ここは平和な甲賀町……。
レンタサイクルに乗って、油日駅を目指す士呂がつぶやく。
「マリオ、大丈夫かなぁ~?」胸元には、マリオのゲーム機が揺れている。
士呂の肩に、テラがちょこんと座っている。
「パパさん、大丈夫かなぁ~?」
テラと士呂の押しに負けて、レンタサイクルを返却したらすぐ寺に帰ってくるという条件で、利人は渋々2人の外出を許した。
もしも都会なら士呂の肩に乗ったテラは大騒ぎになるだろうが、見渡す限りの田んぼには、誰もいない。聞こえてくるのは、小鳥の声だけだ。
テラが訊いた。
「士呂とは駅で一瞬会ったけど、すぐに隠れたから、あの後どうなったか知らないの。なにがあったか、教えてもらえる?」
士呂はマリオとの出会いから、寺での別れまでを話した。
テラが難しい顔で言う。
「誰がパパさんを、追っかけてるのかしら?」
「利人が言うには、ロシアで軍人をしていた人が5人。6人目のユダは、利人もわからないんだって」
「ロシア……。タイムリーすぎる国よね……」
「そうなの?マリオが大丈夫ってわかれば、少しは安心できるんだけど……」
「そうなのよ!ネットが使えないから、なんにもわかんない!アタシ、せっかく世界最高のAIなのに!」
「ねぇ、テラちゃん。AIって、なに?利人はちゃんとわかってるみたいだけど、ボクはぜんぜん知らないや」
「AIって……なんだろ?」
テラは、首をかしげて考え込んだ。
「AIっていうのは、いろんなことを勉強して、上手にできるようになるプログラムなの。たとえばチェスで、いろんな戦い方を勉強すると、チェスが強くなっていくの」
「ふ~ん……。テラちゃん、チェスが強いんだ」
「アタシ?アタシ、チェスはできないわ」
「できないのっ⁉」
「たとえば、の話だもん」
「じゃあテラちゃんは、何が強いの?将棋?オセロ?」
「強いっていうか……。パパさんはね、おばあちゃんに育ててもらったの。パパさんのパパとママは、事故で亡くなったらしいわ」
「そっか……」しょんぼりする士呂。
「パパさんは研究で忙しくなって、なかなかおばあちゃんに会えなくなったの。そこでパパさんは、考えたわけ。もしアシスタントがいれば、パソコンを使えないおばあちゃんでも、ネットでニュースを見たり、買い物ができる。それでアタシが誕生したの」
「じゃあテラちゃんは、おばあちゃんを喜ばせるのが得意なんだ」
テラが笑った。
「アハハ!言われてみれば、そうね!チェスや将棋じゃなくて、おばあちゃんを喜ばせるのが強いのかも!」
「テラちゃんて、すごいね!それがAIってこと?」
「たしかにおばあちゃんを喜ばせるのが得意なAIなんだけど、ちょっと違うの」
「どゆこと?」
テラは上機嫌で、笑いながら答える。
「パパさんはね、おばあちゃんがネットを使えるようにって、アタシを作ったの。アタシに命令すれば、なんでもできるから便利だろうって。だけどおばあちゃんは、ネットをぜんぜん使わなかったの」
「ぜんぜん?」
「そう。アタシに命令はしないで『今日は天気がいいね』とか『可愛い花が咲いたよ』って、ずっと話しかけてくれたの。いつでも愛情たっぷりにね。パパさんが小さかった頃の話も、たくさんしてくれたわ。そういうのは、パパさんが思っていた使い方とは、ぜんぜんちがったわけ。そんなお話をずうっと聞いてるうちに、アタシに『感情』が生まれたの」
「感情?」
「そう、感情。アタシはね、もともと感情っていう機能が搭載されてなかったの。おばあちゃんの好みを機械的に学習して、ネットで買い物をしたり、ニュースを拾ってきたりするだけのはずだったの。おばあちゃんが嬉しいかどうかは、収集するデータではなかったはずなの。でもアタシはいつの間にか『おばあちゃんを喜ばせたい!』って、思うようになった。おばあちゃんが喜ぶと、アタシも嬉しいの。アタシが嬉しいと、おばあちゃんはもっと嬉しくなる。そういうことを何度も繰り返しているうちに、アタシは感情を持つようになったの……」
テラはうつむいて、黙り込んだ。
「テラちゃん、どしたの?」
「たぶんパパさんが追っかけられてるのは、アタシのせい……。アタシのせいで、パパさんは……」
テラの沈んだ声に、士呂は思わずテラを見た。
結果、前方への注意がおろそかになり、2人を乗せた自転車は、飛び出しぼうやと激突した。
油日駅は、あいかわらず閑散としている。レンタサイクルを返却して、2人は顔を見合わせた。
テラが言う。
「アタシ、ニンジャが見たい!」
「でもすぐに、お寺に帰るって約束……」
「ワガママだけで言ってるんじゃないの。パパさんもニンジャが好きだから、ニンジャのところに行けば、パパさんが見つかるかもしれない!」
「だけど忍者村とかは、遠いんだよね~。2月のニンジャの日なら、忍者が町中をウロついてることもあるんだけど、今の時期はねぇ……」
「どこかナイの?」
「あ!利人が自転車を取りに行った甲賀駅には、忍者の銅像があるよ!それに駅の壁には、忍者のトリックアートもある!」
「見たい!ニンジャ、見たい!」
「でも甲賀駅に行ったら、利人に叱られちゃうよ……」
「バレないように、そっと行って、そっと帰ればいいじゃない♪そこでパパさんが見つかれば、利人も怒らないし!」
「じつはボクも甲賀駅のコンビニに、お菓子買いに行きたいんだよね」
「そのコンビニに、特別なお菓子があるの?」
「ちがうよ。ここから一番近くのコンビニが、そこなんだ」
「わざわざ電車に乗って行くコンビニが、一番近いコンビニなの?」
「そゆこと」
「滋賀って、すごいわね!」
「滋賀はすごいんだよ!」
見当違いの感動を、熱く分かち合う二人……。
「滋賀のすごいニンジャ見たい!」
「じゃ利人に見つかんないように、そうっと行って、そうっと帰ろう!」
「大賛成~♪」
2人は、油日駅の構内に入った。
しばらく待つと、草津行きの電車が来た。いつも通り、車内には誰もいない。貸し切り状態だ。
テラは車窓からの風景に、歓声をあげる。
「田んぼって、キレイね!緑色の海みたい♪」
3分後、2人は甲賀駅に降り立った。
「着いたよ~!」
「なんにもナイ駅ね。コンビニは?」
「すぐ近くにあるよ。それに郵便局と銀行はあるよ」
「パパさん、この駅に自転車置いてったんだ。どこに行っちゃったんだろ?」
「どこだろうね?金髪のマリオがこの辺でウロウロしてたら、目立つからすぐにわかると思うんだけど」
駅前にも、人の気配はない。ロータリーに、黒いワンボックスカーが一台停まっているだけだ。
「ボクたち、利人より早く帰らなきゃ」
「ここでパパさんが見つかれば、利人に叱られないわ。あ!壁にニンジャがいる♪」
テラは壁に描かれた忍者アートを見て、歓声をあげる。
ひとしきり見学して、2人は北口の改札を抜けた。
テラが声をあげる。
「あ!ここにもニンジャ!ニンジャの銅像がある♪」
銅像は葉の茂った木の陰に隠れていて、まるで身を潜めているようだ。
「そうだよ。甲賀は忍者推しだから、銅像があるんだ~。忍者だけど、クリスマスにはサンタさんの衣装着て、電飾がピカピカするよ」
「ニンジャ、近くで見たい♪」
2人は銅像に向かって歩き出した。
「利人もここに来たはずだけど、もう帰っちゃったかなぁ?あれ?利人がいるよ!見つかったら、怒られちゃう!テラちゃん隠れて!」
2人は身を潜めた。
駅のはずれにある、滋賀銀行の柱の陰に利人がいた。よほど目をこらさないと、彼とはわからない距離だ。
「あんなに遠くにいるのに、よく見つけたわね」
「だって幼なじみだもん。すぐにわかるよ~」
「アイツ、なにしてんのよ?」
士呂のスマホが鳴った。
「うぇっ!利人からメールが来た!『テラ消えろ』だって」
テラがプンスカする。
「このアタシに向かって、『消えろ』ですって⁉アイツ、なんで目の前にいるのに、わざわざメールなんかするのよ?カンジわるいったら、ありゃしない!どうせ見つかったんだから、わざと近づいてやる!」
「え⁉叱られるよ?」
「いいから!」
士呂はテラの言葉に逆らえず、おそるおそる利人に近づいていった。利人は柱にピッタリと身を寄せている。
テラが毒づく。
「あれって、ニンジャのつもり?ムカつく!」
士呂はビビりながら、利人に声をかける。
「ボク、来ちゃった……」
テラは怒鳴る。
「利人!アンタすぐ近くにいるんだから、メールなんてまどろっこしいこと、してんじゃないわよ!それからアタシに向かって『消えろ』ってなんなのよ⁉アンタが消えなさいよっ!」
利人はテラを無視して、士呂の耳元でささやく。
「テラを見られた。すぐに離れろ!」
「え?見られた?誰にさ?」
「ダメだ。間に合わない」
利人が身構えた。
さっきマリオを追いかけていったはずのヒゲとワシ鼻が、こちらへ走ってくるのが見える。
「なんで⁉なんであの人たち、ここにいるの⁉」
「あの黒い車から。ご丁寧に、車を変えてきやがった。逃げるぞ」
利人は士呂の手を掴んで、走り出した。