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【短編】

醜いと噂の政略結婚の相手の伯爵様は、見目麗しい上に「運命の聖女」がいるらしい

作者: 朝月アサ




「すまないが、君を愛することはできない」


 結婚式のあと、夫婦の寝室で夫となった伯爵様は、申し訳なさそうな顔でそう言いました。

 私は込み上げる安堵を抑えきれず、満面の笑みを浮かべてしまいました。


「そうですか。政略結婚ですものね。お気になさらず」


 私はアンナ。茶髪に茶色の瞳という地味な色合いに、美人ではなく愛嬌があると褒められる顔立ちの地味令嬢で、いまはルーク・グラニス伯爵と本日結婚式を挙げたばかりの新妻です。

 その直後の衝撃的な告白は、私にとってとても都合の良いことでした。


 政略結婚で愛だの恋だの求められても困ります。そんな形の見えない曖昧なもの。私が信じるのは契約だけです。ロマンスは小説の中だけで充分です。

 それを正直におっしゃっていただいたことは、とても好感が持てます。夫婦として信頼されている感じです。


「では、三年経ちましたら離縁してください。三年経っても子ができぬなら、周りも納得するでしょう」

「君はそれでいいのか?」


 伯爵様は申し訳なさそうに美貌を歪める。初めて会ったときも思いましたが、金色の髪も緑の瞳もとても美しく、顔立ちも整っていますしスタイルもいいこの方が、醜いと噂されていたことはいまでも信じられません。

 醜いと聞いていたからこそ婚約話を受けたところもありますのに、顔合わせのときは詐欺だとも思いましたが。

 美しいものは好きですが、世の中釣り合いというものがございます。


「没落気味の実家への援助の件さえ滞りなければ、私には何の問題もございません」


 ああ、肩の荷がひとつ降りました。

 血筋だけが取り柄の没落気味で容姿も地味な私には、見目麗しい伯爵様との結婚生活は少し気が重かったですから。


「では、夜も長いですし、少しお話ししませんか? 教えていただきたいのです。どうして私を愛することができないのか」


 だってわざわざそんなことを言うなんて気になるでしょう?

 私が地味すぎてダメだという可能性も高いですが。なんだか事件やロマンスの香りがして気になります!

 旦那様は少し困った顔をして、前髪をさらりとかき上げました。







 始まりは約七年前。

 旦那様は何者かに――おそらく家族の誰かに毒を盛られ、顔と身体の皮膚がただれてしまったそうです。しかも身体には後遺症として、強い痛みが残ってしまったそうです。


 その外見のせいで周囲には『呪われた』と思われ、中傷と痛みですっかり心が病んでしまいました。

 そしてあろうことか、旦那様は自殺しようと森の泉に身を投げてしまったそうです。


 しかし旦那様を助け、献身的に看病してくれた女性がいらっしゃいました。

 女性の看病のおかげで皮膚のただれもほとんど癒えて、身体の痛みも消えたそうです。


 ――なんて素敵なお話でしょう。

 まさしく聖女様です。

 私、感動して泣いてしまいました。

 確かに、いまの旦那様の顔にはただれた痕などありません。しかしよく見れば薄っすらと、昔に怪我を負ったような痕がありました。


 旦那様は身も心も癒されていきましたが、その女性の外出中、旦那様を探しに来られた人々に見つかって、強制的にお屋敷に連れていかれてしまいました。


 なので、お礼もお別れの言葉も言えなかったことを、旦那様はずっと後悔していらっしゃるのです。

 そして、名も知らないその女性をずっと探しているのですって。


「この痕は身体中にもまだ残っている。見ればきっと――」


 その女性を愛しているから、私を愛することはできないのですね! 純愛です! ロマンスです!

 旦那様の健気さに、私はまた泣いてしまいました。


「決めました! 私、その女性を――旦那様の聖女様を見つけてみせます!」







 伯爵家の奥様といえど、お飾りの妻の結婚生活はとても快適なものでした。

 衣食住は実家での生活より三ランクはアップしていますし、旦那様はお飾りの妻に気を遣ってくださっているらしく、とても暇です。家中でのお仕事もありませんし、田舎ですので社交もありません。

 つまりとってもとっても暇なのです。


 そのことをいいことに、この付近で一番大きな街にちょっとした旅行に行きました。護衛と、実家からついてきてくれたメイドだけを連れて。

 情報を集めるのには大きな街へ行くのが一番ですから。


 とはいえ七年前のことですから、人探しは困難を極めそうです。

 捜索の手掛かりとして、旦那様から聞いた外見と、森に住んでいて毒の治療ができる、ということぐらいしかありませんもの。


 考えられるのは聖女様かお医者様か、良い魔女。

 森に住んでいる女性ということですので、良い魔女という可能性が高いでしょう。聖女様なら教会、お医者様なら人里に住んでいるはずですから。


 ならば生計を立てるために、つくった薬を売っているはずです。

 薬を売るのならば行商人に売るか、近隣の町に持ち込むか、大きな街で売るかになってきます。

 腕のいい魔女なら情報もたくさん流れているでしょう。


 ちょっとした冒険活劇になるかもしれないと、わくわくしながら窓から外を眺めます。

 旦那様がおっしゃるには、その女性は髪が白く、肌も雪のように白く、瞳は赤く宝石のようらしいです。

 なかなか見ない神秘的な外見です。

 そうそう、ちょうど外にいる少女のような雰囲気でしょうか。


「……いたーーーー! 馬車を、馬車を止めなさい!  いますぐ! 早く!」







 馬車から転がるように降りてきた私を、白髪赤眼の少女は不思議そうに眺めます。


「なんじゃ、客か?」


 少女の入ろうとしていたのはまだ開いていない小さな薬屋。


「いえ、私は……」


 ――幼い。

 十三歳から十五歳くらい。七年前だと幼すぎます。でも、外見的特徴そのままですし、血縁者かもしれません。

 ああでも老成した感もありますし、長寿な一族なのかもしれません。何かそういう特別な存在な。


「あの、七年ほど前に、森の泉で溺れている男性を助けたことはありませんか? 毒で身体がただれていますが、とても素敵な男性です。そんなお話を聞いたこととかないでしょうか」

「……ああ。素敵かどうかは知らんが、そんな男がいたことはよーく覚えておるぞ」

「よかった!」


 やっぱり彼女が運命の聖女なのですね!

 おふたりは運命で結ばれているのですね!

 ……少し年齢差があるような気がしますが、年齢差も身分差も、真実の愛の前には関係ありませんわよね!


「母とふたりで面倒を見てやった」


 母……?

 もしかして運命の聖女とはそちらの方?


「あの、その方はいまどちらに?」

「――とうの昔に」

「……それは……失礼いたしました」


 ――もう亡くなっている可能性も考えなかったわけではありません。

 ですが……


「お主はその男のなんじゃ」

「契約上の妻です。旦那様は自分を助けてくれた恩人の女性が忘れられず、私にも指一本ふれていらっしゃいません。お願いします。どうか旦那様にお会いしてくださいませんか」

「……ふむ、少しそこで待っておれ」


 少女は店の中に入っていきます。私は言われたとおりその場所で待ちました。

 随分長い間待たされて、しばらくして出てきた少女は「森の魔女より」と書かれた一通の手紙を出しました。


「これを男に渡してくれ」







 婚家に戻った私は、旦那様の部屋に行き預かった手紙を渡しました。


「旦那様。思い出の御方から、お手紙を預かりました」



『名も知らぬ患者よ、壮健そうでなによりだ。溺れて瀕死だったお主を、母とふたりで治療したこと、よく覚えている。突然出ていったことも、家の周りを大人数で荒らしてくれたことも、よく覚えておる。我の望みはただ一つ、お主が払わずに逃げた治療費と慰謝料の回収だ』


 二枚目の紙には請求書。

 そして三枚目。


『追伸。夫婦の問題に我を巻き込むな。せっかく縁があったのだから仲良く過ごせ』





「あら……まあ……ごめんなさい。余計なことをしてしまいました」


 盛り上がっていたのは私だけのようで、当の魔女様はとても現実的でした。

 結局どちらが旦那様の運命の聖女様だったかはわかりません。ですがこれ以上は私の踏み込むことではないでしょう。


 ああそれにしてもこの請求書、結構な金額です。七年分の利子もついているのでは? 容赦ありません。

 実家への援助だいじょうぶかしら。

 旦那様はとてもすっきりとした顔をしていました。


「ありがとう、アンナ。これでやっと恩が返せる」

「それは良かったです……」

「君が私のために涙してくれたこと、私のために駆け回ってくれたこと、恩人を見つけてくれたこと……感謝している」


 魔女様を探したのは暇があったからですし、魔女様が見つかったのも偶然です。

 そもそも旦那様、本当にちゃんと探していましたの?

 偶然とはいえあっさり見つかったのですが、地元しか探していなかったとか?


「許されるのなら、君と本当の夫婦になりたい」

「ええっ?」


 なんてことでしょう!

 誤算です。まさかこんな展開になるなんて!


 確かに旦那様はちょっと残念なところもありますが、可愛らしいところもあります。初めてお会いした時はこんな素敵な方が旦那様になるのかと、ちょっとときめいたことも事実です。


 しかし、そこからのあの宣言。

 愛することはできないというあの宣言。

 こんなにすぐに撤回されても困ります。


 私にも、嫁ぐ時の覚悟とか、緊張とか、喜びとかありましたのよ?

 そういうのをないがしろにされたことは、反省されたところでなかなか許すことはできません。感情が許しません。


 旦那様のことは嫌いではありません。

 ですが――ですがですがですが!


「旦那様! 運命の聖女様はどうなりましたの?!」

「いや、私はそんなことは一言も言っていないが」

「え?」

「私の身体には醜い傷痕がある。それを見たものは皆、怯えてしまう……」


 ああ、だから私を愛することはできないと。

 確かにそんなことを言っていたような気もします。


「きっと君も怖がらせてしまうだろう」

「いえ、そんなことはまったくありませんが……ああぁあ……恥ずかしい……」


 人の話を聞かない自分が恥ずかしくて、その場にへたり込んでしまう。

 旦那様はそんな私に手を差し伸べてくれました。

 重なった手のあたたかさが、じんわりと身体に響いていきます。


 私はこの時初めて、旦那様とちゃんと向き合ったのかもしれません。


「もう一度、やり直せないだろうか」

「……はい……旦那様はちゃんと話をする。私はちゃんと話を聞く。まずは、そこからやり直しましょう」


 笑いかけると、旦那様はとろけてしまいそうな甘い笑みを返してくださいました。





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[良い点] 春風に吹かれて花びらが舞い踊るお花畑みたいな頭(脳内)の旦那様と、現実との折り合いがとても良く出来ているが、極めて能天気なお人好し主人公のお話だと思いきや。 登場人物全て、地に足が付いて…
[一言] あー……そういうことでしたか!(笑) テンプレに毒されている私も、話を聞かない主人公と同様に気付きませんでした。 幸せになってください!!
[一言] 私も読みながら完全に誤解してました。 素敵なオチで良かったです。
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