第1話
お読みいただきありがとうございます! さくっと読める短編です。
山田は、目立たない男である。
***
「ねえ、今日の日直って誰だっけ?」
「えっとー、山田じゃない? あそこ書いてあるよ、山田って」
「山田って誰だっけ?」
「ちょ、クラスメイトの名前くらい知ってなよ」
きゃははっと笑う女子二人が、うつむいた少年の横を通り過ぎていく。無言でそれをやり過ごし、山田はほっと息を吐いた。
(よし、気づかれなかった)
「でさー、結局山田って誰だっけ?」
「知らないって。喋ったことないし」
「あたしもないなー。てかいるの?」
さすがにいます。
内心で答えるが、口にはしない。
彼女はもうひとりの日直だ。
割と仕事をさぼりがちなので、今日も押しつけて帰る気だろう。それなら会話は必要ない。全部やるから問題ない。さっさと帰ってくれていい。
案の定、彼女は山田を探し(だが見つけられず)、「山田ー、あたし具合悪いから帰るねー」と大声で自己申告した後、友人と連れ立って消えていった。
行先はカラオケボックスだ。具合が悪いとは如何に。
だが、問題はない。
雑用も日誌も慣れている。むしろ、ひとりの方がはかどるくらいだ。
黙々と作業をこなしていると、声がかかった。
「あの……山田くん?」
立っていたのは、メガネ姿の少女だった。
よく見れば可愛らしい顔立ちをしているが、クラスでは目立たない。
やさしい性格で、誰かが仕事を押しつけられているのを見ると、そっとやってきて助けてくれる。クラスで唯一山田の事を気にかけてくれる存在、それが彼女だ。
「日直、ひとりでやってるの? もしよかったら手伝おうか?」
「……藤崎さん」
「あの、嫌じゃなかったらなんだけど」
ぱたぱたと手を振る姿が可愛い。断ろうとしたがやめ、山田はおとなしく頷いた。
「ありがとう、助かる」
そのまま、二人で黙々と作業をこなす。
彼女は口数の多い方ではないし、山田は無口だ。自然と、仕事ははかどる一方になる。
沈黙の合間、彼女に話しかける内容をいくつかシミュレーションしてみたが、どれも実行には移せず断念した。まあいい。特に共通の話題もないのだ。沈黙を恐れる必要はない。
その後も黙々と仕事をこなし、最後に机と椅子の点検をして、藤崎と呼ばれた少女は笑顔になった。
「やっぱり二人でやると早いね。お疲れ様」
「うん、ありがとう」
礼を言うと、「どういたしまして」と笑ってくれる。その顔も可愛い。彼女は天使か何かだろうか。
「山田くん、いつもひとりで仕事してるの?」
「ああ……まあ」
「時間かかるでしょ? もしよかったら、いつでも声かけてね。手伝うから」
そう言った後で、「こういう作業、好きなの」と付け加える。
もちろん好きなはずはない。山田が気を遣わないようにとの配慮である。やはり天使だ。いくら何でも性格が良すぎる。
「ありがとう。そうする」
頷くと、ほっとしたように微笑まれる。
「じゃあね、また明日」
去り際、気づかれないように彼女の背中に触れて、何事か囁く。
「え、何?」
「なんでもない。また明日」
特に疑問には思わなかったのか、彼女はにこっと笑って帰って行った。
ひとりになった教室で、山田はほっと息を吐く。
(……ほんとにいい子だな)
もうひとりの日直に爪の垢でも飲ませてやりたい。
いや、それではもったいない。彼女の爪の垢が汚れる。
しみじみと人のやさしさを噛みしめていると、時計が午後の四時を知らせた。
そろそろ時間だ。
制服のネクタイを緩め、山田は軽く目を閉じた。
***
翌日、日直をさぼった彼女は、つやつやした顔で現れた。
「山田ー、昨日はごめんねー。はいこれ、お土産」
「……何これ?」
「カラオケで出た飴。あげる」
「……どうも」
じゃあねーと笑って去っていく。手元の飴はイチゴ味だ。
具合が悪いと言っていたのに、正直なのか、馬鹿なのか。それとも言った言葉を覚えていないだけかもしれない。舐められているせいもあるだろうが。
(まあいいか)
お詫びの品があるだけましだ。
悪意のかけらもないのを知って、水に流す事にする。
その後ろから、棘のある笑い声がした。
「山田ー、何パシられてんだよ」
「マジ使用人な、お前」
「やめろって。かわいそーじゃん、山田くん?」
ぎゃははっと品のない笑い声を立てるのは、クラスの中心人物である峯田のグループだ。
リーダーの峯田が割と美形で、女子の人気もそこそこ高い。
不良とまではいかないが、山田の事は下に見ていて、こうやってちょくちょく絡まれる。
「なあお前、何が楽しくて生きてんの?」
「……さあ」
「みじめだよなぁ。見た目も中身も底辺なんて。俺だったら自殺してる」
「ひっでーの、峯田くん。さすがに可哀想だって」
「本当のことだろ」
嘲笑が沸き起こり、紙パックのジュースがぶつけられる。
「悪いけど、それ捨てといて。命令な」
「峯田くん、仕事発注? やさしいじゃん」
「あーじゃあ俺も。パン買ってきてもらおうかな……っておい山田! さっさと歩いてんじゃねーよっ」
最後まで聞かずに紙パックを拾い、ゴミ箱まで捨てに行く。
後ろで「やべー、マジ使用人」や、「山田に無視られてんの、だせぇ」などと聞こえてくるが、一向にかまわない。
席に戻ってまた絡まれるのも面倒だったので、図書室に行く事にした。
今日は何の本にしようか。
植物の本はもう読んだ。水脈、地質、天候についても、そこそこの知識は手に入れた。
動物は……まったく同じではないけれど、まあまあ使える記述もあった。植物と同様、頭に入れておいて損はない。
天体、気候、災害、測量、建築、貯蔵、鉱物や工具、そして服飾。サバイバル術も悪くない。
知識はいくらあっても困らない。できるだけ頭に叩き込もう。
図書室に着くと、顔なじみの教員が声をかけてきた。
「あら、山田くん? 今日も熱心ねえ。いい本入ったんだけど、読む?」
「ありがとうございます」
「謀略と知略の千年史! ありとあらゆる戦いの記録と、歴史に名を遺す逆転劇! 取り置きしておいたから、はいどうぞ」
この人は自分に何を求めているんだろう……と思いながらも、役に立ちそうだったので借りておく。礼を言うと、彼女は満足そうに頷いた。
あとは人体に関する本を数冊、それから傷病の手当てについて。
「いつも思うけど、山にでもこもるつもりなの?」
「興味があるんです。それだけです」
「国でも造りそうな勢いよねえ……。まあいいわ、いい本が手に入ったら教えるわね」
「ありがとうございます」
礼を言い、山田は本を抱えて図書室を出た。
授業は何事もなく終わり、放課後。
「山田―、俺今日日直なんだけど、代わりに頼むわ」
にやにやと笑う峯田が、椅子の背を軽く蹴った。
「……俺、昨日も日直だったんだけど」
「じゃあ二日続けてだな。悪いな」
ひでー峯田くん、山田かわいそー、などと聞こえるが、もちろん揶揄の一種である。
藤崎さんだけ心配そうに見つめているが、声をかけられない様子だった。
「てかさ、お前、俺に逆らう気?」
「…………」
「答えろよ、おい」
下からねめつけられ、そっと目をそらす。
「……そういうわけじゃないけど」
「ならいいよな。なぁ?」
なおも顔を見つめられ、ますます目をそらす。それが面白かったのか、ぐいっと顎をつかまれた。
「こっち見ろよ、お前」
「――――」
「なんだその顔。……。……。まあいいや、つまんねーの」
数秒の沈黙の後、ふいっと離れていく。
急に興味を失った様子の彼に、友人が慌てて後を追う。乱れた制服を直し、山田はほっと息を吐いた。
教室での騒ぎのせいか、みんな早々に帰って行った。残っているのは藤崎さんだけだ。
今日も当たり前のように手伝ってくれている。せっせと働く彼女は、いつも通りとても可愛い。ちなみに本来の日直相手は、峯田とともに帰って行った。
「あの……さっき、大丈夫だった?」
「ああ、まあ」
「ごめんなさい、何もできなくて。クラスメイトなのに」
「藤崎さんが謝ることじゃないよ」
山田にしては珍しく、少し早口で否定する。
悪いのは全面的に峯田である。心やさしい彼女がその胸を痛める必要はない。まったくない。峯田が悪い。そう悪い。
「藤崎さんは悪くない。全然悪くない」
「でも……」
「今日も手伝ってくれてありがとう。すごく助かった」
「……どういたしまして」
いつでも手伝うよ、と笑う。
彼女の笑顔が見られた事にほっとして、山田は胸をなで下ろした。
「山田くん、いつも最後まで残ってるよね」
「そうだっけ?」
「うん、勉強熱心なんだなって思ってた。よく図書室に行ってるし、たくさんの本を読んでるし。放課後もずっと読書してる」
よく見てるなと驚いたが、嫌な気持ちにはならなかった。むしろ、少しだけこそばゆい。
「……誰もいない教室が好きなんだ」
特に告げるつもりはなかったが、つい言ってしまった。
だから日直の代わりも、そんなには嫌じゃない。
「私も」
恥ずかしそうな顔で、彼女が自己申告してくれる。
「誰もいない教室って、割と好き。だから……山田くんと日直するの、嫌じゃないよ」
「…………」
「じゃあね。ばいばい」
照れたように微笑んで、彼女が教室を出て行く。
しばらくその場に固まっていたが、山田はごほんと咳払いした。
そろそろ時間だ。
時計の針が四時を知らせる。その音を、山田は目を閉じたまま待った。
***
その翌日、なぜか峯田は包帯を巻いて現れた。
「くっそ、あのジジイ。いきなり殴りかかってきやがって……」
イライラしているが、誰も話しかけようとしない。
「……なんか、肩がぶつかったって絡まれたらしいよ」
「お金取られそうになって、殴られたんだって」
「あたしは逆だって聞いた。カツアゲ失敗してボコられたって」
「むしろその後に転んだらしいよ。ちょっと……ダサくない?」
ひそひそと話す少女達に、峯田がぎろりと視線をやる。
「山田ぁ! こっち来いよ」
他人事でいたかったのに、名前を呼ばれてはそうもいくまい。山田は嫌々ながら返事した。
「……何?」
「お前のせいで、こんな目に遭ったんだ。責任取れよ」
「なんで俺?」
「お前が俺の日直代わったから、街で変な奴に絡まれる羽目になったんだ。全部お前のせいだろうが」
さすがにそれは理不尽だ。
周囲もさすがに「いや、それは…」、「八つ当たりじゃね?」とドン引きしている。
「いいからお前、ボコらせろ。放課後、校舎裏来い」
「いや、でも……」
「来いっつってんだろ!」
引きずられるように襟首をつかまれて、周りの女子が悲鳴を上げた。その中には藤崎さんの姿もある。
「チクったら許さないからな」
クラスメイトを脅しつけ、峯田が肩をそびやかせる。
厄介な事になりそうだと、山田はひそかに嘆息した。
お読みいただきありがとうございました。山田、絡まれる。