032 サソリの王アバドン
「アイツが……アバドン……?」
コハルの言葉に、エンリ様が不思議そうに首をかしげた。
「何が見えるのですか……コハル君?」
コハルは言葉を無視するみたいに、少女に近づいた。
『珍しい。君には私の姿が見えるんだね』
背後ですさまじい音響が轟いた。
いつの間にか回り込んでいたグリーンドラゴンが、アンズに串刺しにされたのだ。
列柱の影や隠し扉、天井裏などから、次々と高レベルモンスターが沸いてくる。
だがそれも無駄なことだ。
『……どこに隠れてたって無駄だよ。アンズには、見えるんだから……』
コハルから生命力のシフトが行われたアンズ。
巨大な列柱ごと、モンスターを吹き飛ばす。
コハルは少女に一歩、近づく。
『ティティア様、お引きを――』
彼女と交差するように、ガーゴイルが二匹、前に進んだ。
そして――。
――ヒュンッ!
腕が振られた。
ぼとぼとと、首が落ちる。
てっきり攻撃が届く前に、アンズが反撃したのかと思った。
でも、違う。
――ヒュンッ!
後続のガーゴイルの、腕が振られる。
ガーゴイルはお互い向かい合い、自分達で首を切り落とした。
まるで、他人に殺されるのを……嫌がるみたいに。
一歩進む度に、ガーゴイルは互いの首を落とした。
コハルが進む度に少女は後退し、首が落ちる。
ボト……ボト……ボトボト。
『フフ――フフフフ――――』
妖しげに灯る、少女の瞳。
不気味な笑いが、唇の端を歪め、持ち上げる。
コハルの心理ダメージは甚大だった。
進めば進むだけ、敵が自殺していく。
すさまじい罪悪感と嫌悪感が、コハルを包んだ。
「待てよ――!」
コハルは叫んでいた。
「オマエは……アバドンじゃないのか?」
『…………』
一瞬だが、少女の影が濃くなった気がした。
コハルの背後で、エンリ様が叫ぶ。
「悪魔に話しかけてはダメ! 焼き払います! ファイヤーボール!」
巨大な火球が放たれ、少女を包んだ。
だが……。
炎はそのまま少女を素通りして、背後の壁に激突した。
「まさか……ゴースト……?」
少女の周囲を星が囲んだ。
濃い闇の中で、美しい色が目に映じる。
回転が加速される。
星は空間の一点に集中すると、弾けるように打ち出された。
「コハル君避けて! マナ・バリア!」
打ち出された星屑が、瞬時にバリアを引き裂いた。
エンリ様の身体を貫通し、列柱に叩きつける。
「ぐ……は……っ。何……この娘……」
少女は悲しそうに、口を開く。
『星が見たいの――。ここには、ないから――』
コハルは、少女の異常さに気づく。
彼女の首には、首輪が巻かれていた。
『ここは――星が見えない――』
少女は天井を見上げた。
地下10層の、ダンジョン最深部。
どれだけ夜空を見上げようとも、分厚い土の天井が視界を邪魔している。
「オマエは……違うな。このダンジョンの主じゃない」
『私はダンジョンの主だよ。だって、ダンジョンコアだから――』
「ダンジョンコア?」
コハルと少女の会話を遮るみたいに、声が聞こえた。
『ティティアから離れて貰おう、侵入者よ』
地獄の底からわき上がるような声。
空間を歪めてしまうような、震えるほど恐ろしい声だ。
メキ――メキメキメキ――。
地面が砕け、白い甲冑を身につけた王が現れる。
鎧には不気味な文様が彫られ、呪術めいたオーラを感じる。
背中にはサソリの尾と、巨大なハサミ。
コイツが……アバドンか。
『よくぞここま――』
『――お兄さんから離れろ! 死ね!――』
間髪入れずに、アバドンに向かってアンズの尾が伸びた。
空気の読めないヤツ……。
ズン! ズズン!
暗黒の尾を、巨大なハサミで防ぐアバドン。
さすがボスなだけある。頑丈だ。
『は……ははは……。まさか魔獣アンズーがそちらについたとはな。死に損ないのハイエルフ、今回は運が良いな』
アバドンは列柱の前で崩れるエンリ様に、そう吐き捨てた。
星の直撃を受けたせいか、エンリ様はぴくりとも動かない。
コハルは振り向き、アンズに向かって合図する。
アンズはコハルの意図を察したのか、即座に行動する。
ズズン! ズズン!
デタラメに暗黒の尾を伸ばし、列柱を、壁を突き崩す。
支えを失った天井が剥がれると、アバドン目がけて落下した。
『卑怯な――。それが人間のやることか!』
――ザン!
巨大なハサミで岩塊を受け止めるアバドン。
外郭が膨らむと、尋常ではない軋みを上げて岩塊は弾けた。
ドオオオン!
もうもうと、土煙が舞い上がり、視界を塞ぐ。
「アンズ! 今だ!」
『――わかった!――』
アンズの暗黒の尾に飛び乗る。
急激な加速が、コハルの身体を包んだ。
視界がめまぐるしく動いていく。
『小癪な――!? 正々堂々戦わないか――!?』
アバドンはハサミを振り回し、コハルを捉えようとする。
ギュン! と、ハサミに捉えられる前にアンズは尾を振った。
光がたなびいていく。
耳を切り裂く音が遅れて聞こえた。
音速を超える速度での、戦闘。
ガギン! ガギン!
アンズの残りの尾が、アバドンの鎧を撃つ。
だが、まったくダメージを与えられていない。
闇のダメージは、アイツには通らないのだ。
「おいエンリ様! 聞こえてるか! 魔法で聖属性与えろ! 働け駄女神!」
「聞……こえて……ますよ。まったく――」
よろよろと、エンリ様が起き上がる。
杖を構えると詠唱を始めた。
『卑怯な――! なんて卑怯な連中だ――!』
アバドンが生き残りのガーゴイルを放った。
エンリ様に殺到し、爪を立てる。
「ホーリーウェポン!」
ガーゴイルの到達より、詠唱の方が早かった。
コハルのエゾロディネガルが白く輝く。
アンズの尾を思い切り踏みしめ、跳躍する。
「闇の王が卑怯とか――言ってるんじゃねぇよッ!!」
白刃が振られた。
鋭い切っ先が、アバドンを切り裂く。
ズン!!
巨大な体躯が、倒れた。
『小癪な……憎らしい……。人間め……』
兜の隙間から、コハルを睨む眼球が見えた。
ズズン!
背後で尾が振られた。
エンリ様に殺到したガーゴイルの群れを、アンズが叩き潰したのだ。
『我も……かつて人間であった。邪神を倒すための、転生してきた人間だ……』
「……それがどうして、敵の幹部に?」
『変えられると……思ったのだ。邪神様の元でなら……このどうしようもない人生を……。自分には何もないというのが、怖かったのだ……』
「それで邪神に寝返ったのか。勇者としてこの世界に転生してきたのに」
『ふふ、結果が……このザマよ。我の人生はもう終わったのだ。もはや……やり直すことも……できない』
アバドンの目から、涙がこぼれる。
『不本意で……あるが仕方あるまい。我々の……負けだ』
弱々しく、甲冑を振るわせた。
『オマエは、勝者だ』
アバドンの言葉に、コハルは弱々しく首を振る。
命を吸われたエルフ、反逆の果てに果てた村長、自爆するドワーフ……。
トラウマのような暗黒の記憶が、コハルを苦しめる。
『勝利の美酒に酔うがいい! 貴様はアバドンを倒した英雄として、崇められ、うぬぼれ、自分が正義を行使したと……虚栄心に膨れるのだ!』
「……違う。オレは――」
『だが我は、貴様には倒されない。自らの手で命を絶ち、思想のために果てるのだ。自分の運命は、最後まで自分で決める』
「おい、死ぬ前にレンリとアササギの行方を教えろ。村長のオルガスが攫ったエルフと獣人だ」
『ダンジョンコアのエネルギー源として、ティティアに捧げた。今頃は……ク……フフフ……』
「ふざけんな……テメェ――」
起き上がるアバドン。
自分の胸に、腕を突き立てる。
『ここが貴様らの墓場だ――!! 一緒に死ね!』
自分の心臓を取り出し、詠唱した。
まばゆい輝きが、世界を覆う。
『……お兄さん、自殺させちゃダメ――』
コハルは、尾を伸ばすアンズを制した。
冷静に、心臓と腕を斬る。
これで自爆は不可能になった。
『これで勝ったつもりか――ッッッ!!』
――ぶちりッ!
アバドンは、自ら舌を噛んだ。
返り血が吹き上がり、気味の悪い風切り音を響かせる。
どす黒い血液がコハルの胸に当り、ローブを染めた。
『はは、はっはは! ははははは!』
舌を噛みきってもなお、アバドンは死ねなかった。
不気味で悲しい笑いを続けながら、残った腕でコハルの肩を掴む。
『頼む……殺してくれ……。最後に、我を――王のまま――死なせてくれ……』
すがりつくように、アバドンの手のひらがコハルの頬にかかる。
その声は、むせび泣きのようだった。
『気高いまま――。騎士に戦い、破れたのだと――。頼む――』
腕が、コハルの手首を掴む。
エゾロディネガルを動かし、切っ先を胸に移動させる。
『頼む――』
コハルは、エゾロディネガルをアバドンに突き立てた。
甲冑が避け、胸骨を砕き、心臓に突き刺さる感触が腕に伝わる。
『ああ、すまない。騎士よ――。感……謝……す――る――』
アバドンは事切れた。
コハルが手をかざし、兜のシールドを閉ざす。
「あんたは最後まで、王だったぞ」
直立したまま死んだアバドン。
深く敬意を払い、コハルは歩き出す。
「……!? オマエは――」
コハルの前に、人影が立っていた。
『すごいね、アバドンを倒しちゃったんだ』
ティティアと呼ばれる、ダンジョンコアの少女だ。
「いい加減展開がツラいのですよ、右手さん……」
「人間滅ぼしに軍団展開してるダンジョン潰すとなると、こうなってしまうのではないのでしょうか。左手さん……」
「そういうリアルさはノーセンキューです。このままだと、コハル様がベトナム帰還兵みたいになってしまいますよ、右手さん……」
「あと一話でダンジョン編はさわやかに終わりますので、頑張ってください。左手さん……」
「え? 右手さん……さわ……やか……?」




