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029 オルガスの最後


「バケモノだなんて、アンタに言われたくねーよ」


 コハルの反論に対して、オルガスはさらに語気を強める。


「デスを喰らって回復しているのが証拠だ! それに……なんだ、そのバケモノは。今まで……今までこのダンジョンは破られたことはないのだ! それなのに――どうして、ここまで踏み込めるのだ――!」


 オルガスは混乱していた。


 考えられるあらゆる防御手段の講じられたダンジョン。

 いくつもの村を襲い、エルフやドワーフを奴隷化した。

 人間製とは比べものにならぬほど、強固なトラップを製造し、それを鉄壁の守りの中に配置している。


 兵士を集め、訓練し、小国にも匹敵するほどの戦力も整えた。

 幾度もの勇者達の襲撃を撃退し、血祭りに上げてきた。

 バビロン王の差し出した軍団も跳ね返した。


 邪神の誇る最前線基地。

 このダンジョンは、その機能を果たすものだ。

 だというのに――。

 無敵なはずの……このダンジョンが――。


 それがたった一人の小娘に、破られてしまうなどとは――。


 どういうことだ!

 これはいったい、どういうことなのだ!


 オルガスの率いる軍団も、さきほどの兵士で全部だ。

 数は全部で千は超えていた。

 訓練も装備も、正規兵と遜色ないもののはずだった。


「そのバケモノはな……。私の兵士を潰滅させたのだ……。人数は千人いた。そんな人数を相手にできる人間などおらん、その娘はバケモノだ」


 コハルは、驚嘆した目でアンズを見つめた。

 一階層分ショートカットしたが、その間には死屍累々と死体の山が築かれていたのだろう。

 どうりで……道中生き物の気配がなかったわけだ。


「そんなにダンジョンを突破されるのが嫌なら、どうして邪神の側についた? 人間のために戦っていれば、こうならなかったはずだ」


「ふん、たわけが。人間のため? 最初我が村に邪神が進軍したとき、バビロン王は救援を寄越さなかった。こともあろうに、邪神軍の到着前に、村に駐留している軍を全部引き上げさせたのだ! 我々は捨て駒にされた!」


 オルガスは壁画に描かれた邪神を撫で、涙する。


「捨てられた我々に、邪神様は優しかった。服従すれば命は保証され、発展のための財宝や装備まで供与していただけた」


「だから、裏切ったのか?」


「……裏切った? 我らを裏切り者とそしるなら、そなたはどうなのだ? バケモノと協力して、人間を血祭りにあげているではないか!」


「……違う」


「何が違うのだ!? 我々が攫ったのは、エルフと獣人のみ! 人は殺しておらぬ!」


 オルガスは逆上していた。

 彼の背後の扉は、ぴったりと閉じられている。

 外側から開ける構造にはなっていない。

 ということは、オルガスは……。


「ここまで一匹もモンスターを見なかった。アンタを連れてきた、ガーゴイルはどこだ?」


「……ふん。我らが踏むことを許された土は、ここまでだ」


「ということは、アンタは閉め出されたってわけだ。結局邪神からも裏切られたんじゃないか」


「…………」


 コハルの言葉にオルガスは絶句し、うつむく。

 その顔は絶望に染まっていた。


「負けを認めて、そこをどいてくれ。アンタを倒したところで、人質は帰ってきそうにないしな」


 オルガスはコハルの提案を拒絶した。


「この扉を離れた瞬間、私の命はない。邪神様はいつも、見ていらっしゃるのだから」


「結局助けてくれない邪神崇拝して! 何になるっていうんだ!」


「口が過ぎるぞ子僧! よもや私の命はここまで、手土産に……そなたの命を貰っていく!」


 甲冑が動く、激しい金属音が聞こえた。

 オルガスが剣を振り上げる。


 だが……。


『――お兄さんを虐めるヤツは、許さない――』


 アンズの尾が、正確にオルガスの胸を貫く。

 甲冑は激しく反応し、衝撃波を放った。


『――どうして――?』


「気をつけてコハル君! 魔法強化されたエルフ製の鎧です!」


 二撃目のアンズの尾が、オルガスを叩く。

 さすがの鎧も、粉々に砕けた。


「それが貴様の妹か? 見境なく人を殺すだけの、ただのバケモノではないか!」


 オルガスが、剣をかざして突進した。

 二度目の攻撃で、すでに身体の半分がなくなっている。

 命を捨てた、最後の一撃だ。


「アンズは――バケモノじゃねぇ!」


 オルガスの刃を、コハルは左手で受け止めた。

 突進を受け止めると、エゾロディネガルを腹に突き刺す。

 薔薇が散るような血しぶきが、周囲に広がった。

 コハルとオルガスの血だ。


「ふふ……貴様は――やはり――バケモノの……仲間だ……」


 オルガス吐く血が、コハルのローブを濡らしていく。

 崩れ落ちまいと、分厚い手がコハルの足を掴んだ。


「ふふ……くははは……。もはや貴様……に……我らを批判する資格はない……。バケモノの味方なら……邪神を崇拝する――のと――同じでは――ないか……」


 ぐらり。

 オルガスの身体は倒れた。


『……ぁ……ああ……あ……』


 声にならない嗚咽を漏らして、アンズが駆け寄る。


『お兄さんが……お兄さんが、怪我を……してる』


 もろに剣を掴んだため、コハルの左手はざっくりと切られていた。


『アンズが、アンズが怪我をすればよかったの! 私はアンデッドだから、痛くないのに……』


 左手を掴んで泣きわめくアンズ。

 コハルは、優しく頭を撫でた。


「もう嫌なんだ。アンズが傷つくのを見るのは。アンズには、もう人を殺させたくない」


(次からは、オレがやる――)


 オルガスの腹から引き抜かれたエゾロディネガル。

 その刀身の色が、白から黒色へと変わっていく。

 もはやこの剣は対魔のものではない。

 人でもモンスターでも何でも切り裂く、無慈悲で悲しい、刃だ。


「どいてくださいアンズちゃん。手当をします」


 アンズの肩に、優しく手を置くエンリ様。

 そのまま跪くと、コハルの左手を舐め始めた。

 ヒールの魔法だ。

 深刻な怪我の場合、舌で舐めるのが一番回復が早い。


「ふふ、ようやく勇者らしい顔つきになってきましたね」


 ぺちゃぺちゃと、柔らかい唇がコハルの手を滑る。

 傷を舐めながら眼を細めると、エンリ様が嗤った。

 邪悪な微笑みだ。


「何を期待してたんですか? もしかして……出会う人すべてが勇者様って褒め称えて、協力してくれるとでも?」


 コハルは、エンリ様を見下していた。

 見下したまま、口を開く。


「ああ、思ってたよ。悪いか?」


「その点に関しては、アンズちゃんの方が賢かったですね。彼女は召喚されてすぐに、敵に対して反撃した。人間もモンスターも関係ない。敵は、敵ですよ」


 ぺちゃぺちゃと、エンリ様の舌先で血が吸われていく。

 まるでコハルの良心を、吸い取っていくかのように。


「エンリ様……アンタ、女神なのか邪神なのかわからねーな。数千年間戦ってるんだろ? その間一回も決着がついてない。もしかして、グルなんじゃないのか?」


「あら? 疑うんですか?」


「少なくとも、正義の味方には見えないぜ」


「ふふ……それじゃあ」


 コハルの虚栄心を砕くように、エンリ様が笑う。


「アンズちゃんも邪悪なアンデッドということになりますね。コハル君も、さっきの村人と一緒ですよ。他人を悪と決めつけて、自分の悪を正当化しています」


「オレは、アンズを守っただけだ」


「守るために、殺したんですよね?」


「仕方ないじゃないか!」


 エンリ様は立ち上がると、ふわりとコハルを抱き留める。

 絹のような髪と、柔らかい胸の感触がコハルを包んだ。

 頬に唇を近づけ舌を這わす。

 こそばゆい温かな感触。

 エンリ様は、頬に吐いた返り血を舐めていた。


「貴方の邪悪を、エンリが認めてあげます。例え世界の誰もが貴方とアンズちゃんに石を投げようとも……。女神であるエンリは貴方の側に立つ。貴方は、何も間違ってない」


(……悪……魔……だ。この女は、悪魔だ――)


 コハルの胸の内側に、得体の知れない感情が巣くった。


 人殺しと頬を平手で叩かれて、なじられた方が、どれだけマシだっただろうか。

 人の道を外れたと諫められたら、どれほど救われただろう。


 殺す必要はなかったんだ。

 剣を叩き落として、戦意を喪失させれば、それだけで。


「オレは、怒りにまかせて……相手を……」


 ぎゅっと、肩に回された腕に力がこもる。


「大丈夫です。わかっています」


 エンリ様は何も言わなかった。

 ただ抱きしめるだけで、コハルを慰めた。


 もはや引き返せない奈落に、突き落とすように――。


 人を殺すことのタガを、彼女は順番に外している――。


「何も間違ってない。邪神を崇拝する人間の戯れ言なんて、聞いてはいけませんよ」


 優しく、すべてを肯定して、悪いのは相手、そして世界なのだと――。


 エンリ様は、コハルを洗脳している――。


「コハル君は何も悪くないんです。妹を助けようとした。それだけ。すばらしいことをしたと、誇ってください」


 微かな冷たい笑みが、彼女の口元を歪める。

 ふふっと、コハルの胸のつかえが取れるのを感じた。

 自分は一体何に罪悪感を抱いていたのだろうと、そんな疑問が浮かぶ。

 心が楽になったら、急におかしみが沸いた。


「ははっ。ははは」


 ふいにコハルは笑い出した。

 砂のように乾いた笑いだった。


 エンリ様の身体をほどいて、歩き出す。


「オレはもう大丈夫だ。急ごう、レンリとアササギが危ない」


 心の闇を払うように、エゾロディネガルを振るう。

 鋼鉄製の扉は易々と砕けた。

 そのまま彼の身体は、ダンジョンの奥に続く闇に飲まれていった。


「大変です、大変です。コハル様の精神防御力が0になってしまいましたよ。右手さん……」

「話しだけ聞いてると邪神陣営の方がホワイト企業ですよね。左手さん……」

「アササギはコハル様一筋ですので、どちらの陣営だろうとついて行きますよ。右手さん……」


「記念すべきブックマーク件数100突破になりました。アササギのイラストが描いて貰えます。これも読者様のおかげです。これからも、読んでくださいね……!」

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