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001 ハジマリ~転生前なので読み飛ばし可~


 ことの起こりは、彼がコーヒーを頼んだせいだ。

 それが、新しい世界へ転生するきっかけになってしまった。


 話を始める前に、彼の紹介を済ませておこう。

 名前は新沼田ニヌルタ コハル。

 ボロアパートの一室で、寝っ転がりながらケツを掻いてるのが、彼。

 人生に何の希望も見いだせない35歳のおっさんで、無職童貞だ。


 数年前まで会社員をやっていた。

 でも、それもこの前、辞めた。

 辞めなきゃよかったのに、このバカ。


 10年勤めた会社の退職金は、200万。

 多いのか少ないのか、正直わからない。

 コハルはそれを握りしめて、作家ごっこを始めた。


 真昼間っから公園のベンチで空を見上げ、コンビニで買ったアイスを食う。

 時折鞄からリンゴパッドを取り出しては、文章やイラストを書いて出版社に持ち込み……するつもりの生活。

 チキンだから持ち込みなんてできない、心臓破裂する。

 だからつまり、正直無職と変わらないのだ。


 だが、この暮らしは悪くなかった。

 悠々自適すぎて、ふやけてしまいそうなほど。

 ただ、恐ろしい速度で、貯金が目減りしていくことを除けば。


 本来だったらシュタバでリンゴブック広げてドヤァ! するのが正しい作家生活だろうが、彼は1日やって止めた。

 ほぼ無収入のニート作家がそんなことやってたら、破産してしまう。

 賢明な判断だが、とりあえず働けニート。


 コハルは今日も日の光で目を覚ます。

 瞳に映るのはボロアパートの天井と、郵便受けに刺さった市民税と国民年金の督促状。


 状況的にはかなりヤバイが、コハルはそれを必死に見ないように生きていた。

 見てしまったら最後だ、絶望だ。

 何か生産しているつもりではいるが、実のところなにも生産してないと気付いてしまう。

 貯金の減りを抑えるため、食事も一日一食に減らしていた。


 窓から外を眺める。

 忙しそうに駅に向かう、死んだ目のサラリーマン達。

 コハルはその姿を、羨ましそうに見つめていた。


 なんだこれ。


 なんだこれ。


 今の自分の状況を整理したくても、整理して自覚した瞬間、コハルは泣く!

 ボロアパートのボロ部屋で、平日の朝からおっさんが、泣いちゃう!

 

 こんな現実全開の部屋、一秒だっていられるか!

 コハルはいてもたっても居られず、身支度を済ませると、充電ケーブルからリンゴパッドを引き抜いた。


 ボロアパートを抜けて街へ向かう。

 サラリーマンの群れはあらかた出社した後なのか、おしゃべりする女子高生やいちゃつく高校生カップルなどが歩いていた。


 爽やか男子生徒が漕ぐママチャリ、その後ろに可愛いJK。

 ニケツは明らかに道交法違反だ、おっさんの心にも大ダメージだから正直やめて頂きたい。

 キラキラハラスメントやめて頂きたい、コハルは思う。

 コハルさん泣いちゃうぞ! おっさんなのに!


「まだ9時か、時間潰すか……」


 そしてコハルの、一日のローテーションが始まった。

 公園のベンチ、図書館、ショッピングセンターの書店で時間を潰して夕方を待つ。

 ダンゴムシの移動のような、無意味な時間の浪費。

 誰からもいるって気づかれない、何故ならダンゴムシだから。


 コウモリが頭上を舞い始めたのを見計らい、コハルはお目当ての場所へ移動を始める。

 東京都青梅市ボロアパートから、徒歩五分。


”コーヒー喫茶 玉茶屋”


 おしゃれとは程遠い、コハルのアパートと大差ないほどのボロボロっぷり。


『タピオカ始めました』


 という張り紙が余計に哀愁を誘う、昭和レトロ全開の喫茶店。

 いまだに現役のピンクの公衆電話の横を抜けて、コハルは店内に入る。


「らっしゃいらっしゃい。おんや、コハル君かい。良く来たねー」


 スポーツ新聞が積み上げられた雑多なカウンターの奥から、ババアの挨拶が聞こえた。


 っち。とコハルが心の中で舌打ちする。

 ババア、オマエじゃねぇ。ババアのために一日浪費しねぇ。

 コハルは心の中で毒づく。

 この男、無職童貞おっさんでは飽き足らず、性格が悪い。


 だが、思っただけだ。

 精神コミュ力がスパゲティ1本分のコハルに、例えババアとはいえ暴言を吐くなどできるわけがない。


「あ、へ、はい。こ、こひ、こんにちわ」


 というクソザコ挨拶を交す程度だった。

 しかもちょっとどもった感じで。


 そんなシャイなコハルを可愛く思ったのか、ババアはニッコリ笑う。


「嬉しいねぇ、コハル君。ワシ目当てにお店来てくれて。年寄り冥利に尽きるわい」


 ふぇふぇふぇ、とババア。

 もういい、オマエじゃねえ。この世で踏ん張らんでいいから冥界いけ。

 と思っても、もちろんそんなことは言えないコハル。


 言うまでもないがコハルが求めている人物は、ババアではない。


 店の奥からのれんをかき分け、制服にエプロン、ツインテールの美少女が現れる。

 少女はコハルを見つけると、微笑む。

 にぱっと、周囲に星を散らすような可憐な微笑みだ。


「はわぁ♪ いらっしゃいませ♪」


 線が細くて可憐な少女。

 年の頃は14歳。

 中学校三年生といった面立ちだ。


「お兄さんだー♪ 本当に毎日来てくれるんですねー♪ はわぁ、しつこいですー♪」


 玉が転がるように喉を鳴らし、少女が近づいてくる。

 いい匂いがした。

 満員電車で女の子とすれ違った瞬間鼻先をかすめる、あの男の理性を完全粉砕する甘ーい匂い。

 ああ、嗅ぎ放題じゃないですかー。

 JC甘々シャンプー臭、むせるくらいに近いじゃないですかー。

 だらだらと鼻を伸ばしながら、コハルは少女に話しかける。

 それはもう、ナチュラルに当たり前に、ごくごく日常の会話のように。


「あ……ん……その……」


 そんな日常会話が、コミュ障のおっさんから出てくるとお思いですか。

 レジ打ちのバイトJKにおでんを注文できないこのコミュ障、挨拶すらまともに交わせない。


「お兄さん今日もお仕事ないんですね♪ パパがゴクツブシだって言ってました♪ はわぁ♪」


 説明しよう。

 コハルの母は彼が幼少期に病気で死んだ。

 寂しさに耐えられなかった父はその後、再婚をした。

 父と同じ境遇の、女性と。

 というか、ほとんどコハルと年齢変わんない女性と。

 その再婚相手の連れ子が、この少女だったのだ。


 新沼田 アンズ 14歳。

 にぱーと花が咲くように笑う、ちょっと頭の弱い女の子。

 九九は3の段まで、マンガは読み方がわからない、ビデオの予約録画に成功したことがない、そんな少女である。

 彼女はおばあちゃんの切り盛りする、この玉茶屋でお手伝いをしている。

 そのシフトを狙って、コハルは毎日毎日押しかけているのであった。

 ほぼストーカーである。


「パパがお酒入る度に泣きながらお兄さんのことゴクツブシ、ゴクツブシって言ってるんですけど。どーゆー意味ですか?」


 割とクリティカルに酷いこと言われているが、もはやコハルの耳には入っていない。


 義妹!


 義妹!


 義妹!


 なんという甘美な響き。

 彼の頭の中はイモウトというワードでいっぱいだ。

 30を過ぎて20以上年下の妹が出現するなんて、予想だにしなかった幸福!

 しかもアパートまで肉じゃが届けてくれる優しさ、まさに天使!

 実はおかず届けるとパパから200円貰えるからやってるだけだが、そんな現実コハルには見えない。

 理想の妹、舞い降りた天使、それがアンズちゃんなのである。


「はわぁ♪ ゴ・ク・ツ・ブ・シ♪ ゴ・ク・ツ・ブ・シ♪」


 穀潰しという言葉すら、天使の美声に聞こえる。

 35歳無職童貞クズに舞い降りた、可憐な天使の歌声。

 これこそが蜘蛛の糸! これこそが無職に下ろされた希望!


 義妹! 天使!


 義妹! 女神!


 義妹! 最高!


「お冷や失礼しまーす」


 アンズはお盆に載せたお水を手に持ち、コハルの前に差し出――。

 ――パリン。

 思いっきりコップが割れた。


「あ、相変わらず、すごい握力だね」


「はわぁ! か弱い乙女! アンズはか弱い乙女なんです! お箸より重いもの、持ったことないんです!」


 アンズは自分の握力が人間離れしているのを気にしている。

 今も誤魔化すみたいに三人掛けソファーを片手でブンブンしてるが、たぶん本人は気づいていない。


「せっかくお兄さんに可愛いところ見せようと思ったのに、台無しです。めそめそめそ」


 もちろん嘘泣きである。

 中学生特有の、慰めて欲しいという可愛い駆け引きである。

 必然的に、兄であるコハルはこう言うしかない。


「アンズちゃんお腹空いてるよね? 好きなだけ食べて善いから」


「はわぁーっ!? ほんとーですかーっ!?」


 ぱっとアンズに笑顔が灯る。


「おばあちゃーん! お兄さんがね、好きなだけ食べていいんだってー!」


「おやおやアンズちゃん、よかったねぇ」


「ははは。兄として当然ですよ」


 コハル、ちょろい。

 アンズはデザートを食べさせておけば機嫌が直ると思っていると、実は痛い目を見る存在だった。


「えーっと、プリンでしょ、お汁粉でしょ、小豆ぜんざいでしょ、チョコパフェでしょ、苺パフェでしょ、えーっとえーっと」


 アンズは異常に食べるのだ。

 会計のことが心配だが、妹の幸せそうな笑顔を前にしてコハル陥落。


「パンナコッタ、シフォンケーキ、えーっとえーっと」


「好きなだけ頼みなさい。アンズ」


「はわぁ♪ お兄さんありがとう♪ アンズしあわせー♪」


 JC妹の幸せそうな笑顔の前では、お会計とか言う方がヤボである。

 コハルはまだ水すら飲んでないのに、すでに会計2000円超えてるが、ヤボである。

 市民税、国民年金、水道代、滞納してるがヤボである。


 ツインテールの優しくて可愛くて、おまけにオレなんかと会話してくれる。

 そんな可愛い妹の幸せのためなら、オレが一日一食でもいいじゃないか。

 と、コハルは楽しそうにチョコパフェを食べるアンズを眺めていた。


 繰り返しになるが、コハルはモテない。

 いや、モテないでは足りない。

 その辺に落ちている石ころや、雑草、地面を這うアリのようなものだと言っても過言ではない。

 女の子の視界にはまるで入らず、何気ない言葉”アイツきっもーい”によって容赦なく踏みつぶされるだけの存在なのだ。


 でもこの世界にはいるのだ。

 ”雑草コハルを愛でてくれる天使が!”


「私、私、友達によくバカにされるんですよぅ。握力強くて物壊しちゃうし、何食べてもお腹いっぱいにならなくて、たくさん食べるし」


 ティラミス、ババロア、鯛焼きを追加注文。

 アンズちゃんお会計4000円突破。


「いやいやそんなことないって、たくさん食べるアンズちゃんは可愛いよ」


 気をよくしたアンズちゃんの追加注文は続く、プリンアラモード、桜餅、パンケーキ……。

 6000円突破。まだまだ余裕そうだ。


「空気読めないし、友達の気にしてることつい指摘しちゃうし……」


 クリーム寒天、苺タルト、フロランタン、ビスコッティ、シュークリーム。

 会計はついに12000円突破。

 アンズちゃんすごい! 底なしの胃袋!


「大丈夫だよ、そこが善いんだよ。お友達もきっと、アンズのこと大切だって思ってるよ」


「はわぁ? 本当ですか? お兄さん、アンズのこと嫌ってないですか?」


 ソフトクリーム、フロランタン、レモンパイ、モンブラン、シューケット。

 この段階でアンズの会計は24000円を突破である。

 地味にデザートの種類がバケモノの玉茶屋メニュー、全制覇しそうな勢い。


「は……ははは……たくさん食べるんだね……」


「ご、ごめんなさい、お兄さん。女の子がたくさん食べるなんて、はしたないですよね」


 いやー全然ありっすよー。

 もうきゅんきゅんですよー。

 コハルのほっぺた、緩む。


「全然そんなことないよ! むしろ可愛い! 超可愛い! たくさん食べてほっぺた膨らんで、ぷくーって幸せそうな笑顔の所とか、ぺちぺちしたいくらい善い! 可愛い! ひまわり食べてるハムスターくらい可愛い! ああ尊い! 尊いよアンズ! 尊い! 尊い! マジ尊い!」


 コハル君は女の子と喋るとき、キモいほど饒舌になるのである。


「ネットゲー以外でそんな饒舌なところ、はじめてみましたー! お兄さん、ちゃんと喋れたんですね!」


 アンズちゃんは友達から、ちょっと変わった子だと思われているのである。


「はわぁ、ごちそーさまでした」


 テーブルの上に皿が山のように重ねられたところで、アンズの快進撃が止まった。


「あれ? お兄さん何も頼まないんですか?」


「あ……う……うん」


 祖母がやっている店とはいえ、会計は会計である。

 妹の前でカッコイイところも見せたい、払わないなんてできない。


「はわぁ、アンズ、おばあちゃんからコーヒー淹れてもいいよって言われたんですよー」


「ぜひ頼めるかな? 10杯ほど」


 コハル、ちょろい。


 そのままコーヒー豆を挽き始めたアンズと、趣味の話を始めるコハル。

 二人の共通の趣味は、ネットゲーである。


「そういえば、レンリちゃんこのごろゲームにインしてないんですよね」


「一週間ほど見てないね。でも……ゲーム自体にはログインしてるみたいだ」


「本当ですか?」


 リンゴパッドで起動したネットゲー画面を、まじまじと見つめてくるアンズ。

 このゲームはリリースから10年以上経つ、老舗の部類のオンラインRPGだ。

 コハルとアンズはこのゲーム内で、レンリというキャラと数年来狩り友をしていた。

 彼女の姿を一週間ほど見ていない。心配だった。


「インするサーバーが変わったみたいで、えーっと、タナトス……? タナトスサーバーにいるみたいだ」


「タナトスって、限られたアルファテスターだけが入れる、幻のサーバーですよね? レンリちゃんもう帰ってこないのかな?」


「そんなことないだろ。オレ達は血盟の絆で結ばれてるんだぜ?」


 レンリとは直接会ったことはなかった。

 でもこの数年間毎日のようにネットゲーで話をし、数多の危機を乗り越え、絆を深めているんだ。

 お互いに命を助け合った回数は、両手では足りない。

 家族のこと友人のこと、将来の悩み、すべて語り合った仲だ。

 そんな彼女が新しいサーバーに移ってしまったのが、にわかに信じられなかった。


「三人の絆は、本物だよな!」


 オレは、三人で作ったキーホルダーをかざした。

 血盟のエンブレムがあしらわれた、三人だけの特注品だ。


「はわぁ♪ アンズも肌身離さず持ってますよ♪」


 コーヒーを10杯オレのテーブルに置くと、アンズもスカートにくくりつけられたキーホルダーを差し出す。


「「三人の絆!」」


 二人のキーホルダーが揃ったとき、玉茶屋の中にトラックが突っ込んできた。



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