021 駄女神エンリ様
窓の外の森の向こう、暗闇に沈む街が見えた。
ぽつぽつと火が起こされ、幻想的な灯火が建物のシルエットを浮かばせる。
夕暮れと夜帳の交わる時間。
夜に沈む砂漠の街の、美しいページェントだった。
「暗いですよね、明かりを増やしましょう」
エンリ様が指を振ると、燭台に乗ったロウソクが次々と灯った。
たおやかに微笑むエンリ様。
コハルは、その笑顔の裏に邪悪な感情があるように思えて仕方なかった。
(オレが……アンズを倒す……だって?)
「エンリ様。さっき言ってたことなんだが」
「はい。何でしょうか」
「ここにいるアンズはオレの妹なんだ。アンズーはこの世界の魔獣で……つまり、名前が似ているだけで関係ないってことだよな」
エンリ様は素知らぬ顔で言った。
「アンズちゃんが魔獣ですよ。伝説は予言であり決定事項、覆すことはできません」
笑顔の裏に、憎しみがあった。
高い地位にあり、他人に対して微笑みを絶やさない。
だがそんな人間こそが、一番笑っていないのだ。
レンリが、歪んだ目でエンリ様を見ていた。
きっとコハルと同じような猜疑心を受け取ったのだろう。
このハイエルフは、信用できない。
「立ち話もなんですから、ご飯にしましょう」
きびすを返して歩き出すエンリ様。
おずおずと、アササギが従う。
「ねえ、お兄さん……」
ご飯と聞くと真っ先に喜びそうなアンズが、真顔だった。
「アイツ、殺していい――?」
物騒なことを言い始めるアンズ。
コハルは何も言い返せず、ただ、アンズの頭を撫でるだけだった。
…………。
……。
燭台に灯ったロウソクの明かりが、純白のテーブルクロスを輝かせていた。
立派なテーブルは王宮のそれであり、世界各地のフルーツや肉、魚、香りの良いキノコなどが並んでいる。
どういうわけかアンズの前には、オムライスやチョコレートパフェ、たい焼きなどが並んでいた。
「異世界からたくさんの勇者様が来るものですから、レシピは一通り覚えたんです」
試しに一口入れると、味の再現が完璧だった。
「はわぁ! これおいしーヤツだー!」
さっきまでエンリ様を殺す勢いだったアンズ、胃袋墜ち。
ちょろい。
コハルもアンズに習い、ばくばく食べる。
どれもこれも完璧な日本食で、欠点が見当たらない。
砂漠の都で、よくぞここまで素材を揃えたという感じだ。
「日本のレシピ再現で食堂開いてスローライフしようと思ってたけど、ここまでは無理だな」
「コハル君、ここの食事に慣れると冒険する気なくすわよ」
「お茶のおかわりです、どうぞ……」
上品に食事を口に運ぶレンリと、メイドルックでサーブするアササギ。
まるっきり貴族のお嬢様とメイドだった。
一週間前まで、ただのゲーマーだったくせに。
「明日からダンジョンですから! たくさん食べて、体力つけてくださいね!」
「なあ、エンリ様。ダンジョンって何がいるんだ? オレ、まだこっち来てからモンスターを見てないんだが」
ゴロツキ、魔獣化したアンズ、ダークエルフ、アラクネ、オーク。
だいたい元人間だったり、人語を理解するハイモンスターばかりだ。
初級レベルのもっと可愛いヤツが欲しいと、コハルは思った。
「なるほど! コハル君は低級モンスターと戦いながら、ステータスオープンして、レンリちゃんやアササギちゃんとヒールかけあいっこしながら、レベルが上がった! やったー! をやりたいんですね♪ なるほどなるほど♪」
「そのとおりだが、直に言われると腹立つ」
「低俗なお遊戯なんて、私はやらないわ」
「あんまり低級なモンスターって見ないですね。上級モンスターの餌食になってしまうので、隠れてるんです……」
「え? いないの?」
アササギの一言に、コハルはパンを落とす。
「人間に狩られるくらいのモンスターは、森の奥や砂の下に隠れてしまっています。嗅覚が人間よりも優れているため、相手を見つける前に逃げられます。アササギはハーフウルフですから、見つけられますが。コハル様には恐らく、無理かと……」
「じゃあ強いヤツしかいない?」
「コハル君の世界でしたら、グリズリーやライオン、ゾウくらいの強さですね。一番弱っちいので」
エンリ様がすがすがしい笑顔で言った。
一番弱っちいのでグリズリーか。
そうか。
一番弱っちいので。
「えーと、パーク・ダンジョン・ハチオージの低レベルモンスさんはですね~」
ぺらぺらと、パンフレットのようなガイドを捲るエンリ様。
粘土板しかないんじゃないのか、この世界……。
完全に分譲中マンションの内覧会で配られるパンフだった。
「キマイラ、グール、グリーンドラゴン、スフィンクスにスペクターですね」
「え……? それで低レベル……?」
絶対冒険の終盤に戦うヤツだろ、それ。
「私を仲間に加えてくだされば、魔法でサポートいたしますよ!」
ニコニコ。
「勇者様~! エンリを仲間に加えて~!」
ニコニコニコ。
コハルは軽く咳払いをして、言った。
「オマエ、クビ」
「はうぐっ! これはアレですね? 勇者パーティー追放ってヤツですね? いや~まさかハイエルフで女神の自分が追放やられちゃうなんて、ちょっとドキドキしますね♪」
エンリ様はイジワルっぽく囁く。
「でもいいんですか~? 私こう見えてかなり強いですよ~。いないと、パーティー潰滅しちゃうかもですよ~? こっそり”ざまぁ”しちゃいますよ~」
「アンタ絶対敵にヘイストかけるタイプだから、ダメだ。街の外出た瞬間、敵のサンドドラゴン引っ張ってきて、オレ達潰滅させる気だろ」
「……ちっ」
「今ちって言ったろ? たまーに近所の村にバフォメットとか召喚して、潰滅する様を楽しんでるだろ? な? そうなんだろ?」
「そ……そんなこと……するわけないじゃないですかー……やだなー……」
「やる気だったんだな」
エンリ様は羊皮で作られた魔導書を背中に隠す。
何を呼び出すつもりだったんだろうか。
「どうしてレーゼイン家が恨みを買ってるか、よくわかった」
駄女神臭がする。
絶対にパーティー加えちゃいけないヤツだ。
「はわぁ♪ チョコパフェおいし~♪」
警戒心ゼロで、アンズがデザートに手を伸ばしている。
アンデッドになってからのアンズは、危険に対して敏感になっていた。
アンズが無警戒ということは、今のエンリ様の言葉に敵意はないのだろう。
エンリ様を仲間に加えるべきかどうか。
もしもダンジョン内のモンスターが弱くてグリーンドラゴンとかだった場合、正直アンズがいても厳しい気がする。
狭い洞窟内でアンズがフルパワー出したら、絶対ダンジョン崩壊する。
相手はハイエルフの女神、今後邪神と戦うしても、是非欲しい戦力なのは間違いない。
だが、性格に……問題が……。
コハルは、ちらりとレンリを見た。
つんつんしたレンリと、柔和なエンリ様。
二人を交互に眺めると本当の姉妹のように似ていた。
(コハル君の好きにすればいいんじゃない?)
ちょっと突き放した様子で、レンリは視線を逸らして紅茶に口をつける。
「ふふ♪ 二人の関係は初々しいですね♪」
エンリ様はコハルの悩みなど知らない風に微笑った。
どうしようこの人、振り回される。
「ごちそうさま」
コハルは食事を終わらせ立ち上がる。
「エンリ様、頼みがある」
「はい♪ 何でも聞きますよ♪」
コハルは食堂を眺めた。
西洋風のフルプレートの甲冑が、柱のそばに飾られている。
壁には鏡でできた盾に、チェーンメイル。
レーゼイン家になら、こういった装備がごろごろあるはず。
「装備を分けて欲しい。エンリ様が加わるなら、それが条件だ」
「そうですよね。コハル君のその格好ですと、近所にランニングって感じですからね」
コハルはまだ短パンTシャツだった。
砂漠の街なので、ある意味これでちょうど良い。
「まあでも♪ それはあとにしましょう! お食事のあとは、やっぱりあれですよ♪」
エンリ様が両手を合わせて、上目遣いで見つめてきた。
「あれ?」
「あれですよ~、あれ」
コハルの腕を取るエンリ様。
なんかすごく新妻っぽい仕草。
「……ちょっと……エンリ様――ぁ゛?」
ぴくぴく。
その様子を見ていたレンリのこめかみに、青筋が浮かぶ。
だが、エンリ様は動じない。
「コハル君♪ 一緒にお風呂、入りましょ♪」
――ゴッ!
レンリが思いっきり、燭台でエンリ様を殴っていた。




