竜
樹々の間から姿を現したのは異形の者だった。
見知った顔に安堵で胸を撫で下ろしたエトゥスの前で、兎人族の長は足を止めた。
「最近木を切る斧が折れて困っている。新しい斧を10ほど用意してくれないか?」
次々と来る部族の長達はエトゥスに要求を持ちかけた。
「もうすぐ冬季だ。温かい毛皮が欲しい」
「塩と言ったか。我が部族では人気でな。5壺ほど欲しい」
「おでは……えーっと、ぞうだ、酒が欲しい」
面食らったエトゥスであったが、すぐにその言葉の意味を理解した。
彼らとの関係は、どちらかが片方に何かを施すことでは成り立たない。
この一方的な要求は、共に戦うことを示していた。
エトゥスは首謀者をチラと見ると、ハングは穏やかな笑みを浮かべた。
「私めは実情をお知らせしただけで助けは乞うてはおりません。皆様、エトゥス様とカティア様が好きなのですよ」
頭を下げたエトゥスの肩に人馬族の長が手を置く。
「気にするな。それに……おいしい所は全て持っていかれてしまうようだ」
その時、空が揺れた。
全ての生き物が震え上がる咆哮と共に、巨大な生き物が天高く舞っていた。
翼をはためかせたそれは西の空へと消えていく。
間も無くして爆発音と木の葉を散らす突風が押し寄せる。
全ての者が言葉を失っていた。
その場にいなくてもこちらに向かっていた兵が全て消え去ったのだと理解し、呆然と西の空を見ていた。
どれだけの時間立ち尽くしていただろうか。
言葉に表せない威圧感を受け、領民達、部族の者がその場に膝をつく。
空に現れた巨大な何かが人並みに小さくなると、エトゥスの前に降り立った。
「なんじゃお主らはガン首を揃えて」
「アルマ様……ありがとうございます」
膝をつくエトゥスとカティアを見て、アルマはつまらなそうに笑った。
「何を言うておるのか分からん。我はただ、我の領域に兵を向けた愚か者共を蹴散らしただけじゃ」
アルマの視線はエトゥス、カティア、そしてハングを捉えていたのだが、それを見た者はいない。
「我は寝床に戻る。くれぐれも我の眠りの邪魔はするな」
風を切る音がしてエトゥス達が顔を上げた時には、そこにアルマの姿は無かった。
エトゥスは竜人が消えた東に向いて深く頭を下げたのだった。
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侯爵家の次男、ギブルタスはベイカル家が用意した屋敷にいた。
豪華な食事と薄手の服を纏った数名の女性。
酒を飲み、女を抱き、絶望の顔でこちらに来るだろう人形令嬢を思い浮かべては高らかに笑っていた。
一人の女を抱いていると、部屋の扉が乱暴に叩かれる。
「やっと来たか。お前らはもういい。外に出ていろ。くっくっくっ。今夜は楽しい夜になりそうだ」
だがギブルタスが開かれた扉の先に見たのは、白い鎧を纏った見覚えのない衛兵達だった。
「ギブルタス様であられますか? 陛下の命により貴方を王都へと連行します」
「はぁ? 何を言っている!」
シャツを着ただけで全裸に近いギブルタスは、衛兵の手で抑えられる。
「貴様! 俺を誰か分かっているのか! 俺は侯爵家の人間だぞ!」
「話は王城にてお聞きします。連れて行け!」
「ふざけるな! お、お前たち、俺を助けろ! おい! あぁぁぁぁ!」
這いつくばり逃げようとするギブルタスだったが、手を縛られ引きずるように連れて行かれる。
「ふざけるな! ふざけるな! 俺は侯爵家次男ギブルタスだぞ!」
どれだけ喚こうが周りにいた者は侮辱と憐れみの目を向けるだけ。彼を助けようとする者はいなかった。
王城にある謁見の間に連れて行かれたギブルタスは、その場に父親がいるのを見て声を荒げる。
「父上! いったいこれはなんなのです! 私はこんな扱いを受ける覚えはありません!」
「静かにしろ、ギブルタス。国王陛下の御前だ」
父の言葉にギブルタスは、すがるような目を王座に座る人の良さそうな国王に向けた。
「ふむ。ギブルタス。お前は自分が何をしでかしたのかを分かっておるのか? 侯爵家の名で人の妻を奪うなどあってはならんこと。言い訳はあるか?」
「そ、それは……ち、違うのです。もともと私が結婚するはずの女性だったのです。それを奪ったのがあの準男爵なのです」
ギブルタスの言い訳に国王は眉をピクリと動かした。
「侯爵、其方の話とはちと違うようだの」
「はっ。我が侯爵家とモンクレド子爵家との婚約はすでに破棄されており、クレイスア準男爵との婚姻は婚約破棄されてから行われております」
「なっ!? 父上! 父上が言ったのではないですか! 欲しいのなら奪ーー」
「黙れ!」
侯爵は鬼のような形相でギブルタスを睨みつけた。
「ふむ。それではギブルタスは国外追放とする。構わんな侯爵」
「すでにこの者は我が家とは関係ない者でございます」
「父上!」
「黙れ! お前は自分が何をしでかしたのかを分かっておらん。お前が集めた兵がどうなったかを知っているのか? お前の身勝手のせいで皆死んだのだぞ」
「なっ、何を言ってるのですか父上」
「連れて行け!」
衛兵が両肩を掴むとギブルタスは身を捩って何度も叫んだ。
「父上! 父上! あぁぁぁあ、あぁぁああーー!」
ようやくギブルタスが連れ出されると、侯爵は国王の前に跪いた。
「侯爵よ。この始末をどうつけるつもりだ。息子を追放したから終わったと思うでないぞ」
「はっ。すぐにクレイスア準男爵には手紙にて詫びと便宜を図ります」
「くれぐれも粗相のないようにな。モンクレド子爵家、それにベイカル伯爵家も上手く言いくるめよ」
「はっ」
冷や汗を垂らしながら侯爵は急いで謁見の間を後にした。
王座にもたれかかった国王は、そばに居た宰相に顔を向けた。
「まさか王家に伝わる言い伝えが本当だったとはの」
「討伐隊を差し向けますか?」
「馬鹿を言え。それこそ国が滅ぶ。何より500年も昔、この国を救ったのはかの者だぞ」
「では陳情書に応えた旨と、対応に遅れた陳謝。王国は侯爵家の行動に無関係である事を認めて、手紙を送る事にします」
「ふむ。任せたぞ」
数日後、クレイスア準男爵に五通の手紙が届いた。
一つは王国から。
陳情書に応え侯爵家次男ギブルタスを国外追放とした事。ただし一連の侯爵家次男の行動は勝手に行った事であり、王家は無関係であると。そして対応が遅れた事への謝罪として多大な金貨が添えつけられていた。
一つは侯爵家から。
次男であるギブルタスはすでに家とは絶縁し関係がない事。ただし知らぬこととはいえ、迷惑をかけたとして多大な金貨が添えつけられていた。
一つはモンクレド子爵家から。
子爵家はエトゥスとカティアの離縁を了承した覚えはない事。侯爵家次男ギブルタスが勝手に話を作り上げたと。そして改めて、カティアとの結婚の祝福と多大な金貨が添えつけられていた。
一つはベイカル伯爵家から。
ギブルタスの横暴を止められず領土を通した陳謝と、行商の回数を増やす事。そして幾ばくかの金貨が添えられていた。
そして最後の一つの手紙には差出人は書かれていなかった。
ただ『無事でよかった』と、それだけが書かれていた。
エトゥスは四通の手紙に全て同じ返事を書いた。
『何を言われてるか分かりませんので、添えられたお金は返させて頂きます』と。