030 ターンアンデッド
扉の向こうは闇の世界だった。
薔薇の灯火は消され、何も見えない。
足を踏み出そうとしたところで、後ろから鋭い声で制される。
「止まってください! コハル君!」
振り向くコハル。
エンリ様は扉の内側に立ったまま、指で×を作る。
「……どうしたんだよ? 明かりが消えてるだけだろ」
「違いますね。これはブラインドの魔法ですよ」
『じゃあ、破壊してみるね』
間髪入れずに、アンズが暗闇に向かって尾を放つ。
ヒュンヒュン!
鞭のように尾がしなり、縦横に跳ねた。
鋭く空気の層を引き裂き、空間を破壊する。
霧散するように暗闇が晴れて、薔薇の松明に照らされた世界を映す。
「うわ――!? どうなってんだ、これ!?」
コハルの足下から先に、巨大な裂け目が広がっていた。
元々は跳ね橋が架かっていたのだろうが、すっかり破壊されて見る影もない。
あのまま進んでいたら、落下の衝撃でぺしゃんこだ。
「シッパイダ! ミツカッタ!」
「アイツラ、ブジダ!」
「フロア、オトセ! オトセ!」
コハル達を監視していたのか、壁際に小人族がいた。
無事とわかるや、一目散に奥へと逃げる。
「オトセ! オトセ! コロセ!」
「フロアヲ! オトセ!」
「ギャハハハ! シヌガイイ――フギャ!?」
だが、アンズは逃がさなかった。
伸びた暗黒の尾が、次々と小人を粉砕していく。
はえ叩きのように正確に。
「ナカマ、コロサレタ!」
「ヤレ! ヤッチマエ!」
小人族が壁際のスイッチを操作する。
――ズズン!
ゴゴゴゴゴゴゴゴ。
背骨を揺らすような地響。
コハル達の足下が轟音と共に崩れ、崩壊していく。
小人の言うとおり、このフロアごと落としたようだ。
「――アンズ!」
『……任せて……』
アンズは暗黒の尾を四方に伸ばした。
「ギャハ! ギャハ! シンジマエ!」
「シンジ――ギャアア!」
小人族もろとも、フロアが崩壊する。
――ズン! ズズン!
足下の床が抜けるよりも、アンズの尾の方がギリギリ早かった。
間一髪だ。
壁に身体を固定すると、残りの尾でコハルとエンリ様を持ち上げる。
すさまじい砂煙と衝撃が、当りを包む。
乗用車ほどの落石が階下からバウンドしてくるが、アンズの尾にはじかれて砕けていく。
「このまま階下に降りてください、アンズちゃん。向こうに明かりが見えます」
『……わかった』
そのままアンズは尾を解くと、身体が自由落下した。
――ヒュン! ヒュン!
アンズが尾を蹴立てて、床を破壊していく。
1階層、2階層、3階層……。
つぎつぎとぶち破りながら、ショートカットを繰り返す。
こんなむちゃくちゃな進み方をしてきたのかと、コハルは驚愕した。
アンズの横顔を見つめていると、目が合った。
『……お兄さん。アンズ、頑張るね!』
無邪気に微笑むアンズ。
『あは……あはは! お兄さんを邪魔する地面なんて壊れちゃえ――!』
アンズが笑いながら尾を振るっている。
一撃で大地を砕き、数十メートルの岩すら粉々にする力。
魔法で守備された扉も、石組みですら軽々と破壊した。
『レンリちゃんとアササギちゃんを助けたら、お兄さんに褒めて欲しいな。えへへ』
彼女の行動原理は、コハルに褒めて欲しい。
それだけ。
それだけのために、彼女は何人だって人を殺す。
コハルはアンズの頭を撫でた。
『はわぁ。えへ……えへへへ……』
アンズは目を細めて両手を頬に添えた。
嬉しくて今日の夜は眠れそうになかった。
地上から9階層目。
そこでアンズの進撃が止まった。
「ドワーフ製の防御シールドですね。これ以上はショートカットできそうにありません」
「普通に進むか」
「そうなりますね」
カウンターマジックで扉の封印を解き、先に進んだ。
9階層目は工房になっているようだった。
ドワーフ製の工具や治具、そして精練釜が見渡す限り続いている。
工房の片隅で、巨人族の奴隷が働かされていた。
針で眼を刺されていて、視力は奪われている。
口は縫われて、会話もできない。
首輪、足輪、そして鎖。
炭鉱の労働でもするみたいに、巨大な手押し水車を回し続けている。
「邪神は……えげつないな」
「違いますよ、コハル君。この奴隷は邪神のものじゃありません。人間のために、働くんですよ」
奴隷を使って、地下水の排水を行っているようだった。
外に流れていた汚水の原因は、これか。
「武具やトラップ、防御扉の製造。それには大量のコークスと魔石、空気と水を消費します。地下も9階層ですから換気と排水は生命線なんですよ」
そう言って、エンリ様はファイアーボールを放った。
虫けらでも踏みつぶすみたいに、自然と。
巨人は、排水設備諸共消し炭になった。
「人は……殺せないんじゃなかったのか?」
「あれは人じゃありません、巨人族です。きっと痛みすら感じず、昇天したはずです。私のファイアーボールは最高レベルですから」
「慈悲深い女神様だな……」
『気をつけてお兄さん、何か来る――!?』
アンズが暗黒の尾を展開し、前方の一点を見つめる。
金床や作業台、並んだ治具やハンマーの向こう。
目を血走らせたドワーフの集団が、コハル達に向かって進んできた。
「し……侵入者め……」
「こここ殺して……やる」
手に手に、水筒のような金属筒を握っていた。
金属筒の先端からは導火線が伸び、しゅうしゅうと煙を吐いている。
コハルはドワーフの前に立ち塞がると、エゾロディネガルを構えた。
「おまえらに用はない。爆弾を置いてそこをどけ」
ドワーフたちは一斉に首を横に振った。
絶望したようにコハルを見上げると、上着をはだける。
「――――!?」
腹巻きのように、爆弾が巻かれていた。
すでに導火線に火は点いている。
「降伏したところで、我らは死ぬ」
「死ぬくらいなら、巻き込んで殺し――」
『――黙れ――』
バシン!
アンズの尾が、ドワーフを叩いた。
一瞬遅れて、巻かれた爆弾が破裂する。
ズドン!
「ふぎゃああああ!!」
「うわ――うわあああ!!」
ズドン! ズドン! ズドン!
誘爆が瞬く間に広がった。
周囲の可燃物に火が点いたのか、赤、青、緑と色とりどりの火炎が吹き上がる。
数百人のドワーフの悲鳴と絶叫が、工房に響いた。
「タ……タスケテ――!」
アンズが尾を振るう度に、ドワーフが破裂する。
束で買った花火に点火するみたいに、盛大に。
パン! パンパンパン!
「やめてくれ……もうこれ以上は……」
コハルが唇を噛みしめながら、声を絞る。
「そんなに殺すのがお嫌でしたら、サイレンスの魔法で黙らせましょうか? 口をきかなければ、虫を潰すのと一緒ですよ」
コハルは、エンリ様を悲しそうに見つめた。
彼女の瞳に、躊躇の感情はない。
数千年におよぶ終末戦争の間になくしたのか、それとも……元々そんなものを持たずに生まれたのか。
「エンリ様……。オレは、アンタとは……違う」
炎の向こうに、ドワーフが立っていた。
腹に爆弾を巻かれた、憐れな生き残りだ。
コハルがしゃがみ、ドワーフの腹に手を掛ける。
一瞬びくりと身体を震わせるが、コハルの行動の真意に気づくと、頬を緩めた。
「ありがとう。助けてくれるんだね、優しい少年」
巻き付けられた爆弾の金具を慎重に取り外す。
これで大丈夫だと、安堵した瞬間。
「これで邪神様に認められるよ――。あの世でな――」
コハルの腕の中で、ドワーフが自爆した。
びちゃびちゃと、臓物が顔にかかる。
「どう……して……」
すんでの所で、爆弾はアンズの尾で握りつぶされていた。
コハルの身体は無傷だ。
しかし……。
「オレはただ、助けたかっただけなのに……。どう……して……」
うなだれるコハルを、アンズが優しく抱きしめる。
か細い腕が肩に回され、頭を優しく撫でた。
アンズが、耳元で囁く。
『アイツらが悪いんだよ――』
とても優しい声だった。
思わず見つめる、アンズの瞳。
生きた気配の感じない、アンデッドの瞳。
その瞳に映るコハルの瞳も――アンデッドのように生気がなくなっていた。
『大丈夫? お兄さん……。少し、休む?』
コハルは首を横に振った。
「大丈夫。オレは……大丈夫……。急がないと、レンリとアササギが気がかりだ」
よろめくコハルを、アンズが支えた。
工房を抜けて、次のフロアに進む。
薄暗い工房と違う、眩しく輝く白い世界。
そこに足を踏み入れた瞬間――。
『――ターンアンデッド――!!』
鋭い魔術師の詠唱が、三人を包んだ。
「大変です! コハル様の精神防御力が0からマイナスに突入しましたよ、右手さん……」
「すっかりサイコホラー展開になってしまいましたね、左手さん。SAN値もぎゅんぎゅんですよ……」
「最後ターンアンデッドかけられちゃいましたが、アンズちゃん大丈夫なのでしょうか、右手さん……」
「アンズちゃんよりも、コハル様の方が昇天してしまいそうな流れですね、左手さん……」
「ストレスフルな展開が続きますが、あと数話で切り抜けます。そのあと河原で沐浴回が入りますので、それまで頑張ってください。アササギも一肌脱ぎますよ、読者様……」




