醜いと噂の政略結婚の相手の伯爵様は、見目麗しい上に「運命の聖女」がいるらしい
「すまないが、君を愛することはできない」
結婚式のあと、夫婦の寝室で夫となった伯爵様は、申し訳なさそうな顔でそう言いました。
私は込み上げる安堵を抑えきれず、満面の笑みを浮かべてしまいました。
「そうですか。政略結婚ですものね。お気になさらず」
私はアンナ。茶髪に茶色の瞳という地味な色合いに、美人ではなく愛嬌があると褒められる顔立ちの地味令嬢で、いまはルーク・グラニス伯爵と本日結婚式を挙げたばかりの新妻です。
その直後の衝撃的な告白は、私にとってとても都合の良いことでした。
政略結婚で愛だの恋だの求められても困ります。そんな形の見えない曖昧なもの。私が信じるのは契約だけです。ロマンスは小説の中だけで充分です。
それを正直におっしゃっていただいたことは、とても好感が持てます。夫婦として信頼されている感じです。
「では、三年経ちましたら離縁してください。三年経っても子ができぬなら、周りも納得するでしょう」
「君はそれでいいのか?」
伯爵様は申し訳なさそうに美貌を歪める。初めて会ったときも思いましたが、金色の髪も緑の瞳もとても美しく、顔立ちも整っていますしスタイルもいいこの方が、醜いと噂されていたことはいまでも信じられません。
醜いと聞いていたからこそ婚約話を受けたところもありますのに、顔合わせのときは詐欺だとも思いましたが。
美しいものは好きですが、世の中釣り合いというものがございます。
「没落気味の実家への援助の件さえ滞りなければ、私には何の問題もございません」
ああ、肩の荷がひとつ降りました。
血筋だけが取り柄の没落気味で容姿も地味な私には、見目麗しい伯爵様との結婚生活は少し気が重かったですから。
「では、夜も長いですし、少しお話ししませんか? 教えていただきたいのです。どうして私を愛することができないのか」
だってわざわざそんなことを言うなんて気になるでしょう?
私が地味すぎてダメだという可能性も高いですが。なんだか事件やロマンスの香りがして気になります!
旦那様は少し困った顔をして、前髪をさらりとかき上げました。
◆
始まりは約七年前。
旦那様は何者かに――おそらく家族の誰かに毒を盛られ、顔と身体の皮膚がただれてしまったそうです。しかも身体には後遺症として、強い痛みが残ってしまったそうです。
その外見のせいで周囲には『呪われた』と思われ、中傷と痛みですっかり心が病んでしまいました。
そしてあろうことか、旦那様は自殺しようと森の泉に身を投げてしまったそうです。
しかし旦那様を助け、献身的に看病してくれた女性がいらっしゃいました。
女性の看病のおかげで皮膚のただれもほとんど癒えて、身体の痛みも消えたそうです。
――なんて素敵なお話でしょう。
まさしく聖女様です。
私、感動して泣いてしまいました。
確かに、いまの旦那様の顔にはただれた痕などありません。しかしよく見れば薄っすらと、昔に怪我を負ったような痕がありました。
旦那様は身も心も癒されていきましたが、その女性の外出中、旦那様を探しに来られた人々に見つかって、強制的にお屋敷に連れていかれてしまいました。
なので、お礼もお別れの言葉も言えなかったことを、旦那様はずっと後悔していらっしゃるのです。
そして、名も知らないその女性をずっと探しているのですって。
「この痕は身体中にもまだ残っている。見ればきっと――」
その女性を愛しているから、私を愛することはできないのですね! 純愛です! ロマンスです!
旦那様の健気さに、私はまた泣いてしまいました。
「決めました! 私、その女性を――旦那様の聖女様を見つけてみせます!」
◆
伯爵家の奥様といえど、お飾りの妻の結婚生活はとても快適なものでした。
衣食住は実家での生活より三ランクはアップしていますし、旦那様はお飾りの妻に気を遣ってくださっているらしく、とても暇です。家中でのお仕事もありませんし、田舎ですので社交もありません。
つまりとってもとっても暇なのです。
そのことをいいことに、この付近で一番大きな街にちょっとした旅行に行きました。護衛と、実家からついてきてくれたメイドだけを連れて。
情報を集めるのには大きな街へ行くのが一番ですから。
とはいえ七年前のことですから、人探しは困難を極めそうです。
捜索の手掛かりとして、旦那様から聞いた外見と、森に住んでいて毒の治療ができる、ということぐらいしかありませんもの。
考えられるのは聖女様かお医者様か、良い魔女。
森に住んでいる女性ということですので、良い魔女という可能性が高いでしょう。聖女様なら教会、お医者様なら人里に住んでいるはずですから。
ならば生計を立てるために、つくった薬を売っているはずです。
薬を売るのならば行商人に売るか、近隣の町に持ち込むか、大きな街で売るかになってきます。
腕のいい魔女なら情報もたくさん流れているでしょう。
ちょっとした冒険活劇になるかもしれないと、わくわくしながら窓から外を眺めます。
旦那様がおっしゃるには、その女性は髪が白く、肌も雪のように白く、瞳は赤く宝石のようらしいです。
なかなか見ない神秘的な外見です。
そうそう、ちょうど外にいる少女のような雰囲気でしょうか。
「……いたーーーー! 馬車を、馬車を止めなさい! いますぐ! 早く!」
◆
馬車から転がるように降りてきた私を、白髪赤眼の少女は不思議そうに眺めます。
「なんじゃ、客か?」
少女の入ろうとしていたのはまだ開いていない小さな薬屋。
「いえ、私は……」
――幼い。
十三歳から十五歳くらい。七年前だと幼すぎます。でも、外見的特徴そのままですし、血縁者かもしれません。
ああでも老成した感もありますし、長寿な一族なのかもしれません。何かそういう特別な存在な。
「あの、七年ほど前に、森の泉で溺れている男性を助けたことはありませんか? 毒で身体がただれていますが、とても素敵な男性です。そんなお話を聞いたこととかないでしょうか」
「……ああ。素敵かどうかは知らんが、そんな男がいたことはよーく覚えておるぞ」
「よかった!」
やっぱり彼女が運命の聖女なのですね!
おふたりは運命で結ばれているのですね!
……少し年齢差があるような気がしますが、年齢差も身分差も、真実の愛の前には関係ありませんわよね!
「母とふたりで面倒を見てやった」
母……?
もしかして運命の聖女とはそちらの方?
「あの、その方はいまどちらに?」
「――とうの昔に」
「……それは……失礼いたしました」
――もう亡くなっている可能性も考えなかったわけではありません。
ですが……
「お主はその男のなんじゃ」
「契約上の妻です。旦那様は自分を助けてくれた恩人の女性が忘れられず、私にも指一本ふれていらっしゃいません。お願いします。どうか旦那様にお会いしてくださいませんか」
「……ふむ、少しそこで待っておれ」
少女は店の中に入っていきます。私は言われたとおりその場所で待ちました。
随分長い間待たされて、しばらくして出てきた少女は「森の魔女より」と書かれた一通の手紙を出しました。
「これを男に渡してくれ」
◆
婚家に戻った私は、旦那様の部屋に行き預かった手紙を渡しました。
「旦那様。思い出の御方から、お手紙を預かりました」
『名も知らぬ患者よ、壮健そうでなによりだ。溺れて瀕死だったお主を、母とふたりで治療したこと、よく覚えている。突然出ていったことも、家の周りを大人数で荒らしてくれたことも、よく覚えておる。我の望みはただ一つ、お主が払わずに逃げた治療費と慰謝料の回収だ』
二枚目の紙には請求書。
そして三枚目。
『追伸。夫婦の問題に我を巻き込むな。せっかく縁があったのだから仲良く過ごせ』
「あら……まあ……ごめんなさい。余計なことをしてしまいました」
盛り上がっていたのは私だけのようで、当の魔女様はとても現実的でした。
結局どちらが旦那様の運命の聖女様だったかはわかりません。ですがこれ以上は私の踏み込むことではないでしょう。
ああそれにしてもこの請求書、結構な金額です。七年分の利子もついているのでは? 容赦ありません。
実家への援助だいじょうぶかしら。
旦那様はとてもすっきりとした顔をしていました。
「ありがとう、アンナ。これでやっと恩が返せる」
「それは良かったです……」
「君が私のために涙してくれたこと、私のために駆け回ってくれたこと、恩人を見つけてくれたこと……感謝している」
魔女様を探したのは暇があったからですし、魔女様が見つかったのも偶然です。
そもそも旦那様、本当にちゃんと探していましたの?
偶然とはいえあっさり見つかったのですが、地元しか探していなかったとか?
「許されるのなら、君と本当の夫婦になりたい」
「ええっ?」
なんてことでしょう!
誤算です。まさかこんな展開になるなんて!
確かに旦那様はちょっと残念なところもありますが、可愛らしいところもあります。初めてお会いした時はこんな素敵な方が旦那様になるのかと、ちょっとときめいたことも事実です。
しかし、そこからのあの宣言。
愛することはできないというあの宣言。
こんなにすぐに撤回されても困ります。
私にも、嫁ぐ時の覚悟とか、緊張とか、喜びとかありましたのよ?
そういうのをないがしろにされたことは、反省されたところでなかなか許すことはできません。感情が許しません。
旦那様のことは嫌いではありません。
ですが――ですがですがですが!
「旦那様! 運命の聖女様はどうなりましたの?!」
「いや、私はそんなことは一言も言っていないが」
「え?」
「私の身体には醜い傷痕がある。それを見たものは皆、怯えてしまう……」
ああ、だから私を愛することはできないと。
確かにそんなことを言っていたような気もします。
「きっと君も怖がらせてしまうだろう」
「いえ、そんなことはまったくありませんが……ああぁあ……恥ずかしい……」
人の話を聞かない自分が恥ずかしくて、その場にへたり込んでしまう。
旦那様はそんな私に手を差し伸べてくれました。
重なった手のあたたかさが、じんわりと身体に響いていきます。
私はこの時初めて、旦那様とちゃんと向き合ったのかもしれません。
「もう一度、やり直せないだろうか」
「……はい……旦那様はちゃんと話をする。私はちゃんと話を聞く。まずは、そこからやり直しましょう」
笑いかけると、旦那様はとろけてしまいそうな甘い笑みを返してくださいました。