お礼参り
心地よい温もりを感じてエトゥスは目を覚ました。首を横に向ければスヤスヤと眠る妻となった女性。
エトゥスは優しくカティアの髪を搔き上げると、昨晩のことを思い出して複雑な表情で中途半端に笑った。
「痛い、下手くそ」と何度もなじったカティアだったが、誰かと比べる経験が無いことは、シーツに点々と残る跡を見れば分かる。
エトゥスの背中にはいくつもの引っ掻き傷の跡があり、首筋には歯形までもくっきりと残っていた。
部屋が暗かったせいでエトゥスはカティアの表情を確かめることは出来なかったが、そのぶん無表情の顔がどうなっていたかと想像するだけで妙な満足を覚えてしまう。
ずっと寝顔を見ていたい――そう思いながらエトゥスが眺めていると、パチリと目を開いたカティア。
エトゥスと視線が交わると、昨晩のことを思い出したのか布団を持ち上げ、頭まですっぽりと被ってしまう。
エトゥスは笑みをこぼすと布団越しに頭を撫でる。
「おはよう、カティア」
観念したカティアは被った布団から目を覗かせて、「おはよう、エトゥス」と小さな声を発した。
「朝ごはんはどうする? 多分まだハングやグレンダは戻ってきてないと思うけど」
「エトゥスが作って。私は無理。まだ何か挟まってるようにヒリヒリするの」
「それじゃあ可愛い妻のために美味しい朝食の準備をしてきますか」
エトゥスは笑うとベッドから起き上がり、衣服を身につけて一階へと降りていった。
昼が過ぎようかとする頃に、婚礼の儀の後始末を終えたハングとグレンダが戻ってきた。
昨日とは違う雰囲気のエトゥスとカティアに二人は目を細める。
「さて、エトゥス様。お礼参りはどうなされますか?」
「俺が回るさ。ハングのことだ、すでに用意は出来ているんだろ?」
「もちろん。ちゃんと用意しております」
話を進めていると、カティアはエトゥスの袖を引っ張った。
「お礼参りって何?」
「あぁ、昨日いろんな部族の長がお祝いに来てくれただろ? 彼らにお礼の品を持っていくのさ」
亜人と呼ばれる彼らは基本的には人族とは関わらない。共生関係にあるとはいえ、片方が片方に何かをすることはその関係を崩すことになる。
婚礼の儀で祝いの品を貰った以上、何かを返さねば軋轢を生みかねない。
エトゥスが亜人達との関わり方を説明すると、カティアはポンと手を打った。
「分かったわ。私も一緒に行く」
「お礼参りは俺一人で行ってくるよ。平坦な道だけじゃない。山にだって登らなきゃいけないんだぞ。カティアは家にいてくれ」
「あら、私は除け者なの? エトゥス、私は貴方の何?」
「……妻だ」
「なら一緒に行くわ」
そのやりとりにハングは笑みをこぼす。
「ではお二人にお願いします。ただアルマ様からは『用もないのに足を踏み入れるな』と言伝を承っておりますので、その他の部族のところをお願いします」
こうしてエトゥスとカティアは様々な部族の所へと足を運んだ。
川の近くに住む蜥蜴人族や森に住む長耳族。
草原に住む馬人族など、あらゆる部族がエトゥスとカティアを歓迎した。
特にカティアはどこにいっても持て囃された。
それはカティアが特別美しいからだけではない。
迫害の歴史を持つ亜人達は人の表情に敏感だ。
彼らは脆弱な人間とは違い強い種族ではあるが、長い歴史の中で人間に勝つことは出来なかった。
友好を結ぼうにも彼らに向けられる視線は、好奇や差別、恐れ。
化け物のように見られることを彼らは嫌う。
だからこそ人目のつかないこの地に流れ住んでいた。
カティアの無表情は彼らにとって受け入れやすいものだった。
その言葉遣いもへつらうものでも、蔑むことでもない。
エトゥスも彼らに対して嫌われる表情や言葉を出さなかったが、表情の変わらないカティアに勝てるものではなかった。
「みんないい人ね」
「そりゃ考え方の違いはあるけど、彼らは基本的に温厚だからね」
「そうね、貴族社会の方がよほど醜いと思うわ」
「たしかにそうかも」
これを機に、カティアは他部族との交渉の席に同伴することが多くなる。
エトゥスの負担もかなり減ったと言えるだろう。
エトゥスとカティアは幸せな時間を過ごしていた。
口論することもしばしばあったが、それはお互いを思ってのことがほとんどだった。
だが幸せな生活は長くは続かなかった。
結婚して三ヶ月が過ぎた頃、クレイスア領に届いた一通の手紙が、エトゥスとカティアを引き離そうとしていた。