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003 この異世界は来年滅びます


「だから知らねーって! 本当に知らないんだって! 頭振るなコラ! 脳みそシェイクされるだろ!」


「貴方おっちょこちょいのすっとこどっこいだから忘れてるのよ! スムージーになろうがピンクスライムになろうが、思い出すまで脳みそシェイクしてやるわ!」


 ぶんぶん。

 ぶんぶんぶん。

 レンリに胸ぐら掴まれて、振り回されるコハル。


「やめてやーめーてー。ふぐっ、ぶえ……」


 ぶくぶくと泡を吹き始めたところで、ようやくレンリの腕が止まった。


「魔法はね、人間には使えないのよ。絶対にね」


「じゃあ……どうしてオマエは使えたんだ? エルフだからか?」


「ええ。魔法はね、エルフ族と魔物の一部が使う程度。そのくらいこの世界では、魔法は珍しい存在なのよ」


 とりあえず移動しながら話をしましょう、とレンリは馬車に乗り込む。

 コハルが馬車に近づいた瞬間。


 バクッ!


 コカトリスがコハルの首根っこを咥えた。

 身体を軽々と持ち上げると、そのまま歩き出す。


「くす♪ コハル君気に入られたみたいね」


「いや後ろに馬車ついてるのにオレ咥えられて移動って、オカシイだろ。馬車ってそういう乗り物じゃないだろ」


「エサだと思ってるんじゃない? きっとお腹が空いたときに食べるつもりなのよ」


「つかぬ事をお聞きしますが……」


「何?」


「コカトリスさん、もしかし――」


「――肉食よ。ちなみに私の命令一つで丸呑みにさせられるわ」


「何でもお話致します。まったくわかんねーけど」


「ダラクって言うのよ、この生き物。みんなコカトリスって呼んでるけどね」


 レンリの言葉に応えるように、ダラク……コカトリスは歩みを止め、ぼとぼとと道ばたに糞をこぼした。

 すげー、コイツまじで働かねー。

 ラクダとニワトリの悪いところを掛け合わせたような生き物だった。


「異世界っぽい生き物でしょ? この世界の生き物はみんな高性能なの。だいたいみんな頭がニワトリだから、命令は三歩で忘れるけどね」


「聞いている限り高性能要素ないが、大丈夫かこんな家畜で。大丈夫かこの世界」


「貴方もこの世界に順応するしかないわ。私も順応する定めだから、コハル君が口を割らなきゃブチコロがして解剖するしかない。一緒に頑張りましょう! だから解剖させて!」


「いーや! 頑張らねーよ! オマエさりげなくオレを解剖しようとしてんじゃねーよ!」


「ゴロツキ共が言っていた、人間は魔法が使えない。あれは本当よ。それに私はまだ魔術をはじめて一週間。だから急激に魔法パワー上がったということは、誰かが魔法を重ねがけしないといけないってわけ」


「オレが使ったっていうのか? 魔法……」


「何か、思い当たる節はない?」


 思い当たる節か……。

 コハルは、左手の眼を差し出す。

 人間の左手の甲に、コップくらいの大きさの巨大な瞳。

 グロい。

 実際それを見たレンリが、身体をびくりと震わせる。


「うわー……。何その眼? 模様……じゃないわよね。きっも」


「やめろ、キモイは泣くからやめろ。もっとフォローしろよ。強烈な光のパワーを感じますとか、すっごい勇者パワーですね! 今すぐお嫁にしてください! とか」


「視線がキモい。あと後半さりげなく私のキャラ汚さないで」


「ははは、この眼の悪口はやめてくれよ。自分でもキモイと思ってるんだから」


「コハル君のよ」


「すんすん。すんすんすん」


「ごめんなさい、言い過ぎたわ。でも、できるだけこっち、見ないでね」


 ぺたぺた。ぺたぺたぺた。

 レンリがオレの腕をひっぱり、左手の眼を調べる。


「この眼が光って、空を飛んだり魔法を増強したりした……のよね?」


「おおむねそれでよろしいんですが、イデ、イデデデ。ぐいぐい引っ張んないで、関節逆イク! 逆イグ~~~~!」


「聞くまでもないけど、コハル君……貴方、魔術スクロ――」


「知らん」


「そうよね、持ってるわけないわよね。だとすると、余計に謎ね。魔術スクロールがないと、普通は魔法を使えないのよ」


「ああ、やっぱオレって天才!?」


「コカトリス、食べていいわ」


「間違えました! 勘違いです! 食べないでください! 美味しくないです!」


「私の魔術スクロールはね、この頭についてる懐中時計よ」


 レンリの頭には、懐中時計の髪飾りがついていた。

 ゴスパンク的な雰囲気出すための飾りかと思っていたが、意外と実用上のものらしい。


「魔法を行使するときはね、魔術スクロールと触媒が必要なの。魔術スクロールに使用魔法の呪文が書いてあって、それを触媒を用いながら詠唱する。もちろん使用回数には制限があって、魔弾や魔刻を消費するわ。私の場合は懐中時計がそれで、使用する度に時計の針が進む。12時になったら打ち止め。一度しっかり休憩して、魔力が回復するのを待つしかないわ」


「自分で言ってて恥ずかしくないか? そんな中二の頃のノートにいっぱい書いてありそうなこと」


「コカト――」


「すいません、調子乗りました。食べないでください」


 ぐにぐにとひとしきりコハルの眼を観察した後、ぽいとレンリは手を離す。


「私じゃよくわからないわ。王都に戻ったら、聞いてみましょう」


 荒涼とした大地が、視界の端をゆっくりと流れていく。

 谷を抜け、岩山を抜け、コカトリスに咥えられながら進んでいく。

 5kmくらい進んだところだろうか、視界が開けてオアシスと、それを囲む街が見えた。

 砂っぽい砂漠と違い、そこは緑あふれる豊かな街だった。


「近くに見えるけど、実際はもうしばらく歩くわ。王都に着いたら忙しくなるから、それまでにこの世界がどういうものか、話してあげる」


 レンリがすっと岩山の頂を指さす。


「あそこに巨大な骨が見えるわよね?」


 茶色く尖った岩山の上に、数十メートルはあろうかという巨大な頭蓋骨があった。

 かなり風化していて、風景と一体化している。


「アイツが千年前にこの地で暴れ回った、モンスターのなれの果てよ。この世界はね、千年に一度邪神が復活しては、滅亡の瀬戸際まで追い詰められているの。そして今年が999年目、来年には邪神が復活するわ」


「埼京線の遅れとかで、再来年にならないのか? オリンピック工事の影響で、5年後になるとか?」


「……なるわけないでしょ」


「まあ、おおよそ事情は飲み込めた。そういう設定のゲームなんだな? でもあのくらいのモンスターなら、百人も戦士集めりゃ勝てるだろ」


 ちょっと異世界を楽しんでいて、あわよくば夢想できるかもと舐めプのコハルと違い、レンリの表情は沈んでいた。


「残念ながら、この世界はゲームじゃないわ。人間はモンスターに勝てないの。それにあのモンスター、邪神でもボスでも中ボスでもなく、ただのザコよ。そもそもコカトリスに咥えられてる貴方程度じゃ、100人集めてもゴミよ」


 嘘だろ……あの大きさで……ザコ……?

 恐竜の化石と同じくらい、いや、もう二回りくらいデカいぞ……。

 そして後半オレすっげーディスられてたよな……。


「街の中に入ってみれば、自分のゲーム知識が役に立たないことをコハル君も理解するでしょう。そして、この世界がゲームとはちょっと……いえ、かなり違うということも」


 どうしてレンリは、沈んでいるのだろう?

 確かにゴロツキに襲われ、目の前で従者が斬られ、ショックなのはわかる。

 だが……。

 コハルには、それよりももっと大きな絶望が、彼女を包んでいるように見えて仕方なかった。


「私の魔法レベルはたいしたことないわ。もっと魔術ロールが集められればいいんだけど」


「レンリは、他にスキルがあるのか? つむじ風の魔法以外で」


「箱よ」


「……箱?」


「足下に大きなトランクがあるでしょ、私はそれを受け取って転生してきたの」


 レンリの足下に、大きな黒いトランクが置かれていた。

 原宿竹下通りあたりで、ゴスパンク少女が持ち歩いてそうなものだ。

 彼女の貴族令嬢の服装と合わさって、すさまじい中二臭がした。


「伝説の武器や防具が入ってるのか? それ」


「さあ?」


「さあって何だよ、無責任な」


「開かないのよ、その箱。鍵がかかってて」


 うーん、とコハルは首をひねる。

 普通だったら幼なじみが鍵持ってて、想いが通じ合うと開く展開だよな。


「斧やハンマー、色々試したけど、傷一つつかなかったわ。持ったところで重さを感じないから、本当に中身が入ってるのかも謎だけど」


「なんだ、能力がわからないのか。ふふん、オレと一緒だな」


「貴方みたいなキモい眼と一緒にしないで」


「いやしかし、転生するなら何か説明欲しかったよな。いきなりぽーいじゃなくて」


「……え? 貴方……説明受けてないの?」


 意外という顔つきで、レンリがコハルをまじまじと見つめる。


「私一応、この世界に入る前に女神様にあったわ。本当に簡単な説明だったけど、それでもちゃんと覚えてる。転生の原因はあのネットゲームで、適性のある人間を選別してこっちの世界に引き込んだって」


「レンリ、オマエは何に轢かれたんだ?」


「轢かれた? どういうこと?」


「いやだから、あるだろ、トラックに轢かれたとか、バスが事故ったとか」


「はい? 私ゲームやってたら、そのまま画面光出して連れてこられたんだけど」


「…………まじっすか。オレ、喫茶店にトラック突っ込んできて」


「それは悲惨ね。でも……死ななきゃこっち来れないなんて聞かなかったけど」


「じゃあオレが武器とか持ってない原因って」


「イレギュラーな転生だったんじゃない?」


「マージーかーよー。どうしよう、確かアンズも轢かれてたっていうのに。アイツは無事だったのかな」


「え? アンズちゃんも一緒に轢かれたの?」


 こくりと頷くと、レンリの顔が蒼白になる。

 ガサゴソと胸元から宝玉を取り出し、空にかざした。


 ふわわわわーん。


 発光と同時に光の線が街に伸びた。


「アンズちゃんは、街にいるわ」


 そういうと同時に、コカトリスに鞭を振るう。

 ばちん!


「痛っ、痛っ、痛っ。痛いんですけど。ちょっとオレずっと咥えられたままだから、走られるとすげー揺れて痛ぇーんですけど」


「愉快な様ね。胸がすっとするわ」


「ドSっすね、この貴族令嬢エルフ」


「実はね、今日の朝に宝玉に啓示があったの。空から重要な物が落ちてくるって。だから馬車を走らせて探してたんだけど、まさか貴方だったなんて。おかげでゴロツキにも襲われるし、アンズちゃんもこっちに来てるっていうし、すごい1日ね」


「な、なんだと…………オレがいるの…………知ってたのか?」


「何故だか私の箱が側にあると魔力が上がるの。あなたの左眼と近い関係なのかもね」


「やっぱり、その箱には魔力があったのか。どうりでレンリを見てるとドキドキするし、35歳無職童貞だったオレに優しく話しかけてくれて、もしかして人生すべてを捧げても良いかも!? 異世界転生ひゃっほーだと思ったのも……。全部魔法のせいだったのか」


「あ……その、うん。もう、それでいいわ」


「ああ、うつむく姿もやたら可愛いな! 遠目から見てもわかる育ちの良さ、美しく手入れされた銀髪に整った面立ち。思わず目で追ってしまうぞ! 胸のときめきも止まらん、それもこれも魔法のせいか!」


「…………」


 レンリが黙ってしまった。


「ああなんだよ銀髪エルフって、そんなの一瞬見ただけで恋するに決まってるじゃねーか! 虜だぞ虜! ちょっと憂いを帯びた儚んだ表情が最高だな! 毒づくけど密かにこっち心配してくれるツンデレっぷりなんて天使ですら言葉の容量足りねーよ! ああどうすんだよこれ! やっぱ全部魔法のせいじゃないと説明つかな――」


 バキン!


 コハルは思いっきり箱で殴られた。


「魅力があるのは私の実力! 貴方が恋をするのはそれは私が魅力的だから! おわかり? でも答えはNOよ、思い上がりも甚だしいわ。私を振り向かせたかったら、国家の一つでも差し出せるくらいになることね!」


 国家一つが私一人、それが釣り合いよ! と叫んで、レンリはプイっとそっぽを向く。

 膨らみ靡く艶やかな銀髪。

 彼女はその言葉が的外れでないほど、美しい。


「………」


 だがコハル、気絶。


「あーまあ、その、コハル君ってモテそうにないわよね」


「…………」


「きっと貴方程度を相手してくれる女性なんて、私くらいのものよ」


「…………」


「ネットゲームを始めたのは私がちょうど10歳の頃で……それからずっとのつきあいだから……」


「…………」


「貴方は私の幼なじみってことに……なるわね」


「………」


「あの、その、助けてくれて…………ありがとう」


 コハルは気絶していた。

 すごい重要なことを言っている最中だが、気絶してるので聞こえない。


「ふっ、ふん、私がお礼を言うなんて、天地がひっくり返ったってないことなのよ!」


「…………」


 コハルはガッツリ気絶している。

 この男、フラグクラッシャーである。


「ちょっとぉ」


 ガスガスガス。


「……う、うーん……。あの頃のボクって不器用すぎ……むにゃむにゃ」


 ガスガスガスガスガスガス。


「眠れない夜を過ごしながら桜が咲いて、オレは君の横顔ばかり眺めてる――って、痛ってえええ!?」


「何J-POPの歌詞にありがちな寝言言ってるのよ……」


「っは!? オレはいったい!?」


「コハル君、気絶してたわ。ざっこーい」


「ゴロツキ共を華麗になぎ倒したところまでは覚えてるんだが。すまない。力がありすぎて自分でもコントロールできな――」


「百歩譲って話合わせてあげても、あの時は幼稚園児のかけっこの方がよっぽど迫力あったわ」


 ちょっとキレかけた感じで、レンリが言った。


「敗北を知り、みんな大人になっていくんだな」


「貴方元の世界で30過ぎてたでしょ。私、知ってるのよ」


「あらやっだーこの娘、ストーカーよ。ちょっと聞いてます? コカトリスさん」


「プロフィール欄開けば、実年齢出てくるのよあのゲーム! 不正利用防止のためにね!」


「……ひっどいわね! 実年齢晒すなんて……晒す……ん?」


 コハルはぱたぱたと、自分のほっぺたに手のひらを這わせた。


「どうしたの?」


「ちょっと待てレンリ。元の世界で30過ぎって、どういうことだ?」


「どういうことだも何も……貴方今、少年よ。たぶん、私と同じくらいの年齢」


 ……!?


「ええええええええええええええっっっっっ!!!???」


「この世界ではガラスが発明されてないから、驚くのも無理ないわね。私も水鏡を使ってはじめて自分の姿を見れたもの」


 どーりで足の動きが軽やかだと思った。

 きっと下の方も毎朝すっごい角度で上昇するに違いない。

 尿酸値もコレステロール値もきっと正常だ。

 ああ、若いってすばらしい。


「やり直せる。人生、やり直せる」


「最近そこら辺全部すっ飛ばして転生する人増えてるから…………。貴方みたいに素直に喜んでると、逆に新鮮に映るわね」


「待てよ? 転生した最初に、すべきことと言えば……。オマエ、貴族だったよな?」


「ええ、レーゼイン家次期当主よ」


 焼き鳥屋の方の貴族にしか行ったことがないコハルは、レンリを羨ましそうに見つめる。

 いいところに嫁ぎやがってー、の視線である。


「そうか、貴族か。ったらオレの着てる服を珍しがって、金貨で買うべきだろ! 金貨で!」


「誰が貴方のみすぼらしい服を買うのよ? そもそも私元の世界で見慣れてるし」


「売れない?」


「売れるわけないでしょ?」


「オレ、無一文なんだよ」


「でしょうね。見ればわかるわ」


「代わりにレンリ、オマエのパンツ売って金貨に変えてくれ。頼む」


「へぇ……。へぇへぇへぇ」


 レンリの氷点下の視線がコハルを貫く。

 冗談のつもりだったのに。


「今、私にお願いしようと――した? しかもすごいゲスな用件」


 汚いものでも見るかのような、氷結した表情のレンリ。

 これはヤベェ、コハルの中に本能からの警告が駆け巡った。


「立派なセクハラよね? でも、どうしてもっていうなら…………コハルに…………だけあげるなら…………」


 揺すられる。

 脅される。

 首輪に鎖をつけられて、毎朝踏まれる。

 そんな予感がする。


「すっすーみません! レンリのおパンツなんぞいりません! いるわけないじゃないですかー! あー汚らわしい汚らわしい、そんな――ぎゃふ!?」


 ゴンゴンゴン。


 レンリが箱でコハルを殴った。

 しかも角で。


「街に入るわ」


 大きな外壁に囲まれた、砂漠の街。

 門の上にはアーチがかかっていて、その上には翼の生えた女神の像があった。

 だが、その女神は……。


「ここの世界は頭がニワトリじゃないといけない決まりがあるのか?」


 女神像の頭部は、ニワトリだった。


「この世界の偶像はみんなニワトリよ。でも、コカトリスがいる世界だもの。ニワトリ頭の人間もどこかにいるかもしれないから、あながち偶像とも言えないと思うわ」


 アーチを潜った瞬間。

 まばゆく広がる光景に、コハルは思わず目を奪われた。




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