038 四枚羽根の暗黒少女
コハルは異世界転生をしてきた。
トラックに轢かれて、気がついたらこの世界にいた。
俗に言うトラック転生だ。
つまり何らかの方法で、現実世界と異世界とのゲートが開くときがあるのだ。
「うすうす気づいてると思うけど――」
馬車の荷台に背を預けながら、レンリは呟く。
「この世界の冒険者の大半は、他の世界から転生してきた人間よ」
その言葉に、コハルは眉をひそめる。
「それは、味方だけか?」
「敵もきっと、転生者よ。ね? そうでしょ、エンリ様?」
「…………」
エンリ様は何も答えない。
沈黙、それが回答だった。
馬車の幌から、外の世界を眺める。
ボトボトと、気味の悪い臓物の雨が降っていた。
臓物の破片は地面に衝突すると、ぐずぐずと崩れ落ち、灰になった。
「邪神の復活と共に、レバーの雨が降るのです……」
馬車を引くコカトリスを操りながら、アササギが言った。
遠く空の彼方に、黒雲が渦を巻いている。
時折稲光を響かせながら、渦は拡大していく。
「なあ、エンリ様。邪神も異世界転生してくるってことはないよな?」
「邪神はこの世界の神様ですよ。ですが……、実体を持っていないんです」
黒雲の渦が凝縮していく。
ひときわ大きな稲光を轟かせると、巨大な目玉に変化した。
気味の悪い音と共に、目玉から人影が降りてくる。
四枚の黒い羽が、人影の背から展開される。
暗黒の天使、あれが邪神か。
「聞いてないぞエンリ様、こんなに早く邪神が降ってくるなんて」
繰り返しになるが、コハルが転生してきた異世界はバビロニア風の八王子である。
北にあるパークダンジョン・ハチオージを攻略し、そこから少し西に進んだところにある泉で、休息を取った。
邪神は泉よりさらに西、高尾付近に降臨している。
邪神を追うように、砂漠の向こうに砂埃を立てる隊列が続いていた。
「王都からの先遣隊ですね。さすがバビロン王、行動が早いです」
エンリ様の杖にはまった宝玉から、映像が浮かぶ。
軍用のコカトリスの群れ。
装備や物腰からして、聖騎士隊だろう。
数は数百といったところか。
「アササギ、馬車を邪神の方向に向けてください」
「かしこまりました、エンリ様……」
「私達が到着するのが早いか、それとも聖騎士隊が先に邪神と戦闘を開始するか、勝負ですね」
「意外だな」
「何がですか?」
「アンタのことだから、王都の軍団が全滅するまで待つのかと思った」
「ふふ、私はこれでも犠牲を最小限に抑えるつもりですよ」
「はわぁ……なんか、馬車に酔ってきました~」
緊迫した空気を、アンズがぶち壊した。
馬車の外の警護ばっかしてるからどうしてかと思ったら、乗り物酔いするらしい。
今はレバーレイン中だから、雨宿りのため車内にいるためもろ酔いしている。
「アンズちゃん待ってて、今酔い止めを出すから」
レンリが薬箱の中から、酔い止めの薬とポーションを出す。
どちらを処方するか迷った後、薬の方を飲ませた。
「はわぁ! この白い粉があれば無敵です~!」
「その発言は誤解を生むからやめろ」
…………。
……。
馬車が街に到着したのは、それから一時間後だった。
大半は破壊されていて、がれきの山のようになっている。
人の気配はまったくしない。
血の臭いがぷんと、鼻をつく。
空からは臓物の雨が降っていて、破壊され尽くした街と合わせて、この世の終わりを思わせた。
「間に合わなかったようね」
弓を構えながら、レンリは馬車から飛び降りる。
コハルも左眼からエゾロディネガルを取り出し、装備した。
前衛はコハル、アササギ、アンズ。
後衛はレンリとエンリ様。
エンリ様の魔法で、全体にエンチャントとプロテクションがかけられた。
「私のそばにいれば、ステータスにバフがかかります。範囲は5メートル以内ですので、できるだけ離れないでください」
ギャアギャア!
コハルの頭上を、カラスが低空で飛翔する。
おびただしいほどのカラスの数。
「――――!?」
街の中央に、黒い塊の山ができていた。
死体の山だ。
たった一時間の間に街を滅ぼしてしまうなんて――。
「コハル君……見える?」
怯えたように、レンリが言った。
「アイツは――」
死体の山の頂上に、人影か揺らめく。
「生存者でしょうか……?」
「いや、違うな」
人影が立ち上がった。
街を焼く炎に照らされ、少女のシルエットを映す。
四枚の黒羽が展開されると、長い影が地面に落ちた。
『……ふふ……ふふふ――――』
人の臓物を咥えた、女の子だった。
この少女が、邪神なのだろうか。
「弓隊構え!」
野太い声が轟くと、甲冑姿の男達が少女を囲んだ。
王都からの先遣隊。
到着はコハル達よりも早く、すでに配置を済ませていた。
「狙いは中央邪神! 放て!」
銀の矢が煌めく。
すさまじい数の矢の雨が少女に注いだ。
ギャ――!!
ギャギャアア!!
カラスが撃ち落とされていく。
黒羽を散らし、気味の悪い悲鳴が建物の間に木霊した。
『ふふ、まったく。節操がないなー』
少女は四枚羽根を広げると、悠々と空を舞った。
高速で建物の間をすり抜け矢の雨を交わしていく。
「あの四枚羽だ! 撃ち落とせ!」
「一斉射撃!」
ヒュヒュヒュヒュ――!!
矢の嵐が吹いた。
すさまじい練度の弓隊だ。
矢の何発かが、少女の羽を射貫く。
濁流に沈む木の葉のように、少女は揺らいだ。
「前列後列交代! 弓構え!」
「一斉射撃!」
ヒュヒュヒュヒュ――!!
王都の兵士達は、攻撃の手を緩めない。
銀の矢をつるべ打ちしながら、少女を串刺しにしていく。
「続いて第三射! 前列後列交代! 弓構え!」
「撃て! 撃ち落とせ!」
剣山のように矢の突き立てられた少女。
地面にたたき落とされる。
「弓隊停止! 騎士隊前へ!」
「騎士隊抜刀! 前進! 前進!」
無駄のない動きで、聖騎士が少女に近づく。
数は約100。
いくら邪神といえど、ここまで串刺しにされている。
これから聖騎士と戦うとなれば、勝ち目はないだろう。
『まったく、人間は容赦がないね』
「大人しく首を差し出せ! 騎士の情けだ、一撃で終わらせてやろう!」
『……はっ。バカじゃない? 人間風情が、余に勝てると?』
のっそりと起き上がった少女が、余裕の笑みを浮かべる。
白髪のショートカットに、際どいレオタードのような服、そして四枚の黒羽。
サキュバスのような少女といえば通じるだろうか。
『一撃で終わらせる? ふはは! それはこっちのセリフ!』
「馬鹿か貴様! 兵力ではバビロン国が圧倒しているのだぞ!」
「貴様のような子供に、聖騎士100騎の相手が勤まるものか!」
「槍隊左右展開! 囲め! 戦闘開始!」
聖騎士の突進が始まった。
剣や槍を構えた騎士が、全速力で少女を攻撃する。
黒羽を展開し回避を試みるも、弓隊と槍隊に阻まれ空には逃げられない。
『……ち、ここまでか』
少女は羽を広げ、きびすを返す。
後方に広がるがれきの山に向かって、敗走を始めた。
「弓隊構え! 放て!」
何度目かの一斉射の後――。
『ぎゃあああああ!!』
悲鳴を上げながら、少女はたたき落とされた。
「邪神といえど、ただの子供か。なんとあっけない」
「トドメだ! 騎士隊突撃!」
少女の身体に聖騎士が殺到した。
槍が突き立てられて、黒い羽が宙に舞う。
聖騎士を前に、簡単に邪神は倒されてしまった。
「変ね、あっけなさすぎるわ」
その様子を見ていたレンリが、眉をひそめた。
街の中央通りに伸びた兵士の列。
聖騎士を先頭に、後方に槍隊、そして最後尾を弓隊。
中央通りの左右はレンガ造りの建物。
数百メートルに渡って伸びきった隊列。
『ふふ、かかった』
――にやりと、少女が嗤った。
バサリと黒羽が伸びると、銀の矢がふるい落とされる。
あれだけの攻撃を受けながら、全くの無傷!
四枚の羽が、刃のようにしなる!!
――ヒュン!!
鋭い風が打ち込まれた。
聖騎士隊の突撃が止まる。
バタリ、バタリ。
一撃で先頭の数十人が消えた。
突如として、聖騎士隊の中に不穏な空気が起こる。
「退却! 中央通りから一時退却!」
「建物が邪魔で突進ができない! 一度広場まで戻れ!」
「槍隊邪魔だ! どけ!」
均衡は崩れた。
いや、勝敗が決したといってもいい。
聖騎士隊は突進しすぎたのだ。
「これって……釣り野伏……」
「あら、よく知ってるじゃないコハル君。薩摩武士が好んで使ったっていう戦術よ」
レンリの言葉の直後に、爆発音が響いた。
中央通りの左右の建物が破裂し、中からレッドドラゴンやガーゴイルが現れる。
軍団はがれきによって分断された。
槍隊と弓隊の支援攻撃が、これでは届かない。
「単純故に、成功率が高い。だけど、確実に成功させるためには相当な訓練が必要。たいしたものね、あの女の子」
釣り野伏とは、わざと負けて敵を自軍の有利な場所へ引き込む戦術だ。
隊列を伸ばしたのち、左右から挟撃し殲滅する。
「ぎゃああああ!!」
鋭い悲鳴が中央通りに響いた。
槍隊は空中を飛ぶレッドドラゴンの火炎を浴び、弓隊はガーゴイルの近接攻撃を受けている。
そして、聖騎士は邪神からの空中攻撃。
このままでは、10分もせず軍団は潰滅する。
コハルとレンリは目配せし、うなずく。
「ってわけで、支援頼むぞ! エンリ様!」
「わかりました。古代魔法の魔術方陣を完成させます! 10分間、時間を稼いでください!」
駆け出すコハル達に向かって、エンリ様はそう叫んだ。
「もーいーくつねーるーと……」
「何ですか、左手さん……?」
「コミケの締め切りなんです、右手さん……」
「そうですか、関係ないですね。あと、いい加減アササギのイラストください左手さん……」
「原稿が終わるまで、不定期連載に……」
「聞こえませんよ? 左手さん……」




