文化遺伝子の論理
私は今ここにいる。
あなたは今そこにいる。
私という存在、そして今という時間。
それは宇宙の始まりからいろいろあった結果です。
例えば、恐竜時代のご先祖様が恐竜に踏みつぶされていたら私はいません。
原始の地球に降り注ぐ隕石のいくつかが地球に落ちずに通過していたら
やはり私はいなかったかもしれません。
宇宙が生まれ、物質と空間が生まれて138億年、
その長い歴史の一瞬でも何か違っていれば私はいません。
全てが今という時間に繋がっています。
そして今という瞬間を共有できる全てが宇宙の出した結果です。
次の瞬間には今は過去となりますが、
それは138億年の月日に加わり今を支えるものです。
では、宇宙は何をしてきたのか。
時空を生み出した宇宙は、その時空を広げ続けてきました。
その過程で星を生み、銀河を生み、時にはそれらが壊れたり合体したり
多種多様な星を宇宙にちりばめてきました。
その子供でもある生物もまた、まだ地球上だけですが、多種多様な種を生み出し
人間という動物を編み出し、ついには私の今を作り出しました。
無機物と生物と違いはあっても、その遺伝子とも言うべき原理は
宇宙誕生から変わっていない様に思うのです。
そして、人間は生物としての遺伝子を超えた遺伝子を獲得しました。
親からの遺伝情報の伝搬ではない、文化を伝搬する物質に依存しない遺伝子、
私は「文化遺伝子」と名付けました。
人間は文化によって人間になります。
それは言葉であり、習慣であり、知識の集積です。
この文化の多くは親子の間で受け継がれ、
物質遺伝子と同様に今に運ばれてきたものも多いのですが、
文化遺伝子は物質に依存しないために時空を超えられます。
私は今ここにいる。
あなたは今そこにいる。
でも、私の今とあなたの今は同じ今ではない。
時空を超えて、私の文化遺伝子があなたに届いたということです。
時空を広げ続ける宇宙の遺伝子を受け継ぎ今を共有する存在は、
その遺伝子を少しでも遠い未来まで届けたいはずです。
私が文章を書くのは、私の文化遺伝子を私の中だけで保有し
死とともに消すのではなく、未来に届けたいと思うからだと考えています。
私が書く文章は、親に教えられたり、学校の先生に聞いたり、
友達と語り合ったり、本を読んだり、何百年も前に編み出された文化も含め
積み上げられた結果の文化に触れ、反発したり共感したりしながら
自分の文化遺伝子として書いています。
ここまで読んでもらえたなら、拒絶するにしてもバカらしいと思ったにせよ
読む前と違う今を迎えていることでしょう。
それは私の文化遺伝子であり、それを構成している過去の文化遺伝子です。
あなたがいなければ成立しない文化遺伝子の伝搬。
誰かの文化遺伝子を受け取り、また誰かに文化遺伝子を渡し、
そして宇宙にちりばめられた星々のように
多種多様な世界の一部となり、過去になることで新たな今を彩る。
私は今ここにいる。
あなたは今そこにいる。
全ての揺るぎない起点がここにあります。
タイトルが気に入らない。
「○○の論理」で書こうとしているもんだから、
ちょっと無理があるようにも思う。
将来変更するかもしれない。
「文化遺伝子」という造語は気に入っている。