人形令嬢
エトゥスが決断出来ないまま時間だけが過ぎる。日が山陰に隠れようとする頃、静かなはずのクレイスア家の周りが何やら騒がしくなっていた。
「エトゥス様」
珍しく慌てたハングの声に、何事かとエトゥスが執務室から出ていくと、屋敷の前には大きな二台の馬車が止まっていた。
玄関から現れたエトゥスを見て、一歩前に出た身なりの良い初老の男は深々と頭を下げる。
「クレイスア準男爵様でいらっしゃいますね? 私はモンクレド子爵家に仕える執事でミアトンと申します。モンクレド子爵令嬢、カティア様をお連れいたしました」
初老の男の横には美貌の女性。
アッシュブロンドの髪は令嬢にしては珍しく肩の上で切り揃えられ、青く大きな目と真っ直ぐ通った鼻筋に細く小さい唇。
着ているものこそ質素なロングドレスではあるが、まるで神が作った造形かと思える顔立ちは、エトゥスの脳裏に行商の言葉を蘇らせていた。
――人形令嬢
人形のように美しく、人形のように無表情。
賛美と嫉妬を込めて貴族達がそう彼女を呼んでいると。
なるほどとエトゥスは納得した。
確かに美しい――が、その無機質な表情は全てを遮断する壁のように感じられた。
突然の来訪にエトゥスは苛立ちを感じた。
まだ返事を書くどころか、考えもまとまっていない。
「確かに私はクレイスア準男爵だが、何かの手違いがあるのではないか? モンクレド子爵令嬢との婚姻の申し出は手紙にて知らされている。だが手紙が届いたのはつい先程で、まだ私は返事をしていない」
「それは失礼致しました。ではここでお返事を頂戴させて頂きたい」
体勢を戻し片眉を上げたモンクレド子爵家の執事は「何か問題でも?」と言いた気に、子爵令嬢に手を向けた。
まるで美女をくれてやるのだから大人しく従えと、仕草で言われた気がして、エトゥスは嫌悪感を覚える。
「エトゥス様」
呟いたハングはエトゥスに「諦めて下さい」と示すように小さく首を横に振った。
遅かれ早かれのことかーー。そう覚悟を決めたエトゥスはゆっくりと空気を吸い込んだ。
「分かった。モンクレド子爵令嬢との婚姻をお受けしよう。だがこちらにも迎え入れる準備というものがある。しばらく時間が欲しい。もう一度出直して頂くか、村に部屋を用意するのでそちらで待って頂きたい」
「それには及びません」
ミアトンが馬車の側にいる馭者に目配せすると、一台の馬車の連結を外しだした。
「こちらの馬車に乗っているのは、カティア様の家財道具にモンクレド子爵様からの婚礼祝いの品となっております。それでは私共はこれにて」
ミアトンがもう一台の馬車に乗り込むと、馭者が馬に鞭を打つ。
あまりの怒りで身動き出来ずにいたエトゥスは、小さくなっていく馬車を睨んでいた。
残されたのは無表情のままのカティアと、荷物の詰め込まれた客車。
あまりに酷い仕打ちだった。
貴族令嬢の結婚ともなれば、世話をしていた使用人が共についていくのが通例。
だがカティアは一人。
辺境の地に捨てられたのと同然だった。
エトゥスは腹にドス黒く溜まったものを吐き出すように、ミアトンを……モンクレド家を罵りたかった。
だが一番辛いであろうカティアを見て言葉を飲み込んだ。
「ハング、村の者に声をかけてカティア子爵令嬢の荷物を中に運び入れてくれ」
ハングが応えるように一礼するのを見て、エトゥスは表情を変えることのないカティアに出来る限りの笑顔を作って話しかけた。
「カティア子爵令嬢、長旅で疲れたでしょう。古びた屋敷ではありますが、中に入って体を休めて下さい」
すると人形令嬢は顔をエトゥスに向け口だけを動かした。
「クレイスア準男爵。私のことはカティアと呼んでもらって結構です。ずいぶんと見苦しいものを見せましたが、私に気遣いはいりません」
それだけを伝えるとカティアは客車から自分の荷物を取り出しにかかる。エトゥスは一瞬言葉を失った。
モンクレド家がモンクレド家ならば、この令嬢もこの令嬢なのだ。その考えにエトゥスは至り、頭の中で何かが切れた。
「カティア子爵令嬢! いや、カティアと呼べと言うのならカティアと呼ばせてもらおう。君は何をしにここに来たんだ?」
カティアは突然の怒声に驚くこともなく振り返ると、真っ直ぐにエトゥスの目を見据えた。
「来たのではなく捨てられたのよ」
「自分の置かれた状況を理解しているなら話は早い。君はこの屋敷で生活する気はあるのか?」
エトゥスの問いかけに、カティアは首を少し傾げた。
「質問の意味が分からないわ。私をこの客車で生活させたいのかしら」
「そういう意味ではない。この屋敷で生活する以上は私の言うことを聞いてもらう。荷物は我々の手で運んでおく。君はそのまま中に入るんだ」
「それは私の大事なものを、見知らぬ人の手に渡せという意味かしら?」
「くっ、いいから中に入れ」
村の者数人を連れて戻ったハングは二人の言い争いに、「屋敷が賑やかになりますな」と独りごちると目を細めるのだった。