ワケあり領主と人形夫人
東の空に竜が舞ったと噂が流れてから一年半。クレイスア領には平穏な時が流れていた。
相変わらずの辺境の地ではあるが、人々は貧しいながらも幸せに暮らしている。
冬季も終わり植物が芽吹く頃、クレイスア準男爵の館に一人の女性が訪れていた。
「エトゥス様、アルマ様がお越しです」
「通してくれ」
ハングに案内されたアルマは部屋に入ると、エトゥスをチラと見た後にカティアの方に歩を進めた。
「ほう、穏やかそうな顔で寝ておるな」
アルマの視線の先、カティアの腕の中でスヤスヤと赤子が眠っている。
エトゥスとカティアの子である。
アルマは約束通り、子に祝福を与えに来たのだ。
そのせいか生き物を威圧するような気配はなりを潜め、まるで聖母のような慈愛すら感じさせる。
「先月産まれました」
「そうか。して、男か、女か?」
「男の子ですよ。名前はフォンゼルと名付けました」
「ふむ、良き名だな。顔は……母親似か。父親に似ないかと心配したのだが、取り越し苦労だったようだな」
エトゥスは苦笑いを浮かべながら頭を掻いた。
髪色こそ父親と同じ黒髪だが、その顔つきはカティアに似ており、エトゥス自身も安堵したほどだ。
柔らかな目でフォンゼルを眺めるアルマに、カティアはそっと赤子を抱えている手を前に出した。
「どうぞ、抱いてやって下さい」
「我がか」
「はい」
少し気まずそうな顔をしながらも、アルマはフォンゼルを受け取った。
とても優しい手つきで。
「あなたが守ってくれた命ですよ」
「ふん。人間に手を貸したつもりはないが、まぁ、この可愛い顔が見れたのなら……悪くはない」
エトゥスとハングはアルマの言い分に顔を見合わせて笑った。
抱かれ方が変わったからか、フォンゼルはパチリと赤い瞳を開ける。
エトゥスは泣きじゃくるかと心配したが、むしろフォンゼルは嬉しそうにアルマに手を伸ばした。
「分かるんですかね」
「何がじゃ?」
「いえ、なんでもありません」
アルマはしばらくフォンゼルを愛おしむように抱くと、カティアにそっと返した。
「ちゃんと祝福は与えておいた。しかし、其方も随分と穏やかな顔になったものじゃな」
「私がですか?」
カティアは少し首を傾げた。
幸せな日々を送っているとはいえ、相変わらず人形のような表情のまま変わりはない。
「自分では気付かぬか。まぁ、よい。その赤子が歩くようになればまた呼ぶがいい。我が更なる祝福を与えよう」
「了解致しました」
アルマはそう言って屋敷を出ていった。
「私、そんなに変わったかしら?」
「どうだろうね。ただ、俺にはカティアの表情が前よりも分かる……そんな感じはするけどね」
「そうなのかしら?」
まるで会話を聞いていたかのように、抱かれていたフォンゼルの伸ばした手がカティアの頬に当たると、エトゥスとハングは笑みをこぼした。
「ねぇ、エトゥス。私、幸せよ」
その時エトゥスが見たカティアは、微笑んでいるように口を緩ませていた。
アスタレイア王国の東部。山間に囲まれた場所にクレイスア領という小さな領土がある。
人口は1,000人にも満たない小さな村落で、隣の街までは馬を走らせても7つの日をまたぐほど交通の便が悪い、陸続きの離小島。
多種の種族が住む領土を治るのは、背に鱗を持つ領主と人形のような領主夫人。
領民に慕われる二人は、とても幸せに暮らしている。
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