来ることは話してある。」
シュレインさんが私の後ろから部屋を覗いた。
丁度その時に治療が終わったようで、おじーちゃんがこちらを見た。
「あぁ、君か。」
「急なお願いですみません。」
「いいよ。でも、忙しいし汚いけれど、大丈夫かい?」
その言葉は私に向けられていたので、私は頷いた。
「お忙しいのにすみません。よろしくお願いします。」
「いやいや、助かるよ。じゃぁ、そこの椅子を持ってきて。」
部屋の隅にある丸椅子を指すので、それを持っておじいちゃんの横においた。
「どこまで治療できる?」
「けがを治すくらいなら。」
「十分だよ。じゃぁ、ケガの人はそっちに回してもいいかい?手に負えない人がいたら言って。」
「わかりました。」
おじーちゃんはにっこりと笑って、シュレインさんに向いた。
「お兄さんは申し訳ないけれど、ケガの人を妹さんに案内してもらっていいかな?」
「わかりました。」
そう言って、シュレインさんは部屋の隅にあった椅子をもう一つ、私の前に置いた。
患者さんが座る椅子だ。全然気が回っていなかったので、恥ずかしい。
そこからは、本当に忙しかった。
人が来たら回復魔法をかける。お代をもらって次の人を呼ぶ。
たったこれだけなのだが、お代が払えない人とか、先生じゃなくて文句を言う人もいる。
それらを横でおじーちゃんがなだめつつ、私は魔法をかける。
魔法で治れば文句も無くなるので、初めから騒がないでほしい。
けが人は病人よりも少なかったので、私の方がさばききれた後、おじーちゃんを見ていた。
おじーちゃんは患者さんごとに色々話を聞き、そこに向けて回復魔法をかける。
回復魔法というものは実のところ、かなり難しい。
けがは酷くなければ割と簡単に治せる。よくある、自己治癒を魔力で強制的に短時間で起こすのだ。
欠損やちぎれかけたりしている場合は、魔力を多く流すことによって、自己治癒力を補わなければならず、かなりの魔力がないとできない。
病気に関してはまた変わる。病気の個所を確定させて、それに合った回復のさせ方をしなくてはいけない。
基本はもちろん自己治癒力に頼る。
だが、例えば癌だったら、癌を増やしかねないのだ。
正常な細胞を、正常な位置まで回復させる。これは、目に見えない変化を感じながら、正常になっていくかを判定しなくてはいけない。
それを判定してくれるのは回復魔法とは別の魔法になるので、それをかけながら回復魔法もかけないといけないのだ。
それに、腹痛やカゼなどは、治癒といっても細胞云々ではない。そうなると、また勝手が変わるのだ。
結局は、回復魔法で病気を治せるのは、かなりの使い手なのである。
なので、私はけがだけと答えた。この歳でそこまでできてしまうと、それはそれで国の囲い対象になってしまうのだ。
おじーちゃんの魔法は、とても丁寧だった。
あんなに人がいるのに、こんなに丁寧な魔法をかけてくれるなんて、ここはとてもいい治療院だろう。
大体、料金が安すぎる。
人が多いからそこそこ儲かるだろうが、数倍とってもやっていけそうだ。
というのも、実は、先週は教会へ行ったのだ。
お手伝いボランティアの名目で行ったので、治療の現場を見ても参加はしなかった。
しかし、教会は今と違って、人を待たせている場所で聖水を振りかけたり神話を話したりと、パフォーマンスがあった。
更にはお布施という名目のお金をとっているのだ。しかも、ここよりも十倍は高い料金だ。
それでも人はたくさん来ていた。ただし、それなりに裕福な人々がだ。
私はおじーちゃんを見る。しわの深く刻まれた顔。体は瘦せすぎである。裕福な暮らしをしていそうには見えない。
「うん、今日は早く終わったね。とっても助かったよ。」
午前の全ての人の治療が終わり、おじーちゃんはにっこりと笑った。
「それにしても、いきなり実践でお願いしてしまったけれど、お嬢さんは凄いね。」
「いえ。」
「お嬢さんなら病気も治せるようになるだろうね。」
「え?」
「魔力量が凄いでしょう?それに、ケガを治す時の魔力の操作が素晴らしかった。」
ヤバイ、ちゃんと見える人なんだ!
魔法は生まれ持っての素質が大きいと私は思う。
ありきたりではあるが、この世界には空気に魔素と呼ばれるものが溶け込んでいて、それが体に取り込まれる。その魔素を使って、魔法を繰り出すのだ。
しかし、魔素を取り込むには体にある魔素を受け取る器の大きさが関係してくる。まぁ、大きければ大きいほど吸収力も放出力も大きいのである。
その魔素の流れをうまく操る術もまた別の素質なのだが、とりあえずはおいておこう。
とにかく、その魔素の器とか魔素の流れとかが大きい人は魔法の素質があることが多い。
そして、大きければ大きいほど、魔素に触れる量が多いので、流れにも敏感になる。
なので、魔力が大きい人は魔力が大きい人が分かるのだ。
ちなみに、このことを知ったのは学校に行ってからだった。
村では魔法が得意な人はいなかったから、クラスメートたちが魔法で苦悩するさまを見て、逆に感心したものだ。高みの見物というやつになって嫌な感じだけど、感心したんだから仕方がない。
というわけで、この人はもちろん私の魔素・・・・・・魔力の流れから、素質がある人間だと判断できてしまったのだ。
人から魔力を測られたことが無かったので、油断してしまった。
おじいちゃんがシュレインさんを見る。しばらく見て、納得したように頷いた。
「あぁ、そうか。お嬢さんが聖女様か。」
「・・・・・・はい。」
一瞬ごまかそうと思ったのだが、やめた。
こういった側面からバレるとなると、何か対策が必要だ。教会の時は魔法を使うことが無くてよかった。
それにしても、このおじーちゃん何者なんだ?!
「ふふ、では、僕の魔法なんて子供だましだったんじゃないかな。」
「いいえ!絶対そんなことはありません。本当に素晴らしかったです!」
少なくとも、この前の教会の治療よりは数段上だと思う。
「この方は、以前の王宮魔導士長、ゲルステンビュッテル伯爵なんです。」
「はあああああああああああ?????」
シュレインさんがバツが悪そうに言うので、私はねめつけてやった。聞いてないよ!そして、伯爵?!貧乏そうだと思ったのごめんなさい!
「でも、なぜ聖女殿の事が分かったんですか?」
「魔法の練度だね。回復魔法をあれほどに上手に唱えるには、かなりの施行回数が必要なはずだ。でも、この歳でそんなに唱えられるはずがない。傭兵だったりするなら別だけど。
それで君を見た。昨日もその格好で来たけれど、歩き方や立ち振る舞いで、君が貴族で騎士なのはわかる。ということは、王宮騎士だろう。そんな君が共に行動するかなりの魔法の使い手なら、まぁ、聖女だろうとね。」
うーん、さすが元王宮魔導士長。ばれるのは当たり前だったみたいだ。
「ここの事は同僚に聞きまして。それで、ここならめったなことは起きないだろうと思ったのですが、逆にばれてしまいました。すみません。」
シュレインさんがこちらに頭を下げる。
「別に謝ることではないです。むしろ、騙すようなことをしてすみませんでした。」
私は立ち上がって、おじーちゃん先生に頭を下げた。
「いやいや、とても助かりましたよ。でも、聖女様がどうしてこんなところに?」
そう言いながら、椅子をすすめてくれたので、大人しく私たち二人は座った。
「将来的に何したらいいのかと思って。」
私は若干恥ずかしくなってうつむいた。
だって、一応その理由もあるが、本当は街に出るための口実としてパッと思いついたってのが一番大きいからだ。
「聖女ともなれば、国が一生を保証してくれるだろう?」
「まぁ、そうなんでしょうけど、私はそれを望んでいませんし。」
それに、どこの国に行きつくかもわからない。魔王の出現時期と場所次第だもんね。
「そうか。でも、女性にこの仕事はきついかもしれないね。いい人が圧倒的に多いけれど、どうしても悪い人もいるからね。」
「では、どうしてこの場所でこの仕事を?」
「今はとても平和だけどね、昔に一度、貴族同士の争いで、内争が起きそうになったことがあるんだ。
もちろん未然に防ぐことができたんだけど、その時にケガ人が出たんだよ。
でも、騎士たちのケガを治すことはあっても、巻き込まれた庶民は放っておかれた。
教会に治療師の派遣を頼んだが、それも渋られたんだ。」
なんとなく想像ができてしまった。
「僕は我慢できず、王都に帰る前に皆のケガを治したんだが、まぁ、かなり怒られたよ。
ばかばかしくなって王宮魔導士を辞めようともしたんだが、逆にその時に助けた人々に助けられてね。当時研究していた魔道具を完成させることができたんだ。
その魔道具は城からの依頼で作ろうとしていたものだったから、それによってあれよあれよという間に魔導士長になってね。
その人々っていうのが、貴族の屋敷に出入りしてる職人たちだったんだよ。人間て、どこでどう転がるかわからないよね。」
そう言っておじーちゃん先生は、あごに生えた短いひげをなでた。
「そんなこんなで結局歳を取りきるまで王宮にはいたが、人々に返された恩を、また返したいって思ったんだ。
あの時の街に行ってもよかったけれど、身近にも困ってる人々は多くてね。
王都ですら、回復魔法を受けられる人は、それなりの生活ができる者に限られている。
医者もポーション売りもいるが、薬も高いからね。結局本当に貧乏な人間は捨てられるんだ。
でも、僕なら体一つあれば回復させられるから、安くできるんだよ。」
華やかに見える王都の影を見た気がした。
「君ほどの魔法使いだとしたら、多分国はこんなところで働くことは許さないだろう。貴族たちの治療をさせるだけだと思うよ。僕もここでやるのはかなり大変だったからねぇ。」
眉をハの字にして言うおじーちゃん先生に私は頷いた。そうなんだよなぁ。
「私は名も無い田舎の村出身です。皆一生懸命生きています。王宮の人や貴族だって一生懸命生きてると思います。でも、やっぱり私にとっては庶民の方が身近なんですよ。」
窓の外を見ながらそう言うと、少しの間沈黙が流れた。
「人っていうのは、いつだって取捨選択を迫られる。今日の夕飯を決めるのだってそうさ。魚にするか肉にするか。いや、お金が無いから野菜で我慢とかね。
それは大きな選択の時もある。僕とこの青年のどちらかしか助けられないなんてね。でも、人っていうのはさ、結局自分が一番の基準だからね。
お金が無くてもやっぱり肉を食べたいから食べるとか、仲がいい青年の方を助けるとか。結局は自分を納得させられるのは自分の欲さ。
だから、君が好きなように生きていいんだよ。
それを誰に責められようと、そんなものは気にしちゃだめだ。君の人生は君しか納得させられないんだよ。」
おじーちゃん先生はそう言うと、苦い笑い顔になった。
「僕もね、いっぱしのお金は持ってる貴族だからね。こんなとこで何やってんだろうって思うことだってあるさ。でもね、だからといってここを捨てても、気持ちが晴れやかになるわけじゃない。
金持ちを相手にするなんて簡単にできても、それで得られるものなんて、もうすでにたくさん持ってるお金だけさ。」
そう肩をすくめる。強者の余裕なのかもしれない。でも、お金がこの人にとって最大の価値ではないということなのだろう。
「でもね、実を言えば、こんなことしなくてもいいんだよね。」
「え?」
「君もそうだと思うけど、僕も範囲に回復魔法使えるしさ。」
それは確かにそうだと思う。
「でもね、やっぱりこうやってちょっとずつ一人一人を回復させないとだめなんだよ。人は欲が深いものだ。簡単にできる作業なら、やれと強制してくる。別にお金もかからないんだし、タダでちゃっちゃと治してくれなんてね。」
あー、ハンクラの人や絵師の人が嘆くアレだ。
「君には価値がある。それもちゃんと意識しないといけないよ。」
優しく見つめるおじーちゃん先生に、私は深く頷いたのだった。
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