11 息抜き
今日は、牧場見学。
写真をたくさん撮る予定。
動物を飼う環境を見ておきたい。本だけだと、なんかぴんとこなかったんだ。
というのは建前。
本命の目的は、ルーも部屋の中ばかりじゃ辛いだろうし、たまには存分に太陽の光を浴びさせてあげようか、と。
ま、ずっとうちか倉庫で籠もりっきりでいたから、せめて1日くらいはこっちの世界で遊ばせてやりたいって思ってさ。甘いものとお風呂しか思い出ができないんじゃ、ちょっと可哀相じゃん。
ルー、注意書きになるお手紙もたくさん書いたしね。
副産物で、図も描くことが多かったから、ルーの画力、明らかに増している。
でも、座り込んで書き物するのに適した人じゃないんだよね。やっぱりルーは、颯爽と歩くのが似合っている。
ルーの世界に戻るまであと2日。
ほとんど荷造りも終わっているし、明日は第一陣を送る予定だ。だから、帰りには蜂の巣箱も受け取るつもり。暗くなってからって話だから、それまで時間の余裕はたっぷりある。
動物園にして、肉食獣も一緒に見れば、魔獣だの狂獣だのが解るかなとも思ったけど、まぁ、今日は平和な方を優先。
観光牧場でなら、いきなり「パスポートの提出を」とか言われないだろうし、ルーも不要のダメージを受けなくて済む。博物館や美術館だと、ダーカスに対するコンプレックスばかり増大させちゃうからね。
確かにダーカスは、こちらに比べたら貧しいかもしれない。けど、決して遅れた未開の社会じゃない。でも、ルーにはまだそこまで見えていない。ルーが賢くないとかじゃなく、ただこっちの世界に圧倒されているからだ。
その圧倒されちゃってる感じを、さらにプラスしてもしょうがない。
そもそものお出かけ自体についてだけど、小学生低学年が高学年くらいになったくらいには、ルーも未知のものを見ても騒がなくなったし、ちょっと安心している。
県境を幾つか跨いで、たどり着いたのは、山の頂上に近い観光牧場。
とりあえずは、駐車場から見える広大な草原に、ルー、驚いて声も出ないって感じ。
でも、ダーカスで一番最初に光景が変化するとしたら、砂漠が牧草地の草原になることからなんだよね。
その光景を先取りして見られた、ということで。
開園を待って、ゲートを潜る。
今日のルーは、ダーカスから来てきたヤヒウの毛の服と、こちらで買った服を組み合わせている。この組み合わせで着ているときのルーは、可愛いと綺麗が絶妙に混じり合っていて、一緒にいて嬉しい。
真っ先にルーは、草原の斜面を存分に楽しんだ。
ルーの世界では、草地って極めて貴重なのに、こちらの常識で言えばちょぼちょぼと緑が見えるだけの荒れ地にすぎない。緑の絨毯みたいな草地は、それこそ、夢の世界なんだ。
もしかしたら、俺が、頭から一万円札を浴びたら、同じように嬉しいかも知れない。それこそ、夢の世界だしって……、なんで、俺の方は汚く見えるかな。
「ナルタキ殿、宝の山ですね!」
ああ、そだけどさ、表情が逝っちゃってるぞ。
「草原は持ち帰れないから、いい加減諦めろよ」って、聞こえない振りして、斜面を転がって逃げるんじゃない。
かといって、追いかけて下ったら、この斜面をまた登らなきゃだ。それも面倒くさいな。
釣ってみようか。餌はある。
「ルー、ソフトクリーム食べよう!」
ゆうれい坂の空き缶発見!!
ルー、ごろごろと転がりながら登ってくる。こっちは錯視なんかじゃない。なにげに、すげー体力だな。
「そふとくりーむって、アイスクリームですか?」
「アイスクリームをさらに滑らかに、ふわふわにした感じの」
「それは良いですね!」
ごろごろ。なぜ転がり降りる?
「ルー、行かないの?」
「私のことを、食べ物で釣れる人とは思わないでください。失礼な」
それを言うならば、せめて起き上がってから言えよっ!
仕方ないから、1時間ほど転げ回らせておいたんだけど、さすがに「いつまでも草原で転がっている変な人とその保護者」になってきたので、草から引き外して花を見に行く。
全身、草のクズだらけだよ。ぱたぱた背中とか叩いてやって、やっぱり「小学生かよ」って思う。
花壇では、ネモフィラが綺麗。
で、フルーツトマトとイチゴの味覚狩りで、ルーのテンションはMAXになった。
喜んでもらえて、お兄さんは嬉しいよ。
だけど、ファームツァーで事件は起きた。
最後の餌やり体験で、羊がたくさんいたんだけど、ルーが近づいたら一斉に上唇を上げてルーに向かって突進してきた。
あまりに突然の変貌に、牧場の人も含めて、誰にもどうしようもなかった。
小学校に上る前のくらいの女の子が押し倒され、地を転がる。
遅れて囲いに入った俺は、羊とルーの間に割り込もうとして間に合わない。
突き飛ばされて転がるルーが、見えたような気がした。
「ごにょらろ、ヤヒウる、ゔぁるばろ、ハルト」
呪文詠唱?
全部の羊が、ぴたって動きを止めた。
なに?
何がどうなったかわからない。
「ごにょごにょ、めい、ごにょりょりょ、ヘイレン」
これはルー、女の子の持っていたバッグに書かれていた「めい」って名前を読み取って、治癒魔法を掛けたんだ。
そこで、初めて女の子が泣き出した。
ルーがその子を抱き上げて、周囲を見回す。
焦った母親が、その子を受け取る。
心配そうに頭とか膝とか見ているけど、怪我はないってか、あっても治っているってか、生まれてから今日までの間で怪我して残っていた傷跡すらきれいに治っているだろう。あるかどうか分からないけど、アトピーの痕とかまで消えているのを発見したら、母親さんは相当に混乱するかも知れない。
ルーのつぶやきだって、「魔法」って考えるはずなんかない。「外人の女の子が、なにか母国語でつぶやいていた」って考えるはずだし、まぁ奇跡だよね。
めいちゃんが泣いたのは、痛みではなくて、びっくりしたせいだ。
その証拠に、母親の腕の中で、一分もたたないうちに、にこにこしだしている。
この治癒魔法に至るまでのためらいのなさが、魔術師の誇りのノブレス・オブリージュかと思う。
それは、ルーの精神の一部となっている。
魔素のないこっちの世界では、魔法が寿命と引き換えになるのを自覚していないわけがないんだ。
牧羊犬がとことこと歩いてきて、ルーの匂いを念入りに嗅いでそっぽを向いた。
「なにか、匂いの強いものを持っていませんか?」
牧場の人が聞くのを、ルーに代わって俺が答える。
「いや、特に感じませんけど」
「羊と犬の反応で、なんかあるのかなと。
一瞬で発情したみたいな反応なんですよね……。
すみません、失礼しました。ご迷惑をおかけしました」
「いやそれは、あの子とその家族さんに。
私達は、またなんかあるとご迷惑ですから、囲いの外に出ていますね」
そう言って、ルーを引っ張る。
「なにがあったよ?」
こそこそ聞く。
こっちの世界に着いた日ほどではないけど、ルーの顔色、一気に悪くなっている。
「ヤヒウの革と毛を身に着けているから、それでかもしれないです」
「うわ、そんなに影響するの?」
「ヤヒウは、いつでも子作り、子育てをしています。
そうでないと、絶えちゃうんです。
こっちの子たちは、季節が決まっているみたいですね」
そか、ヤヒウは発情周期がないのか。
で、加工済みでも、革や毛に強い「フェロモン」だっけ? が染み付いていると……。そういうことかな?
そか、あの厳しい自然環境の中で鍛え抜かれたフェロモンは、こっちの羊にはさぞや強烈だったのだろう。
きっと、人間でいえば……(以下、良識により略)、のはずだ。
「で、なんの魔法?」
「ヤヒウの毛刈りをする時に使う魔法です。羊飼いを助ける魔法で、動きを止められるんです」
「魔素の使用量は?」
「魔獣トオーラを追い払うのに比べたら、全然多くないです。治癒魔法の4分の1くらいです」
ルー、大したことじゃないって、俺に思わせたいみたいだ。
俺に対しては痩せ我慢、しなくてもいいのに。
「それは全体魔法? それとも個別魔法?」
「個別を、複数にして全体にかけました」
「それはルー、治癒魔法にして4回分を、今使ったということでいいかい?」
羊が12頭分、それにめいちゃんの治癒の1回で、だ。
「……はい」
つまり、ルーは、この世界で自分が持てる最大量の半分の量の魔素を使った。たぶん、元々が満タンじゃないだろうから、ダメージは大きいはずだ。
「よし、ルー、休憩するぞ」
そう言って、俺は牧場の人にファームツァーをここで抜けると一言断って、ルーを引っ張る。
ルーには悪いけど、ちょっとだけ歩かせて、カフェに入る。
ソフトクリームにトッピングをたくさん乗せたのを買って、椅子にへたり込んでいるルーに渡す。
「こういう事故を待っていた」って言うと語弊があるけど、さて、実験だ。
次回、息抜きの合間に人体実験、の予定です。




