婚礼前夜
領土はまるで祭りのように盛り上がっていた。
独身貴族を貫くと思われた領主の結婚の知らせ。
ハングが手伝いを探していると聞けば、俺が、私がと領民たちは名乗りを上げた。
男達は食材を求めて狩猟に勤しみ、女達は会場の準備に取り掛かる。
領民達は決して裕福な暮らしではないが、日頃世話になっている領主の為にと助力を惜しまなかった。
準備は着々と進み、婚礼の儀が行われる前日には大量の獣の肉や各家が持ち出した貴重なお酒が、会場となる広場に集められていた。
婚礼前夜。エトゥスはカティアの部屋を訪れた。
「少しいいかな?」
「どうぞ」
エトゥスがカティアの部屋に入るのは初めてのことだ。
初めて見る室内はとても質素だった。
子爵令嬢から嫁いできたとは思えないほど、何も置かれていない。
エトゥスはハングから聞いていた。
カティアと共に残された客車の中身は、僅かな食料と僅かなお金。そして子爵家とは思えない古びたタンスに手入れのされていない衣服。
部屋に置かれた寝具はハングが用意したと。
改めてエトゥスはカティアに憐憫の情を覚えていた。
「座ったらどう? 何か話があってきたのでしょ?」
「あぁ」
カティアに促されてエトゥスは今にも足の折れそうな椅子に腰を下ろした。
「明日は婚礼の儀だ。つまり俺と君は夫婦となる。それが仮初のものとしても、話しておきたいことがあるんだ」
「あら、もし隠し子や愛人がいるのなら、何も言わずに隠してくれていた方が助かるわ」
エトゥスは首を横に振った。
「残念ながらその手の浮いた話は俺には無くてね。カティアに話したいことは……この領地と俺のことだ」
「そう」
真っ直ぐ目を見るエトゥスに、カティアも真っ直ぐ見つめ返した。
「カティアは亜人と呼ばれる者達を知っているか?」
「亜人? エルフとかドワーフのことかしら? 見たことはないけれど、話を聞いたことはあるわ」
亜人――それは人の形に似た姿を持つ、人ならぬ者。
アスタレイヤ王国でもエルフ、ドワーフ、獣人といった種族は確認されているが、彼らは人との接触を拒み、人知れぬ地で暮らしているとされている。
「まぁ、そんな感じだ。ここクレイスア領は山に囲まれた地。信じられないだろうが様々な種族が住む地でもあるんだ。おそらくこの領地に住む者以外に知る人間はほとんどいないだろう」
「それが問題なの?」
カティアの答えにエトゥスは少し表情を緩ませた。
「彼らを差別さえしなければ特に問題はない。同じ土地に住んではいるが、彼らは好んで接触はしてこない。俺が領主として彼らと交易を行なっているって程度だ。だが、そんな土地だ。領民の中には彼らの血が混ざった者も多数いる。見た目こそ人間と変わらないが、体の一部が違っていたりする。もしそれを見かけても驚かないでいて欲しい」
「大丈夫よ。むしろ驚く顔をする方が難しいわ」
「そうだったな」
一度目を伏せたエトゥスは覚悟を決めたように立ち上がると、徐にシャツを脱ぎ捨てカティアに背を向ける。
蝋燭の明かりが灯る部屋で、エトゥスの背中は光を反射するように煌めいていた。
その肩から肩甲骨を埋めつくす鎧のような鱗。
エトゥスは静かに口を開いた。
「俺は母親を知らない。親父も何も教えてくれなかった。親父が死んでハングから聞いたが、俺はある日突然、親父が連れて帰ってきたらしい。幸いこの黒髪は親父と同じだが、おそらく母親は」
ぼんやりと床を見つめたエトゥスの握った拳が、小刻みに震えていた。
「……俺は人と亜人の子だ。今まで黙っていてすまない」
無表情とは分かっているのにエトゥスは振り向くことが出来なかった。いや、無表情だからこそ振り向くことは出来なかった。
それはエトゥスが怯えたから。
気が強く、弱さを見せず、こんな境遇であっても強く生きるカティア。
エトゥスはその目を見ることが怖かった。
そんなエトゥスの背中側から小さな吐息が漏れる。
「今の話は聞かなかった、見なかったことにしておくわ。話が済んだのなら出て行ってもらえるかしら」
「すまない」
シャツを持ち、振り返ることなく部屋を出るエトゥスの顔は苦渋に満ちていたのだった。




