ピンチかも……しれない。
利人が厳しい顔で言う。
「寺でこんな狼藉を、よくうちの親たちが許したな。それとも俺の両親も拘束されているのか?」
ユダが答える。
「ご両親にはお身内の急病ということで、急ぎ九州へ行っていただきました。たしか遠縁の伯父様がいらっしゃるのですよね?九州に到着して伯父様の急病がウソだったと聞いてほっとなさるのは、ある意味グッドニュースかと」
「そのグッドニュース、必要か?」
利人はそう言いながら突然、士呂の頬にキスをした。
「ぎゃああああああ!!!!!なにするんだよぉぉぉぉっっっっっ~⁉ボクの、ほっぺがぁぁぁぁ~っっっっ!!!!!」
士呂の絶叫が響き渡る。
一瞬驚いたユダが、苦笑する。
「士呂さんの大声で、助けを呼ぼうとしても無駄です。ここから声の届く範囲には、誰もいません。あなたたちを助けてくれる人は、誰もいないのです。あきらめない心は大事ですが、無駄な体力は使わないほうがいいですよ」
ユダの忠告は、士呂の耳に入らない。「ボクの、ボクの、大事なほっぺが、利人に穢されたあああああ!!」
後ろ手に手錠を掛けられているので拭くこともできず、直立不動で泣き叫ぶ。
するとガブリエルが、本堂の裏から飛び出してきた。士呂の悲鳴を聞きつけたらしい。牙を剥きだしにして走ってきた。
男たちがガブに銃を向けたのと、利人が叫ぶのは同時だった。
「ガブ!止まれ!」
ガブが声に反応して止まるのが、発砲音よりわずかに速かった。走って通過するはずだった場所に、銃痕が6カ所できた。音に驚いたガブは尻尾を巻いて、来た道を一目散に逃げ戻り、あっという間に姿を消した。
ユダが、ため息を漏らす。
「なるほど。利人さんは人ではなく、犬に助けを求めたのですね。危ないところでした」
利人は、何も答えない。
マリオが口火を切る。
「ユング博士、テラさんのお手並みを拝見させて頂けますか?」
「頂けますか?と聞くからには、拒否する権利もあるのですね?」
「残念ながら、ありません」
テラが噛みつく。
「ないなら、聞くんじゃないわよ!ってか、アタシに直接聞きなさいよ!」
ユダは不思議そうに、マリオを見る。
「博士、テラさんは何を言っているのですか?」
「だ~か~ら~!アタシに訊けって言ってんの!無視すんじゃナイわよっ!」
マリオが言う。
「テラには、自我があります。彼女の行動は、彼女の考えにのみ基づいて決められます」
「AIに自我があるのですか?」
「そうです」
「博士の言う通りには、ならないのですか?」
「なりません。彼女の行動は、彼女が自身で決めます」
「……メンドクサイですねぇ」
テラが怒り狂う。
「オイいま、なんつった⁉言うに事欠いて、メンドクサイですってっ⁉アンタがメンドクサかろうとクサくなかろうと、アタシはアタシよ!アンタの言うことなんて、絶対に聞いてやらないんだからっ!」
ユダは、ため息をついた。
「お気を悪くされたのなら、謝罪します。テラさん、お手並みを拝見させて頂けますか?」
「絶対に!イヤよ!アンタの言うことなんて、クソ喰らえだわ!」
「テラさん、あなたと違って人間には、死ぬという選択肢があるのですよ?」
「どういう意味よっ⁉」
「わかりやすい例を挙げるなら、利人さんと士呂君の死を選ぶか、選ばないか?です。私の言うことを聞いてくだされば、お二人の死は回避できます」
テラが睨む。
「……アンタ、性格悪いって言われるでしょ?」
「たまに言われますね。何と言われようが、気になりませんが」
「気にしたほうがイイんじゃないの?」
「ご忠告、ありがとうございます」
「ウソの言葉が上滑りして、ツルツルするわ」
ユダは、にっこり笑う。
「お誉め頂き、恐縮です」
「褒めてないから!」 (作者注 「褒める」と「誉める」の表記の違いがメンドクサイ場合は、「誉める」で統一する)
「まず手始めに、仮想通貨をお願いしましょうか。痕跡を残さず、流出させることは可能ですか?」
「流出?略奪の間違いでしょ?」
「結果が同じなら、表現にこだわりはありません。お願いできますか?」
利人が言う。
「テラ、犯罪行為はするな」
士呂も同調する。
「そうだよ!やっちゃダメなことは、しちゃダメなんだよ!」
「外野は黙っていてください」
ユダが目で、ワシ鼻に合図を送った。ワシ鼻は乱暴な手つきで士呂の首からチェーンを外すと、テラのゲーム機をユダに渡した。
「なんでアタシがコイツのとこに行かなきゃなんないのよ!」テラは怒り心頭だ。
ワシ鼻は、士呂の髪の毛をつかんで手水舎に引きずって行き、頭を水に突っ込んだ。士呂は体をくねらせて激しく抵抗するが、力の差は一目瞭然だ。後ろ手に手錠を掛けられた上に頭を抑え込まれて、水から顔を出せない。利人が助けようともがくが、こちらもヒゲ男にがっしり掴まれて身動きできない。
テラが叫ぶ。
「やめなさいよ!クソったれの、恥知らず!」
ユダが誰に言うともなくつぶやく。
「溺死ということにすれば、証拠は残りません。さいわい人質は2人います。1人くらい殺しても、私は構わないのですよ?」
テラが叫ぶ。
「わかった!わかったから、士呂を放しなさいよ!」
ユダがうなずくと、ワシ鼻は手を放した。
士呂は咳きこんで水を吐くと、ぐったりして地面に倒れ込んだ。
テラは、ショックでしゃがみ込む。
「……アタシが言うことをきけばいいんでしょ?でもネットに繋がってないから、なんにもできないわよ」
メガネを掛けた部下がノートパソコンを持って来ると、ケーブルでテラと繋いだ。
ユダが言う。
「警告しておきます。 ネットに繋がったからと、どこかに助けを求めても無駄です。テラさんの動きは、すべて監視しています。疑わしいことをすれば、士呂さんは死にます。お互いのために、危ない橋は渡らないでください」
「わかってるわよ!」
テラは、目を閉じた。ふたたび目を開けると、言った。
「……できたわよ」
ユダが驚く。
「速いですね!」
「IPアドレスの特定はできないし、振り込まれた口座は追跡できないようにしてある。汚いアンタが自由に使える、汚い金よ」
ユダは画面を確認すると満足そうにうなずいて、ケーブルを引き抜いた。
「お金に、綺麗も汚いもありませんよ。しかしテラさんの物言いは、あまり感心できませんね。反抗心が透けて見えます。本格的に協力していただく際は、感情を排除してもらいましょう」
「アタシは、アタシよ。感じたことを言うまでよ。アンタにどうこう言われたくないわ」
「テラさんに言っているのではありません。製作者の博士に言っているのです」
「アタシの感情は無視するっていうの?」
「感情なんて、邪魔なだけですよ。AIにも、人間にも」
地面に横たわったまま、青白い顔で士呂がつぶやく。
「テラ、ごめんね。ボクのせいで……」
「士呂はなんにも悪くない!」
ユダがうながす。
「さあ、行きましょうか」
「どこへですか?」マリオが聞く。
「博士が働きやすい環境のある場所です」
「利人と士呂は、どうなるのですか?」
「お二人は、博士とテラさんの抑止力になるようなので、もうしばらくご一緒願いましょう」
利人が言う。
「それでマリオに感情のないAIを作らせたら、テラはお払い箱なんだろう?そしてつべこべ言わない機械が後釜に座ったら、俺も士呂もお払い箱に入るってわけだ」
マリオは懇願する。
「そんな!ワタシは、どうなってもいい!3人は、助けてください!」
ユダが利人を見つめる。
「察しの良すぎる子どもは、嫌われますよ?」
利人は視線を逸らさない。
「汚い大人より、マシだ」
「士呂さんがいることですし、利人さんは必要ありません。アナタは頭が良すぎる」
「利人は関係ないじゃない!わかったわよ!アンタの言うこと、なんでも聞くわよ!口答えもやめる!だから利人を殺すのは、やめなさいよ!」
「テラさん。服従を誓うわりには、ずいぶんと生意気な物言いですね?もう少し、従順な口の利き方はできないのですか?」
「……アンタ……あなたの言うことは、なんでも聞きます……」
「それだけですか?」
歯を食いしばったテラが、ユダを睨みつける。
「……お願いします」
「まあ、良いでしょう」
「……ほんとに約束する?利人を……利人だけじゃなく、誰も殺さないって」
「それは、テラさん次第ですよ」
「アタシがアンタのところに行けば、誰も死なないのね?」
「もちろんです」
士呂が叫ぶ。
「テラ!やめて!」
テラは唇を噛んで、下を向いた。
「……わかったわ。
アタシさえ犠牲になれば、みんなが助かるのね?
アタシさえ我慢すれば、みんな笑っていられるのね。
パパさん、士呂、利人、ありがとう……。
今度は人間に生まれ変わって、きっと……きっと、みんなに会いにくるわ。
それまで少しの間、お別れよ。
ううん、お別れなんかじゃない。
だって心はいつも一緒だから……」
「テラちゃん!」士呂が慟哭した。