君がそんなに悪者だったとは、知らなかったよ……。
カン!カン!カン!
忍者の銅像から金属的な音がして、火花が散る。
「えっ⁉なんの音さっ⁉」士呂が怯える。
テラが叫ぶ。
「サイレンサー(消音)銃の音!今日が命日になりたくないなら、マジで本気で死ぬほど走って!」
「死ぬほど走ったら、死んじゃうよ~!」
ヒゲ男が立ち止まり、ロシア語で大声をあげた。ワシ鼻はそれを聞くと、踵を返した。
逃げる利人と士呂に、テラが声をかける。
「アイツら、反対方向に走りだしたわ!」
「なんだかわかんないけど、助かった!」
「油断するな!」
3人は道路を渡り、走り続ける。
「テラちゃん、アイツらは?」
「見えなくなったわ!」
「ハァ……利人、もう歩いてもいい?ボク、息が……」
「郵便局まで走れ!」
テラが悲鳴をあげる。
「車で来たわよ!このままだと、轢かれちゃう!」
黒い車が、猛スピードで迫ってきた。
「た、たすけて~!」
士呂が悲鳴をあげると、利人が車に向かって何かを投げた。
バン!バン!
爆発音とともにタイヤがパンクして、車は派手にスリップした。
振り向こうとする士呂の頭を、利人がつかむ。
「振り向くな!進め!」
3人は、細い道に入った。逃げるのは勝手知ったる地元だ。地の利を活かして、住宅の庭先や、用水路を駆け抜ける。しばらく走って追手が来ないのを確認し、3人は植え込みの陰に座り込んだ。
士呂は地面に突っ伏す。
「こ、殺されるかと思った……」ゼイゼイと息をする。
テラが尋ねる。
「利人、さっきの車のパンク、いったいどうやったの?」
「撒菱」
「え?」
「撒菱。撒菱を撒いて、車をパンクさせた」
「アンタ、マキビシなんて持ち歩いてるのっ⁉」
「常に持ち歩いている。忍者の末裔なら、当然だ」
「ウソでしょっ⁉士呂もっ⁉」
「ううん。ボクは持ってないよ」
「やっぱり持ってないし!おかしいのは、利人だけじゃない!」
「ボクは利人みたいに撒菱は持ってないけど、手裏剣は持ってるよ」
「アンタたちって、いったい……」
言葉が出ないテラであった。
「おまわりさぁ~ん!たすけてください~!」
3人が駆け込んだ駐在所には、誰もいなかった。
「パトロールに出ています」という古ぼけた木製の札が、ガタついた机の上に置いてある。
全体的にくたびれた、昭和な駐在所だ。壁には「老朽化にともなう駐在所の取り壊しと改築のお知らせ」と書かれたチラシが貼ってある。近々、この建物は取り壊す予定らしい。
何度も大声で呼んでみるが、返答はない。
「おまわりさん、いないよぅ~!」士呂は泣きそうだ。
テラが利人に命令する。
「電話はあるから、警察に電話してよ」
「今はダメだ」
「なんでよっ⁉」
「後で説明する」
キャンキャンキャン!
建物の奥から、小型犬の甲高い鳴き声がする。
「ここにいるのは、犬のおまわりさんだけかよ」
利人はそう言いながら、住居部分に続く古びたドアをガチャガチャ言わせた。
「やっぱり、開かないか。ついて来い」
そう言うと、外に出ていった。
利人の後に続く士呂は、不安そうだ。
「これから、どうするの?」
「こっちに来い」
利人は駐在所の住居部分のサッシを開けようとした。しかしこちらも、鍵がかかっている。
「悪いことはしたくないが、今は命がかかっている」
花壇からレンガを持ち上げると、大きく振りかぶった。
ガチャン!
「アンタ、ナニしてんのよ⁉」
テラの非難を無視して、利人はレンガで穴を広げる。
「士呂、手裏剣を貸せ」
利人は手裏剣を受け取ると、素早い手つきで金網を切断し、手を差し入れて錆びついたカギを強引に開け、靴を履いたまま擦り切れた畳の部屋に上がり込んだ。六畳の日本間に、昔風の大きな仏壇が据えてある。ちゃぶ台の上には、読みかけの新聞が広げたままだ。
士呂が目を見開く。
「利人!ガラスは割っちゃダメだし、勝手に上がっちゃダメなんだよ!」
テラが、かぶせる。
「なんてことしてんのよ!アンタ日本人のクセに、畳の上をクツで歩いてるじゃない!」
「今は、それどころじゃない。靴は履いたまま、部屋に入れ」
「ううぅ~。ごめんなさい。おじゃましますぅ……」
士呂はおそるおそる、クツのままで古びた畳を踏んだ。
キャンキャンキャン!
真っ白なチワワが、部屋に駆け込んできた。利人は素早い動きでチワワを捕まえて抱き上げ、同時に仏壇の引き出しを開けると、間髪入れずにチワワを投げ込んでピシャリと閉めた。引き出しの中から、くぐもったチワワの鳴き声が聞こえてくる。
テラは、背中の羽を逆立てる。
「アンタ!やめなさいよ!」
「そうだよ!チワワにもお仏壇にも失礼だよ!」
「失礼とか、そんな場合じゃない」
「ワケわかんない!ぜったい地獄に落ちるわよ!」
「俺の信じる宗教に、地獄という概念はない」
利人はチワワの鳴き声がする仏壇に手を合わせて一礼すると、箱入りの線香をポケットに入れた。
「これも使える」
窓からカーテンを1枚引きはがすと、士呂に言った。
「こっちだ」
カーテンを引きずりながら、部屋を出て行く。
テラは不満そうだ。
「信じらんない!こんなのって、犯罪行為じゃない!」
「怖い顔してるときの利人に、さからわないほうがいいよ」
利人は台所にいた。
「マヨネーズとケチャップ」利人が言う。
「え?」士呂は訊き返す。
「マヨネーズとケチャップを見つけて、床に撒け。ただし台所の入り口からテーブルの間は、撒かなくていい」
「マヨとケチャを床に撒くの?なんでさ?」
「床のほかに、撒きたいところでもあるのか?」
「そもそも撒きたくないよ。だって床がベチャベチャになるし、クツに付いちゃうよ?」
「靴に付かないよう、気をつけろ」
「あとでおまわりさんに、怒られちゃうよ?」
「警察に怒られるまでオレたちが生きていられたら御の字だ。敵は法治国家の日本で、迷いなく銃を使うヤツらだぞ。死にたくなかったら、やれ」
利人は、戸棚を開ける。
「いいぞ。圧力鍋がある」
別の棚から粉を取り出して、圧力鍋に振り入れた。
「こんな時に、お料理するの?」
士呂の質問には答えず、ロックした圧力鍋をガスコンロに置いて点火する。
「犬を飼っているなら、あるはずだ……。あった」
20枚ほどあるペットシーツを流しに置くと、勢いよく水を出した。シーツは水を吸って、みるみる膨らんでゆく。
不意に士呂がフラついた。
「クラクラするよ。いろいろありすぎて、熱が出ちゃったみたい」
「しょうがないな。知恵熱か?」
過熱していた圧力鍋の、安全ピンが上がった。利人は鍋を火から降ろすと、テーブルの真ん中に置く。
「テラ、お前の耐熱性はどれくらいなんだ?」
「どんくらいって、なによ?」
「摂氏何度まで耐えられるか、聞いてる」
「可憐な乙女に、そんなこと訊くワケ?ほんと、デリカシーがないわね!」
「スリーサイズを訊いてるワケじゃない。それに俺も訊きたくて、訊いてるワケじゃない」
「溶鉱炉に入れられても、平気。ちなみに像に踏まれても、平気♪って、乙女に言わせてんじゃナイわよ!」
「ノリツッコミかよ。それなら十分だ」
利人はテラのチェーンを、圧力鍋のフタに巻き付けてがっちり固定する。
「ちょっとアンタ、何してんのよ⁉こんなことしたら、逃げられないじゃない!」
利人は答えない。
利人はテーブルの下に、カーテンを広げた。
「士呂、カーテンの上に座れ」
「テラちゃんはどうするの?みんなで逃げなくていいの?」
「いいから、早く」
テラはテーブルの上で、思いつくかぎりの悪態を披露している。
士呂がカーテンの上に、体操座りをした。利人はラップで士呂をグルグルに巻く。士呂は体操座りをしたまま、身動きが取れなくなる。
「ねえ、利人?ボク、動けないんだけど?」
「動けないようにしている」
利人は流しからペットシーツを運んできた。最大限に水を吸ったシーツは膨れ上がり、巨大クラゲのような様相を呈している。シーツを士呂の肩や背中に貼り付け、さらにラップで固定する。
「やめて!冷たい!重たい!ほどいてよ!」
「さっき熱が出たって言ってたろ。冷やせ」
「だからって、ここまですることないでしょ!」
「うるさい。だまれ」
利人は頭にもシーツを巻く。
もはや士呂の面影はなく、ラップとシーツでできた体操座りのミイラと化している。
「うう~!うう~!」
士呂は抗議の声をあげたがラップに阻まれて、くぐもった音しか出ない。利人は仕上げにカーテンで全身を包み込んだ。もぞもぞと動く物体は、とても人間とは思えない。
「アンタ、さっきから何してんのよ⁉」
テラが抗議の声をあげる。
「悪いが俺が助かるためには、この方法しかないんだ」
「アタシも士呂も、逃げられないんだけど?」
「わかってる」
「まさかアタシたちを敵に差し出して、アンタだけ逃げるつもり⁉」
「そうだ。俺はいつでも、自分が一番可愛い」
「アンタって、悪魔にも劣るわね!悪魔のほうが、ずっとマシだわ!」
「俺の信じる宗教に、悪魔は存在しない。せめてもの弔いに、線香だけはそなえてやる」
箱から線香の束を取り出し、ガスコンロで火をつけてマグカップに入れた。マグをテーブルの上に置くと、経を一節唱えた。線香が、甘い香りを放ちはじめる。
「アタシはともかく、士呂だけでも助けなさいよ!アンタ、幼なじみなんでしょ!鬼っ!悪魔っ!」
「悪魔に格上げしてくれて、感謝する」
「クソったれ!FU〇K YOU!」
利人はテラの悪態を背中に受けながら、部屋から出て行った。