007 ヒールは女の子専用で舌で舐めると発動です
起き上がるなり、アンズは天高く指を掲げ叫ぶ。
「くふふふ! 余は最高神エンリルの使いであり、最大最強の悪の化身! アンズーである! ルガルエに記された盟約により、召喚に応じた! さあ我が主よ、何を望む! 我が力は天地を引き裂き――」
ぱーん。
レンリがアンズの頬を叩いた。
壊れていると思ったらしい。
「まさかこの子がアンズちゃんとは。コハル君、貴方からも何か言って」
「目にハイライトあるからセーフ」
ぱーん。
「痛ぇな! 叩くなよ! 腕取れるだろ! 目のハイライトなくなってたらヤバいけど、今のところ大丈夫だからそういうキャラだよ、キャラ」
召喚魔法の発動によりダメージ全回復……などという都合の良い展開はない。
さっきから痛みを感じていないのはかなりヤバい兆しなのだが、コハルはそれに気づいていない。
ただ、アンズのゆるーい空気にペースを持って行かれ、痛みを忘れているのだ。
その場の空気そのものが変わり、全員があっけにとられていた。
ゴロツキ諸共。
「フハハぁ! 闇の深淵にてもがくがいい!」
イタイ感じのキャラに闇落ちしてしまったアンズ。
ちょっと手遅れの気配。
「アンズちゃんっていくつだっけ?」
どうしたものかと、すがるようにコハルの顔を見つめるレンリ。
「中三の14歳」
「そう……」
「転生前まではとても……こんな感じじゃなかったんだが……」
「私は結構中二病キャラ、好きよ」
確かに目の前にいる少女はアンズだ。
だが、どこか様子が違う。
違いを指摘するなら……まずビジュアルと、空気……?
陶器のように白い肌に、白い髪、そして生気が感じられない瞳。
短パンTシャツで転生してきたコハルと違い、アンズはきちんとこの世界の身なりになっていて、白いローブをまとっていた。
全身白くて、生気がまるでない。
それが妙に人形っぽくて、本当に……アンデッドになってしまったのかと、コハルは心配になる。
「アンズが人間界を征服する姿をお見せしなければぁ!」
べちん。
「――へぶちっ!?」
「転んだな」
「転んだわねアンズちゃん……可愛い……」
さすがにゴロツキ達も、大人のオッサンは切れても少女は切れないらしい。
お互いに目配せしながら、
「おいおい、どーする?」
「ウチは託児所じゃねーぞ?」
というお決まりの会話を交している。
相手は完全に油断していた。
かくなる上は……。
「逃げるぞぉおおおおおっ!!」
ずっこけたアンズの手を掴み、全速力で逃走した。
「ちょっと待ってよ! コハルーーーー!」
ワンテンポ遅れて、レンリも着いてくる。
一方のゴロツキ達はというと。
「はぁ? あれが……屍魔獣?」
「ブラフかぁ?」
「異空間から出てきた、魔法には違いねぇ」
「泳がせろ。退路を断ちながら袋小路に追い込め」
と、余裕たっぷりだった。
「はあ、はあ、はあ」
コハルの荒い呼吸が響いている。
(無理無理無理無理、絶対無理。ちょっと掠っただけで腕ざっくりだぞ。アンズが戦えるわけがねぇ!)
「ねえ! コハル君止まって! 大丈夫! 相手は追ってきてないから!」
コハル達を停止させると、レンリは傷口を布で圧迫する。
その様子を、アンズが目を輝かせながら見つめていた。
「あー、その声、レンリちゃんですねー! 嬉しい! この世界でも会えたなんて! はわぁ♪」
ボイスチャットで交した声を、アンズは覚えていたらしい。
再開の喜びもつかの間、レンリはすぐに行動を起こす。
圧迫した布を二つに裂くと、片一方をアンズに渡した。
出血を押さえたために、布からはぼとぼとと血が滴っている。
「ぺろぺろぺろ。あはぁ、ご主人様の血、イチゴの味がします♪」
どうして舐めるんだ……アンズよ……。
「アンズちゃん、この布を持ってこの区画一周してきて。血が垂れなくなったら戻ってくる! わかった? 私達は裏路地に隠れてるから」
「はわぁ♪ わかりましたですぅ!」
元気よくうなずくと、ぶんぶん布を振り回しながらアンズが走った。
「さあ、この隙に傷を再生させるわ。コハル君」
レンリがコハルの背中を押し、裏路地に押し込む。
「再生って、いったい……」
彼女の行動を理解できたのは、不思議な能力を見てからだった。
「あんまりこっち、見ないでね」
傷口に、ぬるりとした感触。
生暖かくて、心地よい。
ぺろ……ぺろぺろ――……。
水音が聞こえた。
「レン……」
「――見ないで!!」
ぴちゃぴちゃ、ぺろぺろ。
見るまでもなかった。
レンリは今、オレの傷口を舐めている。
不思議な感覚が広がった。
彼女の舌先が傷を這うたびに、心地よいようなくすぐったいような、そんなむずがゆい感覚が肌にしみてゆく。
だらりと垂れた右腕に、徐々に感覚が戻っていく。
微かな痛覚と、かゆみ。
そしてレンリに腕を舐められているというこそばゆさが、コハルの心をそわそわとくすぐった。
「あの……えっと……」
「何も言わないで。私も……すごく……恥ずかしいんだから」
銀色の髪に覆われて、うつむく彼女はどんな顔をしているかわからない。
でも、舌先が這う度に髪の隙間から覗く頬は、真っ赤に染まっていた。
ぺろぺろ、ちろちろ。
傷の回復が行われてる気がした。
もしかして……これがヒール?
舌先を傷で舐めるのが……ヒールとか……えーっと。
「なんていうか、手のひらから魔法が出て、それで回復するのかと思ってた」
「そっ、そういうのもあるけど、魔法を最大限伝えるには粘膜接触が一番良いのっ! 話しかけられると集中落ちるから、邪魔しないで!」
魔法というのは呪文の詠唱を伴う。
言葉自体が力を持つものだから、唇や舌などを接触させるのが一番効果的なのだ。
……という理屈。
理屈の上ではそうなんだけど、実際やられると……その。
この回復方法、すごく恥ずかしい。
年端もいかない少女……。
半端ない美人の銀髪エルフに腕を舐められるのは、とてつもなくイケナイことをされている感覚に陥る。
「ぷはぁ」
レンリの唇が離れた。
血と唾液で湿った唇、こぼれる吐息。
ヒールの呪文をかけられただけのはずなのに、すごくえっちだと思った。
「はぁはぁ、はぁ」
レンリの方はかなり魔力を消耗したのか、コハルに身体を預けたまま熱っぽい吐息を胸にかけている。
(次はもうちょっと斬られてみよう)
コハルの中に、危ない欲望が目覚めた。
「こ……これで、もう大丈夫。皮膚が紫色になってたから、かなり危ないところだったわ……って、なんて顔してんのよ……」
コハルの顔は、完全にとろけていた。
この男さっきまで死にかけていたのに、アホである。
「そういえば、どうしてアンズを走らせたんだ? オレの血がついた布持たせて」
「ああ、その件ね」
コハルの傷口の手当てのためには、ヒールで回復させる必要がある。
だが、普通に路地裏に隠れたのでは、したたった血だまりを見つけられ、ゴロツキが追ってくる可能性があった。
そのカムフラージュをするために、アンズに血の滴る布を持たせ、別方向に走らせたというわけだ。
「ね♪ あなたにヒールをかける時間は、稼げたでしょ♪」
得意げな表情のレンリ。
だが、コハルの胸に一抹の不安がよぎる。
「でもそれだと……ゴロツキのターゲットってアンズに移――」
言いかけた刹那。
「ぎゃあああああああ!!」
通りの向こうから、悲鳴が聞こえた。
性別がわからないほどの、切羽詰まった悲鳴だ。
コハルの懸念を察したのか、レンリもしまったという表情になる。
「アンズがゴロツキに襲われてるんだ!」
「まずいわね、急ぎましょう!」
裏通りから表に抜けると、慌てたように人々が走っていた。
先ほどまでと空気が違う。
なんだか、逃げ惑うような、危険から遠ざかろうとするような、そんなピリリとした緊張感が漂っていた。
コハルは、逃げる老人の肩を掴み、言った。
「何が起こってるんだ?」
「そ、それが……女の子が……いや、女の子だと思ったんじゃが……」
眼が泳ぎ、ろれつも回ってない。
「それじゃわからない! どこで!? 何が起こってる!?」
「待って、コハル。私が聞くから」
レンリは、コハルを老人から遠ざける。
狼狽した様子の老人に、優しく声をかける。
「失礼をお許しください。今私達は、女の子を探してるんです。彼女は悪い人達に追われていて。襲われたのは、女の子なんですよね?」
レンリの問いに対して、老人がブンブンと首を横に振った。
「違ぇ、違ぇよ。貴族令嬢様ぁ」
「いったい、何が違うのです?」
「女の子が、ゴロツキどもを襲ってるんでさぁ!」
「「…………」」
コハルとレンリは、お互い見つめ合っていた。