そも王家の婚姻政策とは何ぞや
遅がけに書いてみる「婚約解消」もの
ラフィアン殿下はわが国王陛下の第二王子だ。来月に控えた誕生日で十八歳となられる。王族として成人を迎え、今後は公務を担うこととなる。その殿下が、王妃様の控えの間で私を呼び止めた。私は王妃様に呼ばれて王宮に参上していた。暫時待つようにとおおせられたので、控えの間で待機しているところだった。
「少し話ができないか」
殿下は私の肘をとらえて、まっすぐな視線で言った。珍しい、この頃まともに目を合わせることもなかったのに。女官に目で問うとうなずかれたので、殿下の申し出をお受けすることにした。
「ここでは少し。余人を交えずに話したい」
ますます珍しい。王妃様は殿下の母君なので、その居室に仕える者はみな気心の知れた者ばかりであるのに。
「では中庭の四阿へ」
「私の部屋ではなく、なぜ庭へ」
「余人を交えずというご希望に沿うためでございます。婚約者とはいえ未婚の男女であってみれば、人目があっても話し声がきこえぬ場所がよろしいかと」
「なるほど」
殿下はうなずいて、侍従や儀仗の武官、侍女をひきつれて中庭におりた。四阿は横手にせせらぎがあって、おだやかな水音がしている。屋根を支える柱はあっても壁もなく、周囲から見通すことはできる。石づくりの卓と椅子。侍従が手早く清め、椅子に敷物を置く。侍女が携えた茶道具を卓に乗せ茶を注ぐと、全員四阿から退出し、やや距離をとって控えた。私たちは椅子に掛けた。
「人払いをなさってのお話とは、何でございましょう」
殿下は視線をさまよわせると、誰やら手招きした。その合図を待っていたように、ひとりの娘が四阿に入ってきた。見ると王妃様付き侍女の娘だった。いわゆる「行儀見習い」のために一時的に侍女にあがっている貴族の娘だ。年頃は私と同じくらいか、やや年下かもしれない。
「余人を交えずということではございませんでしたか」
「いや、この者も関係がある話なのだ」
殿下は歯切れの悪い口調。娘の方は軽く礼をすると許可も受けず殿下の隣の椅子に掛けた。これはまた不作法な。国王陛下とわが父上は従兄弟同士。いまは亡くなられた祖父君が先々代国王様の第三王子で、今上陛下の父君の同腹の弟であられたので、臣籍に下って大公家をお建てになった。ゆえに、わが大公家は準王族の扱いとなっているものを。
前もって言い含められていたのか、侍従、武官ともに何も咎めずに娘を通したようだ。あいにく顔を見てどこの誰かわかるほど私には親しくない。
「これは母上の元に行儀見習いにあがっているフライス男爵家の娘だ」
「ミモザ・フライスと申します。大公ご令嬢オリヴィエ様にはご機嫌うるわしゅう」
おや直答を許した覚えはないのに。しかも腰かけたままの略礼とは。私は首をかしげて殿下を見た。殿下にはますます視線が定まらないご様子。
「お手短にお願い申します」
「母上のところに出向くたび、このミモザにはたいそう助けてもらっているのだ。知り合ってからまだ間もないが、私は彼女を好ましく思っている。心を通わせることのできる唯一の存在とまで思っている」
「さようですか。では、王妃様の元からお手元に引き取りたいというお話でしょうか。それならば、私にではなく王妃様に」
「いや、そういうことではなく」
「私、殿下をお慕いしております。殿下も私を」
私は立ち上がって口をはさんだ娘に、ちらっと視線を投げた。顔だちや肢体はたしかに愛らしいけれども、男爵家令嬢にしても不作法がすぎる。侍女としても問題ある態度と見える。王妃様もやっかいな者をお手元に置いておられること。
「なるほど。殿下におかれてはこの娘に寵をおかけになるご所存ですか。で、私に何をお望みでしょうか」
殿下は不機嫌な様子でみけんに力をこめて私をにらみつけた。ほう、本気でこの娘を妃に所望なさるのか。御手並を拝見いたしましょうか。私は華やかに微笑みかけた。
「寵ではない。私はミモザを妃にするつもりでいる。ついては貴女との婚約を取りやめとする」
「婚約は国王陛下とわが父大公との間で取り決めたこと。殿下や私の存念で変更することはかないませんが」
殿下がうつむくと、隣の娘がしきりと腕を引いて先をうながしている様子。これはせっつかれているようだ。もとより気弱な一面のある第二王子、折衝の経験も少ない方なのではしかたがないか。長引くと王妃様がお部屋に戻っておいでになる。
「殿下には国王陛下から何かお聞きおよびですか」
きょとんと顔をあげた殿下の表情がおかしくて、つい微笑んでしまった。娘の方はかなりきびしい表情で私をにらんでいる。胆力はある子のようだ。またそうでなければ、王宮勤めはかなうまい。だが、残念ながらこの二人の添い遂げる道はない。
「本日王妃様からお呼び出し頂きましたのも、そのお話が決まったのだと存じます。殿下もご承知の上ならば、話が早うございますね。さすが王子殿下でいらっしゃる」
「なんのことだ」
まるで心当たりがないご様子。では、まだ陛下や王妃様はご当人にはお話しになってないのでしょうね。だから男爵家の娘を妃に、などと言っておられるのでしょう。
「私、男爵家の生まれですが、殿下をお支えできるようにがんばります。殿下のためなら、どの貴族令嬢にも負けない努力をするつもりです」
そんなにむきになって赤い顔で力まなくても、そういう話ではないのよ。男爵令嬢ミモザ殿。それに王家の婚姻は殿下にも私にも決定権はないもの。ましてや貴女ごときにどうにかできるものではないのですよ。私をにらみつけても何も変わりようがない。
「婚約についてのお話は正式に上からご沙汰を賜ることと存じます」
「婚約を解消することに同意してくれるのだな」
「私の同意など必要ございません」
殿下と娘は顔を見合わせた。いささか釈然としないようだが、それでも私の言質をとったと思ったのか、ほっとしたように微笑み合う。やれやれ。
「ミモザ、次は母上にお願いしよう。オリヴィエが同意してくれたことと、私たち二人の気持ちが固いことを申し上げれば、かならずお聞き届けくださるはず」
「私がんばります。王妃様にも認めて頂けるよう」
手を取り合ってよろこびあっておいでの様子ではあるけれど、そうはならないのですよ。まるで何も知らないようなので、いささか気の毒になってきた。
「私の気持ちがオリヴィエにわかってもらえて、本当にほっとした。私の心はミモザにあるが、貴女にも幸せになってもらいたいのだから」
殿下はにこにこしてうなずいた。それからねだり事をする時特有の上目づかいで私を見た。
「オリヴィエは母上のお気に入りなのだから、ミモザのことを母上に薦めてもらえないだろうか」
私はあきれてためいきをもらした。どこまで人を嘗めているのだろうか。
「ラフィアン殿下。殿下と私の婚約は白紙となるようでございます。前から陛下よりわが父にお申し出がございました。正式なお知らせはこれからと存じますが、本日、王妃様から細かい内容についてお言葉があるものと存じます」
「え? 父上にも母上にもまだミモザのことはなにも。いや、私の様子から母上が察してくださっていたのか」
「まあ、そんな、恥ずかしい」
またふたりで大いなる勘違いの方向へ。いえ別の意味で「恥ずかしい」こと。盛り上がっている二人を前にしていささかあきれてしまったので、手元の茶を飲んだ。
「王妃様の本日のお呼び出しは、私の身の振り方が決まったというお話だと思われます。先日来ご提案にあった、陛下の異母弟であられる西方辺境伯様へ嫁ぐことが決まったのではないかと」
「は? 貴女の嫁ぎ先? いやなるほど、婚約解消となれば貴女の縁談も見繕う必要があるな。確かに、こちらの都合での解消なのだから、当然か」
「見繕う」とはまた、思い切り見下してくださったようだ。しきりと納得したようにうなずく殿下が情けない。だが話はそこではない。
「叔父上は以前奥方を亡くして鰥夫の身だ。初婚の貴女にはいささか年上だが、貴女は落ち着いているので大丈夫だろう」
「再婚でお年上。まあ、では、辺境伯様はおいくつですの」
「叔父上はたしか三十、いや四十だったかな」
「陛下より四歳お歳下なので、御年三十五歳と承りました」
「そうか、貴女より二十ちかくも年上か」
年の差十八歳ですわね。私今十七歳ですから。だいたい自分の叔父の年齢が、兄である陛下より上のはずないでしょう。実の父上の年齢をはっきり知らないのかとあきれてしまう。また男爵の娘が「お気の毒」と口では言いながら、表情は「いいきみ」といっているのが、王家に対する不敬というほかない。その口元のにやにやを隠しなさい。自分は年若い王子さまを射止め、邪魔な元婚約者は辺境の年寄りに片づけ、万々歳、という気持ちがもろ見え。
そこへ王妃様付きの女官が伝言をもって探しに来た。
「おりよくお揃いとは好都合。みなさま王妃様のお部屋へおいでください」
女官の先導で殿下、と男爵家の娘、私、侍従たちがぞろぞろ王妃様のお部屋へ伺った。女官はちらりと男爵家の娘、つまり部屋付きの行儀見習いに目をやり、そのまま無言で先導した。その様子で、王妃様にはすでにお見通しと拝察した。
「おや、ラフィアンも来てくれたのはちょうどよかった。これ、誰か。陛下にお知らせして」
侍女が席を用意してくれたので、私は王妃様の正面に腰かけた。殿下は王妃様の横手に、男爵家の娘はこの部屋での身分は侍女なので、殿下の後ろに立った。王妃様はご機嫌うるわしく、おすすめの茶を入れてくださった。珍しい舶来の茶なのでありがたくいただく。
「オリヴィエ、やはりヨシュア殿に嫁いでもらうことになりましたよ」
「お心遣いかたじけのうございます」
「ヨシュア殿は、エドウィン大公の姫ならば願ってもない、とおおせでした」
「光栄にございます」
王妃様は少女のようにふふふと笑った。
「あの堅物のヨシュア殿が、浅黒いお顔を赤くしてね」
殿下が話に入れずにもじもじしていると、侍従が陛下のご来席を伝えたので、私たちは全員立ちあがった。陛下と側近の方々が入ってこられた。驚いたことには、そのうしろに父上も第一王子殿下も続いておいでになった。王妃様のお部屋とはいえ、国家の中枢が一部屋に集まるとは。
「よい、楽にせよ。席におすわり」
陛下のお声にみな席についた。陛下は王妃様の隣にすわった。他のみなさま方もそれぞれ侍従が椅子を用意した。第一王子殿下は陛下の後ろに、父上はなぜか私の横にすわった。
「今しがたこちらでもラフィアンの婚姻について詳細を決めていたところで、ちょうどよかったのだ」
「まあ、今オリヴィエにもヨシュア殿のお話をしたところですのよ」
陛下は重々しくうなずいて、父上の方をご覧になった。父上はそれを受けて軽く会釈した。もうお話は詰め終わった様子だ。
「父上、私からもお願いが」
「国事であるゆえに、王妃の私室ではあるが父ではなく王と呼べ」
「は、はい、陛下」
出鼻をくじかれたラフィアン殿下は話を続けられずに口ごもった。
「ラフィアン。そなたとオリヴィエは幼少よりの婚約者ではあるが、このたびその婚約を白紙に戻し、そなたたちには別々の婚姻を結んでもらうこととなった。申し渡しは突然に見えようが、これはすでにかなりの時間を検討に費やしている国事である」
「は? あの、私もそのことで」
「ほう、珍しく察したか。よいよい。そなたももう成人王族だ。これくらいの外交は察することができるようになったのだな。一安心だ」
ラフィアン殿下は何も察してはいない。最前男爵家の娘を妃にしたい、と夢を見ていたばかりなのだから。陛下も王妃様もたぶんわかった上で、わざと取り違えたふりをしておいでになる。国外に出す末息子への厳しい愛の鞭なのだろう。さすがに変だと思ったらしいラフィアン殿下は、目を白黒させている。
「モーブレイ女王国より、継承権第二位の王女の婿にわが国の王子を、と申し入れがあった。わが子は二人。あいにく私の兄弟は婚姻している者ばかり。独り身の辺境伯は重要な立場なので外に出すわけにはいかぬ。よってラフィアンよ。そなたにモーブレイの王家に婿入ってもらうこととした。異存ないな」
ラフィアン殿下はもうまっさおな顔色で、口をぱくぱくさせている。ご本人には晴天の霹靂。侍女見習いとの恋にうつつをぬかしているどころではない。モーブレイ国は峻嶮な山脈をいくつも越えた遠方にある。交流はなくはない、が、同盟国というほど親しくもない。外交的にはここで婚姻によってつながり、恩を売っておくのは上策と言える。女王国の習いで王位継承権は王女にある。第一王女はすでに夫があり、今回は未婚の第二王女との縁組だ。第二王女はラフィアン殿下より三、四歳年上の方だと聞いている。かなり大柄で武威に恵まれている女傑だそうな。
「今は婚約を取り交わし、婚姻は春になって雪解けを待ってからとするそうだ。それまでモーブレイ国の言葉や習慣を学ぶように」
「婿入りの支度はこの母がみごとにしてあげましょうから、おまかせなさい」
王妃様もにこやかに言い放つ。
「オリヴィエには申し訳ないこととなったが、これも国事ゆえ許せよ。そなたには王子妃と同じほど重要な、辺境伯領の領主夫人を務めてもらいたい。わが弟ヨシュアは年も離れており再婚だが、そなたを心から大切にするはずだ。どうか頼まれてほしい」
陛下はもったいなくも私に頭をお下げになった。私はあわててお上げ頂くようお願いした。父上の方を見ると「これ以上仕方がない」というお顔をしておいでだった。
「西方へ行っても、都にはちょくちょく出て来てください。私もオリヴィエの顔が見えないのは寂しいし、大公も掌中の珠を奪われたお心持でしょうから」
「どうぞよしなにお願い申し上げます」
父上が王妃様に頭をさげている。たぶんお二人の間では私を都に呼ぶ手はずがついているらしい。でも西方辺境伯領は遠い。私も嫁ぐからには辺境の土に根付く覚悟で行くつもり。
さて、ラフィアン殿下はうつむいて一言も口に出せない様子。男爵家の娘をどうするつもりだろう。さすがに陛下や大臣方の前で「侍女見習いに懸想したので妃にしたい」とは言えないとみえる。今回の婚姻はすでに外交政策に組み込まれてしまった。殿下がもっと政務に目配りしていれば、兆候は気づけたと思う。ただの大公の娘の私でさえ、父上の様子、王妃様の様子や、王宮のあちこちで耳にする言葉のはしはしをつなぎ合わせて、おおよその見当をつけていたのだから。
陛下と側近方、第一王子殿下が出ていかれたあと、残った父上は王妃様に丁寧にご挨拶して、私を伴って退出しようとした。その時、ラフィアン殿下の後ろに立っていた男爵家の娘が声をあげた。
「ラフィアン殿下は私と結婚の約束をしてくださいました」
王妃様が振り返って男爵の娘を穴があくほど見つめた。
「それで?」
「それで、って。ですから、ラフィアン殿下は外国へ婿入りはなさいません」
「まあ、この子は何を言っているの。そうね、誰だったかしら」
「ミモザ・フライス。男爵家の娘で、先ごろ行儀見習いに上がった者にございます。これ、王妃様に無礼は許さぬぞ」
女官が男爵家の娘をにらみつけた。ラフィアン殿下は椅子にすわってうつむいたままだ。娘はしきりとその腕をひっぱっている。むりむり、その王子様は気が弱くて、父上の前でも母上の前でもだんまり坊やになってしまう人なのよ。
「殿下、おっしゃってくださいましたよね。ミモザをお妃にしてくださると」
「あら、ラフィアンはモーブレイに婿入りするのですから。婿に妾など論外。不貞は許されないわね。お前を侍女に付けるわけにもいかないし、男爵家が娘を外国に侍女奉公に出すとも思えないけれど」
「でも、でも、私たち。オリヴィエ様にも認めてもらいましたし」
王妃様がおもしろそうに私をご覧になったので、私もちょっと困り顔でほほえんでみせた。
「オリヴィエが王家の婚姻に何か口を出す権限があるとでも?」
「めっそうもございません」
父上も承知の上でうやうやしく頭を下げて見せる。婚約が解消された時点で私には何も口出しするいわれがない。さすがに殿下もこの状況では、ミモザを妃にとはお願いできないらしい。これからモーブレイへ行くまでの間、ずっと教師がつきっきりとなり、監視の目が離れることはないだろう。万が一にも、男爵家の娘とかけおちなどさせないように。そして、今でこそ王妃様に抗弁しているが、男爵家の娘も、かけおちのはて王子の地位を失って一平民、どころか国事犯となって追われる男についていく気もないだろう。
結局、王家の婚姻というものは、大なり小なり政策に組み込まれるものなのだ。それが国事に携わる王家の責務といえよう。それをわきまえず、「愛だの恋だの」うつつをぬかす王子など、いてはならないのだ。準王族といわれる大公家も同じこと。その政策の中でも、なるべく当人によかれと選んでくださる陛下や王妃様、父上母上を信じてお任せするだけ。そして自分に与えられた場所で精いっぱい努力するだけだ。それが王家の婚姻というもの。
雪解けと同時にモーブレイ国から第二王女殿下おん自らがお迎えにおいでになり、ラフィアン殿下と対面して、たいそうお心にかなったご様子。そのままモーブレイへ旅立っていかれた。婚姻式は女王国でなさるそうだ。
私の方も、ヨシュア様が都へ出ていらして、婚姻式は両陛下ご列席のもと、大聖堂で執り行っていただいた。ありがたいことと深く感謝した。ヨシュア様は、王妃様のお話通り、懐の深い意志の強い方で、私には大変お優しい方だった。西方辺境伯領には四季おりおり花一面になる野原があるそうな。今からそれを楽しみにしている。
ミモザ男爵令嬢はあの騒動のあとすぐ王宮を下がって、男爵家から嫁に出たらしい。相手のうちまでは興味がないので忘れた。
日間異世界〔恋愛〕ランキングに初めて自分の名前が乗って、びっくりした。17位。読んでくださったみなさま、ありがとうございます。